妖精の家事力
家事といえば料理、洗濯、掃除、収納、帳簿、隣人との交流などが挙げられる。
柚のような妖精サイズで涼の家を掃除することはできず(丸一日かけても終わらないのでできないに等しい)、洗濯も洗濯機を使うことができたとしても、干すこともアイロンをかけることもできない。
まして収納など自分の体よりも大きいものばかりの道具たちを片付けたり、インテリアを整えたりなども不可能。できて自分の体の半分近い大きさの小型スマートフォンを活用して帳簿をつけるくらいだ。
人前に出ることの許されない柚にとって隣人との交流など一番できないことだ。小桜家には柚の存在自体は知られているが、人形として捉えられており、一方通行の交流しかない。それも姫の遊び相手だ。最近はその数も減っているが。
料理はできるだろうか。
今回柚はクッキーを作ってみせたが、重要なのはレパートリーと要領で、料理ができるとは思えない。
だが、柚は自分も頑張れば料理の手伝いくらいはできるんだぞ、というところを見せたかった。
今更柚は涼に貢献しようとは思わない(意思だけはあっても経験からどうにもならないと諦めている)が、見直して欲しいと思う。
それに、貢献は出来なくとも、喜ばせることはできるはずだ。家事はできずとも心の支えになれるようになりたいと、ずっとずっと前から考えていた。
「えーっと、これは柚が作ってくれたクッキーってことか?」
涼は眼前に広がる人間サイズのクッキーに驚きを隠せないでいた。
この時点で涼に見直させてやる、という目的は達成されたが、重要なのは恋愛感情に少しでも発展させること。
「そうよ! 私だって時間をかければクッキーくらい余裕でできるんだから!」
本当はとても苦労したのだが、そこは見栄を張る。
「正直言って驚いた。まさか柚がうちのキッチン道具たちを使いこなすことができるなんて夢にも思わなかったよ」
「でしょでしょ! まあ、私も作ろうとするまでできないと思ってたけど、案外やれるものよ。さ、食べて食べて!」
「ああ、いただきます」
普段なら紅茶を用意して柚の作ったクッキーを堪能するところだが、全く頭に思い浮かばなかった。
涼は割れ物を扱うかのようにそっとクッキーを摘みあげる。
持ってみたかんじ、普通のプレーンクッキーだ。ボソボソこぼれたり、ふにゃふにゃで形が歪んだりしない。
鼻腔をくすぐる香りも良く、食欲を掻き立てられた。
この時点で涼は味に関して不安を抱いていない。
ごく自然にクッキーを口にした。
ゆっくりと咀嚼すると、一般的なのクッキー味が口全体に広がった。
「うん、とても美味しいよ」
時間がかかって作った素人のクッキーが故に涼を唸らせるような出来とは言い難いが、柚の心のこもったクッキーだということが骨身に染みる。
一般的な味を出せること自体がすごいのだ。柚は軽く作れたというように言ったが、涼にはその苦労がよくわかる。
「ほんと! よかったぁぁ」
柚は脱力してダイニングテーブルの上にへたり込む。余裕でできたと言ったパティシエの姿とは思えない。
一応味見はしているが、妖精の口と人間の口では感覚が大きく異なり、信用出来ていなかったのだ。
涼の「美味しい」の一言だけで努力が報われた気がする。
(とても美味しいだって! やったー! やったー!これで涼も少しは私に振り向いてくれるんじゃない?)
体は萎れてても心は小躍りしていた。
だが、少しして自分は軽く作ったのだと言ってしまったことを思い出し、ピンっと立ち上がって取り繕う。
普段ならドヤ顔して威張るようなポーズをする柚を見ると揶揄わずにはいられない涼だが、この時ばかりは成長する子どもを見るような温かい目を向けていた。
「どうしてクッキーを作ろうなんて思ったんだ?」
「んー.........なんか、むっちゃ恥ずいんだけど........ひ、日頃の感謝の気持ちを伝えたかったのっ!」
まさか目の前で「あなたを惚れさせるためよ!」とは言えず、でまかせを吐いてしまったが、それも自分の本心だったと気づく。
人間感情ひとつで動くものではない。それは人間の思考回路を持っている妖精のような柚でも同じだ。
「.........っ!?」
柚の大輪が咲いたような屈託のない笑みを見て、涼は息を呑んだ。
ドキッと心臓が強く鼓動する。
今まで何度も柚に心打たれる思いをしてきた涼だが、過去最高の衝撃を受けた。
思わず顔が火照ってしまう。
心臓の脈動がこの上なく騒がしい。
得も言えぬ恥ずかしさに襲われた涼は、平静を装って自分の心根のままに柚に手を伸ばし、そっと頭を人指し指と中指で撫でる。
「.........あ、ありがとうな」
「.........こ、こちらこそ、い、いつも.........ありがとう」
思わぬ不意打ちを喰らった柚も涼同様頬を真っ赤に火照らせ、涼の指を受け入れる。
どれだけこの状態でいただろうか。
涼の指は柚の絹のように滑らかな暗色の髪を慈しむように、愛するように、撫で続ける。
甘い甘い一時がゆったりと過ぎ去る。
「あ、そうだった。.........まだ、見せていないお菓子があったんだった!」
何十分、何時間にも感じられた触れ合いの時間に耐えかねた柚は、涼の手を離れ、思い出したかのようにまだ秘策があったと言い出す。
だが、柚は涼の顔を見ることはできず、そっぽを向いたまま虚空に話しかけていた。
柚の耳が熟れた林檎のように赤く染っているのを見た涼は、そっと微笑み、「ああ、是非見せてくれ」と蚊の鳴き声程の小声で応えた。
あれ?柚が作ったの普通のプレーンクッキーだよね。
むちゃくちゃ甘いんですけど!?