自由研究
あらすじ
涼に恋愛マニュアルは効果なし
「涼お兄ちゃんあーそーぼー!」
涼と柚は一緒に勉強をしていると、外から涼を呼ぶ声が聞こえてきた。
涼のことを「涼お兄ちゃん」なんて呼ぶのはこの世で三人しかいないが、高確率で姫だろう。
姫は涼の隣に住んでいるファンタジー大好きな夢見がちな小学一年生の女の子。
小学校に入る時に引っ越してきたため付き合いは短いが、涼のことを本当の兄のように慕っており、よく遊びに来る。
最近は涼がいると分かるとインターホンも押さずに大声で呼ぶようになった。
涼の住んでいるところはかなりの高級住宅街で一軒一軒の間は少し離れているが、それでも近所迷惑だ。
苦情が来たらやめさせようと涼は思うが、子どものすることなので怒られることはないだろう。
「涼お兄ちゃん相手してきたら?」
「柚までそう呼ぶのかよ」
「呼んで欲しいの?」
「どっちでもいいけど、恥ずかしくないか?」
「ちょっとだけ」
「なら、今度一日そう呼び続けてみようか。面白そうだ」
涼は柚に「涼お兄ちゃん」と呼ばれても違和感があるだけで全く恥ずかしくない。
面白そうなことがあればとりあえずやってみる、というのが涼の性格なので、冗談ではなく本当にやりそうだ。
「それはなんか嫌」
「面白そうなんだけどなぁ。まあ、それは置いておいて姫を迎えに行くか。どう? 玄関まで付いてこないか?」
「それはもっと嫌」
「そうか……」
(でも、前よりは否定が弱くなったな。いい調子だ)
涼が玄関を開けると案の定姫がいた。
「おはよう。今日は何をしに来たんだ?」
「おはよう! んーとね、なつやすみのじゆーけんきゅーっていうののかわりにアサガオのかんさつにっきを書いてるの。それをてつだってほしくてきた!」
「あー、僕も一年生の時にやったな。懐かしい。でも、手伝うようなことあるか?」
「あるよ! 先生がにっきをかいたらおかあさんかおとうさんに見せてねっていってた。だからよんでほしくてきたの!」
涼が子どもの頃はそんなことしなかったが、担任によって違うのだろう。時々親のチェックがあればサボるってことも少なくなるだろうし、良い方法だ。
「わかった。暑いし上がらな」
「はーい! おじゃましまーす!!」
外の気温は昼前なのに三十五度を超えている。よくそれだけ元気にはしゃげるな、と涼小言を漏らす。
姫はリビングに上がり、自分の家のように勢いよくダイニングチェアに腰掛ける。
「何飲みたい?」
「オレンジジュース!」
「了解。ちょっと待ってな」
涼の家には姫が来た時ようにいくつかジュースが置いてあり、姫も何があるかはもう全て把握している。
姫の家は母親の愛が厳しくしつけているため、あまりジュースの類が飲めない。姫が遊びに来る半分の理由はジュースやお菓子だろうと思わずにはいられない。
「ねえ、なんで涼お兄ちゃんの家っていつもカーテンしまってるの?」
「ん? ああ、外から太陽の光が当たると部屋が暑くなるからね。最近は閉じるようにしているんだ」
「へー、そうなんだ」
「それより、観察日記を見せてくれないか? 僕も早く読んでみたくてさ」
「うんいいよ! ……はい。ノートのこの辺に読んだらおかあさんとかが丸をつけて名前を書くの」
大きく花まるをつけるのは先生の役なので、親は読んだ後小さく上に丸と日付と名前を書くらしい。かなり徹底しているようだ。
「わかった。じゃあ読ませてもらうね」
小学一年生だから読みにくくてにをはが使いこなせていないものだと思って涼は読み進めたが、意外としっかり書かれている。
最初のページから読んでみると愛がところどころ訂正し、こう書いたら良いというアドバイスまであった。
「ねえ、待っている間柚と遊んできていい?」
「いいよ。最近遊んであげてなかったもんな。柚用の大きなベットで寛いでいるだろうから。……あ、そういえば手洗いうがいをしてないだろ。隣の家とはいえ外に出たんだからちゃんとしていきなさい」
「はーい!」
姫は勝手知ったように洗面所に向かう。
手洗いうがいを習慣づけさせるというのは建前で、この間に柚へとメッセージを送る。
流石にスマホを使っているシーンはアウトだ。
まだ夏休みが始まってそんなに経っていないので姫の観察日記はそこまで進んでいない。
数分読み進めると先ほど涼が名前を書いたところまできた。木下とサインしたけどそれで良いのだろうか?
