シロさん
「洋太」
レイくんの声が聞こえる。でも、顔を上げることができない。
目が熱くて、うまく開かない。こんな顔を見せたくない。
「隣、座っていい?」
「……うん」
レイくんが隣に座る。何も話さず、ただ座ってる。
レイくんは、シロさんの甥っ子で、シロさんが島を出た後のことを知っている。
「……シロさんは病気だったの?」
「……うん、徐々に体が動かなくなっていく病気だった……。治療法はなくて……」
どうして、シロさんが急に島を出て行ってしまったのか不思議だった。
家族はもういないと言っていたシロさんは、よくボクや島の人たちを家族のようだと言っていたから。家族から離れて、どこに行くんだろうと……
詳しいことは話してくれなかったけど、今は分かるよ。
きっと、レイくんのため。
そして、ボクのため。
姉ちゃんが病気で入退院を繰り返していたボクに、病気のことを告げることができなかったのだろう。島にいれば、いずれボクが知ることになる。
子供の時に、シロさんの病気のことを知っていたら、ボクは耐えられなかったと思う。ボクにとっても、シロさんは家族だったから。
「最後まで、ボクがいっしょにいたから」
レイくんの声が震えている。
レイくんにとっても、シロさんは大事な家族で、かけがえのない存在で……
大事な家族が亡くなってしまう恐怖を、レイくんは受け止めたんだ。
強いな。レイくんはボクよりずっと強い。
「……よかった。……ありがとう。レイくん」
シロさんは寂しいことなかったんだ。
最後まで、家族といっしょに……
「レイくんが訪ねてきてくれて、よかった。レイくんに会わなかったら、ボクは何も知らないままだった」
シロさんがボクに本当に贈りたかったのは、レイくんなんだろうな。
シロさんがいなくなっても、一人ぼっちにならないように。
レイくんと友達になれるように、あんな手の込んだ謎解きを作ってくれたんだ。
シロさんらしいよなぁ。
自分のことより、いつも……
いつも……
富士山の頭上に飛行機雲ができていく。
どこまでも長く伸びていく。
あの飛行機はどこに行くんだろう。外国まで行くのかな。
「おー、いた、いた」
先輩たちのいつもの声が聞こえてくる。
「出店で色々買ってきたから、食べるか?」
「飲み物もあるぞー。ラムネにグリーンティーにアイスカフェラテに」
「フェス名物、富士盛りジェラート!山梨で取れた果物を使ってるらしい。……溶けるから早く食ってくれ」
「だから、買うのは後にしろって言ったろ」
もしかして、先輩たち、気をつかってくれてるのかな?
「いただきます」
ちょっと溶けかけたジェラートを頬張ると、甘くてちょっと酸っぱかった。
湖畔の砂地に座って、みんなでアレコレ言いながら食べていたら、落ち着いてきた。
「そうそう、さっきさ、美空さんと、照子さんと、ご両親に会ったぞ。照子さん、東京に来るならいっしょの船に乗ればよかったのにな」
「え?!」
「親父さんに褒められちゃったよ。息子をこれからもよろしくだってさ」
先輩たち、ボクの家族と語らってきたらしい。
家族で観に来るなら、言ってくれても……
「ああ、君たち、よかった。まだいてくれて」
ライブの時、色々と世話してくれたスタッフさんが、汗を拭きながら駆け寄ってくる。
「どうかしたんですか?忘れ物してましたか?」
将さんが何事かと立ち上がる。
「いや、そうじゃなくてね。君たちに頼みがあって。もちろん、断ってくれても構わないんだけどね」
なんだろう?
「君たちさ、その、もう一度、ステージに上がってみない?」
唐突過ぎる、スタッフさんの言葉に全員で顔を見合わせる。
「どういうことでしょう?」
「出演予定だったキャレットが、……そのぉ」
「ドタキャンですか?」
「いやぁ、まあ、そうなんだ……」
疲れた顔で、スタッフさんが小さく頷く。
解散するという話だったけど、まさか、今日のライブまで取りやめになるなんて……
「1曲でいいんだ。キャレットの代わりに出てくれるアーティストは見つかったんだけど……。その、……オープニングアクトが欲しいって……」
スタッフさんの歯切れが悪い。
「ああ、前座がほしいんですね。いきなりキャレットの代役として登場するのは、きついっすもんね」
宮さんが事情を察し、苦笑いする。
キャレットのファンにとっては、誰が出てこようが不満だろう。ブーイングを受けるのは必至だ。代役のミュージシャンにとったら、頼まれて出演するのに、そんな空気の悪い所でやりたくない。前座に不満を吸収させて、空気を換えて登場したいのだろう。
その前座をやらないかってことか。
「ダメかなぁ?出演料ははずむし、その、できうる限りのことは……」
申し訳なさそうに頼んでくるのは、イヤな役目だということをスタッフさんも分かっているからだろう。
不平不満をぶつけられるためだけの出演。でも……
「やります!」
歌えるなら、歌いたい。
ブーイングの中でも、大勢の前で歌えるなら。
「あの、いいでしょうか?」
