学園の日常/雪夜 真広
どくんっ
なんだ、今のは。
「どうしたの?雪夜くん」
「いや、なんでもない」
「ほんとーに?」
「ああ、本当本当」
上目使いで見上げてくる小動物のような女子に生返事をしつつ、俺はスマホのオンライン将棋アプリで一手をうつ。
やはり桂馬は使いやすい。
障害物を全て無視できるところが特に。
「真広~」
「何?」
「今日の放課後カラオケ行かない?」
「ちょっとー、雪夜くんはほたると話してるの。野淵くんはあっちいってて」
「なあ行こうぜ真広」
「無視すなー」
姫神 蛍。
なぜか俺になついている小動物のような女子。
そして男子の方が、野淵 優都。
短髪で爽やかな男子。
クラスの男子の中心だ。
「ふふふ」
対戦相手がうまくこっちの誘導にひっかかってくれている。
相手の持ち駒は、飛車、角、金×2、銀×3。
こっちの持ち駒は、桂馬だけ。
だけど、次の一手、桂馬をうつだけで、こっちの勝ちだ。
『you win』
王のまわりをがっちがちに固めすぎだ、臆病者め。
だから、桂馬をうっただけですぐにやられる。
「真広、聞いてくれよ。俺、昨日な………」
そこで野淵は紅くなり、ちらちらと奥の席の女子を見る。
「昨日な……やっとな……桜さんと……」
はてさて、どこまで進展したのやら、彼らの関係は。
「やっと……手を繋いだんだ!」
「…………」
「あれ?どうした?」
「大きな……進歩だな」
うん。ヨカッタネ。
一応、彼と黒橋 桜は付き合っている。
だが、俺には黒橋が野淵を好きなようには全く思えないのだが、気のせいだろうか。
他の人との扱いが見受けられないのは、果たして目の錯覚であろうか。
野淵が黒橋にぞっこんなのは分かるが。
見ていて悲しい位、二人の温度に差がある………ように俺には見える。
他の人に聞いても、特に普通じゃない?と言われたので気のせいなのかもしれないが。
姫神は、笑いをこらえている。
「……ぶふっ」
……こらえ、きれなかったか。
「はあぁぁん、俺死んじゃうかも~」
ギャグの域だぞ。恋人なのに手をつなぐだけでこの喜びよう。彼の愛の深さを称えるべきか、黒橋の恋人への冷たさに戦慄すべきか。いずれにせよ、本当にそれでいいのか野淵よ。
「雪夜くん!今日もほたるのお弁当あげるね!今朝作りすぎちゃって!」
俺の意識が野淵に向きすぎていたせいか、やや大声で姫神が弁当を差し出してくる。
可愛らしい弁当箱だ。
ぱく
うん。おいしい。
……なんか、男子達の視線がやけに怖いけど、気のせいだろう。
女子達もやけに姫神を睨んでいる気がするが、まあ気のせいだろう。
▲▼▲▼
今日は掃除当番だった。
放課後に残って掃除をしなければいけない。
面倒くさいけど、もともと少ない人数なのにさらに減ると大変なので、ちゃんとこなす。
「雪夜くん偉いよね。男子はいつもさぼるのに」
「………いや、普通でしょ」
面と向かって偉いとか言われると、なんというか、その、反応に困る。
残っているのは俺以外は皆女子だ。
これはあれか?ハーレムというやつか?
いや、少し違うか。
「雪夜くんは部活とかないの?」
「ないよ」
「どうして部活入らないの?」
「いや、どうしてと言われても……特に入る理由がないから、かな」
「もったいないなー。雪夜くん運動神経良さそうなのに」
このひょろひょろの体のどこがだ?
「手足長いし」
ああ、そういうことか。
まあ、実際運動神経良いけど。
「じゃあ私部活だから、じゃあね」
「ばいばい、雪夜くん」
「またねー」
女子達が去っていく。
ふとポケットに入っているスマホが震動した。
ロックを解除し、ラインを見る。
『いつものカラオケでまってるゼ!』
野淵だった。
『了解だゼ!』
まあ暇だし、いくことにした。
野淵は帰宅部だから、ちょくちょく俺を誘ってくる。
彼女でも誘えば良いのに。
がらがら
教室の扉が開いた。
件の彼女がいた。
「雪夜くん、まだいたんだ」
「掃除当番だったからね」
「そう」
黒橋はすたすた歩いて自席の鞄を取り、帰っていく。
考えてみれば、黒橋と二人きりになることは、今までなかった。
何を話せばいいのか分からない。
この無言の時間は、少しつらい。
「質問いい?」
「ああ、いいよ」
黒橋は、扉の前で止まって振り返った。
いつもの眠たそうな目を向けてくる。
やっぱり、黒橋ってとんでもなく綺麗だよな。
肌とか真っ白だし。
少し見とれていると、つやつやの唇が動いた。
「雪夜くんは、どうして誰とも仲良くしないの?」
一瞬、呼吸が止まった。
………何を、見当違いな質問をしているんだ。
「俺はいろんな人と仲良くしているじゃないか」
「ええ、いろんな人と仲良くしておきながら、誰とも仲良くない」
「ははは、訳分かんないぞ」
口の中がからっからだ。
俺の交友関係は並一般であり、俺は決してぼっちではない。
だから、こんな戯れ言、笑い飛ばせばいいんだ。
「ははは」
何故か、笑顔がひきつる。
こんな心臓のばくばくを一方的に与えてきやがって。
今度はこっちの質問だ。
「こっちからも質問いいか?」
「どうぞ」
今まで疑問に思っていたいたことを、直に聴いてみる。
「黒橋はどうして好きでもないやつと付き合っているんだ?」
今度は黒橋が目を見開いた。
だけどすぐにまた、何もなかったかのように、ポーカーフェイスに戻る。
「………なんの、こと?」
動揺していることが、声の震えでバレバレだ。
まあ、教えるつもりがないなら別にいい。
ただ仕返しをしたかっただけだからな。
「なんのことか、分からない。それじゃあ」
黒橋は行ってしまった。
そろそろ俺も行くか。
野淵が待ってるし。
▲▼▲▼
喉がオワタ。
ちゃんと明日には治っているか心配だ。
今日は早めに寝よう。
「ど、ぞのまえに」
と、その前に、と言おうとしたのだが……なんという声帯の悪戯。あまりに頼りすぎて、少々機嫌を損ねてしまったらしい。照れ屋さんめ。
気晴らしだ。チェスと将棋を二回ずつやってから寝よう。
▲▼▲▼
「きゃ~遅刻遅刻~」
朝から奇妙なものに出くわした。
女子高生が、パンを咥えてとてとて走っている。
……なんか、関わってはいけない匂いがする。
まあ大丈夫だろう。俺は思いっきり左によってて、例の女子高生は右端を通り、今俺を追い越したとこだ。
どう間違っても俺との接触はない。
ふう、安心した。
「きゃ~遅刻遅刻~」
………なん、だと。
直角に曲がって俺の方にとてとて走ってきやがった!