姫を監督していないと柚が可愛そうなので、涼は姫の観察日記を姫の手さげバッグにしまい、自室へ向かった。
自室に入ると姫は柚を持ち上げ、撫で回していた。
(相変わらず人形のフリは大変だな。姫が優しく扱うのが救いか)
「久しぶりの柚はどうだ?」
「やっぱりかわいい!! それにまえきたときとはちがうおようふくきてる!」
柚は自分で選んだ夏服を着ているので、いつも見ている制服姿とはだいぶ印象が違うだろう。
姫は柚の夏服を摘んだり引っ張ったりしたら遊んでいる。
「あんまり引っ張ると破れちゃうし、柚がかわいそうだからそこまでにしてあげな」
「はーい」
姫はちゃんと涼の言うことを聞く良い子なのですぐに柚をいじり終え、自分の膝下に乗せた。
「ねえねえ、どうだった?」
「すごくよくかけてたよ。 流石姫だ。今度また読ませてね」
「うん! じゃあつぎは絵本よんで!」
「わかったわかった」
涼が大きめのタブレットを取り出し、電子書籍アプリを開いてベッドに腰掛けると、姫が涼の上に乗ってきた。
もう本を読み聞かせるときこの形になるのが当たり前になってきた。
「じゃあ何を読もうかなー」
電子書籍だと表紙を見せながら選べるからとても便利だ。
それに、涼の友達が家に遊びにきたとき「なんで絵本なんかあるんだ?」と突っ込まれずに済む。
貴族おうちセットはもう諦めるしかないが。
「んー、これがいい!」
「わかった、この本ね」
そうして、姫に何冊か読み聞かせてやった。
だいぶ時間が経ち、もう昼ごはんの時間。
「あ!! もうこんなじかん!! 早くかえらないとあかねちゃんのおうちでごはんたべれなくなっちゃう!」
この後姫は涼の家にも遊びにきたことのある友達と食事の予定があるらしくいつもより早く帰るらしい。
姫は慌てて手さげバッグを肩にかけ、柚を持って玄関に向かって走り出した。
「……あっ!!!! 姫、ちょっと待って!!!」
姫が持ち込んだ人形を手にして帰る姿はよく目にするので、涼は一瞬反応が遅れた。
このままだと柚が外に連れ出されてしまう。
いかに涼の家が広いといっても、豪邸というほどではなく、この一瞬でだいぶ姫は先に進んでしまい、すぐに玄関までたどり着いてしまった。
柚も咄嗟の出来事に状況を把握できず、姫に連れられて玄関にやってきた。
引きこもりになってから柚は一度も玄関を境に入れたことはない。
ましてや外の景色すら、カーテンを閉じることでほとんど目にしなかった。
姫相手にやめてと叫ぶことはできない。その分別がつくくらいには柚の理性は保たれている。だいぶ治療が進んだ成果だろう。
だが、外に出されたらどうなるかわからない。
姫は早く帰ることに頭がいっぱいで涼の静止の叫びが聞こえない。
いつもの行儀の良さとは打って変わって姫は靴のかかとを潰しながら玄関の扉に手をかける。
そして、涼が追いつく前に姫は外へ飛び出した。
姫の喋る言葉のうち難しい漢字はひらがなにしていますが、基準は特にありません。
小学一年生から二年生で習う範囲(過去の自分を思い出して)でてきとうにしていますが、探せばアレ?これ漢字だったのにここではひらがなだってことがあると思います。
次回
段階的挑戦