歌い方
自室でギターの練習をしていると、トカゲのぬいぐるみを咥えた寅二郎が部屋に入ってきた。ベッドに飛び乗りぬいぐるみを枕の下に隠そうとしてる。
「なぁ、寅二郎は、タヌキの気持ちが分ったりする?」
『タヌキトリック』を何度練習しても、うまく歌えない。曲も歌詞も楽しくて暖かくていい曲なのに、ボクが足を引っ張ってる。うまく歌えないせいで。
「雷雨のほうは、考えなくても歌えるのにな」
どうしてタヌキのほうは、うまく歌えないんだろう。
「うああぁううあん」
寅二郎が体当たりしてくる。
「雨だから散歩は」
「うああぁぁうぅあん」
「雨、止んでるのか。仕方ないな。散歩に行くか」
「うあん!」
雨の合間の散歩は、人気がなく静かだ。
水たまりをよけながら、寅二郎と歩いて行く。公園にでも行こうかな。
「寅二郎、前見て歩かないと危ないよ」
先を歩く寅二郎が何度も振り返るので注意するが、嬉しさのあまり言うこと聞いてくれない。案の定、横の道から歩いてきた人にぶつかった。
「すみません」
「ああ、ごめん。大丈夫だったかな?ワンちゃん、……あれ?」
「え?」
ぶつかってきた寅二郎に労わるように声をかけてくれたのは、
「カイリさん?」
「遠岳くんか」
前のバンドのボーカルだったカイリさんだった。
「どうしたんですか?……今日は…ギターは持ってないんですね」
「はは、いつもギターを持ち歩いてるわけじゃないよ。今日は本屋に参考書を買いに行った帰り」
「そうなんですか」
残念。
「この子は遠岳くんとこの?」
「はい、寅二郎っていいます」
「寅二郎か。かわいいなぁ」
「うあぁあんぅぅあん」
カイリさん、動物好きみたいで、しゃがんで寅二郎を撫でまわし始めた。
この様子、もしかして、時間あるのかな?カイリさんとは色々と話をしてみたかったんだけど、無理かな?聞いてみるだけ聞いてみようかな?
「カイリさんは、これからどこかに行くんですか?」
「いや、受験生だしね。帰って、勉強かな」
そうだよなぁ。ヒマなわけないよなぁ。
「そうですよね!受験でお忙しいですよね。すみません。邪魔してしまって。それじゃあ、ボクたちはこれで!」
「そんな、追い立てないでよ。少しくらい勉強を忘れてのんびりしたいよ。話しようよ。遠岳くん」
「いいんですか?」
「邪魔じゃないなら散歩に付き合わせてよ」
「邪魔なんてとんでもないです!カイリさんには聞きたいこと、たくさんあるんで嬉しいです」
「聞きたいこと?」
「はい!」
なんたって、カイリさんはプロ顔負けの歌唱力の持ち主。表現力も何もかも、そこらのプロより上手い。先輩たちに聞いても歌うことに関しては専門外だって教えてもらえなかったけど、カイリさんは専門だ。
「なにかな?理数系なら得意だよ」
「いえ!ボクは得意じゃないので、聞くほど勉強もしてなくて……」
「ははは、バンドのほうだよね。分かってるよ」
カイリさん、やっぱり先輩たちの仲間だっただけはあるな。まじめな話の前に冗談みたいなこと言う。
「あいつら、真面目だから大変だよね」
「え?」
カイリさんは誰の話をしてるんだろう?
「……音楽に対して、真面目ってことね」
「ああ!そうですね。音楽に対して!」
それなら納得だ。音楽に向き合う姿勢は、誰よりも真面目だよな。先輩たちは。
「それで、僕に聞きたいことっていうのは?」
笑いを堪えるような表情のカイリさんが、尋ね返してくれる。なんで笑ってるんだろう?謎な人だ。
公園を歩きながら、聞きたかったことを話す。
「手本のない曲を、うまく歌うにはどうしたらいいか、ねぇ」
話を聞いてくれたカイリさんが、眉間にしわを寄せて悩んでしまう。
「う~ん、僕の場合は、しっくり来るまで試行錯誤してたかなぁ」
「試行錯誤ですか」
「ビブラート、しゃくり、エッジボイス、……歌を魅力的にするテクニックは色々とあるからね。これだと思うものが見つかるまで、一つ一つ試していく感じかな」
「カイリさんでも苦労してたんですね。ボクも、もっと……」
試行錯誤しないとなぁ。甘く考えてた。
「でもね。これは僕のやり方だから。遠岳くんなりのやり方で完成を目指した方がいいんじゃないかな」
「そ…うですか?」
ボクなりのやり方?それがよく分からない。
「遠岳くんと僕とでは音楽への取り組み方が異なるだろうから。僕は頭で考えるタイプだけど、遠岳くんは違うと思うんだよね」
「はい、頭はあまり使わないです」
「いや、そういうことじゃなくてね。感覚が鋭いって意味だよ」
カイリさんが焦ったように言い直す。事実だから、気にしなくていいのに。
「難しく考えないで、心のまま、感情をこめて歌うほうがあってるんじゃないかなって」
「感情をこめて……」
感情かぁ。
「難しいです」
「うん、難しいよね。偉そうなこと言ってみたけど、実のところ、僕も迷いから抜け出せないままやめてしまったんだよね」
そう呟いたカイリさんは、空を見上げていて、どんな表情をしているのか見ることはできない。灰色の雲に覆われた梅雨空は、カイリさんの目にはどう映っているのだろう。
「……でも、歌うって、楽しいよね」
こちらに顔を向けたカイリさんは笑顔だった。
「カイリさんの歌、また聴きたいです」
「う~ん、そうだね。遠岳くんも歌ってくれるなら、受験が終わった後にでも」
「本当ですか?!ボク、なんでも歌います」
「それは楽しみだなぁ」
「ボクもカイリさんの歌が聴けるの楽しみです!」
気が付いたら、公園をぐるっと一周し終えていた。
「それじゃあ、僕はそろそろ帰るね」
「はい!今日はありがとうございました。勉強、頑張ってください!」
寅二郎を撫でて去っていこうとしたカイリさんが足を止めた。
「遠岳くんの歌を聴いたのが、バンドをやめてからで良かったよ。でなかったら、……こうして話せなかった気がする」
「え?」
背を向けて手を振るカイリさんに、戸惑いながら手を振り返す。
どういう意味だろう?カイリさんの言うことは少し難しい。
「遠岳くん、寅二郎、またね」
「はい!また!」
振り向いたカイリさんはからかうような笑顔を浮かべていた。やっぱり、先輩たちの仲間だよな。訳分からないところがある。
公園を出ると、雲間から青空が顔を出していた。梅雨の時期の青空は貴重だよなぁ。なんかほっとする。
「寅二郎、梅雨が明けたら夏だよ」
今年の夏は、今までと違うんだろうな。どんな夏になるんだろう。




