希望と問題
「私、涼にして欲しいこと決めた!」
笑と冴が夕食を食べて帰ったのち、涼と柚は紅茶を飲みながら反省会をしていた。
突然ダイニングテーブルの上に立ち上がり、柚はビシッと人差し指を涼に向ける。
気合十分。このまま魔王に立ち向かいそうな程やる気に満ちている。
「あー、はいはい。テストでいい点取れたらな」
「ちょっとぉ、私の宣言を無視するつもり?」
「いや、なんか面倒そうじゃん。そのテンションに付き合うには僕の今の気力じゃ心もとない。明日か明後日にしてくれ」
「ええー! 酷いわよ。せっかく夕飯我慢している間ずっと考えていたのにー!」
予想以上に笑と冴が涼の家に残っており、柚への晩御飯が遅れたのを根に持っているのだろう。
「そういうのは言葉にすると叶わなくなるんだぞ」
「それは神社のお参りとかの話でしょ? 私はこういうことは堂々と宣言して自分を追い込むタイプなのよね」
「へえ、気持ちは分からないでもないが、そこまでの願いがあるのか?」
涼には柚の欲しいものが想像できない。
涼が渡しているアルバイト代があれば色んな服や美味しい食べ物、様々な雑誌や化粧品が買える。
「よくぞ聞いてくれた! 私が期末テストで涼の課すボーダーラインを超えた暁には、私ともう一度キャンプに行って貰います! キャンプ場や献立は任せるけど、最上だと思うものを用意してちょうだい」
「.........キャンプ? どうして? むしろこれから先二度と行かせるなって方がわかりやすいんだけど.........」
涼の頭には前回のキャンプでトラウマを植え付けられた柚の姿が克明に浮かんでいる。PTSDは解消されたと言っていいが、原因である野生の鹿などを見てはまた症状がぶり返してしまうだろう、と涼は恐れている。
「まあ、普通はそう反応するわよね。でも、今の私ならあんな怪獣たちに出会っても動揺しない自信があるわ! それに、冬は虫も少ないし.........」
「ふうん。.........柚がキャンプに行きたいって言うのなら僕としては大歓迎だ。最近行けてなかったからね」
涼は数週間先でキャンプをしている自分の姿に思いを馳せて紅茶を傾ける。
この前みたいなネットカフェに泊まるのではなく、ちゃんとしたキャンプ場のキャンプツーリングができるのだ。
高校入る前からの夢の一つがやっと叶う。
今日一日大変なことが続いたからか、涼の体に紅茶のリラックス効果がやけに染み渡る。
「ほんとキャンプとかアウトドア好きよね。私もちょっと感化されてきちゃってるけど.........」
柚は最近キャンプや山登りのアニメにハマっている。大自然の広大さと優美さと清浄さと、そして残酷さに心惹かれていた。
「いいことだ。これからは月に1回はキャンプに行こうか。今まで頑張ってきたおかげか予算はあるし」
「私もお金ならそこそこ持っているわよ!」
「そりゃお互いいいことだ。木下塾様々だな」
「.........なんかそう言われると悪いことしているみたいね。真っ当に稼いでいるのに」
「誤解しやすく言ったからな。.........でも、その木下塾も今ちょっとまずい事態にあるんだよな」
「え、そうなの?」
柚は順風満帆に運営が進んでいると思っていた。
現場を知らない柚はどこに不安が生じているのか疑問に思う。
「1番大きな問題は生徒の数が多すぎることだな。そろそろうちのリビングに入り切らなくなってもおかしくない状況になる」
「ああ、確かにこの家はむちゃくちゃ大きいけど、さすがに子どもが30人も入ればパンパンだもんね。今日が体験授業の子達合わせて25人でしょ? そろそろキツいわね」
「そうなんだよ。だから冴とも話したんだが、この塾のBASICを週に2回開催するか、別の大きな部屋を短時間借りるか、いずれにせよ対処法を今年中に考えなくちゃいけない」
「うちのリビングよりも大きな部屋を借りるって、予算は大丈夫なの? ここすごく土地高いでしょ?」
「真っ当にどこかのテナントを借りるわけじゃないよ。例えば幼稚園の教室だとか、学童の一室とか、そういう所を一時的に借りたいんだけど.........あまり僕はそういうことに詳しくなくてね」
涼の住むこの地域は高級住宅街として有名で、土地代が馬鹿みたいに高い。どこかのテナントの賃貸も非常に高価で、涼の求める大きさのテナントを借りるには今いる生徒たちの月謝を全てつぎ込むくらいでないといけない。
逆につぎ込めば借りられるようになったあたり、とても木下塾は発展していることになるが。
「そんなことに詳しい方が驚きよ。.........なるほどね。嬉しいけど大変な課題ね。どこかで借りるとなるとタブレットとか仕事道具を持って行かなきゃいけないんでしょ?」
「そうなるな。ちょっと面倒だが」
「他にも何か問題あるの?」
「ある。だいぶ評価が安定してきて、成果も出ているから、これからは他の学年の授業も視野に入れないといけなくなるはずだ。実際何件か姫の小学校の他学年の保護者から話を貰っている。他にもプログラミングを独立してやって欲しいって意見もあれば、託児所のように子どもの面倒を見ることは出来ないかという相談もあったりする」
「あー、はいはい。確かにそんなことも聞くわね。問題は山積みかぁ」
次のキャンプに思いを馳せて浮かばれていたのに、重い現実が涼たちを潰しにかかる。
今はテストに集中すべきだが、涼にはそこまでの余裕が無い。
今度保護者たちに場所を設けて相談しないといけないな、と思いつつ、さらに紅茶を傾けた。
いくら飲んでも疲れが取れる気がしない。