不安定な軌道
短め
あらすじ
木下家の過去の話をした
「おはよう」
「ぉはよー」
涼に貴族おうちセットを揺らされ柚は目を覚ます。震度5並の地震が起きたように感じた柚は飛び起き、おうちセットの窓を開けて顔を出す。
「ずいぶん目覚めが悪そうだな」
柚の目元にはクマがうっすら見え、顔色も悪い。
「そりゃーあんな話を聞かされたらね……涼はよく普通にいられるわね」
「いや、僕も随分こたえたよ。イヤな夢見るしさ。でも、もう何度も見た夢だから慣れたもんだ。それよりも、これからは木下塾も体験授業を受けたいって人もいるし、勉強もあるんだから気持ち切り替えてくれよな」
切り替えたと思っても涼もまだまだ子供だ。ふと母親のことを思い出す度にトラウマが掘り返される。
「わかってるわよ。もう行くの?」
「ああ、行ってくる」
サバゲーの疲れもあったが日課のサイクリングは欠かさなかった。
暑苦しい制服を身に纏い、個人事業者涼は前を向いて今日も学校に通う。
体験授業の希望者についての資料を授業中頭に入れながら、今後増えていく参加希望者にどう対応していくか考える。
涼家のリビングは広く30畳はある。小学校の教室が大体40畳ほどということを考えると小学一年生なら20人は余裕を持って相手できるはずだ。
経費でテーブルや椅子、タブレットを購入し、涼自身もプログラミングやIT関連の知識をつけなければならないと思う。
今の小学生は英語とプログラミングが必修となっている。
英語は中学受験もあるので積極的に教えたいが、プログラミングは微妙なところだ。ガジェット好きとしては興味がない分野というわけでもないので一応勉強しておくことにする。
涼の通っている翔央高校は県内有数の進学校で、高校2年の夏休み明けから受験生扱いされる。
高校教師が夏に熱されたように熱苦しい。
(大学受験か。別に将来何がやりたいってものがないからどこでもいいんだよなぁ。翼や雷みたいに目標があればいいけど……案外教育学部にでも行ってこの塾を存続させてたりしてな。…………それはないか、僕が大学を卒業する頃には姫も中学生になるし、そこまで手を広げるなんて面倒だ。このまま存続させられるかだって怪しいんだから、高校範囲を早めに習得してもっと質の良い授業ができるよう努力しよう)
涼の起業した(させられた)木下塾の調子が良いのは偏に涼本人の人気の賜物だ。実力はまだ評価されたとは思っていない。
生徒たちの保護者の声を聞いていると、将来の目標は様々だが、どれも涼が達成している課題だった。
それならば自分の体験を参考に力になれると思うし、良い評価を得られると思う。
ならば、自分の過去にしっかり向き合わなければならない。涼の完璧超人っぷりはあの両親の教育によって作られたと言っても過言ではない。
(……なに本気になっているんだ、僕は。この木下塾は確かに金儲けになるし、柚にバイトをさせられる良い機会だが、僕が本当にやりたいことじゃない。それなのに僕が全力を尽くすだなんてありえないだろ。……やりたいことだけを全力で取り組み、人生を最大に謳歌する。それが僕が僕たる所以だったじゃないか。昨日思い出したばかりだろ)
バキっとシャーペンの芯が折れ、ルーズリーフに穴が空く。
楽しい物理の時間が全く楽しくない。
教師が前で解説している複雑なコンデンサーの問題は涼の好きなタイプの問題だが、全く頭が働かない。
「好きなことだけやるっていうのは子どもの特権なのだろうか……」
思わず独り言が外に漏れ出してしまった。
シャーペンがクルクル指の間を踊るように回し、ぼーっと考える。
昼ご飯を食べる時も、味がわからずずっと木下塾と大学受験について考えていた。
何か面白い大学はないものかと初めて大学調べをしてみる。
(北海道の大学か……面白そうだなぁ。寒いのは得意じゃないが雪国生活っていうのは面白そうだし、夏にはバイクで一周回るのが楽しそうだ)
放課後になっても涼は同じことを延々と考えていた。
大学受験に関してはまだまだ先な上に、涼は模試の成績も抜群なのだから焦らずともコツコツ勉強していれば理系分野ならどこにでも進学できると思い、保留にした。
やはり乗り気にはなれない木下塾の運営も真面目にこなさなければならない。父親のようになりたくはないが、仕事というものは本来そういうものだと自分に言い聞かせる。
ファミレスのアルバイトでも嫌だから注文を受け取らないなんて許されるはずがない。
今まで感じることのなかった不満を抱きながら、涼は帰路を辿った。
不安定なのは涼の心情ですね。
柚に過去のことを語ったことにより初心を思い出したのでしょう。
次回
体験授業