かわいくなりたい! ので、悪魔に魂を売って悪役令嬢になりました。
「悪魔様、一生のお願いです! 絶世の美女になりたいとか、そんな大それたことは考えておりません! 魂でも何でもお持ち頂いて結構です! ですのでどうか! どうか私に、十人並みの、まあ普通にかわいいくらいの容姿を下さいいぃぃっ!!」
生まれて初めて、土下座をした。相手はドン引きだと思う。……いや、悪魔にとっては、こんな契約者は日常茶飯事かも。悪魔召喚に手を出すなんて、相当追い詰められてるか、あるいは頭のおかしい狂信者かの2つに1つだと思うし。
土下座をしているから相手の様子を伺うことは叶わないけれど、それでも今、この場を支配している沈黙が、全てを物語っている気がした。
ああ、呆気に取られているぞ。
何て言うか、空気がそんな感じなのだ。ただの沈黙じゃなくて、何て言ったら良いか、次の言葉を探してる、みたいな。そんな、そわそわした、居心地の悪そうな空気感を感じる。
それでも相手……私が魔法陣とかいそいそ書いて、呪文を唱えたタイミングを見計らって現れた不審者でもない限り、悪魔だと思う。とにかく、その悪魔は、おずおずと言った感じに、私に声を掛けた。
「と、とにかく顔上げろよ。話しにくいからさ。」
「いいえ! 悪魔様にこのような醜いものをお見せするワケには!」
「いいからちゃんと座れって! あと出来れば椅子に座れ! 大丈夫だから、こちとら同僚にハエとかヘビとか腐ってるのとか居るから! 慣れてるからとりあえず立てって!」
「くっ……私の命もどうやらここまでのようですね……。」
ヒートアップした悪魔様のご機嫌を損なわないように、そろりそろりと顔を上げる。
目に入った悪魔様は……思ったより普通だ。同年代くらいの男の子みたいな外見で、特に羽やシッポや角が生えてたりはしない。……不審者説、正解じゃ、ないよね?
で、私の顔をご覧になった悪魔様の第一声。
「……マジか。」
「だから言ったのに! だから言ったのに! そうですよ私はハエ以下の顔面核廃棄物なんですよ! カプセルで密封した上で地中深くに長い年数埋めておかなきゃいけなかったのに! それを面白半分に掘り起こすからこうなるんだ!」
ハエや腐乱死体を見慣れた(自己申告)筈の悪魔様の「マジか」に、私の心は深く傷ついた。この反応で、私の顔面偏差値に関しては察してほしい。私自身、朝鏡を見るたびに、「うっわぁ……。」って思うんだから。
それでも流石悪魔様、中々強いメンタルをお持ちだった。何とか気を取り直したようで、再度私との会話を試みる。
「や、でもさ。それでも、悪魔に魂売るって早計じゃね? ほら、人は見た目が全てじゃないって言うし、そんなお前でもいつか、好きって言ってくれる人がさ……。」
この人は本当に悪魔なんだろうか。言葉の端々からちょいちょい、現世の常識的な何かが滲み出てる気がする。それともこの顔、悪魔が契約するのも嫌だと思うレベルなのか、そうなのか?
「確かに人は見た目が全てじゃありません。どんなに綺麗な人でも、お金持ちでも、才能に溢れていても、性格がクソならまともな人は周りに集まらないでしょう。けれど、人の魅力というのは、その人の持つ要素を総合しての力じゃないんです! まず見た目と言うハードルがあり、そこを超えない限りはそもそも人が寄ってすら来ないのです! 分かりますか!?」
「お、おう……。」
「更に言うと、私は性格もクソだし才能もお金も持ってません。ただの産業廃棄物です。あ、知ってます? 人間のう○こって実は産業廃棄物扱いなんですよあはは。」
「自分をそこまで卑下することなくね!? もっと前向いて生きてこうぜ!?」
「うるっせぇ! てめ、自分の親と手ぇ繋ごうとして咄嗟に振り払われたことあんのか!? 学校でどこの班にも入れなくて、しょうがなく人数足りなかった班に入るよう先生に言われた時、その班の女の子にマジ泣きされたことは!? その後みんながフォローしてくれたけど結局先生と組んだことは!? どんな人混み歩いてても、モーセさながらに人の波が割れて避けてかれることはーーー!?」
「分かったからやめろおぉぉぉぉっ!! 悪かった、俺が悪かったから!」
おお、悪魔に謝罪させてしまった。私の顔面の破壊力、凄い。
悪魔様はもう半泣きだ。見た目普通の男の子なだけに私がいじめてる感凄いけど、残念ながら自己申告通り、私は性格もクソなのだ。もうひと押しかな?とか、そんなことを考え、今度は泣きで訴えることにした。
「だから、せめて『普通』くらいになりたいんです。いいえ、不細工でも良い。笑えるレベルの不細工ならもうそれで良いです。お願いします悪魔様! 魂でも寿命でも、何でもお好きなものをお持ちください! 私を普通にしてください!」
私が涙目でお願いしても気持ち悪いだけだろうから、出来るだけ気を強く持つよう自分に言い聞かせながら、再度頭を下げた。顔が見えない方がお願い聞いてもらいやすくならないかなって打算もある。うん、やっぱり私、クソだわ。
悪魔様はしばらく黙り込み、そして、観念したように、小さな溜息をついた。
「……分かった。ただし、条件がある。」
「何なりと!」
「お前は今からこことは別の世界に生まれ直し、もう二度と、親にも友人にも会うことは出来ない。それでも……、」
