『凛として』
四季があり、豊かな自然に恵まれた日本だからこそ
感性が育まれ、
その美意識が繁栄されたのでしょう。
歌舞伎の始祖として知られる出雲阿国は、
1603(慶長八)年、
京の都、四条大橋のたもと辺りを中心に、
伊達男のような装いで『念仏をどり』を興行し一世を風靡したと云います。
(諸説あり)
これが今へと続く歌舞伎の始まりとされ、
阿国の墓前には『阿国の塔』が、歌舞伎役者有志にて建立され、
阿国の像は、京都南座の目の前で、今も、
右手に扇子を持ち、左手で刀を肩にかつぎ、腰には瓢箪をつけてポーズを決めている。
関ケ原の合戦が終わったばかりの戦乱で
すさんだ人々の心に一閃の光を差したように………。
凛として 歌舞に酔わせん 阿国節
降格覚悟、 手拍子 閻魔
詩織♪
男装というスタイルが斬新だった阿国をまねて、
その芝居やファッション、髪型などが遊女たちに流行し、
和装を華やかに演出する装身具や
肌や髪を美しく見せる化粧品や化粧道具も
全国に広まっていったという。
人と違う異様な格好をすることを
歌舞く「傾く」というが、発祥は阿国かもしれない。
配うは 母の形見の 赤い櫛
後ろ姿に 彩り添えて
詩織♪
因みに、櫛(苦・死)はその語呂から不吉なものとされ
道に落ちている櫛を拾うと、
前の持ち主の[因縁]を受け継ぐとされ
あまり縁起のいいものではないとされているが、
古事記や日本書紀には、
伊弉諾尊が黄泉の国で、
伊弉冉尊によって放たれた追っ手から逃げるときに、
櫛の歯を折って投げたことで、追っ手を防いだという話が載っています。
櫛名田比売もその名前に櫛が入っており、
素戔嗚尊が八岐大蛇から櫛名田比売を守るために、
その姿を櫛に変えて自分の髪に挿したという話もあります。
それでも、ちょっと怖いと思う方は、
櫛を拾う時は、踏んで拾うと良いとされています。
植物文様は着物に多く使われています。
その昔から、めぐりゆく季節の喜びを身に纏うことで
自然を生活の中にも取り入れ 愛でたのでしょうか、
春は桜、夏は撫子、秋は菊、冬は松と………