担任のやぶ蛇
(あ、冴には柚のことを全く説明していなかった.........)
思い返してみれば、涼は誰にも教材作りを委託していないということになっている気がしてきた。
涼がチェックしているとはいえ、教材の選定や参考資料作りは柚主導だ。それを伝えないのは不義理だと思い直す。
「すみません、資料に記入し忘れておりました」
「あれだけの教材を選べて、あの板書をできるのなら誰も木下さんに文句は言わないと思います。まあ、私としては仕事がいっぱいいっぱいにならずに分担できているのはむしろ好ましいかと」
小学校の授業はほぼ全ての科目を担任が指導案から教鞭を執るまで一人でこなす。
それだけが業務ではないというのが激務の理由なのだが、単に授業関連の仕事だけでも相当大変だ。
高校の授業と並行して塾の運営をするのはかなり厳しいのでは、と思っていた笑はほっとする。
しかし、ここに一人安堵と同時に大きな疑問を抱えた少女がいた。
「涼さん、その教材作りを手伝っているというお友達はどなたでしょうか?」
突如絶対零度のような極寒を超えた冷たいと感じることもできない空気が辺りを支配する。
責任感があってちょっと暴走してしまう放っておけない美人が涼に好印象を抱いたからなのか、冴は内心でかなり荒れていた。
普通なら涼の高校の友達が手伝っていると解釈するのだが、冴の鋭い嗅覚は涼の言葉の裏に女の影を感じ取っていた。
こんな状態の冴はからかいすぎてキレられた時くらいにしか見たことがない。いや、あの時はもっと可愛くぷんぷん、といった効果音がつくように怒るので、こんな怒りは初体験だ。
「紹介してなかったね。冴は知らない友達だよ」
涼の言葉を聞いた途端、笑の頭の裏に恋人に隠し事をする彼氏のイメージが浮かぶ。
そしてそれは冴も同じだった。
「高校の同級生の方でしょうか?」
「いいや、他校の友達」
「では中学校のお友達でしょうか? あの空や海のような」
「ううん。中学も違う」
そもそも柚にアルバイトをさせられるという意図もあって作った塾だ。柚以外が関わることの方が想定外。
どんどん誘導尋問に乗せられている感じがする涼だが、彼は無意識に柚の情報を隠しているので簡単に引っかかっていた。
「なら……柚さん、でしようか?」
「……ああ、よく分かったな」
「まあ、なんとなく初めからそうなんじゃないかと思っていました。筆跡を見るシーンがないので確信は持てませんでしたが、資料の作り方に女性らしさを感じます」
「あー、私もそう言われればそんな気がしてきます。よく分りましたね」
笑は内心面白いことが起こっていると傍観者気分でいた。おっとりとした見た目通りの性格を持ち合わせているとはいえ、まだまだ恋バナに華を咲かせたい年頃。
カッコよくて可愛い年下の男の子と、どこから見ても完璧な大和撫子の女の子の絡みはここ最近の廃れた心を存分に癒してくれた。面白い展開だという点も高評価できる。
冴の口ぶりからして涼と冴は同じ中学の出身でないことが伺えるが、紫苑女学院と翔央高校はお隣さんなので出逢いの機会はどこかにあるのだろうと笑は見ている。
この二人は恋人同士で塾を運営するのかな?なんて思いながら、ちょっと浮気要素も垣間見え、さらに好奇な眼で見つめた。
多分柚のことはこの前作った設定が流れているのだと思った涼は、矛盾が生じないよう細心の注意を払って柚の仕事の説明をする。
住んでいる場所が遠くて授業をしには来れず、見た通りこの塾の授業のデータのやり取りしかないので直接会う必要もないので、柚にもできる仕事だと。
なんで任せたかと言うと、このタブレットを導入した最新のICT教育(パソコンやタブレット端末、インターネットなどの情報通信技術を活用した教育手法のこと)にはガジェットマニアの柚の力も借りており、流れで仕事を手伝って貰うことになったということ。
偽りの木下塾生誕物語まで生まれてきそうだ。
「まあ、そういうわけで、うちの教材関連は柚にお願いしているんだ」
「なるほど.........................わかりました」
随分飲み込むまでに時間がかかったなと思うが何も言わないでおこう。
冴は内心で様々な感情と思考が入り混じっていたが、考えるのは後にして、今度親友に相談することにした。
笑はと言うと、突然の遠距離恋愛の疑いありのライバル登場に恋愛小説の展開を重ね合わせ、少しニマニマと人の悪い笑みを浮かべている。
親の想いは預かりしれないが、こんな笑みを浮かべて欲しいと願って笑という名をつけたわけではないはずだ。
その後だいぶ時間が経ってしまったと涼が言い出し、笑を夕飯に誘った。
あまり家庭訪問の際食事をいただくのは宜しくないが、ここは生徒の家ではなく、もう少しこの先を見ていたいので(涼の近くにいるだけで癒され、とても役得なので)、ご相伴に預かることにした。
「先生はワイン等飲まれますか? 僕は未成年なので飲めませんが、以前父さんが集めていたワインやウィスキーがあるのですが」
「いえ、私も皆さんと同じで大丈夫です。それに、父親が単身赴任だからといって勝手に空けてはいけませんよ。楽しみにしていたらどうするんですか?」
「あの人はそんなこと絶対気にも留めないと思いますが.........わかりました」
涼から冴とは違う刺々しくも冷たい空気がひっそりと流れ込んでくる。無関心を装っているが、奥底では醜い感情がとぐろを巻いていた。
軽い気持ちで涼の恋愛模様を見学しようと思っていたが、涼には家庭の問題があるのを今更ながらに悟った。
こんなに出来た子どもだから安心して単身赴任しているのだと思っているの笑だが、それでも普通は寮に入れたりするものではないだろうか。
ちょっと違う意味で暴走しちゃったかなぁと我に返る笑であった。
担任登場回はここまでです。