第七話
細井蘭、17歳。
女流王将のタイトルホルダーであり、俺の姉弟子、三条和子女流二冠に匹敵するほどの才能を持つと言われている。
聞くところによると、小さい頃から、将棋の才能は、あったらしいが、どうも自分の性格に合わないと感じ、本格的に将棋を始めたのが14歳と遅かったらしい。
(3歳で、将棋のルールを覚え、4歳で、アマ初段の人と指していた姉弟子は別格であるが。)
何度も、男性のプロ棋士を破ったこともあり、付いたあだ名は、「女流の番人」。
彼女に勝てる女流の棋士は、間違いなく一流の棋士であるため、そう言われてる。
俺も、公式戦ではないが、平手で何度も負かされている。
いわゆる将棋を指していて張り合いのある相手と言った所か。
「だいたい、なんで私にそんなことを聞くんです?。そいうことは、高杉先生、竜一の師匠に聞くもんでしょう。」
ぐっ、正論だ。
だが、師匠は、公式戦で俺に負けて以来、「修行だ。」とかなんとか訳わからん事を言い、今は、若手の研究会に参加している。
「男性のプロ棋士には、恥ずかしくてきけないですし、ましてや自分は、まだ、プロになったばかりで、知り合いも多くない。」
「だから、昔のライバルである私を選んでる。」
細井さんとは、将棋の大会で知り合った人で、俺が小学校1年の時、初めて自分より強いと感じた人物でもある。
当時、俺は、小学生でありながら、大阪にある将棋教室で、自分より遥に年上の大人、つまり、オッサンに勝ちまくっていた。
そして、オッサンたちは、俺を「浪速のジミー」と呼んでいた。
名前の由来は、英語のジニアス(天才)という意味と、小学生の割に、将棋という地味ジミなことが趣味にしていることから来ているらしい。
今から思えば、ダサいニックネームだと思う。
ある将棋仲間の飲み会で、当時のニックネームを言ったら、10分以上大笑いされるぐらい。
当然といえば、当然だろう。
どう見ても、酒の席で、ベロベロに酔ったオヤジが付けたセンスのないニックネームとしか思えないから。
だが、その時、俺は、勉強は出来ないが、本気で、自分が将棋の天才だと思っていた。
しかし、そのオッサンたちに進められて出場したある将棋大会で、初戦で運悪くも、俺は、細井さんと当たってしまった。
対局は、細井さんの圧勝。
俺は、今まで将棋に感じていた自信を根こそぎ奪われた時であった。
まあ、将棋を五歳から自分の祖父に習い、毎日のようにしごかれていたとはいえ、プロ棋士の親父さんに手ほどきされていた細井さんに勝てるわけがないのは当たり前なのだが。
そんな事情を、負けたショックで、悔し涙を流し、その場から、1時間以上も立ち上がれなかった俺に、細井さんが、後から教えてくれたが、小学生の自分にわかるはずもなかった。
ただ自分が唯一自信があった将棋に負けたことだけが、頭の中を駆け巡ったのを覚えている。
それからは、地獄の日々だった。
そんな苦い経験がある俺が、どうしてまた将棋のプロを目指し始めたかは、また別の機会にして、細井さんとは、そんな縁が昔あったのだ。