「いいです! お好きになさって下さい!」
食い気味の即答に、悪魔様は相当度肝を抜かれたようだ。驚愕に声を震わせ、私に「ほ、本当に、いいのか?」と聞いてきた。やっぱりこの悪魔様、悪魔じゃないと思う。
「はい。正直、私の両親も、友人……は居ませんが、周囲の人も、悪い人じゃありません。むしろ、私の顔への嫌悪感が凄いだけで、その後で罪悪感に苛まれたり、何とかして私を愛そうとしてくれていたことも知ってます。」
「なら、なおさら……、」
「だからこそ私はこれ以上、周囲の人達に、無理を強いたくないんです。お願いします、悪魔様。何でもします、何でも差し上げます。私を、『普通』にしてください……。」
……やばい、言ってて感極まって来た。泣きそうだけど、我慢だ、私。
そんな私の真剣な雰囲気を察したか、悪魔様もこの件について、これ以上追及して来ることは無かった。しかし、話はまだ続くようだった。
「それだけじゃない。お前には別な世界に生まれ直して貰うと言ったが、その世界でやって欲しいことがある。」
「何なりと!」
「その世界でお前と同じ頃に生まれる、ある女の道を、阻んで欲しい。」
言われた瞬間、私は顔を上げた。
流石に、罪無き一般女性を不幸に陥れるなんて、なけなしの良心が痛む。
「あ、悪魔様、それは……。」
「別に、不幸にしろとか、陥れろとか、殺せとか、そういうんじゃない。ただ……その女を放っておくと、その世界にとって不都合なことが起きるんだ。それを、止めて欲しい。」
「そういうことでしたら……必ず。」
「話が早くて助かるよ。必要な知識は、生まれ直す時、今の記憶と一緒に頭に詰め込んどくから。出来るだけ、上手くやってくれよ。頼むぞ。」
私が決意を新たに力強く頷くと、悪魔様は私に手を伸ばし、私の、目蓋に触れ……。
- - -
世界がゆっくり、フェードアウトした。
- - -
あの契約から、早いものでもう13年が経つ。
私はキャロライナ・ノーザンウェルという伯爵家令嬢として生まれ、何不自由なく育ち、悪魔様が大サービスしてくれたに違いない美しい(そう、美しい!)容姿にも大満足していた。
そして今年、私はついに、悪魔様との契約を果たす、第一歩を踏み出すのだ。
さて。この世界には、魔法、というものがある。この魔法というのは特定の因子を持つ人間にしか使えないようで、『魔法使い』という存在は、この世界では大変希少だ。だからこそ魔法の素質を持った子供は、幼いころから魔法について学び、その才能を磨くため、魔法学校に通うことを義務として課せられている。
ここまで言えば分かるとは思うけれど、私にはその、魔法の才能があった。
いや、正確には、与えられていた、かな。恐らく悪魔様が、私が生まれ直すときに必要だからと、持たせてくれたのだろう。何せ、これから私が道を阻まなければいけない女の子も、魔法使いなんだから。
その子の名前は、シャーリー。シャーリーン・メイベル。
ひょんなことから魔法の力が発現し、あれよあれよと貴族だらけの魔法学校に来ることになった、優しくて頑張り屋さんな、少女漫画のヒロインみたいな女の子。そして私の役回りは、その子を阻む悪役令嬢、といったところだろうか?
悪魔様に頂いた知識によると、この子、シャーリーちゃんが、ある特定の男性と結ばれることを阻止すればいいらしい。本格的に少女漫画みたいな話になっているけれど、気にせず続ける。
彼女が結ばれる可能性のある男性は、計6人。内2人がシャーリーちゃんと結ばれてはいけないらしいから、確率的には2/3の可能性で、私は悪魔様との約束を守れる。筈。と、思いたい。
気を取り直して、男性陣の詳細をまとめようそうしよう。
男性陣は、4人が生徒で、1人が先生。もう1人が不法侵入者。少女漫画のお約束通り、みーんなイケメン。
まず、私の知り合いから始めよう。
ブライアン・ランドールとクレメント・ランドール。正反対な双子の兄弟で、ランドール侯爵家の長男と次男。ライアンは落ち着きのない小学生みたいな性格で、クリムは前置詞に『不安になるほど』が付くくらいの無口。
まあ、両方女の子受けするタイプじゃないし、別に結ばれようが何しようが問題ない奴らだから放置。
次に、ファーガス・エドモンド。王族(小声)。
何かお家騒動とか色々あるらしくて、身分を隠して学校に通っている。こいつとシャーリーちゃんをくっつけちゃいけない。気弱な感じは否めないが好青年である。気を抜いてはいけない。決してだ。
4人目。エドガー・スタンレー。魔王(小声)。
や、魔王というか、私が勝手にそう呼んでいるだけなんだけど。魔法の力がすごく強くて、何ていうか、性格的にもちょいヤバめ。シャーリーちゃんと結ばれることで道を踏み外すらしいから、そうならない限り安心って話。こいつにもシャーリーちゃんを渡してはいけない。
ただ、こいつが厄介者で、普段は爽やかな人気者タイプなんだ。典型的なサイコパスの特徴だな。うむ。シャーリーちゃん、騙されちゃいけないからね。
5人目。モブA。いやもう、こっから先は本当に、何も言うこと無いんだって。別にシャーリーちゃんとくっついてもくっつかなくてもいいし、私の知り合いでもないし! これから先、知り合う予定もないし!
