バイト戦士の副業
「焼きそば結構美味しいね」
「そうだな。あんまりクオリティは求めていなかったが、これなら三百円も払った勝ちはある。カップ焼きそばよりはおいしい」
「あれはあれで私は好きだよ。コスパ最強! 最短調理! そして何より安定の美味しさ! 私週に一回は食べてるね」
「あんだけ稼いでいてひもじい生活しているんだな。何に金を使ってるんだっけ?」
「そりゃギターとか?」
「ああ、軽音楽部だっけか? ギターってそんな高かったっけ? 2、3ヶ月しっかりアルバイトすれば買えると思うが」
葵は高校に入ってから軽音をやり始め、だいぶ慣れてきた頃に涼のバイト先でアルバイトを始めた。涼から【バイト戦士】の称号を与えられるほど、葵はバイトに打ち込んでおり、正直ピックよりも皿を持っている時間のほうが長いのではと思ってしまう。
まだ葵がアルバイトを始めて一年ちょっとしか経っていないが、オープンから閉めの作業、果ては発注作業までこなせるようになり、涼と二枚看板で高校生組のエースを張っている。特に最近は涼が木下塾を始めて勤務日数が減っているので、頼られることは多くなった。
まあ、稼ぎすぎてもう扶養に引っかかってしまうので、アルバイトは休暇中だが。
そんなわけで、涼の見立てでは葵はアルバイトを始めてから少なくとも150万は稼いでいる。レトロで希少価値のあるギターを買うのならそれでも足りないだろうが、素人が始めて手に取るギターや、中級者向けにステップアップするときに持つギター代なら今まで稼いだ十分の一もいらないだろう。
「んー、ギターは高いけど、確かにそれほど財布を圧迫したりしないね」
「じゃあなんのために働いているんだ?」
「そうだなぁ……うん、やっぱり今は貯金かな。お金貯めていくの見るの面白いからってのもあるし、なにか欲しい物で来たときに妥協したくないから」
「妥協したくないね……気持ちはわかるけど、僕はそこまでモチベーションを高く維持できそうもないな」
「涼は真面目だけど、コツコツ積み上げるなんてことは不向きだもんね。意外と飽きっぽいし、やる気が無いと適当に過ごすんだから。昔とちっとも変わらない」
葵は涼と遊び始めたときの頃を思い出す。
ゲーム機に興味を持って一緒に遊んだが、涼はセンスで誰よりも上手くなった。頭が良かったから誰よりも考えてゲームをしたし、効率の良い指の動き方も思案していた。
しかし、他者を圧倒し、興味を失うと他のことに手を出し始める。光や葵は負けず嫌いで好奇心旺盛なので涼に最後まで食って掛かるが、涼が別の遊びを始めるとそのおもちゃをポイって放り出す。
勉強や日課のサイクリングは毎日やっているし、今乗っているバイクを買うために貯金もしてきたが、将来なにかのためになるかもしれない、なんて漠然とした目標であまり興味のないことを続けることはできない。
涼が父親からバイクを買い与えられていたり、何でも電子機器を買っていいと言われれば、アルバイトなんて社会経験として若干の興味があってもやらないだろう。
「それは僕が僕だからだよ。変わる気なんてないさ。……まあ、最近色んな人に変わったって言われるけどさ」
「んー、みんなからしたら変わったんだろうし、私もそう思うところはあるけど、それは表面的なところであって、涼の本質は変わらないよ。成長しているとは思うけどね。でも、涼は少年の心をいつまでも忘れない可愛らしい男の子」
「お姉さんぶってないか?」
蔑んでいるわけではないが、自分よりも頭が悪く能天気なやつに年上ぶられると少しムカつく。
僕らの関係に兄妹を当てはめるのなら僕が兄で葵が妹だろう、と涼は考えている。
「ちょっとね。私は涼よりも先に大人になってるんだから。……だから焦って告白なんてしたんだろうけどさ。涼を振ったのもそう」
「大人になったから、ね……」
わかりそうで、まだよくわからない。半年前の涼なら鼻で笑っていただろう。
「うん、大人になっちゃったから。……それより、私のバンド聞いた!?」
葵はらしくもない哀愁を漂わせていたが、くるりと感情をひっくり返し、屈託のない笑みで涼に尋ねる。
「ああ、バイト戦士の副業か」
「ちっちっち。バイト戦士とは仮の姿、本当の私は軽音部のエースにして皆の憧れの歌姫、春咲葵!」
「はいはい、バンドもやってたんだっけなあ。……2週間くらい前にそっちの高校も文化祭があったんだっけ?」
「ん、その口ぶりは私の歌声を聞いてないな!?」
「まあ、面倒だったし塾の準備で忙しかったからな」
2週間前というと、十五夜祭の前の週で、木下塾で初のプログラミング教室を開くまで10日しかない。
少し前からパソコン部の友達の力を借りて準備していたとはいえ、やることは多く、涼は日中ノートパソコンの前に釘付けになっていた。
いくらこの地域が富裕層に囲まれていて、涼自身の学習成績が良くとも木下塾の月謝は高い。
信頼してくれている保護者達がいきなり辞めていくことはないだろうが、これから先姫や茜達と関係の薄い子どもたちが入会希望を出してくるだろう。
そうなった時、いかにこの塾は魅力的なのか、月謝に見合った指導をしているのかという塾としての実力が問われてくる。
プログラミングは昨今の教育業界で話題となっている分野らしいので取り入れない手はない。専用の塾も多数進出している以上、手抜き作業はできないので、涼は自分の能力をフル活用してプログラミングを勉強していた。
もちろん、教材開発の一端を担っている柚も本腰を入れて勉強している。
飛翔祭以外の時間はほぼ木下塾の準備に当てていた。
「ぶーっ、そんな言い方ないでしょ。その顔は強がっている顔。ほんとは行きたかったけど、忙しすぎて時間が取れなかった。違う?」
「……さすが幼馴染。ポーカーフェイスとかは得意だと思ってたんだけど、よく分かったな」
「ふん、何年友達やってると思ってるの? ほら、これライブの時の映像。ringでデータ送っておくから感想聞かせてよね」
自分で歌姫と言っている姿は痛々しいが、先日のカラオケで葵の美声を独り占めにしていた涼は決して誇張ではないと断言する。
さぞかし素晴らしく、葵らしくて、涼の知る葵らしくないライブがあったのだろうと期待に胸が高まった。
「了解。それで、焼きそばも食べ終えて食休みもできたことだし、どこか遊びに行くか?」
「もちろん! 涼の学校なんだし、エスコートよろしくね!」
葵は立ち上がると同時に涼の手を握ってきた。先ほどの宣言を忘れていないようだ。
大人になったと言うだけあって自然に繋ぐものだなと思う。
友達同士で文化祭を見て回るのに手を繋ぐ必要はない、そんな野暮なことは言わず涼は軽く握られた手に力を入れた。
葵に涼の同意が伝わる。
「昔恋人だった時はこんなことはなかったなぁ。夢のよう」
「何か言ったか?」
葵の呟きは小さすぎて涼には届かない。
「うんうん、なんでもないよ」
葵は涼の成長を実感し、万感の想いの篭った誤魔化しを口にした。
色々と忙しくなってきたので、まれに休む日があると思います。