スタート
ライブも終わり、練習もひと段落ついた。毎日行っていた放課後の練習は、数日おきになった。楽になって喜ばしいはずなのに、なぜか落ち着かない。暇だ。毎日の練習がないとなるとやることがない。結局ギターの練習をしている。
ぼんやり登校していたら、伝統文化部の部長に誘われて、昼食をいっしょに取ることになった。和楽器の演奏で相談があるらしい。
部長たちは部活に真剣に取り組んでいるんだな。少し肩身が狭い。
「調べてみたんだけどね。お茶会に合いそうな曲って、琴の曲なんだよね」
部長がお茶の湯気で眼鏡を曇らせながら、のんびり話し出した。
「遠岳くん、琴、弾けたりする?」
「弾けません」
弦楽器といっても、ギターと琴は違う。うまく弾けるようになるには、それなりの練習が必要だろう。
「曲はさ。伝統にこだわらなくてもいいと思うんだ。兜武士の曲はポップな感じだったし。注目してもらうには、学生受けする曲のほうがいいのかなって」
副部長がおやつの酢昆布を食べながら、合理的な意見をだした。
「そういう曲って、歌や他の楽器も必要なのかな?」
「そうですね。三線だけでポップな感じと言われると難しいです」
三線のプロなら可能かもしれないけど、ボクには思いつきもしない。
「考えたんだけどね。ここは、経験者に意見を仰ぐべきだと思うんだよね」
副部長が真剣な顔で、酢昆布を差し出す。食べろということか。
「経験者ですか?」
「そう、和楽器を寄付してくれた方なら、曲の知識もあると思うんだよね。というわけで、今日の放課後、時間を取ってもらえるようにアポを取ってあるの」
部屋の隅に置かれている三線に副部長が視線を向ける。今日の副部長は冴えている。
「確かに、知識と経験のある人に意見を聞くのが手っ取り早いですよね」
ギターだって、先輩たちに教わるようになってから、前よりだいぶ弾けるようになってきたもんなぁ。自分ひとりで練習してた時とは、上達の速さが全く違う。知識も経験もないもの同士が雁首を揃えてるだけじゃ得るものは少ない。
「遠岳くんも今日の放課後、いっしょに行く?経験者のところに」
「あ~、今日はうちの犬の健診日で」
姉ちゃんと寅二郎を動物病院まで連れて行くことになっている。寅二郎を病院まで連れて行くのは一苦労なんだよなぁ。
「そっか~、残念。……それはそうと、遠岳くん、私の名前覚えてる?」
「え? 部長の名前ですか? 杉崎……ですよね?」
「う~ん、そうなんだけどぉ、そうじゃないんだよねぇ」
部長が眼鏡を押さえ神妙な顔つきになる。なんだろう? なぞなぞか?
「じゃ、うちの名前は?」
「副部長の? 小松……?」
「それは苗字、名前は?」
「えぇっと、……ヨッシー……? ……よし」
「そう! ヨッシー。これからうちのことはヨッシーでいいよ」
「ヨッシー副部長?」
「うん、そんな感じかな!」
副部長が満足そうに頷いた。
「ああ! 私も名前で!」
部長が勢いよく手を上げた。
「杉崎部長ですね。分かりました」
「そうなんだけどぉ、そうじゃないのぉぉ」
杉崎部長が机に突っ伏す。
どうしたんだろう? やっぱり部長ともなると悩みが色々あるのかな? 力になれるといいんだけど、部のことはさっぱりだしなぁ。せめて、和楽器を弾けるように頑張ろう。
✼
日曜日、伊与里先輩のうちに行くと部屋には誰もいなかった。外からアコースティックギターの音色が聞こえてくる。外にいるのかな?音のしているほうに歩いて行くと、藤の花が満開だった。その下でギターを抱えた先輩が座り込んでいる。
伊与里先輩も藤の花が好きなんだろうか。うちの犬と同じだな。藤の花が大好きで、見かけると飛びつこうとするんだよなぁ。
「先輩、おはようございます。そこで何してるんですか?」
「おう、おはよーさん。まあ、そこに座れ」
半畳ほどのゴザが敷かれている場所に座る。先輩が顔を上げることなく、ギターを弾きはじめる。
聴いたことない曲だけど、いい曲だな。穏やかだけど力強くて。
雲一つない青空の下で聴いてるからかな。浮き立つような気分になってくる。藤の花が風に揺れて、さわさわと音を立てているけど、意外にギターの音色と馴染んでる。
なんか、物語の世界に迷い込んだような気分だ。
「いい曲ですね。題名は何ですか?」
曲名が知りたくて尋ねると、先輩がニヤリと笑った。
「気に入ったか?」
「はい、もしかして次にやる曲ですか?」
「そうだな。遠岳が気に入ったなら、そうなるかな」
なんだろう? もったいぶったような言い回しだけど。
「うーっす、いい所にいるな。お前ら」
元気すぎる声に振り向くと、ゆったりとした歩調で赤鐘さんがやってくるのが見えた。ただ歩いてるだけなのに、プロレスラーが入場してきたような迫力がある。
「おはようございます。ここ、どうぞ」
「おう、サンキュー、遠岳、アメリカンドッグ買ってきたから食べようぜ」
「将ちゃん、気が利くねぇ」
渡された紙袋から伊与里先輩が真っ先に取り出し、かぶりつく。自分もまだ温かいアメリカンドッグに付属のケチャップを付けてかぶりつく。
「宮ノ尾は?」
赤鐘さんが余ってるアメリカンドッグが入った紙袋を振ると、伊与里先輩が顔を上げた。
「今日は急にバイトが入っちまって来れねえってさ」
宮ノ尾さんはバイトか。
ギターは金がかかるからバイトした方がいいと言ってたものなぁ。
伊与里先輩がまたギターを弾きはじめた。さっき聴いた曲だ。いい曲だよなぁ。
リズムを取りながら聴いていた赤鐘さんが、うんうんと何度も頷いて笑顔になる。
「藤の花に囲まれてるせいか。素晴らしい曲に聞こえるな」
「素晴らしいんだよ!」
「ハハハハ、それで? 歌詞のほうはできてないのか?」
「一応あるにはあるけど……。まだ完成とはいえねえから」
歌詞のほうはできてない? ……もしかして、
「今の曲、伊与里先輩が作ったんですか?!」
「なんだよ。わかってなかったのか?」
そう言われても、今まで先輩が作った曲とは、全然違った感じで……
「今までの曲とはずいぶん変えてきたな」
赤鐘さんも同じこと思ったようだ。前のバンド『アインザイム』時代の曲とは、かなり違う気がする。前の曲は、もっとポップス寄りというか、癖がなく聴き心地のいい曲だったけど、新曲は、なんというかガツッとした……
「遠岳の声に合わせて作ったからな。感謝しろよ」
「え? ボクに合わせて?」
伊与里先輩がボクを見てニヤリと笑う。
あの曲がボクのイメージ? ボクのイメージって、こうなのか……。かっこよくて、温かみがある感じだよな。
「なんか恥ずかしいです」
「何がだよ!」
伊与里先輩の口の端がヒクついている。
「恥ずかしいのは、ここからだぞ。さあ、歌詞を見せてみろ」
「……歌詞は、まだ仮でしかねえからな」
赤鐘さんの要求に、イヤそうに顔を歪めた伊与里先輩が紙を一枚見せてきた。その紙には先輩が考えた歌詞が書かれているのだろう。伊与里先輩がギターを持ち直す。
伊与里先輩のギターの音色をBGMに、赤鐘さんと歌詞に目を通す。
その歌詞は衝撃的だった。




