王子さまの高説
「ラングドシャ? そんなのまで作っていたのか?!」
先程までとは打って変わって、涼は驚愕を露にした。
クッキーを作っただけでも半年分は驚いたのだが、もう一品用意しているとは想像もしていなかった。
クッキーが卵黄を混ぜ込んで作るのに対し、ラングドシャは卵白を混ぜ込んで作る。その味わいはクッキーと似た材料であろうと非なるものだ。
クッキーほど知られているわけではないので、涼はどんなお菓子か思い出せず首を傾げる。
ラングドシャとはフランス発症のお菓子で本来は細長い楕円形をしており、意味はそのままの見た目から猫の舌という。日本では形は関係なく生地が同じなら全てラングドシャと分類している。
有名なお菓子でいうと北海道名物『白い恋人』がラングドシャの一つ。ポロッとこぼれるような食感が特徴的だ。
「私も調べて知ったお菓子だけど、名前はピンと来なくても食べればあーこれか!ってなるわ。まあ、私が作ったやつだからあんまし美味しくなくて思い出せないかもしれないけどね.........」
儚げに柚は自虐する。
そう言われるとなんだか心が苦しい涼だが、気を張って「そんなことないさ」と励ます。
柚に持ってこさせるわけにも行かないので、涼はお湯を沸かしつつ柚の指定する場所まで取りに行った。
「あー、これがラングドシャってやつか。なるほどな。正直これを手作りしたって言われると驚きを通り越して柚を尊敬するよ。よくやるものだ」
「そ、そうでしょ! ほ、ほら、早く持ってきてよ」
「了解」
プラスチックの容器に入ったラングドシャを取り出し、涼は綺麗な小皿に移し替える。
少し柚と離れて冷静になった涼は手馴れた手つきで紅茶を淹れる。
「はい、さっき紅茶と一緒に食べればよかったな」
「涼が忘れてたなんてよっぽどサプライズは成功したってことかしら?」
「いや、成功してないよ」
「うっそだー! むっちゃ驚いてたやん! 今でも涼のあの顔は忘れられないね!」
「成功じゃなくて、大成功だ」
「.........あー、そういうこと。ま、当然よね!」
再び胸を張る柚をしり目に、涼はラングドシャをつまむ。
見た目の印象通り生地がクッキーと違ってしっとりとしていて、ポロッと砕ける。味の主張は弱いがとても食感がよく、満足感は高い。
涼の入れたダージリンによく合う。
涼が満足しながら食べているのを見て、柚も自分の分に手を伸ばした。
味見をしているので今更味わう必要はないのだが、ついつい何個も手に取ってしまう。
涼と一緒だからか、先程の味見よりもずっと美味しく感じる。単にダージリンと合わせているからかもしれないが。
「美味しいな」
「うん」
「僕ももっとお菓子作りやってみようかな」
「そうね」
「キャンプ行く時何か挑戦してみるよ」
「うん.........」
途切れ途切れのボーリングのようなキャッチボールだったが、お互いこの空気を悪くないと思っていた。
まだ涼が帰宅したばかりで日が落ち始めたくらい。
紅茶を飲み干し、ラングドシャを食べ終えてもまだ夕飯には早い。
いつもなら皿やカップを片付けて自室で勉強をするのだが、二人ともその場を離れず、ゆったりと談笑を続けた。
「柚は他にもお菓子作りに挑戦する気はあるのか?」
「うーん、どうだろ? 楽しかったけど、結構疲れるのよね。特に掻き回すのが」
「まあ、普通の人がやっても面倒な作業だからな。何か道具買う?」
涼達は夕飯を済ませ、のんびりとデカフェのコーヒーで休息をとっていた。
しばらく時間が経ったことで、お互いいつもの雰囲気に戻っているが、微妙に距離が近い。
涼はタブレットを取り出して柚にも扱えそうな器具を探し出す。
調べてみると貴族おうちセットのような本格的な調理器具がいくらか出てきた。
普通の調理器具よりも精緻に作られているため値は張るが、木下塾の収益があるので全部変え揃えても余裕がある。
それに柚のバイト代で得た貯金も十万近く溜まっている。何か大きなものを欲しいわけではないので、ここらで衝動買いしてみるのも悪くない。
「すごい良く作られてるけど、食材は大きいままだからなぁ。うずらの卵とか使えばいい感じになるのかしら?」
「ま、次は僕も手伝うよ。.........柚の勉強のこともあるしね。今日一日お菓子作りしててテスト勉強してないだろ?」
「うっ.........忘れてた。なんてこと思い出させるのよ!」
柚はダイニングテーブルの上に立ち上がり、数歩下がって狼狽する。
数時間前とは打って変わって涼は柚を揶揄い始めていた。いやらしい目付きで柚をじっと見つめる。その様も絵になっていて相変わらずカッコいいのだが、柚は見惚れるよりも恐怖した。
「学生の本分は勉強だよ?」
小さい子をあやす先生のように涼は講釈を垂れる。
涼は続けて「勉強に励む苦しみは一時のものだが、勉強に励まなかった苦しみは一生のもの。今居眠りすれば、あなたは夢をみる。今学習すれば、あなたは夢が叶う」と、どこかで聞いたような勉学を促す名言を淡々と語りかけた。
「そんな聞き飽きた言葉いらない! 綺麗な言葉で私を惑わさないで!! あーもう、もう少し優しい涼でいてよ!」
柚は頭を抱え俯いた。
その後しばらく伏見稲荷のようにニヤついた涼のありがたい言葉が呪詛のようにリビングの中で反響した。