楽器屋
土曜日、文化会館でライブに向けて特訓といいたいところだけど、借りられる時間は長くない。2時間ほど練習した後、そのまま、伊与里先輩の家に集まることになった。樹木に囲まれた境内にある伊与里先輩の家なら、大きな音は出せないが練習に近いことができるからだ。バンドでこういう集まれる場所があるのは、相当恵まれているらしい。
でも、先輩の家に行く前に寄りたいところがあるんだよな。もう予備もなくなってしまったから。先輩たちに断りを入れて行ってこよう。
「すみません。ギターの弦を買いに行きたいので、後で合流します」
というと、全員が噴きだした。
そりゃあ、最初にいきなり2本も弦を切ったところ見せちゃったけど、笑うことないと思う。
「いや、悪い。悪い。それならオレも付き合うよ。買いたい物あるし」
笑いを堪えながらなのは気になるけど、宮ノ尾さんの申し出は嬉しい。楽器屋って、独特の雰囲気があって入りづらいし、選ぶにも知識が必要で戸惑うから。
伊与里先輩たちと別れ、宮ノ尾さんと駅前に向かう。確か、駅ビルに楽器店があったはず。
「こっち、こっち」
と、宮ノ尾さんが手招きして、ビルの隙間の細い道に入っていく。どこに行くつもりなんだろう? 大通りとは違い古い小さめのビルしかない。店もなく、オフィスビルやマンションしかないようだけど……。戸惑っていると、入り口の電気もついてないような古いビルに入っていってしまう。薄暗い階段を上がっていく宮ノ尾さんの背に声をかける。
「あの、楽器店にいくのでは……」
「あ~、最初は皆そんな顔するんだよな。だから、連れて来たくなるんだよ」
振り返って楽しそうに笑う宮ノ尾さんの姿に、やはり伊与里先輩の友人なんだと思わせられる。先輩たちは最初に説明をするということをしてくれない。なぜなのか。
宮ノ尾さんが両開きの大きめの扉を開くと、中は薄暗かった。段ボールが積み重なり、壁にはギターが並んで……
「ギター? あれ? ここって、もしかして楽器店ですか?」
ギターにベース、ウクレレが所狭しと並べられていて、段ボールの中にはギターピックやストラップなどが詰まっている。
「驚くだろ? 倉庫みたいな感じだけど、れっきとした楽器屋なんだよ」
電気がついているのに薄暗くて、まさに倉庫という感じだが、段ボールには値段が書かれた紙が貼ってある。確かに店のようだ。
「うちは通販を中心にやってる店だからね。見栄えは悪いけどさ、管理はしっかりやってるから」
暗がりからエプロンをつけたパンクなお姉さんが出てきた。
「よお、ヤッコちゃん」
「なんだよ、宮。お前んとこ、ボーカル抜けて解散したんだろ? 何の用だ?」
「解散してねえよ」
おかしそうに笑いだした赤い髪のパンクな店員さんは、宮ノ尾さんの知り合いらしい。
「それで、その子は? 宮の何?」
面白いものを見つけたという風にパンクな店員さんが、ボクを親指で示す。
「うちの新しいボーカルだよ」
「はあぁ? 新しいボーカル? この子が? カイリの後釜? 大丈夫なの?」
「伊与里が連れてきたんだし大丈夫じゃないか」
「……カイリの代わりってこと、分かってんの? あの! カイリの代わり!」
あのカイリって、どういう意味だろう?