俺は全力疾走でそこから離れる。
ふん、クラスで2番目に足の速い俺にかかれば、こんなおかしなフラグはぽっきぽきに折ってやれるのだ。
イケメンで頭も良くて運動神経も良いって誰その完璧超人?
あ、俺でした。あははは
「きゃ~遅刻遅刻~」
ドドドドドッ
………あははは
「遅刻遅刻~」
ドドドドドッ
………あはは、は
「遅刻遅刻~」
ドドドドドッ
………はは
現実逃避してる場合じゃねー!!
速い!
女子高生、くっそ速い!
みるみる差が縮まっていく。
こうなったら、仕方がない。
「はっ!」
俺は電柱に体を地面と平行にして足をつけ、全身をバネにして、約60度の角度をつけ蹴り上がる。
そしてそのままぐにゃぐにゃと曲がりながら疾風のように駆け抜ける。
「きゃ~遅刻遅刻~」
女子高生も俺と同じように電柱を使って角度を変え、俺の走った軌跡を辿るようにぐにゃぐにゃと走ってくる。
ドンッ!
女子高生が上体を地面すれすれにまでもってきて、もの凄い加速をした。
まさに電光。
怖い怖い怖い!
なにあいつ!
てかパン咥えながらどうやってしゃべってんの?!
「遅刻遅刻~」
は、速すぎる!
うわーー!!やだーーー!!
俺はどこで間違えたんだーー!!
ドンッ!!
女子高生は俺の背中に顔面から突っ込んできた。
そのまま地面に倒れそうなところを、後ろから女子高生が手を回してきて、俺の腰を抱き締めてきたことで、なんとか倒れずにすんだ。いやだー、変なフラグ立ったー。
「きゃっ、ごめんね、てへっ」
女子高生は右手を丸めて自分の頭をこつんと叩いた。
そして上目遣いで見上げてくる。
「ごめんね!私の不注意で!」
……ちょっとなに言ってるか分からない。
この場合は一般的な紳士の対応か、もしくは一風変わった変態の対応でフラグを折りにかかるか。あえての後者。
「君のパンツは何色だい?(低)」
嬉しい誤算。昨日のカラオケのせいで声がしんでる。
ははは、フラグなど消し飛んだも同然だ。
「……声が渋かっこいい!」
どうあっても俺への高感度を下げないつもりか。
「黒だよ!」
「……なん、だと」
………こやつ、手強い!
ここで普通に答える女子など、まともな女子ではない。いや知っていたが。
それにしても黒はいい。まさに広大に広がる宇宙の神秘。その白い脚とのコントラストを想像す……ごほん、失礼。少々前頭葉が暴走してしまった。
「こんな出会い方するなんて、運命だね!」
運命であってたまるか!
絶対意図的だろ!
答えない俺を見て、女子高生が目をうるうるさせる。
「ご、ごめんね」
うっ、くそ、可愛いな。
顔だけは可愛いんだよな。
この謎の生物。
………まあともかく、こんなおかしなフラグは、折るに越したことはない。
「実は俺、彼女がいるんだ。だから、あまり俺に話しかけないでくれるかな?見られると誤解されちゃうから」
……ポキポキっと
「そうだったんだ~。ごめんね~」
それきり、あの生物はついてこなかった。
真広が去り、少女は一人立ち尽くす。
先程までの笑顔は消え失せ、瞳孔は開き、光を映さない、闇のような眼はどこか虚空を見ている。
「嘘……だよね?まひろ」
そして右手に持っている手帳らしきものをおもむろに顔に近づける。
「すぅぅぅぅ~~~、はぁぁぁぁぁぁ~~」
まるで麻薬中毒者のようにその匂いを濃密に嗅ぎながら、少女はふらふらと歩き出す。
「あれ?」
「どうした真広?」
「俺の生徒手帳がない」
「どこかに落としたか?」
「………絶対あの時だ」