黒蜜きなこ
授業が終わって帰ろうと上履きを履き替えていたら背中を叩かれた。伊与里先輩か?! と思ったら伝統文化部の副部長だった。隣には部長も。
「今帰り? だったら、いっしょに帰ろうではないか」
「はい、ごいっしょしましょう」
駅ビルの本屋に行こうと思ってたので、ちょうどよかった。
「遠岳くん、今度の日曜日、カブトブシ見に行かない?」
部長から、唐突な誘いを受けた。
「カブトムシですか?」
「駅前のショッピングモールでイベントをやるらしくて、いっしょに見に行けたらなって思って」
部長たち、昆虫が好きだったんだ。意外だ。
「先輩に聞いてみます。練習時間が日によって違うので」
「そうか、大変だね。いっしょに行けるといいんだけど、まあ予定があったら仕方ないね。そういえば、知ってる? うちの学校の……」
部長たちのくるくる変わる話題に笑いがこみあげてくる。部長たちがいつも楽しそうなのはこういうことか。
駅前まで来ると急に賑やかになる。あちらこちらから色んな音が溢れてきて、けたたましい。先輩たちの話し声も聞きづらいほどだ。ドラッグストアの前を通りすぎようとして、流れてきた音楽に足が止まった。
「あれ?今の曲」
ばあちゃんちの白いCDに入っていた不明曲に似てたような。
「何か買いたいものがあるの?」
「いえ、ちょっと気になっただけで」
気のせいだよな。メロディは似てたけどアレンジは全く違ったし。
「『抜け毛が気になるあなたにおすすめのシャンプー』か。…………気になってるんだ」
部長と副部長がボクの頭髪を、じっと見てくる。
何かと思ったら、立ち止まったちょうど目の前のポップに、大きな文字で『抜け毛が気になるあなたにおすすめのシャンプー』と書いてあった。
「違います。そうではなくてですね」
「うん、まだ大丈夫だよ。全然そんなことないから」
「うん、うん、大丈夫、大丈夫」
部長と副部長に大丈夫と念入りに言ってくる。そこまで、念入りに言われると、逆に不安になってくるんだけど……
駅ビルのファーストフード店の前まで来たら、部長が立ち止まった。
「新作シェイクだって」
真剣な顔で部長が指さしてるのは、シェイクの写真が印刷された垂れ幕。
「黒蜜きなこですか。これは試さないと。遠岳くんもどう? いっしょに」
副部長も真剣な顔になっている。
「いいですね。甘い物好きです」
「よし!じゃあ、黒蜜きなこで乾杯しよう!」
部長たちが笑顔全開で店に入っていく。
ああ、なんか久しぶりに普通の高校生みたいなことしてるな。
✼
ライブに向けて練習のため、伊与里先輩のうちに向かって歩いていると、寺の門前で宮ノ尾さんと出くわした。
「おう、遠岳、ちょうどだな」
「はい、ちょうどです」
なんかおかしくなって笑ってしまう。
「ギターのほうは、どうだ?」
「……あまり、……なかなか覚えられなくて」
大きくタメ息をついてしまう。歌うだけでも大変なのに、ギターまで。とても覚えられる気がしない。
「まあ、ギターは適当で大丈夫だよ。間違えても意外に気づかれないからな」
宮ノ尾さんが冗談でもない感じで、励ましのような言葉をかけてくれる。
適当かぁ。アマチュア高校生バンドのライブだし、それでいいのかな。
いざ練習が始まると、甘い考えは吹き飛んでいく。
オリジナル3曲に、ボクが歌えるカバー曲を2曲。5曲もライブまでに歌えて弾けるようにならないといけない。
……無理な気がする。
「おう、ずいぶん歌えて来たな。その調子でいこうぜ」
「そうですか?」
赤鐘さんが褒めてくれるが、不安で仕方ない。普通に歌ってるだけな気がするんだけど、これで本当にいいのだろうか?
スマホが鳴る。伝統文化部の部長からだ。伊与里先輩に軽く小突かれる。
「おう、遠岳、ゲームなんてしてんな」
「してません。部活の部長から連絡がきたんです」
練習中にスマホを見たのは、よくなかったかもしれないけど、ゲームはしてないので、誤解は解きたい。
「部活? そういや、遠岳は何部に入ったんだ?」
「伝統文化部です」
「伝統文化部? 茶道とか華道とかするところだよな? そんなのに興味あったのか?」
「いえ、ないですが、ボクがギターを持ち歩いているところを副部長に見られて、スカウトされたんです」
「意味わかんねえなぁ」
「今年から和楽器の演奏を始めたいらしくて、楽器を扱える人が欲しかったみたいです」
「遠岳って、和楽器できるのか?」
赤鐘さんが話に加わってくる。
「いえ、できません。でも、ギターが弾けるなら三味線もいけるだろうって……」
「いけそうか?」
興味を持ったのか宮ノ尾さんまで身を乗りだしてくる。
「あまり三味線の曲を聞いたことないので、イメージが湧かないというか。弾く以前の問題が……」
「そういえば、オレも民謡をじっくり聞いたことはないなぁ。三味線かぁ」
眉を寄せる宮ノ尾さんもイメージできないようだ。
「三味線が使われてるポップスなら、わりと聞くけどな」
「ああ、そういうのなら」
「沖縄や奄美大島出身の歌手のな。あれ、いいよな」
確かに、いい曲が多い。歌うのは難しいけど。
「それで部長は、なんて?」
「日曜は来れそうかと……」
「日曜? お茶会でもあるのか?」
「いえ、カブト虫を見に行くだけで」
先輩たちが停止する。
「……カブト虫?」
「……カブト虫?」
「カブト虫? 今の季節にいるのか?」
「ボクに聞かれても困ります。外国産なんじゃないでしょうか? 駅前のショッピングモールでやるイベントのようなので」
カブト虫の生態に詳しいわけでもないので、なんともいいようがない。
「カブト虫ねぇ……」
「えっと、ちゃんと断るので、大丈夫です」
この状況だと、練習を抜け出してカブト虫を見に行くのは無理そうだよな。
「なんで?」
「なんでって、練習が」
「いや、面白そうだから行けよ」
なぜか、伊与里先輩が行かせようとしてくる……
「……カブト虫に興味ないんで、行かなくても大丈夫ですけど」
「部活動だろ? 興味ないとか言ったらダメだろ」
部活動なのか? そういえば、カブト虫や鈴虫を育てたりするのも伝統文化か?
「仕方ない。日曜の午後は練習はなしにするか」
伊与里先輩が勝手に決めてしまう。それに二人が頷き返している。
「まぁ、休息も必要だよな」
「そうだな。カブト虫を見て、癒されて来いよ」
カブト虫で癒されるほど、昆虫が好きなわけでは……
まあ、いいか。音楽以外のこと、楽しめるわけだし。