振り返って、先輩たちに確認を取る。勝手に返事してしまったけど、また、ブーイングの中で演奏することになるから、先輩たちはやりたくないかもしれない。
「まあ、俺らは構わないけど、大丈夫なのか?」
「はい!」
将さんがちょっと心配そうにボクを見てくる。
「ボーカルがやる気なら、やるに決まってんだろ」
「おう、ブーイングくらい、もう慣れたしな」
伊与里先輩と宮さんが、余裕の表情で頷いてくれた。
「出演してくれるのかい?ありがとう!早速、報せてくるよ」
ホッとしたのか泣き笑いのような表情になったスタッフさんが、ボクの手を取り上下に大きく振る。よっぽど、切羽詰まってたんだろうな。
「詳しい話が決まったら連絡を入れるから、会場近くにいてくれるかな。それじゃあ、ほんと助かったよ」
そういうと、スタッフさんはよろよろと走り去っていった。
思いがけないチャンスを貰った。
キャレットが出演する予定だったステージは、アカフジで一番人が多く集まるメインステージだ。ボクたちがライブをしたブルーウォーターステージとは比べ物にならないほど人が集まる。
先輩たちのほうに向きなおる。
「あの、歌いたい曲があるんですけど……」
どうしても、歌いたい曲が……
「分かってるよ。あ~でも時間がねえなぁ」
「まだ、多少は時間あるし、コテージに戻って、出来る限りのことはするか」
まだ、題名も言ってないのに、先輩たちは打ち合わせをはじめだした。
「あの、レイくん、発音を教えてほしいんだけど、……いいかな?」
「もちろん!ボクにできることあるならなんでもするよ!」
レイくんの笑顔が深くなる。
時間はないけど、出来るだけのことはしたい。
あと、杉崎部長とヨッシー副部長、柏手くんに出演することを知らせて。ばあちゃんと姉ちゃん、父さんと母さんにも。それから、千春ちゃんに、ヒヨちゃん、モエちゃん、ナナちゃんも……
「レイくん、あともう一つ、お願いがあるんだけど。ジャクリーンさんとアリシャさんに連絡が取れないかな?できればバスマさんも」
アカフジのメインステージは、ライブ配信されている。この場にいない人達でも見ることができる。
小笠原にいる千春ちゃんたちや、仕事で来れなかったジャクリーンさんたちも、視聴ならできる。
日が傾き、空が金色に染まっている。金色に包まれた富士山は、荘厳だ。
「準備OKです」
スタッフさんが呼びに来る。
広場を覆いつくす観客の姿に、大きく深呼吸する。
「レイくん、聴いていてね」
「もちろん!ジャクリーンも聴くって言ってた。洋太の歌を聴けること、ボクたちはずっと待ってたんだよ」
レイくんの笑顔に見送られ、足元も見えないほど暗いステージの袖を歩いて行く。
メインステージに上がると、ブーイングと怒声が沸き起こる。審査ライブの時とは比べ物にならないほどの音量に、空気が震えているように感じる。
でも、不思議なほど落ち着いていられる。慣れたわけじゃないけど、気にならない。聴いてさえもらえれば、それでいい。
先輩たちが音出しついでに軽く演奏を始めた。宮さんが速弾きをしだすと、それに合わせるように伊与里先輩と将さん二人の音が合わさる。
ブーイングを吹き飛ばすほどの激しい演奏に会場が静まり返っていく。
先輩たちは凄い。
先輩たちのバンドに入ることができたのも、シロさんのおかげ。伊与里先輩と知り合うきっかけになったのは、シロさんの曲があったから……
今、こうしてステージの上にいることができるのも。
全部、全部、シロさんがきっかけをくれたから。
シロさんがボクに贈ってくれた歌。
聴いていると、落ち着いた気持ちになる。気分が晴れていく。優しい歌。
シロさんと関わった全ての人たちに、聴いてもらいたい。
レイくん、ジャクリーンさん、アリシャさん、バスマさん
千春ちゃん、ばあちゃん、ヒヨちゃん、モエちゃん、ナナちゃん
シロさんがこの歌を作ったのは、きっと、大切な人たちに、思いを伝えたかったからだと思うから。
寂しい思いをしないように、幸せを願って。
シロさんから教わった、ギターと歌声で、代わりに思いを伝えられたら、
シロさんは喜んでくれるよね?
ボクが、今、シロさんのためにできる唯一のこと
シロさんのために
僕は逃げ出して海に落ちた
三日月しか見えない夜の海で漂う
流れ着いた島には錆びた沈没船
聴こえるのは僕の心臓の音だけ
石の橋を渡って辿り着いた誰もいない町
星を見守る天文台が僕を見下ろす
美しく澄み渡った宝箱の世界
人がいないことで安心する僕は
壊れてしまっているのだろう
海から昇る太陽が僕を照らしていく
全てが輝き 音にあふれていく
世界がこんなに美しかったことを
僕はようやく気が付いた
ボクの世界が消えて 街に人があふれだす
白い子犬が足元で寝息を立てている
幸せはいつも近くにいてくれた
太陽はどこにいても照らしてくれる
逃げてばかりだった僕にも
気付かなかった大切な人たちにも
全てに幸せは降り注ぐ
シロさん
シロさんにも届いたかな
この歓声