シャーリーちゃんとは学校に不法侵入する時に知り合うから、私とは知り合いようがないって訳。一応、イタズラ好きなお兄ちゃんみたいなキャラで、好感度も高そうだけど、私は関与しません!
最後、先生。でも、この人も選択授業の先生の筈だから、その授業さえ選択しなければ顔を合わせることは無い筈。一応、名前はディラン・レイナードという。この人は優しいお兄さんキャラかな。
とりあえずこんなところ。個人的にはシャーリーちゃんが年上好きなのを祈るばかり。
ちょっとキケンなニオイのする年上の不法侵入者とか、女の子は好きでしょ? や、現実に居たら即通報するけど、シャーリーちゃんはそんなにスレてないって信じてる。
なので私のお仕事は、王族と魔王にシャーリーちゃんが近付くのを阻止して、それとなーく他の誰かとくっつけること。……で、いいんですよね? 悪魔様?
なぁんてことを考えながら、魔法学校の校門をくぐる。今日は入学式だ。何もかも、今日から始まる。
よし、と意気込んで足を踏み出すと、背中に衝撃があった。
「よお、ブス!」
聞き慣れた声に振り向くと、そこには見知った顔がある。ランドール兄弟だ。
私の背中を勢いよくどついたのが兄のライアンで、それを興味無さそうにぼんやりと眺めているのが、弟のクリム。な? これはモテなさそうだろ?
というかいい年齢ぶっこいて、知り合いのお嬢さん相手に第一声が「ブス」って無いだろー。
しかし、そこは私も美少女の端くれ。にっこり微笑んで、優雅に挨拶を返すくらい余裕なのである!
「おはよう。ライアン、クリム。朝からお元気そうで何よりだわ。」
嫌味も無くそう告げると、ライアンは途端にバツの悪い顔つきになる。そして「ちぇっ」と不満げに漏らすと、クリムを引っ張って足早に校舎へと向かって行った。
まあ、慣れてしまったから思うのだが、ライアンは本当に小学生と一緒なのだ。叱られたくて……というと語弊があるかも知れないけれど、相手に構って欲しくて、こういったくだらないちょっかいをかけてくる。今は私が相手だからいいものの、これを学校で見境なくやったら問題だぞ、とちょっと嘆息。
まあ、記念すべき第一歩には残念ながらケチが付いたけれど、私の気持ちには一片の曇りもない。
今日の為に、私はたっぷり勉強した。淑女教育の合間に、これでもかって程少女小説を読み込み、もう私は少女小説のプロと言っても過言じゃない。
シャーリーちゃんの邪魔をすべく、色んなライバルキャラについても学び、効果的そうな妨害術もたくさん学んだのだ。その成果が、いよいよ発揮される時が来た!
大丈夫、私ことキャロンは、悪魔様に贔屓された美少女だ。どんな悪役を演じたって様になる。……と、信じてる!
悪魔様、私の華々しい悪役令嬢デビューを、草葉の陰から応援していて下さい!
……なぁんて、思ったのも束の間。何が起こったと思う?
へへっ、悪魔様、こりゃあないです。
寮のルームメイト、シャーリーちゃんだった。
- - -
入学式の後、私達新入生は、寮の部屋番号が書かれた紙を渡され、そこへ向かう。この学校では色んな事情が相まって、生徒は全員寮生活を送ることになっているのだ。所謂、全寮制てやつ。
私はとりあえずクラスにシャーリーちゃんが居るのを確認し、今日は部屋で明日からの方針を固めようと思って、まず寮に向うことにした。途中、ランドール兄弟の妨害もあり出遅れたのだが、女子寮は男子禁制の為、寮に入ってから部屋を見つけるまではスムーズだ。
どんな子が同室かな? 仲良くできたらいいな。
そんなことを考えながらドアをノックし、扉を開くとそこには。
今日まさに、教室で顔をチェックしてきたばかりの、シャーリーちゃんが居たのだった。
「は、初めまして! じゃないか、同じクラスですもんね……。えっと、改めて、私、シャーリーンっていいます。シャーリーン・メイベル。」
存じております。大分前から。
硬直する私に、シャーリーちゃんは不安げな笑みを浮かべ、おどおど、といった風に手を差し伸べて来る。
「その……よ、よろしく、お願いします……っ!」
私の脳裏を、高速で思考が駆け巡る。走馬灯ってひょっとすると、こんな感じなのかもしれない。
手を振り払うべき? それとも無視か? 暴言か? いやでも待て、これから最低3年間は、この子と同室になるんだぞ? こっから先3年間、空気の悪~い寮生活になんの? いやいやいや、無理だって。私の精神衛生的にもシャーリーちゃんの精神状態にもよろしくないってそんなの!
