初日の出
「ま、それはいいとしてさ。柚は今年一年をどう過ごしたい?」
「今年一年かぁ……正直言ってどうしたいってことはないんだけど、安定した生活が送れるようにしたい……かな」
「早寝早起きってこと?」
「わかってて言ってるでしょ。そんなことしないし、できないわよ。つまり、去年みたいに不安定になることなく地に足ついた生活を送れるようにしたいってこと」
大きい虫に出会っても部屋に閉じこもらず、野生生物を見ても恐怖に支配されないようにするのは当然のこと。
他にも食事や衣類などちょっと戸惑ってしまう生活の一幕がなくなることはないが、減らす努力をしていきたい。
「涼こそ今年一年をどんなふうに過ごしたい?」
水平線の先の空の色が橙色に染まっていく。もうじき日が昇ってくるのだろう。
「そうだな……塾を存続させながらしっかり受験を成功させること、かな。一応受験生なわけだし、周りの期待も大きいしね」
まだ見えぬ太陽の姿を幻視するように涼は目を細めて答えた。
「あーね。そういえばあと一年ちょっとで涼は大学受験だもんね。普通にいつも勉強してるから忘れてたよ」
「ったく、自分で受験生だってこと気にしてないって言うのはいいけど、他人から言われると「いや、僕受験あるんだけどっ!」って思うな。……まあいいや。ほら、もうすぐ日が昇るぞ」
「ほんとだ。顔が出てきそう……」
「周りもざわめきだしたな」
初日の出を見に来た観光客たちがゾロゾロと集まって来た。一時間遅く来てしまったら渋滞にハマって決定的瞬間を逃したことだろう。
涼はコーヒーを飲んで一息着きながら辺りを見渡した。
一応柚をポケットの奥底に入るよう言っておく。
「こうしているとなんかキャンプに来たみたい」
柚は涼の裏の胸ポケットに入っているカイロの熱を感じようと体を涼の胸に預ける。
人形用に作られた精緻な出来栄えのダウンジャケットを身に纏っていても寒いものは寒い。
コタツの中に潜り込んでいる感覚だろうか。
「たしかに。でもそう思うとキャンプに行きたい欲がすごく上がるな。確かこの辺りに無料で泊まれるキャンプ適地があったはず……」
「キャンプ……適地? キャンプ場じゃないの?」
「違う違う。正式にキャンプできる場所として設置されているんじゃなくて、野宿するのに適した場所ですよ、咎められませんよ、という場所のこと。いや、怒られるところは怒られるか」
「そりゃそうよ。勝手に泊まられるのは迷惑じゃん」
柚ははぁ〜あ、とあくびを漏らしながら突っ込む。
「あ、日が出てきた!」
水平線の彼方に一際眩しい光が現れた。歓声の声が辺りから響き渡り、徐々にその光源の姿が浮き彫りになっていく。
「初日の出を見るのは初めてだな」
「私もちゃんと拝むのは初めてだわ。……すっごく綺麗」
「水平線から昇ってくるっていうのがまた良いな」
「ね。海なし県出身としては言葉を失うほど素晴らしいわ」
「ペラペラ喋ってるじゃん。……次は富士山の山頂から御来光を楽しむってのも面白いな」
「それでいいの受験生」
先ほどあんなことを言っておきながらすっかり失念していた。勉強に追われる姿は想像できないが、国立大学を受けるために必要な一次試験の二週間前に富士山を登頂している受験生など聞いたことない。
「……はぁ、駄目かぁ。まあ、こんな景色の前にため息ついててもいけないし、じっくりこの景色を堪能することにするか」
「涼ってば案外考えなしなとこあるわよね。前々からそうだと思ってたし言ってきたけど。今年一年でそういうところ治したら? もしかしたら見通し甘くて受験失敗するかもよ」
「それは無理な相談だ。僕は見通しが甘いんじゃなくてわざと先のことを考えないだけなんだから。きっと先のことを考え続けていたらうっかりってことはなくなるだろうな。でも、そんなのつまらないじゃないか。予想外の出来事に出くわすことこそ人生の醍醐味。面白いところだろ?」
涼は握り拳をして力説する。太陽に向かって誓いを立てているようにも見えた。
「今年の私に平穏はなさそうね。せめて安全に過ごせますように!」
柚は顔のほぼ全てを露出した太陽に向けてそう祈る。いじめっ子の適性が高い涼は柚の様子を見て静かに口角を上げてニヤけていた。
(ああそうだ。もうすぐ修学旅行があるんだったな。……せっかくだし柚も連れていくことにしよう)
この章がどんな話になるか見えて来ましたね笑。