「カイリさんって、どういう方だったんですか?」
尋ねると、二人同時にボクのほうを振り向いた。
「この子に教えてないの?」
「いや~、知らないなら、知らないでいいかなって……」
店員さんに睨まれた宮ノ尾さんが、ごにょごにょと気まずそうに口ごもる。
「かわいそうだろ! 比べられるのは、この子なのに!」
店員さんが手に持っていたパンフレットで、宮ノ尾さんの頭を軽くはたくと、ボクに向き直った。
「カイリっていうのはさぁ。アマチュアバンドなのに突出して有名で。……まあ、当然というかさ。その辺のプロより歌唱力はあるし、見た目はいいし、本人が望めばメジャーデビューもすぐにできたような、そんなボーカルで」
「そんな凄い人だったんですね。聴いてみたかったなぁ」
バンドのオリジナル曲をどんな風に歌ったんだろう?プロレベルの歌唱力で、あの歌を聴いてみたいな。
視線を感じて顔を上げると、ボクを見る店員さんの眼が、なぜか虚ろになっていた。
「……大丈夫なの?」
「……まあ、気になるなら、今度カムカムチェーンとライブやるから、来たらいいよ」
宮ノ尾さんが店員さんをライブに誘うと、なんだか戸惑った顔でボクを二度見してきた。
「それより、ほら、遠岳、弦を買うんだろ?買うものは決まってんのか?」
「今まで使っていたものを買うか、使ったことない弦を買うかで、迷ってます」
「今まで使ってたのは?」
「ええっと、これです。いつも叔父さんがお土産に買ってきてくれる弦で、今までずっとこれを使っていました」
「叔父さんが土産にギターの弦をくれるのか? なんだ、その理想の叔父さん」
そういえば、宮ノ尾さんの家は音楽には理解がないと言ってたな。
「いつものでもいいけど、使ったことない弦を試して、新しい音や弾き心地を知るのもギターの醍醐味だからな。別のを買ってみてもいいんじゃないか?」
「そうですよね。新しい弦に挑戦してみます! ……迷うな」
思ってたより種類が多い。
実のところ、叔父さんが買ってきてくれる弦を何も考えず使っていたから、弦の知識はあまりないんだよな。一応、太さ、素材の違いくらいは分かっているけど、メーカーによる違いまでは、全く分からない。
「最初の頃は種類の豊富さに戸惑うんだよな。太さ、素材だけじゃなく、メーカーによって音も違ってくるし」
「お薦めってありますか?」
「今より太めの一度使ってみたらいいんじゃないか? 切れにくいし。値段が手ごろな定番のこの辺りのを」
宮ノ尾さんがいくつか選んで渡してくれる。予備も欲しいから全部買っていこうかな。
「初心者なの? その子?」
不安そうな顔でパンクな店員さんが、宮ノ尾さんに問いかける。
「バンドのほうはね。ギターなら初心者は卒業してるよ」
宮ノ尾さんに初心者卒業してると言われたのは嬉しい。
「へえ、いいねぇ。弾けもしないのに知識だけある客よりか、弾けるのに商品知識がない客の方が店員としては楽しい」
パンクな店員さんがニヤッと笑った。
「妙なもん売りつけないでくれよ。うちのボーカルに」
「失礼な。私がそんなことするわけないだろ。さ、お姉さんに相談して」
宮ノ尾さんが自分の買い物に行ってしまい、店員さんと二人きりになってしまった。
「ええっと、じゃあ、ピックを」
「ピックね。それならこっち」
案内された先には大量のピックが、段ボールの中に無造作に押し込められていた。
シンプルな物からキラキラしてる物、ヘンテコな絵が描いてある物にキャラ物まで。
「欲しいのはティアドロップ型?」
「は、はい……、あ、いえ、決めてはないです」
「色々試したいってことね。じゃあ、おすすめのがあるよ」
店員さんが持ってきた小さなパッケージには、『取り混ぜピックセット』と書いてあった。
「色んな形、厚さ、素材のものが入ってるんだよね。自分に合ったものを探したいなら、おすすめかな。ブランドはしっかりしてるとこのだし、値段も初心者価格で格安になってるから」
ボクが欲しいと思ってた商品そのものだ。店員さん、プロだなぁ。
「他にも欲しいものがあるなら」
「気をつけろよ。遠岳」
店員さんの言葉を遮るように、宮ノ尾さんが少し離れたところで、ボクを呼んだ。
「えっと、何をでしょう?」
「アレコレ試して見たくて、ピックを必要以上に買い集めるだろ。そのうち、ピックや弦だけですまなくなって、ストラップやらエフェクターを集めるようになるんだ……」
口の端を上げ苦笑いを浮かべた宮ノ尾さんの瞳が遠くなっていく。
「その次はギターを……。コレクターになりやすいんだよね。ギタリストは……」
パンクな店員さんまで遠い目になっている。
「それでなくてもバンド活動には金がかかるのに」
二人は経験を語っているのだろうか? ピック、エフェクター、ギターを、次々に買い集めてしまった経験を……
「……恐ろしい楽器ですね。ギターって……」
コレクターにならないよう必要な物だけ買うことにしよう。あんな目をするようにはなりたくない。
「遠岳も、バイトはしたほうがいいぞ」
そう言った宮ノ尾さんの手には、エフェクターが……
……コレクターになる気はないけど、バイトは探そう。




