名前
いつものように、日課のように、夏休みの子供達が行うラジオ体操のように、自然に。当たり前に。
リンゴを2つ頂戴した。
これと言って、何かを感じるでもなく。
強いて何かの感情を挙げるとするならば、俺の心の内はこうだ。
「あそこの路商人、ってかあの通りの路商店全部あれだな。警備がゆるゆるだわ」
まあ、こんなところだ。
盗まれて怒るくらいならば、盗まれないように警戒しろってんだ。
どうせ、密輸入品だろうに。
この街、あー、名前なんだっけ?
…分からないからスラム街で通すけれど、このスラム街に商品を合法で持ち込むとなると、かなりのマネーが取られるんだ。
なんか恥ずかしいから、言い直すけれどかなりの金が吸い取られるんだ。
税金として。
だから、この街にある商品は基本的に密輸入で持ち込んだものなのだ。
おいおいそれは犯罪じゃないのか、って疑問に思うのも当然だろうけど、考えてほしい。
車の法廷速度をきっちりと守っていないのではないだろうか?それとおんなじだと思ってくれていい。
まあ、俺が住んでいるここは、車なんて誰一人として持っちゃいないけれど。
貧乏な街なんだ。
本当に。
飽き飽きするほど。
呆れるほど。
人一人の生活だけでもままならないほど。
ましてや、犬を飼おうなんて思いもしないほど。
犬を飼えるのなんて、ほんの一握りの金持ちだけだ。この街の金持ちなんざ、ロクな奴がいないのだろうが。
だからいちいちリンゴを2つ盗める俺はなかなかに生活水準が高いと言える。
まっとうに暮らせば、暮らすほど生活が苦しくなる。おかしな話だが、この腐った街だからこそ、笑えない話になる。
俺のリンゴの1つは、犬っコロにあげるわけだけど。その為にわざわざ2つ盗んだんだけど、そこら辺の気苦労がこの犬ッコロに伝わってる筈もなく。
「ハッ、ハッ、ハッ!」
息を荒くして、リンゴを待つ。
あーあー、やるから。そんなに慌てんなって!
ほら!尻尾振るな、鬱陶しいわ。そんなにはげしく振ったら尻尾取れるぞ?
なんて、甲斐甲斐しく世話をするのにも慣れたある朝の日差しを浴びたとき。
「こいつの名前、考えてやらなきゃな」
別にこの犬を飼っている訳ではないので、考えてやる必要もないのだけれど、ふとそう思った。
*************
明けない夜はない。
止まない雨はない。
果たして本当にそうだろうか?
いやもし、本当にそうだとして。
なら、いつ。
いつ、この俺の中にある夜は。闇は。明けてくれるのだろうか?太陽はいつ俺を照らしてくれるのだろう。俺の中にずっとある、後悔の涙は。雨は。いつ止んでくれるのだろう。虹はいつになったら架かってくれるのだろう。
それはきっと、いつでもなく。待っていても永遠にこないのだと悟る。手を伸ばせば届くのに、手を伸ばさない。
それがあの罪の償いだと俺が勝手に思っているから。この罪悪感を手放さない。
こんな事が何にもならない事は、まあ分かってはいるが。だからと言って、はいそうですか、ってなるものでもない。
俺が犯した罪は、俺だけのもので。
誰のものでもないから。
俺がそれを一生覚えていればいい。
あの日、あの時に知った。
命の重さを。
その命を簡単に奪えることを。
自分の愚かさを。
知った。
人だろうと犬だろうと、重い命を。
*************
「ポチ」
犬っコロは、無視を決め込む。
「ペス」
一瞬こっちを振り向いた気がしたが、気のせいのようだ。むしろ少し機嫌が悪そうだ。
「タマ」
は、猫の名前だったか?
ん〜、イマイチいい名前が思い付かない。
と言うよりそもそもの話、名前を付ける必要性は全く持ってないのだけど…だって俺、飼い主じゃないし。
けれど、これから名前が無かったら不便なので、形式上の名前を付けておこうと思いたったのだ。
「じゃあなんなら良いんだよ、ワガママな犬め」
「グルルル…」
「分かった!怒んなって!どうどうどうどう…落ち着け、な?ほら、俺のリンゴもやるから」
犬と言っても、子犬なのでデカくない。から、怯える必要もないのだが、なんとなく…ノリで?
しかし、まいった。
名前を考えるのがこんなにもむずかしいとは。
小一時間程度、頭を捻って考えたが何も思い浮かばない。悪かったな、頭の引き出しが少なくて。
「もうなんでもいいや、お前今日からサンな」
3本足だから。我ながらなんの捻りもなく残念な頭だが、ないよりはマシだ。
「ワン!」
あれ?意外に気に入った?
「サン」
「ワンワン!」
思いの外、お気に召したようなので決定だ。
「なあサン」
「クゥン?」
「やっぱ、さっきのリンゴ返して。腹減った」
プイ、と。そっぽを向きやがった。
どうやら食い意地は相当なものみたいだ。
それはともかくとして。
名前を付けたからには、一応俺が飼い主になるのかな?まあ今更って気もしなくもないけど。
「なあサン」
「クゥン?」
今度は何、かな?俺の予想としては。
「よろしくな」
何事も形からだ。
サンに言葉が通じるのかは定かではないが、さっきのやり取りが出来るところを見ると、ある程度は通じるのだろう。
「ワン!」
そう返事をしたサンは。
名前に相応しく。
太陽のように眩しく。
まるで俺を照らすかのように。
笑った。
ような気がした。
やっと…やっと本題に入れそうです。