居酒屋
「それで、遠岳とマスターはどうしてこんなところに?店のほうはいいんですか?」
「食事しに来たんだよ。敵情視察っていうのかな」
「それじゃあ、うちに視察に来てくださいよ。オレ、ここでバイトしてるんで」
宮さんが赤い提灯が飾られている居酒屋の暖簾をめくって戸を開ける。ここが宮さんのバイト先か。
「あ、でも遠岳は店に入らない方がいいかも」
「え?」
宮さんの意味深な言葉は遅く、すでに店の中に足を踏み入れてしまっている。店の奥に座る女性と目が合い、瞬時に言葉の意味を理解した。
「洋ちゃ~ん!会いたかった~。なんですぐに会いに来てくれなかったのおぉぉ」
「千春ちゃん?」
店の奥で大きく手を振っているのは、看護師の仲田千春ちゃんだ。ばあちゃんが看護師に復帰することになった原因ともいうべき人物。
「遠岳、何とかしてくれ」
「将さん?」
千春ちゃんの隣には、将さんが助けを求めるように縮こまって座っていた。どうやら、酔っ払った千春ちゃんに絡まれているようだ。
「ランチ食べに来たら話しかけられて、遠岳のとこにいること話したら、こうなった」
ケガで右手を吊っている状態の千春ちゃんが、左手だけで将さんの襟首をがっちり掴んでいる。どんな状況なんだろ?
「ほら、利き手がこんなだからさ。将吾くんに食べさせてもらってたの」
千春ちゃんがギプスした右腕を見せつけるように持ち上げる。
あれ?でも……
「……千春ちゃんって左利きじゃなかったっけ?自慢してた記憶があるんだけど」
ボクの言葉に店が静まり返る。
居酒屋の店長がつっと音もなく近づいてきた。
「洋ちゃん、千春ちゃんを店から連れ出してくれないかな?」
「え?でも」
縋るような眼で店長がボクを見てくる。酔っ払った千春ちゃんとは、あまり関わりたくないのに。
「寂しかったのおぉぉ。この手じゃあさ。仕事もできないし、遊べないしぃぃぃ。浮かれた観光客を尻目に一人飯なんて嫌だったのおおぉぉぉ」
興奮した千春ちゃんが言い訳しながら暴れだすと左手で掴んだままの将さんの巨体ががっくんがっくん揺れだした。
そういえば、最近の看護師は患者を運んだりするために古武術を習っていると、ばあちゃんが言ってたな。一般人のボクだったら吹っ飛びそう。
「頼むよ。客がみんな逃げてくんだよ。宮ノ尾くんも連れて行っていいからさ」
「え?!」
いきなり店長に差し出された宮さんが、店長とボクを交互に見てくる。
「今日はもうバイト上がっていいから。午後はお友達と遊んでくるといいよ!」
笑顔で宮さんを送り出そうとする店長に、宮さんが言葉をなくしている。
「将吾も上がっていいぞー。今日の分は、もう終わったからな」
遠くの席に座っていた将さんのバイト先のおじさんも、笑顔で差し出してくる。
マスターのほうを見ると、「今日のバイトはおしまいね。遊んでおいで」と優しい言葉をかけてくる。こんな時に優しさはいらないのに。
「梅サワーおかわりー!」
千春ちゃんがグラスを掲げると、救いを求めるように店内の視線がボクに集まる。しょうがない。
「千春ちゃん!ほら、もうお酒飲むのやめて、店出よう」
「洋ちゃんがそう言うなら、でまーすぅ」
千春ちゃんが手を上げ立ち上がる。
聞き分けはいいんだよなぁ。
千春ちゃんと宮さんと将さんと寅二郎とともに店を出る。夏といった感じの強い日差しに、少し圧倒される。
「よーし、奢ってあげるから、おすすめの店に行こう!」
ごきげんな千春ちゃんとは対照的に宮さんと将さんはげっそりしてる。ボクが店に入る前から色々あったんだろうなぁ。
千春ちゃんの後について海岸のほうへ歩いて行くと、木々が生い茂る場所に着いた。
「ここ、ここ!今、島で一番人気のカフェなんだよ!」
ガジュマルの木に埋もれるように建っているカフェは独特の雰囲気がある。看板には『カフェ風杜』と書かれている。
「『カフェ風杜』って、確か……」
宮さんがつぶやきを終える前に、千春ちゃんが入り口に突進していく。怪我人なのに行動が速い。
千春ちゃんがドアを開けると、中から賑やかな声が聞こえてきた。
「ナギく~ん、紅茶のおかわりくださるぅぅぅ」
「伊与里く~ん、追加注文、おねがいしますぅ」
「伊与里さ~ん、いっしょに写真いいですかぁ?」
なんか、スゴイ……
「ああ、やっぱり、凪がバイトしてる店か」
感情のこもらない声で宮さんがつぶやく。
どうやら、今度は伊与里先輩のバイト先に来たようだ。
「なに?知り合い?」
千春ちゃんが好奇心に満ちた顔を向けてくる。
「ボクの学校の先輩です」
「あら、そうなの。やるじゃない」
なにがやるんだろう?
「伊与里の奴が、ここまでモテるとは……」
店内の先輩を目で追いながら、将さんが恨めしそうにつぶやく。
「島に来ると開放的になるからね~。若くてキュートな男の子を見つけたら、ちょっかいかけたくもなるというものよ」
千春ちゃんが将さんの背中を叩くと、将さんがすくみ上った。あんなに怯えた将さん、はじめて見た。
カランコロンとドアベルが鳴る。客かな?道を開けようと一歩下がると、なにかが足元を通り過ぎていく。
「ううああぁぁぁん」
「寅二郎っ!」
伊与里先輩めがけて走って行こうとする寅二郎を、宮さんが抱きとめる。
「……危ないところだった」
「すみません」
木陰においてきたはずなんだけど、どうやって……
「寅二郎、ほんと勘弁してくれよ。行動の予測がつかなくて心臓に悪いわ」
タメ息をついた宮さんが、御機嫌な寅二郎の背をなでる。寅二郎をどうにかしないとな。寅二郎といっしょに店に入るわけには……
「なにやってんだ?お前ら」
背後から聞こえてきた声に振り向くと、伊与里先輩が冷たい目で、こちらを見ていた。




