東京
東京は暑いな。
戻って来てから寅二郎は元気がない。暑さでばててしまったようだ。
「あれ?洋ちゃん、のんびりしていていいの?もうお昼すぎてるよ?」
姉ちゃんが寅二郎のブラッシングをしているボクを見て不思議に思ったのか声をかけてきた。
アカフジ出演は明日の朝だ。出演の前日に、まだ家にいるのだから当然かな。
「うん、将さんから電話があって、アカフジのスタッフから迎えが遅れるって連絡があったみたいなんだ。迎えの時間が分かるまで待機中」
アカフジ会場まで車を出してくれる手はずになってたんだけど、アカフジスタッフが手配した車が不調だとかで遅れているらしい。
「山中湖なら、お姉ちゃんが車でビューンと送って行ってあげるって言ってるのに」
「……姉ちゃん、高速、走ったことないんでしょ?」
「脳内シミュレーションはばっちりだから、大丈夫!」
「遠慮しとく」
アカフジの会場は富士五湖の一つ山中湖の湖畔にある公園で開催される。東京からは、微妙に遠くて不便な場所にあるけど、車なら高速道路を飛ばせばすぐだ。電車やバスで行くと、時間がかかって面倒臭い。スタッフさんが迎えに来てくれるというのは、高校生のボクたちにとってありがたいんだよね。
「お父さんが元気なら送っていけたのにねぇ」
「父さん、大丈夫なの?」
ボクたちの話を聞いていた母さんが大きくタメ息をついた。
「お父さん、今日中に治して、絶対、観に行くって言ってるけど……。どうかしらねぇ。こんな時に、お父さんったら夏風邪で寝込んじゃうなんてね」
「洋ちゃんの晴れ姿を撮るんだって、はりきりすぎて仕事を前倒しで無理したから」
母さんと姉ちゃんが二階で寝ている父さんのほうに視線を向ける。
アカフジ出演は、さすがに家族に隠し切れなかったので、言いふらさないよう口止めとともに話したのだけど、家族全員で観に来ると言い出して、ちょっと困ってた。
父さんの夏風邪は悪いけどありがたい。家族に見られるのは、やっぱり恥ずかしいから。
「先輩から電話だ」
待ち合わせ時間が決まったのだろう。
『今、スタッフから迎えに行けなくなったと連絡が来た。電車で行くぞ』
それだけ言うと待ち合わせ場所と時間を言って切れてしまった。
「電車で行くことになったみたい」
「あら、大変」
ボクより母さんと姉ちゃんが慌てだす。準備はしてあるから、荷物を持って出るだけなのに。
「じゃあ、行ってきまーす」
「気を付けてね。いってらっしゃい」
「いってらっしゃい。がんばってね」
「うああぁあん」
一緒に出掛けようとする寅二郎を、姉ちゃんに託して玄関の扉を開ける。
外に出るとむあっとした熱い空気で押しつぶされそう。
駅の広場で待っていると、荷物を抱えた先輩たちがやって来た。
「おう、行くぞー」
「必要なもん忘れてきてないだろうな」
「大丈夫です。何度も確かめました」
ワイワイ言いながら電車に乗り込む。鈍行なので乗客は多種多様だ。残暑厳しいのに人が多いのは、8月最後の休日なので、みんな家でじっとしてたくないからかな。
「今からだと、着くころには大半は終わってるよなぁ」
「迎えを断って、とっとと会場入りしちまえばよかったな」
先輩たちがぼやきたくなるのも当然か。アカフジフェスは3日間開催される。今日は2日目で、出演するアーティストは先輩たち好みの重鎮が多かった。フェス会場に着くのは夕方くらいだろうから、ほとんど見ることができない。
「勝手に動くのもなぁ。ごたついてるみたいだからなぁ」
「ごたついてるというのは?」
眉を寄せた将さんが、声をひそめ話し出す。
「初日の開場1時間押し、出演者のドタキャンが3組、機材搬入中に事故、客が暴れて警察沙汰、その他諸々、てな感じらしい」
「今年のアカフジは、色々と新しい試みをやろうとして、裏目に出てる感じだな」
「その色々の中に、オレたちも入ってんだけどな。話題性だけの素人高校生バンドが出演」
「……そう言われると、大丈夫なんでしょうか?」
ボクたちも裏目に出た一つになりそう。
「あ?大丈夫だろ。演奏をトチったりしなけりゃ」
伊与里先輩は全く気にしてないみたいだ。
「トチりそう。練習不足だもんなぁ」
「自信ねえなぁ」
「ボクもないです」
宮さんと将さんといっしょにうつむく。
「お前ら……」
伊与里先輩が怒りの表情になってるけど、先輩が自信に満ちている方が分からないよ。
乗り継ぎのため大月駅に降りるが、人気はあまりない。休日といっても、東京のように人であふれていることもなく静かだ。
「マジか、電車来るの、一時間後だとよ」
壁に貼ってある時刻表を見た宮さんが、肩を落とす。
時刻表には数字がほとんどなく空白が広がっている。一時間に一本しか走ってないのか……
「ここで、なんか食ってくか。時間あるし」
「駅近くに、うまいうどん屋があるらしいから、そこに行こうぜ」
「うどんより、そばがいいな。ああ、でもそばは長野か?」
改札をでて、小さな町を歩き回る。知らない町の散策は、なんだかワクワクしてくる。
ちょっとした旅行してる気分だ。




