深まる謎
「できたよ!」
姉ちゃんがうれしそうにノートパソコンを向けてくる。
画面にはスペイン語の下に日本語訳が書いてあって、これなら理解できそうだ。
「これがあの歌の詩か」
伊与里先輩が興味深そうに身を乗り出す。
「曖昧なところは前後の言葉で推測したものだから、正しいかは分からないけど、意味は通じるものになった……って」
満足そうな笑みを浮かべているレイくんの様子からして、あの新しい映像は役に立ったのだろう。……適当に真似して歌ってただけの子供の歌から、言葉を抽出してしまうとは、ちょっと驚きだ。
スペイン語のところは後で発音を教えてもらうとして、日本語の部分に目を通す。
僕は逃げ出して海に落ちた
三日月しか見えない夜の海で漂う
流れ着いた島には錆びた沈没船
聴こえるのは僕の心臓の音だけ
石の橋を渡って辿り着いた誰もいない町
星を見守る天文台が僕を見下ろす
美しく澄み渡った宝箱の世界
人がいないことで安心する僕は
壊れてしまっているのだろう
海から昇る太陽が僕を照らしていく
全てが輝き 音にあふれていく
世界がこんなに美しかったことを
僕はようやく気が付いた
これがあの歌の歌詞……
「思ったより、暗い歌だったんだ」
曲の感じから、もっと希望に満ちた歌詞かと思ってた。
……それに、この歌詞……
「洋楽って、歌詞がとんでもないこと多いからな。まともで安心した」
「ああ、歌詞の意味を知って落ち着いて聴いてられなくなるタイプの歌じゃなくてよかった」
先輩たちの感想が、思ってたのと違う。先輩たちは、普段どんな洋楽を聴いてるんだろ?
先輩たちの言葉を伝えるのを戸惑った姉ちゃんが、ボクの呟きだけをレイくんに伝える。どこか遠くを見る目で、レイくんが静かに話し出した。その言葉を姉ちゃんがためらうように一呼吸おいてから訳してくれた。
「オジさんらしい歌詞だって。オジさんは人と関わるのが好きじゃなくて、いつも孤独だった……」
……レイくんはこの歌を作ったのがオジさんだと確信しているようだ。作り話をしているわけではない気がする。
「オジさんが亡くなる前に、僕に言った。『秘密を遺す』って。『探してほしい』って……。この歌のことだと思う……」
歌詞を見つめながら、レイくんは眉をひそめている。
『秘密を遺す』?この歌詞に秘密を……?
必死にボクを捜したくもなる言葉だよな。そのオジさんが本当にあの歌に秘密を遺していたとしたら。
「この歌詞を調べてみようと思う。気づいたことがあったら報せる」
姉ちゃんが訳し終えると、レイくんが笑顔を向けてきたけど、その表情は寂しそうで……
レイくんにとってオジさんは単なる親戚のオジさんというだけではないのかもしれない。なんとなくそんな風に思えた。
「雨が降り出してきたみたい」
玄関を出た姉ちゃんが空を見上げながら手のひらを上に向けた。ぽつりぽつりと大粒の雨が落ち始めてきていた。歌詞が分かったので帰るというレイくんを、玄関で見送る。姉ちゃんが駅まで車で送ることを申し出たが、タクシーで滞在先まで帰るので大丈夫だと静かに断られてしまった。
“ Thank you for everything. "
玄関でレイくんが一人一人と握手をして礼を言っていく。最後にボクの手を取り強く握られる。もう片方の手が背に回りハグされた。
なんというか、さすがフランスとスペインの血を引く男だな。
« Merci du fond du coeur. »
フランス語で感謝の言葉をもう一度言うと、雨の中、タクシーへと乗り込んでいく。
結局レイくんのこともオジさんのこともアラリコさんのことも、詳しくは聞けなかった。明確な答えはないまま、レイくんは謎を増やして帰っていった。
用も済んだからと、帰り支度をしはじめた先輩たちを押しとどめた姉ちゃんが、ボクと目を合わせて、にっこり笑った。
「それで?洋ちゃん」
「それでって?」
いきなり問いかけられるが意味が分からない。
「洋ちゃん、あの歌詞を見た時、何か不可解って顔したでしょ?」
「え?してたかな?」
してたとしても一瞬だ。その一瞬を見逃さなかったのか。
……姉ちゃん怖いよ。
「お?なんだよ。あの歌の秘密に気づいたのか?」
伊与里先輩が楽しそうに肩を組んでくる。
「秘密に気づいたというほどでは、歌詞を見てたら、ばあちゃんちを思い出したってだけで……」
「ばあちゃんち?」
先輩たちが訝る。対照的に、姉ちゃんは気が付いたのか明るい表情に変わった。
「ああ、ほんとだ!おばあちゃんのうちを思い出すね!この歌詞!……CDがあったのも、おばあちゃんのうちだものね。何か関係があるのかしら?」
人差し指を顎に当て姉ちゃんが思案しだす。
ばあちゃんちとあの歌に関係か。あるのかな?
「CDが発見された場所に関わる歌詞か……」
「レイが言っていた『秘密を遺す』というのは、もしかして、そのことじゃないのか?」
先輩たちがどよめきだす。
「歌の存在そのものが謎な上、懸賞金まで懸けられ、海外の有名人の家族までもが乗り出してきてるわけだろ。しかも意味ありげな歌詞。ここまできたら、あの曲に何もない方がおかしいだろ」
将さんがガキ大将のような笑顔で深く頷いた。
確かに、これで、何もないなんてことないよな。
歌の秘密か……




