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妖精の住処  作者: 速水零
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冬キャンランニング

 キャンプ中であっても涼の目覚めは早い。


 日課のサイクリングができないので、久しぶりにランニングでもしてみるかと涼はシュラフから抜け出す。


 隣には犬用シュラフに身を包んだ涼の恋人、柚が蚊の鳴くほどの小さな寝息を立てて寝ている。あと2時間は起きなさそうだ。


 ぐっすりと眠っているところを見るに寝心地は問題なかったのだろう。ネット注文で現物を見ずに買ったが、あたり商品だったかもしれない。


 小型犬用のシュラフでも大きすぎるのか、柚はキングサイズのベッドに寝ているように見える。柚の小さい姿がより強調されており、とても可愛い。思わず撫で回したくなったが、起こすと悪いので自制し、テントを抜け出す。


 ワンポールテントはたしかにテント内で過ごせて周りからも見られないという利点があったが、ドームテントに比べて耐寒性がまるでない。羽毛がぎっしり詰まったダウンシュラフを持ってきて正解だったと思う。柚はまあ、あんだけの質量に囲まれていれば化学繊維のシュラフでも十分暖かいだろう。


 冬は日の出が一年で最も遅く、まだ周りが明るくなってきたばかりだ。もう少し待てば富士山、本栖湖、日の出最強景色がお目にかかれるだろう。


「本当にランニングなんて久しぶりだな」


 毎朝サイクリングをしている身としては、朝起きて運動をしないのは気分が悪い。雨が降っていれば別だが、こんなにも空気が澄んでいると無性に走りたくなる。


 洪庵キャンプ場の長い坂を上り、本栖湖外周道路に出る。


 千円札の裏面に記載された場所なだけあってまだまだ朝早いが、何人か観光客が三脚を立てて撮影準備をしていた。カメラの趣味もいいなぁと思いながら横目に見つつ、涼はランニングを始めた。


 まだ冬初めなので氷点下まで落ちてはいないが、アスファルトからも冷気が伝わりとても寒い。周りの山々も冷気をため込む効果でも持っているのかってぐらい辺りを冷やしてくる。


 寒さはだいぶ厳しいが体を動かしているとそんなことは全く気にならない。湖畔沿いを走りながら涼は景色を堪能する。


 どの角度から見ても富士山と本栖湖のコンビは最高だ。雄大な自然が眼前に広がっていると思うとテンションあがる。


 思わずペースを上げてしまったがまだまだ余裕はある。


 朝靄を切り裂き、涼は一定のリズムで足を進める。


 途中トンネルに差し掛かり、先ほどまでとは比べものにならないほどの冷気が迫ってきた。


 一瞬涼は顔を顰めたが、それだけ。これはこれで面白いと気にせず先を目指した。


(そういえば、昨日、僕と柚は付き合うことになったんだよな。……いや、付き合ってとは言ってないか。でも、僕の家にずっと住むってことは決まったわけだ。いや、僕の中では元からそのつもりだったんだけど……ややこしいな。結局お互いの気持ちを確かめて何も変わらないのか……)


 一晩空けて涼は自身の気持ちと昨晩の出来事について考える。


 やはり柚を好きになった、これが初恋だということに変わりはなかった。むしろ昨日よりも柚を愛おしく思う。


 まだ、眠っているのかな、なんて考えつつ涼は本栖みちから外れて県道709号線を走る。昨日バイクで走ったルートではないのでとても楽しみだ。


(昨日、曲がりなりにも抱き合ったんだっけ……)

 

 顔から火が出そうなほど真っ赤になった。決して霜焼けしているわけでも、血行が良いからでもない。


 正直日常的に柚を抱えたり、持ち上げることはあったので感触として何か新鮮なものがあったわけではないが、今までの行為は全ていわば介護みたいなものだ。


 今回は涼の意思で、何か柚のためになるなんて目的もなく、私欲に任せて柚を抱き抱えた。充足感が半端ない。天にも登る気持ちとはまた違い、質量を持った心地よさが身体中を包んだ。


 それに、柚が涼に触れてくることは滅多にない。


 小さな両手を目一杯広げて胸元に抱きついてきた姿は一生の宝だろう。あれほど高揚した時は一度もない。


 湖の反対側だと森が邪魔をして富士山が全く見えない。


 だが、対岸に立ててある自分のテントを発見した。洪庵キャンプ場の端にポツンと立っているからとてもわかりやすい。


(あそこに僕の好きな人がいるのか……)


 そんなふうに思うのはなんだか気恥ずかしい。まだ昨日の悪い影響が残っていた。黒歴史とまでは言わないが、ずいぶん痛々しいことをしてしまったと羞恥に身を焦がす。


(これからも避けようと思っても避けられないんだろうな。楽しくないわけじゃないし、横浜の港にいるバカップルを見れば普通のことかもしれないけど、時間が経ってからのダメージすごいな)


 本栖湖は一周約12キロもある。だいぶ走ったように思うがまだまだキャンプ場までは遠い。


 こちら側は県道沿いで富士山も見えないので、あたりの雰囲気が暗い。所々湖の目の前まで降りられるらしく、何台か車が路上駐車していた。


 おそらく夜遅くにやってきて野宿しているのだろう。道路の下から声が聞こえる。


 そんな旅も面白そうだな、今日泊まるとこはキャンプ場じゃなくてそこら辺の人の来ない草むらとかじゃダメかな、なんて考えながら更に走っていき、ようやく一周完走。


 正確にタイムを計っていないが、おおよそ五十分ぐらいだろう。ランニングにしては少しハイペースだが、ちょうどよく流して走れた。日頃のサイクリングは伊達じゃない。


 まだ柚を起こすには早い時間だが、太陽が程よく昇っているのでこの最高の景色を見せてやろうとテントの中に入った。

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