結構長いこと考え込んでいた気がするけれど、時間にしてはおよそ一瞬後。
私は笑顔で、シャーリーちゃんの手を握っていた。
「シャーリーンさんね。私も2度目の自己紹介になってしまうけれど、キャロライナ・ノーザンウェルよ。今日からルームメイトになるんだもの、私の事は、是非キャロンって呼んで?」
ぱぁっと輝くシャーリーちゃんの瞳に、私は思った。
ヒロインに逆らおうとした私が悪かったんだ。悪魔様ごめんなさい、これから挽回しますのでどうか許してください……と。
そんな私の暗雲立ち込める心境と裏腹に、にこやかなシャーリーちゃんはまるで小動物のようだ。かわいらしくにこにこと、けれどちょっぴりそわそわと、私のことを伺いつつ口を開く。
「あ、あの、では私の事も、是非シャーリーとお呼び下さい!」
「分かったわ。それと、私達は同い年なのだから、そんなに畏まらなくて大丈夫よ?」
「で、でも、その、キャロンさんはやっぱり、貴族様ですし……。」
なるほど、シャーリーちゃんの最初のおどおどした態度は内気な性格なのかと思ったけれど、こういう部分もあるのか。
実際この世界は、地域差こそあれ結構な縦社会だ。シャーリーちゃんはひょっとすると、貴族の不興を買う=死、みたいな場所から来たのかも知れない。
でもこれだと、シャーリーちゃんがこれから出会う男共の、実に6人中6人。ぶっちゃけ、100パーセントが貴族男だ。その時に委縮してしまい、話が遅々として進まない、ではこっちが困る。
ここらで私が、貴族への恐怖心をパッと払っておけば、今後の展開がぐっと楽になるかも知れないぞ。悪魔様が私に試練をお与えになったのは、きっとこういう理由に違いない。イエス!
そうと決まれば話は早い。私は今後、シャーリーちゃんの一番のお友達として、シャーリーちゃんの相談に乗るふりをしつつ、それとなーく誘導していく方針で行こう。
なんていう薄汚い思考を巡らせながら、私は「まあ」、と慈愛に満ちたお嬢様フェイスを作る。
「ここでは生まれが貴族だとか、そうでないとか、そんなの何も関係ないわ。もし、そんな馬鹿げた理由であなたに辛く当たる人が居たら、それはとても恥ずべきことよ。」
「キャロンさん……。」
「キャロン、でいいわ。その代わり、私にもあなたのこと、シャーリーって呼ばせて? ね、シャーリー。私、今まで周囲に同い年くらいの女の子が居なくって、お友達ってものに凄く憧れてるの。あなたがもし、お友達になってくれると言ってくれたら……私、とっても嬉しいわ。」
よし、決まった! 美少女スマイル! こうかはばつぐんだ!
シャーリーちゃんも潤んだ目で、何度も何度も頷いている。これは、第一段階大成功、と言っても過言じゃないんじゃなかろうか!? これが漫画ならここで見開き使うぞ、私は!
「私……私、ルームメイトがキャロン、ちゃんで、凄く嬉しいです……っ!」
美少女に抱きつかれて、役得だなって思った私は、美少女として失格かも知れない。
- - -
光陰矢の如し。詳しい意味は忘れたけど、「時間が経つのは早いなぁ」って意味だったと思う。
とまあ、私の知性をアピールする為にそんな言葉を使ってみたけれど、入学から早いもので3ヶ月。私も大分学校生活に慣れ、シャーリーちゃん以外にも何人か仲の良い友達も出来、それなりに学園生活を謳歌している。
ただ、予想外のことがいくつか。
まず、ランドール兄弟とシャーリーちゃん。まあ、お互い興味ないくらいは仕方ないなって思ってたよ? 兄弟の方、性格がクソだし。おっといけない、今の私は美少女なんだった。クソとか言っちゃいけない。うん。
まあ、それを抜きにしても、兄弟とシャーリーちゃんは仲が悪い。そう、『悪い』のだ。
シャーリーちゃん曰く、「お兄さんの方はキャロンちゃんの悪口ばっかりで、弟さんもそれを見てるだけで止めもしない! 人としてどうかと思う、あの人達!」とのこと。……言ってることは最もだ。
ランドール兄に至っては、「何でキャロンはあんなうるさい平民女連れてんだ。」とか本人の目の前で言って来たので、とりあえずその場で平手打ちをお見舞いした。弟の方は、兄が平手されていても無反応だった。怖い。
まあそんなこんなで、ここまではいい。あのランドールの馬鹿共に、私は最初から期待などしていない。
問題はここからだ。
先月、基礎をざっくり終わらせ、いよいよ選択授業の選択があった。のだけれど、何とシャーリーちゃん、レイナード先生の受け持ち科目をひとっつも取らなかったのだ。
確かにシャーリーちゃんと一緒に居て、勉強を教え合ったりしている中で、レイナード先生の受け持ち科目はシャーリーちゃんの興味分野では無いな、と何となく思ってはいた。けれどまさか、ひとつも取らないなんて思わないじゃないか。
シャーリーちゃんに聞くと、「レイナード先生の担当の科目って、怖い人とかは選択し無さそうだから、キャロンちゃんと友達になれてなかったら希望してたかも!」と、そりゃあもういい笑顔で仰った。
確かにレイナード先生の担当科目って、こう、筆記とか実験ばっかりの、地味ぃな感じなんだよね。私もシャーリーちゃんも、出来るだけ実践で体を動かしていたい、ってタイプだから、シャーリーちゃんの考えてることは良く分かる。
でもまさか、ここでシャーリーちゃんと仲良くなったことが裏目に出ることになるとは思わなかった。やっぱりあの時、心を鬼にして手を振り払い、タカビーな感じで暴言をいくつか吐くのが正解だったのかも。でもそしたら、3年に渡る地獄の寮生活が……うう……。
そんな訳で、安全枠の4つ中3つは潰れてしまった。後は不法侵入のおにーさまに賭けるしかないのだ。ああ、神様仏様悪魔様! どうか、どうかシャーリーちゃんの心が王族や魔王に持って行かれませんように……!
