第2話 教室は癒し空間
ここは天国か? 右を向けば美人、左を向けばイケメン。どこもかしこも、美男美女であふれている。昨日までは醜い人間の集会所、つまり高校のことだが、とにかく高校に通うのが地獄だった。だけど、今はどうだ? 高校は、目の保養サービス、癒し空間に早変わりした!
俺は学校についてからクラスの連中にずっと目を奪われっぱなしだった。教室の扉から次から次へと「おはよー」なんて挨拶をしながら美人やらイケメンが入ってくる。
昨日、あれから両親が帰ってきてからも驚きの連続だった。豚の塊だった母親が、グラマラスな美魔女へと変身していたし、小汚いハゲ散らかしていただけの父親はダンディなちょい悪親父へと変わっていた。
妹は約束通り両親には何も言わないでいてくれた。俺も両親の前でなるべくいつも通り振舞ったつもりだ。って言っても、まあいつも両親とは最低限の挨拶ぐらいしかしないので、それほど難しくない。ただ、今日の朝、母親の目をしっかり見て「おはよう」と言ったとき、母親は少し驚いたような顔をしていた気がする。そういえば、目を見てしゃべったのなんていつぶりだっけな……。あまりにも母親が美魔女すぎて、つい目を奪われてしまった。これからはなるべく気を付けよう。
通学途中でも、驚きの連続だった。電車の中にいる若い男女はもちろんのこと、おばあちゃんやおじいちゃん、ちっちゃいお子様まですべての人間が可愛い、あるいは美しいの言葉で表現された。
ただ、ひとつだけ気づいたことがあった。俺のこの後遺症……、脳のバグとでも呼ぶか。この脳のバグだが、全ての人間が同じレベルで美しく見えてるわけじゃないようだ。同じ年ごとの女の子が二人いたとして、もちろん二人とも可愛く見えるが、どちらがより可愛いかと聞かれたらちゃんと優劣が付けられる。
仮にA子ちゃんの元の可愛さが50点でB子ちゃんの可愛さが70点なら、俺のこの脳のバグを通すと1万50点と1万70点に見えるって感じだと思われる。まあだから優劣をつけるっていっても、誤差程度ではある。だってどっちみち可愛いだからな!
「……」
それにしても、本当に高校というのは天国かもしれない。なんというか、見た目ももちろんだけど、今が人生の全盛期です! って感じのオーラがビンビンに出てる。
もう全部ひっくるめて、被写体として最高って感じだ。
学校についてからしばらくの間、クラスメイトたちに目を奪われていた俺だが、今、無性に絵が描きたくて仕方なくなっている。
脳のバグが起きる前から、絵を描くのは大好きだったが、今はそれ以上の衝動に駆られている。このクラスメイトたちの全盛期の瞬間を、美しさを、紙に残さなければ。そんな使命感であふれている。
俺はさっそく常に持ち歩いているスケッチブックとえんぴつを鞄から取り出し、絵を描き始めた。
そうだな、俺はちゃんとした人間を描くのは初めてだから……二次元化する前に、まずはデッサンから始めた方がいいかもしれない。とするなら、モデルは誰にするか。きょろきょろとクラスを見渡してみる。より取り見取りで決められないわ、これ。
と、そんなことを考えていると、またまた教室の扉から「おはよー」という言葉と共に女子が入ってきた。
そしてその瞬間、俺は……マジで言葉を失った。学校に来てからずっと黙ってたけど。とにかくなんというか心臓をぎゅっと鷲掴みにされるような感覚だった。そんくらい、その子はめちゃくちゃ可愛かった。
胸あたりまであるふわふわの栗色の長い髪、バランスの取れた身体には小さい顔がついていて、そこには大きな瞳と長い睫毛、薄い形の良い唇が付いている。
その子が一歩一歩あるくたび、春の陽気が流れてくるようだった。人間というより、妖精と言われた方が納得できる。
