少年と師匠と女王
師匠であるレイドが龍竜切りを披露している隣でアイリはジャガ芋の皮を丁寧に剥いていた。
「今夜はカレーか。」
「なんだいシケた面して剥いてちゃ、ジャガ芋が不味くなるだろう。」
龍竜切りの獲物だった物体で鍋をいっぱいにしたレイドがアイリの顔を覗き込んできた。
「あっあの、師匠は、オレが、そのぉ。」
「ハッキリしない子だねぇ、お前が隊長になるって話しだろう?」
「…はい。」
「嫌なら良いんだよ、逃げ出しても。ミケ様なら許すさ。彼女はお前に甘いからね。お前が昔、剣の稽古を嫌がって逃げ出した時、怒るアタシに対して、アイリは私が守るから嫌なら剣なんて覚えなくても良いんだ、と女王はお前を背に庇って言って来た。あの頃から二人共、ちっとも変わってない。」
「師匠。隊長として、オレには国や城を守りきれる自信が無いんです。オレなんかより剣に優れ、強い人は沢山居るのに。」
剥き終わったジャガ芋をレイドの芸術品がぶち込まれた鍋に一緒に入れる。
「それでもミケ様はアイリを選んだんだろう。師匠のアタシですらサッパリわからんがね。彼女も焦ってんのかねぇ。近々嫁入りするらしいし。」
「嫁入り!?」
アイリは危うく洗っていた包丁を足の上に落としそうになった。
「聞いて無かったのかい?ベリーブール国の王に輿入れが決まったんだよ。半年前に使者が来てね。いつ見初められたんだか。それともこの国に眠る鉱石が目的か。そういえば研ぎ石何処だったっけ。」
この国の名物である鉱石の一部で造られた研ぎ石を探すレイドにアイリは棚から見付けた研ぎ石を渡す。
「おお、それだ、ありがとよ。これで研いだ刃物は切れ味が全然違うし長持ちするからね。」
「女王様は相手の方に惚れてるんですか?」
「そんな訳ないだろう。ベリーブールの先代の王、つまりジェロムの父はね、刃向かう者はその国ごと滅ぼし、火の海にする事で有名だった男。その血を受け継いでいる息子がまとも奴な訳無いだろ。父王を葬り、兄弟との内乱も絶え無いという噂もある。ミケ様はね、守る為に嫁ぐんだよ。嫁いだら城どころか国にすら滅多に帰って来れなくなるだろうけど、下手な事をしない限り、なんぼ冷血漢でも嫁の国を滅ぼすような真似はしないと踏んでね。」
「嫌だ!師匠は何でそんなに冷静なんですか?止めようとは思わないんですか!?」
「今から騒いだって仕方ないさ。」
「そんな…。」
やるなら当日に相手のジェロムを袋叩きさね。というレイドの呟きはグツグツと煮える鍋の音と研ぎ澄まされて不穏な輝きを放つ包丁の中へ吸い込まれて行った。
この城では身分に関係無く、警備に当たる者以外は同じテーブルに着き、同じ食事を共にする決まりがある。
始めは幼い頃に両親を無くし、一人寂しく食事しているミケを見兼ねたレイドの提案だったらしい。
「皆、食事をしながらで良いから聞いてくれ。明後日の夕方、ベリーブール国の王、ジェロムが私を娶りに来る。皆には世話になった。勿論、この国や城を夫となるジェロムの好きにさせるつもりは無い。私がこの国の女王である事に変わりは無いが私は滅多にこの城に帰って来れなくなるだろう。だから、現隊長にアイリを任命し、レイドには補佐を頼む。」
ざわめきが巻き起こる。動揺のあまりカレーを気管に詰まらせる者も居る。
「随分と急だね。」
「そうだな。内輪の事情があるんだろう。」
「納得がいきません!」
「何がだい、ミリオン。」
鍛え上げられた長身の男、ミリオンはスプーンを握ったまま拳をテーブルに打ち付けて抗議に身を乗り出す。
「悪名高い国への女王陛下の嫁入りも断固否定させて頂きたいですが、何より、碌に剣も扱えない奴が隊長などとっ、我々の命を預けられません!」
「黙れミリオン。ミケ様が英断なさった事に口出しするな。」
「ですが、レイド隊長はそれで良いんですか?」
「隊長と呼ぶな。アタシはもう隊長じゃない。」
それっきりレイドはミリオンを射抜くように向けていた眼光を伏せ、口を噤んだ。
「お前はどうなんだよ。アイリ。俺達の先頭に立って敵を己の剣で切り伏せて行ける自信があるのか?」
「オレは…ミケ陛下に嫁いで欲しくない。」「お前っ、俺の質問聞いてたのかよ!?」
アイリは席を立ってミケの側に行き跪き、しっかりと目を合わせ静かな口調でミケに語りかける。
「ミケ陛下。オレは、炎が燃え移るように沢山の犠牲が出るから争いになるのは勿論嫌だけど、だからって貴女が人質みたいにジェロムの元へ嫁ぐのは戦火に飛び込むようなものです。火傷どころか生きて帰れるかすらわからないんですよ。」
「大丈夫だ。もしそうなったとしても、お前達を守れるのなら、私に悔いは無い。」
「どうして…。」
ミケの言葉と合わせた眼差しに、誰が何を言っても崩れない決意とアイリ達を守る為なら己に降り懸かるどんな厄災も受け止める覚悟を見て取り、届かぬものに必死に手を伸ばす切なさを覚え、胸から広がる痛みで声が掠れる。
「この傷に誓ったからな。」
微笑んでスカートの裾を捲った先に有ったのは絹より美しい太股に走る、どんな染料より鮮烈な一筋の赤い線。
生涯消える事の無い、二人を結び付けた約束の明かし。
アイリは今、その傷痕を付けた過ちを心底憎み、何も言えない自分をもどかしく思い、唇を噛んだ。
床に滴った赤は、彼女のものとは違うのに、あの日絡めた赤と同じに見えた。
読んで下さりありがとうございました。
スローペースですが、まだ続きます。
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