「キャロンちゃん? ぼんやりして、どうしたの?」
心の中で切実な祈りを捧げていると、シャーリーちゃんが横からひょこっと顔を覗かせて来る。うっ、かわいい……。何故ランドール兄弟はこの魅力にぐらつかないんだ……何故……。
「ちょっと考え事をね。でも、本当にちょっとしたことだから、気にしないで?」
「あら、キャロンさんの考え事なんて、今日の食堂のメニューのことくらいではありませんの?」
「あ、セーラちゃん酷いんだー! キャロちゃんでももーちょっとマシなこと考えてるよねぇ?」
シャーリーちゃんの魅力の余韻に浸る間も無く、横から余計な茶々が入る。
2人はこの3ヶ月の間に仲良くなったお友達で、セーラとロザーリア。どっちも美少女。……いや、大事なことだと思うから、念の為ね。
セーラは『教会の子』って呼ばれる、まあ、早い話が孤児。けれど魔法の才能が見いだされていて、将来は教会で働くことが決まっているから、それなりに地位はあるみたい。聖母みたいな優しげーな顔してる癖に、結構な毒舌。
ロザーリア……ロザリーは、田舎の男爵家の令嬢。貴族と思えないくらいフランクな子で、本人自身、「ウチは貴族ってより、庶民寄りの名ばかり貴族って感じだから、気ぃ遣わなくっていいよー!」と初対面で言ってのけたくらいだ。
クラスでは基本的に、私、シャーリーちゃん、セーラ、ロザリーの4人で良くつるんでる。2人1組を作りなさいなんて言葉に、怯えることのない今の私だ。
大体授業が終わると、この4人で食堂へ向かい、歓談しつつごはんを食べて午後の授業がある教室へ向かう、というのがいつものパターン。
なんだけど、今日はいつもと勝手が違った。
「おい、ブス! 平民共ゾロゾロ連れて、邪魔なんだよ! 退け!」
ああ、いつものやつか。そう思って振り返ると、案の定、ランドールの兄の方。と、後ろの方に、存在感の殆ど無い弟の方。
この2人はどうも私の友人達と相性が悪く、毒舌だが穏やかなセーラに、あんなにフレンドリーなロザリーまで、刺々しい空気になって双子を睨み付けている。
私は呆れ返って溜息をひとつ吐き、口を開こうとしたその時、いつもとちょっと違うことが起きた。
シャーリーちゃんが私を守るようにずいっと前に出て、兄弟に食って掛かったのだ。
「て、訂正してください!」
「何をだよ。」
ランドール兄は、思わぬ反撃に不機嫌を隠さず声を荒立てた。その様子にビクッとしつつ、シャーリーちゃんは言葉を止めない。
「キャロンちゃんのこと、ブスとか言うのをです! 私、キャロンちゃんより綺麗な人って知りません! それに、もしそうでなくても、人に対して悪口をいうのは、真っ当な人のすることじゃありあせん!」
涙目で私をかばうシャーリーちゃんはかわいかった。じゃない。止めなきゃ。
そう思って私がシャーリーちゃんの肩に手を置こうとすると、その手をロザリーに捕まれる。反射的にロザリーの方を見ると、ロザリーはいつになく神妙な顔つきで、首を横に振った。
「これでいいんだよ、キャロちゃん。ブライアン、確かに言い過ぎだもん。キャロちゃんが優しいからって調子乗ってんだよ。ここらで一発、ガツンと言っとかなきゃ。」
その横で、セーラもうんうんと頷く。
「そうです、キャロンさん。優しくすることだけが相手の為ではありません。というより、友人を悪く言われ続けて怒らない人なんて居ませんわ。私もシャーリーさんに、全面的に同意見です。」
おお、ランドール兄の人望の無さに全米が泣いた。
でも、これ以上関係が悪化しても私が困るんだよなぁ……と改めて視線を戻すと、どうも、事の雲行きがどんどん怪しくなっている。
「も、もう私達に、キャロンちゃんに近付かないでください! 私の友達を悪く言わないで!」
「何でンなことをお前に決められなきゃなんねーんだよ!? キャロンがそう言えっつったのか!?」
「キャロンちゃんは優しい人です、そんなこと言いません! その優しさに甘えてるだけの人が、何を言ったって怖くなんて無いんだから!」
どんどんヒートアップする言い争いに、周囲が何だ何だと集まり始める。
口を挟めるような展開では無くなって、ハラハラと事の成り行きを見守っていると……最初に異変に気付いたのは、セーラだった。
「……? っ! キャロンさん、防護結界を! 早く!」
「えっ? ちょ、待……っ!?」
一瞬。
一瞬の出来事だった。
バチッと大きな……静電気の音を何倍、何十倍にしたような音が聞こえ、私は咄嗟に結界を張る。私の魔力は水の魔力で、守ることに特化しているのだ。
そして……。そうだ。最近、意識することは少なかったけれど。
シャーリーちゃんとライアンは、火の魔力を持っている。火の魔力は、浄化と、それから……破壊の力。