その妖精さんは人気者のようで、彼女が教室に入ってくるとみんなが「おはよー」っと声をかけている。そりゃあ、あんだけ可愛かったら、みんな声かけたくなるよな。なんかちょっとしゃべっただけで、今日の運気上がりそうだもん。
妖精さんは、声をかけられるたびニコっと笑って挨拶を返している。可愛い。時には足を止めて談笑なんかしたりして。笑い声が聞こえてくるが、声も高くも低くもない声ですごい聞いてて落ち着く感じ。めっちゃ良い。
すごいな……。この世界にはあんな可愛い子がいたのか。
俺は灌漑にふけりながらも、猛烈にその子を描きたい気持ちに駆られた。とにかく、あの可愛さを紙に残したい。最初に描くモデルはあの子しかいない。
そう決めると、スケッチブックのまっさらなページを開いて、えんぴつを手に取る。そして、もう一度しっかりあの子の顔を見ようと顔をあげた。
「……え」
瞬間、あの子と目が合う。まさか、こっちを見ているとは思わなかった。
俺が内心少し焦っていると、妖精さんは目を合わせたまま、ずんずんと俺の方へ向かって歩いてきた。え、なになに? なんなの?
ずっと俺の目を見たまま歩いてくるので、目を逸らすこともできない。ていうか、可愛いから逸らしたくない。
やがて、妖精さんは俺の目の前に到着する。
そして、その可愛らしい唇を開いたかと思うと、鈴の鳴るような声で
「何見てんの? 気持ちわる!」と言った。
「……」
その可愛い顔からは出てきたとは思えない言葉に、頭がついていかない。
妖精さんは、そのまま俺の前の席に鞄を置いて、どかっと座った。あ、前の席なのね。
そこで俺はふと思い出す。前の席……そういえば、前の席の女子って――。
「白波、さんか?」
俺がそういうと、妖精さんはくるりと身体をこちらに向けて「はあ?」と言った。顔は妖精さんだけど、その言い方はちょっと怖い。
「どういう意味? 白波以外ありえる? っていうか喋った?」
やっぱり白波さんらしい。白波……下の名前は覚えていない。だが、俺がクラスメイトで唯一苗字を覚えている人間だ。前の席だからっていうのもあるが、それだけじゃない。というのも、この白波さん、なぜか毎日毎日やたらと俺に突っかかってくるのだ。
ただ、脳のバグが起きる前の俺はそれを一切無視していた。ただただ醜い人間と関わりたくなかったから。ていうかまずクラスメイトと喋ったことがない。
そうか、目の前にいる妖精さんは白波さんか。白波さん、こんな可愛かったのか。クラスで断トツに可愛いじゃないか。前は全く気付かなかったけど。
「いや、ごめん。忘れて」
「忘れて、の一言で忘れられるわけないじゃん! なんなの? 今日の私、なんか変?」
「いやいや、変じゃないよ。むしろ、めっちゃ可愛い」
「はあ!?」
俺がついうっかりぽろりすると、白波さんは完全に眉を潜めて、何か変なものを見るような顔で俺を見た。
「泉、まじで今日どうしたの?」
「別にどうもしてないよ、いつも通り」
全然いつも通りじゃないけど、まあ説明するわけにも行かないしな。
「いつも通りじゃないでしょ。だって、あんたいつも――」
白波さんが何か言おうとした瞬間「おーい、席につけー。朝のホームルーム始めるぞー」と言いながら担任の先生が教室に入ってきた。
おお、先生もめっちゃダンディイケメンだ。
白波さんは、まだ何か言いたげだったが「まあいいや」と言うと、さっさと前を向いてしまった。あんまり問い詰められても困るが、もうちょっと顔見てたかったというのも本音。だが、しっかりと頭の中には記憶した。今日は休み時間を使って、描いて描いて描きまくる! こんなにわくわくした気分は久しぶりだ。