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中川C男(2)

 一体こいつは何なのか。


 土曜日、午前10時。俺達演劇部に臨時で一人、仲間が増えた。あの下田D男だ。


「アメンボ赤いなあいうえおーーー!」

「全然ダメ、もっとお腹から声出すんだ。息に声を乗せるイメージで。」


 部員6名という、超が付く過疎に苛まれている演劇部だが、うちはそのせいか新入りにはやたらと寛容なのだ。

 昨日の放課後、どうやら下田は部長に直接アポを取り、練習に混ざる許可を得たらしい。そんな事があり、同じクラスのよしみということで、今こうして俺は教育係を押し付けられている。


(にしてもこいつ…。)


 下田はゴリゴリの初心者だった。まず発声の基本からしてなっていないし、その上で別に飲み込みが早いわけでもない。これならよっぽど俺が立候補した方がマシな戦いになったことだろう。


「アハハ…難しいんですね。声出すのって。」


 途方に暮れたような、乾いた笑い。本当に、下田は何故立候補したのだろうか。しかも、よりにもよって主役に。


「まあ誰も最初から上手くは出来ないもんだよ。一旦休憩挟んで、それからもう一度やってみよう。」

「はい!」


 俺は下田という男を測りかねていた。何も持たない男。俺は下田に対してそんなイメージを抱いているし、今もそれは変わらない。むしろそのイメージはより確信を伴ったものになりつつある。

 けれど、それでも、主役に立候補したこの男はまだ何か未知の力を秘めているに違いないと、そうどこかで信じていた。


「お待たせしました。さぁ練習を再開しましょう!」

「よし、じゃあ次はよりイメージを掴みやすくするために重りを持ちながらやってみようか。」


 俺は、この男の可能性に縋りたがっているのかもしれなかった。





「おや下田君と、中川君?珍しい組み合わせだね。」

「あ、あぁ。」

「あれ、天宮さん?お疲れ様です。」


 難航する練習。溜まった疲労を癒すべく木陰で休んでいたところに、天宮が通りかかった。


「珍しいですね。土曜日なのに。文化祭の下準備か何かですか?」

「そうだね。というか珍しいのは君の方じゃない?下田君。」

「練習は家だと出来そうになかったので…主に近所迷惑的な意味で。」

「あー、まぁそうだよね。練習の方はどう?順調そう?」

「おかげさまで。学校で練習できるよう配慮してくださった天宮さんには感謝です、本当。」

「えっへん。」


 会話が一区切りし、舐めるように俺達を観察する天宮。この比喩は正確ではないかもしれないが、俺は、彼女が時折見せるこのねっとりとした、値踏みするかのような視線がどうも苦手だった。


「ところで、もしかして中川君は下田君の監督中?」

「監督って…まぁそんなところだな。部長命令だよ。」


 俺の意志ではない、と。どうしてか彼女にはそう伝えたかった。


「ふーん。」


 何かを考えているような素振り。


「じゃあ私もそれ、混ざって良い?」

「えっ…?」


 本当に、天宮の考えている事は良く分からない。ちょっと待て、と口を開いたところを下田が遮る。


「良いんですか?丁度素人の意見も聞いてみたいと思っていたところです!」

「誰が素人じゃ!」


 ――本当に、どいつもこいつも、何を考えているのか良く分からない。





「はぁー。なるほどね。」


 何やら項垂れる天宮。それもそうだろう、下田の大根役者っぷりを目の当りにしたら、誰だってそうなる。台詞はしょっちゅう噛むし、どうしようもなく言葉に感情を乗せるのが下手。聞いていてこっちが恥ずかしくなってしまう。


「そ、そんなになる程ダメですかね、僕の演技…。」

「「ダメだね。」」

「ハモられましたね…。」


「…辞退しようとは思わないのか?」


 尋ねる。これは妥当な意見だ。俺の思考はもはや「いかにして下田を楽にしてやるか?」という方向へと舵を切っていた。お手上げである。


「辞退…ですか。全く考えていなかったと言うと、嘘になってしまうのですが…。」

「…ですが?」

「…僕、昨日、上山君に宣戦布告してしまったんですよね。だから、きっと彼も全力を出してきてくれるはずです。それを裏切る様な真似はしたくなくて…。」

「裏切るったって下田、お前…。」


 辟易。俺はどこか苛立ちを感じ始めていた。


「この際だから言うが、そもそも相当に分が悪い。諦めたって、誰もお前を責めたりはしないと思うぞ。」



 刹那、寒気がした。



「辞退?」


 声の主は、間違いなく天宮だ。しかし、誰のものか分からないと感じる程に、その様相は普段と異なっていた。


「どうして?」


 天宮。一瞬捉えたかに思えた、真っ黒で悪意と憤怒に満ちた声色はその鳴りを潜めていた。それでも心臓が早鐘を打つ。彼女の裏に確かな質感を持って存在する、冷たく、容赦のない刃物を気配を感じて。


「いや…それは、だって、そうだろ?」


 到底論理的とは言えない意見。元々明確な論理があって辞退を勧めたわけではないのもあるが、それ以上に、本能がいかにして逃走するか?を模索していたからかもしれない。


「…天宮さん?」


 下田は困惑気味だ。


「私が教えてあげようか?中川君。君の心を、君の色を。」

「はっ…?」


 彼女は蔑むような目をして息を吸う。彼女の刃物が、はっきりと、姿を現した。


「君はね、中川君。下田君に"も"諦めて欲しいんだよ。」

「…!」

「分かる?この言葉の意味。」


 喉元に突き付けられた凶刃。最後の逃走を試みる。


「下田に…恥をかかせたくない。」



―――ダァン



 破裂音。天宮が恐ろしい勢いで地面を踏み鳴らした。


「いつまで嘘を吐くの?」


 視線すらが、刃物と化していた。

 彼女には気付かれていた。当然、本人である俺が気付いていないわけがない。俺は、俺の奥底に沈んでいるその感情に蓋をしていた。


「君は赦しが欲しいだけでしょう?中川君。…自分は主役になれない。それは自分が劣っているからだって、そう理由を付けて生きてきた事への赦しが。」


 本当は気付いていた。俺は下田の可能性に縋っていた。主役に立候補した下田が、"主役の座にふさわしい何かを持っている存在"であることを願っていたのだ。そうであれば、あの沈黙の十秒が赦されると思ったから。

 …いや。あの沈黙の十秒を、赦すことが出来ると思ったから。

 それなのに、下田は結局、"本当に何も持っていなかった"。そして、それでいてなお立候補を取り下げようとしない。俺にとって下田のその輝きは余りに眩しすぎた。下田は俺を否定し続けるから。


「君は自分の心の声に嘘を吐いてきた。それを赦す口実が欲しいだけ。自分で自分を赦せなくなる前例を作りたくないだけ。」

「…そうだとしたら。」


 もはや俺には虚勢を張る事しか出来なかった。膝がプルプルしているのを隠すように、その場に座り込んで。


「ま、いいんじゃない。それも君の人生、君の選択だよ。」


 先ほどまでの気迫はどこへ。散々俺を穿り回した後に、彼女はあっけらかんと言い放った。


「今言ったことは、ぜーんぶ、所詮はただの綺麗事。忘れて。泥水を好む生き物って、いるからさ。」

「…一生泥の中で生きていれば良いと?」

「そうだね。ただし君がそれを望むなら、だけど。」


 逡巡。俺はあの時、何と言いたかったのだろう?


「じゃあ…もし、そうでないとしたら?」


 彼女はニマっと笑みを浮かべる。


「その時は泥水の中で綺麗に咲きなよ。丁度そう、蓮の花みたいに。」

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