更に火の魔力は、扱いの難しさが際立って目立つ力なのだ。シャーリーちゃんもライアンも、魔法学校に入ってまだ3ヶ月。コントロールは完全じゃない。魔力は感情に呼応する。
2人の怒りに呼応して、大きな大きな炎の魔力が、爆発した。
- - -
その時のことは、ぼんやりとしか覚えていない。
あれからすぐに先生が駆けつけて来て、事情を聞かれた。幸い、セーラの補助魔法で強化された私の防護結界で、周囲の人達に被害は出なかった。
……周囲の人達には。
当事者で防護結界の範囲から僅かに外れてしまったシャーリーちゃんとライアンは、それぞれが軽い火傷を負った。シャーリーちゃんは腕に、ライアンは肩と頬に。
シャーリーちゃんは医務室で治療を受けた後、先生方の事情徴収を受け、謹慎、という形で現在寮室に戻っている。
……戻って来てからシャーリーちゃんは、ずっと泣いていた。
「キャロンちゃん、私、ごめんなさい……ごめんなさい……。私、また、迷惑かけちゃった……。ブライアンさんにも、酷い怪我を……っく、うえぇ……。」
「いいの、いいのよ。私、あなたに迷惑をかけられただなんて、一度だって思ったことないわ。私こそ、途中で止めてあげられなくて……あなた達を守り切れなくて、謝らないと……。」
あんまり泣かれるものだから、こちらまで泣きそうになってしまう。大丈夫、と繰り返すだけの言葉が、我ながら薄っぺらく感じて、……何と言って良いか自分でも分からなくなって、口を噤んだ。
「キャロン、ちゃんは……。最初に魔法が目覚めた時、って、どんな風だった……?」
長い、長い沈黙の後、俯いたまま、シャーリーちゃんはそう、呟くように私に問いかけた。
私は自分の瞳に溜まった涙をぬぐい、もう涙が零れて来ないよう、天井を仰いで、なるべく明るい声を作る。
「そうね、私の時は、面白かったわ。私の妹のクリスティナの話は、何度かしたと思うけれど。クリスティナと、私のすぐ上のリッキーお兄様がね、お庭で遊びをしていて。お兄様の蹴ったボールが、壁に立てかけてあった板に当たって、倒れた板に馬の移動をさせていた御者が蹴躓いて、その時馬の手綱を引っ張っちゃって、びっくりした馬が急に走り出して、馬を避けようとした庭師がため池に落っこちて、池の横で本を読んでいた私に水飛沫がかかろうとした時に目覚めたの。私にかかるはずだった水がぜーんぶリッキーお兄様の方向に飛んでって、事の主犯がびしょ濡れって訳。ね、面白いでしょう?」
何とかして空気を明るい方向へ持って行こうとしたけれど、どうも私のこの鉄板ネタも、この沈黙には敵わないらしい。呆気なく撃沈する。
途方に暮れた気持ちで、泣いている子供をあやすように、隣のシャーリーちゃんの背中をぽん、ぽん、と叩いていると、やっと、シャーリーちゃんが再び口を開いた。
「私の……私の、時は……。酷かったんです。台所で、かまどに火を入れようとした時……擦ったマッチが、いきなり、爆発するみたいに……炎上して……。家も半分くらい燃えて……お母さんが、私をかばって、酷い火傷を……。」
……。
私は何も言わず……何も言えず、ただ、シャーリーちゃんの背中を撫で続けるしか出来なかった。話は続く。
「もう、二度とそんなことが無いようにって、私、ここに来たのに……。なのに、また、こんな……! キャロンちゃん、私、どうしよう。どうしよう! 貴族様に……人に、また、怪我をさせちゃった! 私、どうすればいい!? どうしよう、キャロンちゃん……私、怖いよぉ……。」
泣き出すシャーリーちゃんを、私は抱きしめ、精一杯の言葉をかける。
「大丈夫、平気よ。あのことはライアンが全面的に悪かったし、止めなかった私にも責任があるわ。それに、あの子のお父様とは私仲が良いもの。あなたを処罰させたりなんて、しないわ、決して……!」
「違うの。違うの、キャロンちゃん。私……人の言葉が信じられなくなるの。それが、怖いの……! あの、最初の事故の後も、お母さんは変わらず、私を愛してるって言ってくれた。お父さんも、私に怪我が無くて良かったって……。でも、本当は、私なんて居なきゃよかったって、居なくなればいいのにって思われてそうで、怖いの……! キャロンちゃんや、セーラちゃんや、ロザリーちゃんにも、そう思われてるかもって……。私だって、もう繰り返さないって誓ったのに……自分のことも信じられないの! 怖いよ、怖い……助けて、キャロンちゃん……。怖いよぉ……。」
静かにすすり泣く声を聞きながら、私は心のどこかで、すとん、と腑に落ちたのだ。
この子は……シャーリーちゃんは、昔の私と一緒だ。
私がキャロンになる前のあの頃。母に、どんなに愛していると言われても。クラスメイトに、嫌いじゃないんだと弁解されても。私はその言葉を、心の底から信じ切ることが出来なかった。
いつだって、自分には居場所なんてない気がしていた。誰もが私を疎んでいて、世界から私と言う異分子が除かれれば、何もかも上手く行くんじゃないかと夢想した。
私の存在が……大切な誰もを苦しめるのだと、本気で、思ってたんだ。
でも、でも。
今なら分かる。言える。昔の私にも、シャーリーちゃんにも。
胸を張って。
「そんなこと、ない……!」
分かるんだ。今、分かったんだ。
逆の立場になって、ようやく、分かった。
「私はずっと、何があっても、シャーリーが好き! 迷惑だなんて思わないし、シャーリーにかけられる迷惑なら、全部許すわ! あなたのご両親も同じ気持ちよ! あなたも必ず、信じられる日が来るわ……!」
「ねえ、それは、いつ……? 何で、そんなことが言えるの……?」
「何でもよ! だって私、知ってるもの! あなただって分かる時が来るわ! あなたが誰かを愛して、結婚して、子供が生まれて……その子に無償の愛を、無限の愛を感じる時、あなただって必ず、自分の親の愛を信じられるようになるわ……!」
「そんなの、遠いよ……。遠すぎる……。」
「それでもいつか、必ず来るのよ! だから、それまで……暫定でいいから、私を信じて……!」
「キャロンちゃん……。キャロンちゃんは優し過ぎるんだよ……。私なんて、見捨てていいんだよ……。」
見捨てない! そう叫ぼうとした、丁度そのタイミングで、勢いよく部屋の扉が開いた。
待って。鍵、掛けた……っけ? まあいいや。
「シャーリーちゃん、大丈夫!?」
「シャーリーさん、お見舞いに来ましたわ!」
ノックも無く扉を開け、無遠慮に中に入って来たのは、セーラとロザリーの2人だった。
まだ制服で、ひょっとしたら、あれからずっと、自室で待っていてくれたのかも知れない。私もシャーリーが戻るのを待つ間、気が気じゃなくて、着替えるなんて思いも付かなかったし。
「シャーリーちゃん、腕! 痛そうだよ、ちょっと治療しとこうか?」
「だ、大丈夫。魔法治療は先生にもしてもらって、今はそこまで痛くないの。」
突然の乱入に涙も引っ込んだのか、シャーリーちゃんが慌ててそう言う。ロザリーは木の魔力を持っていて、治癒に特化しているから、自分に出来ることを、と思ったんだろう。
その横でセーラが、バサッと大荷物を解く。中は……全部、紙。いや、多分、何かの書類だ。
「大丈夫ですわ、シャーリーさん! 万が一、この件が裁かれることになっても、魔法事件の起訴は必ず協会を通して行われますから、貴族の独裁ではい処刑、とはなりません! 幸い今回は証人も多いですし、そもそも先に仕掛けて来たのは向こうです! 私も教会の関係者に話をしてみますし、過去の事件の資料を洗ってみても、魔法学校に在学中の際の不慮の事故であれば無罪判決が出る割合の方が高いんですの! だから安心して下さいね!」
「ほら、この資料をご覧になって!」なんて、気遣いのベクトルのおかしい気の遣い方をするのがセーラなのだ。私はシャーリーちゃんと顔を見合わせ、お互い、ちょっと笑った。
「うん、ありがとう、セーラちゃん、ロザリーちゃん。キャロンちゃんも……私、ちょっとだけ、信じられそうだよ。」
シャーリーちゃんがそう言うと、ロザリーは頭にハテナマークを浮かべ、セーラは資料を片手に自信たっぷりに胸を張り、私は……ちょっとだけ、救われた気分だった。
- - -
翌日。タイミングの良いことに授業は休みなので、私はバスケットにパンとローズジャム、それからアップルジュースを詰めて、ある部屋を訪れた。
ノックをし、許可が出たので、その部屋の扉をゆっくり開く。
その部屋の住人は、私の顔を見るなり、驚愕の表情で叫んだ。
「おま、キャロン! 男子寮は女子禁制だろ、何で居るんだよ!?」
思ったよりけろりとしてんな。そう思ったけれど、彼、ライアンの頬には、大きなガーゼが貼られている。
私はライアンの言葉を気にせず、「お見舞いって言ったら、寮長さんが入れてくれたの。とりあえず入るわね。」と告げると、そのまま部屋に入って椅子に腰かける。令嬢としては失格な態度だけれど、まあ、こいつとは長い付き合いだ。大目に見てくれるだろう。
「私が何を言いに来たか、分かるわね? ライアン。」
すっと目を細めて告げると、ライアンがばつが悪そうに目を逸らす。ライアンは昔から、静かに怒られることか、あるいは叱られない事が何より堪える子供だった。
長い沈黙に、私は促すようにもう一度、彼の名前を呼んだ。
「ライアン?」
なお、沈黙。
私は少し嘆息し……嘆息よりは、苦笑いに近いかもしれない。年の離れた弟の面倒でも見ているみたいだ。出来るだけ柔らかい口調で、ライアンに問いかけた。
「ねえ、ライアン。私があなたを最初に叱った時の事、覚えているかしら。」
「……覚えてる。っつーか、結構最近だし……。」
小さく愚痴でも言うように答えたライアンに、私は話を続ける。
「その時、私がどうして怒ったかは、ちゃんと分かっているわよね?」
「………分かってる………。」
「じゃあ、どうしてまた、同じことをしたの?」
そう聞くと、ライアンはまた黙り込む。
そして……長い沈黙を置いて、また、口を開いた。
「……同じじゃない。」
「あら。何故、そう思うの?」
「今回は、お前の友達の事、悪く言って無いだろ! なのに何でまた、お前が叱りに来るんだよ、キャロン!」
こうなったライアンは、まるで追い詰められた野生動物だ。攻撃的な目でこちらを見るライアンに、私は、やっぱりそこから説明しないとだめか、と嘆息した。小さい頃、少し甘やかし過ぎたかしら、なんて母親みたいなことを考えてしまう。
「あなたが、私の、お友達のお友達を侮辱したからよ、ライアン。」
「友達の友達?」
「そう。私は確かに、私が何と言われようと構わないし気にしないわ。けれど、お友達が悪く言われることは我慢ならないの。だからあの時、あなたの頬を打ったのよ。あなただって、クリムを悪く言われたら怒るでしょう? それと同じ……。ここまでは、いいわね?」
ライアンが小さく頷いたのを確認して、話を次に進める。
「私にとってのシャーリーがそうであるように、シャーリーにとって、私はお友達なの。私を侮辱することで、あなたは同時に、シャーリーのお友達も侮辱したのよ。だからあんなことが起きて、今、あなたはまた、私に叱られているの。」
俯いたライアンは何やら反論の言葉を探しているように見えたが、何度か口をもごもごと動かした後、結局黙ってしまう。
……この辺りが潮時だ。これ以上は、ライアンを更に頑なにするだけだろう。
「……まあ、いいわ。あなたが女の子を泣かせてそのままにしておくような人だなんて、私、思ってないもの。今回はちょっと、お友達の仕返しをしに来ただけだから……もうお暇するわね。バスケットの中、お見舞いだから、クリムと食べて。では、ご機嫌よう。」
私は席を立ち、淑女らしく優雅に一礼をすると、無言のライアンをそのままに部屋を出た。あいつとは本当に長い付き合いなのだ。こういうプレッシャーのかけ方が最も効率的だってことも、ちゃんと知ってる。時間はかかるかも知れないけれど……ま、ちゃんと反省はしてくれるだろう。うん、信じてるぞ、ライアン。
扉を閉めて視線を上げると、そこにはクリムが立っていた。
いきなり過ぎて怖いし、気配も一切無かったんだけど。クリムがどこを目指しているのか分からない。超怖い。
しかし私は美少女なのだ。不測の事態にも慌てない、怯えない、騒がないの『あおさ』をモットーに、可憐かつ優雅な微笑みであいさつを交わす。ちなみにあおさとは、食用の海藻の一種だ。お味噌汁に入れると美味しい。
クリムはそんな私のパーフェクト美少女スマイルにも眉一つ動かさず、思わず「お前の目的は何だ」と尋問したくなるような長い沈黙を経て、口を開いた。
「キャロン……ありがとうな。」
……すっげー久しぶりに、クリムの声を聞いた気がした。
おっと違う、論点はそこじゃない。
とにかく、クリムのこの感謝が何に対するものなのかは分かっているので、私はわざとらしく呆れ顔を作って、ちょっと皮肉っぽく言ってみる。
「本当はこういうの、身内の仕事なんだからね?」
「分かってる。だから……ありがとう、キャロン。」
兄が兄なら弟も弟だ。この兄弟は極端に、言葉が足りない。
私はもう慣れたもので、苦笑をしてその場を辞すると、最後に少しだけ、クリムが唇の端で微笑んだ気がした。……本当に、分かりにくい兄弟だ。
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後日。まあ、あの馬鹿も馬鹿なりに反省したようで、シャーリーちゃんとは何やかんや和解した。
シャーリーちゃんはもちろん、ライアンについても、今回のことは事故ということで厳重注意で終わり、結局何事もなかったみたいに、私達の日常は続いていく。
あの時、悪魔様に転生を願った私の判断が正しかったのか、今となっては自信が無い。
けれど、あの時それを願わなければ、私はこんな単純なことに気付くこともなく、ただ漠然と過ごしていたと思うから。結局、何が正しいとか、正しくないとか、そういう話じゃないんだ。きっと。
私はあの時、確かに正しいと思える選択をして、その選択で、今の私がある。
だからまあ、何ていうか……。
悪魔様。
もうちょっとの間、気長に、私達を見守っていてください。
少なくとも、私は今、あなたのおかげで、幸せです。