女王様と少年と傷痕
少々、血表現とかあり。
連載を試してみたくて載せてみました。
落下したランタンの炎が、静かに浸蝕し始めた家に軍靴の足音が近付いて来る。
泣きながら両親の遺体に縋っていた少年に、隠れ場所などは無く。
在るのは家具の役目を果たしていたガラクタの残骸と、温もりは失われ冷え切った骸が数体のみ。
死体に刺さり血に濡れた剣を取るのは躊躇われた少年は、残骸の中から鈍く光るナイフを見付け、手に取った。
赤い液体の中に横たわる両親と、争った末に倒された敵国の略奪者が視界の端に映る。
己がそうなるかも知れない怯えから来る震えで、構えたナイフの切っ先も定まらない。
少年の家の前で靴音が止まる。
音の持ち主が略奪者に壊され半開きになった扉を蹴り開け入って来た途端、少年は駆け出しナイフを振り下ろした。
腹を目掛けた筈が、逸れて太股に突き刺さる。
侵入者は刺さるナイフを気に止めず、ナイフを震える手で握り締めたまま固まっている少年を抱き寄せた。
「……ッ。」
驚きに身じろいだ少年を離さず、
「すまない。私がもっと早く戦いを終結させられていれば、敵を国に侵攻させる事も無く、君に両親を失わせずに済んだ。本当に…すまない。」
後悔の念で掠れた声で謝罪を述べたのは、この国の、
「…女王、様。」
少年が涙で歪む視線を上げた先には、泥や血に塗れようとも美しい顔に悲しみを湛え、眉根を寄せながら唇を噛み締め、潤んだ蜜色の瞳から雫を零すまいと気丈に振る舞う女王の姿。
涙の代わりか、太股に刺さるナイフを伝い、血が流れ落ちた。
「あ…血が、オレ…ごめっ…さい。」
ナイフに伸ばした震える指先は、女王の手に握り込められる。
己も屍になるかもしれない恐怖で冷え切っていた指に伝わる温もりは、少年に許しを与えた。
「炎が、勢いを増して来た。」
少年に優しい微笑みを向けていた女王が眉を顰める。
背に、先程まで感じなかった熱が痛いほど感じられ、少年が振り返ると両親も敵も炎の一部となっていた。
「すぐにここから出なければ。炎は、憎しみ、悲しみ、死者や、命ある者にも燃え移って広がって行く。鎮火は、全てを焼き尽くすか、若しくはとても大きい自然の力が働くか、あとは、意志ある生者にしか出来ない。」
女王の眼差しは目の前の炎を見詰めているが、遥か遠くを見据えている様でもある。
「私の城まで距離があるし、外にはまだ敵が潜んでいる。でも、大丈夫だ。君の事は私が守るよ。」
女王はナイフを抜き取り捨て去ると握り込んだままの少年の手を傷の上に導く。
「この傷に誓って。」
溢れ出た液体で二人の手を赤に絡めた。
生も、死も、紡ぐ色。
第一章
椅子に座って城下の家や人に吸い込まれるように無くなった夕焼けを小窓から見送り、硝子で作られた丸テーブルの上にあるランプに夕日を小さくしたような火を灯す。
部屋の中に頼り無くも暖かな光が放たれる。
「何か、言いたそうだな。レイド。」
揺らぐ炎を見詰めながら明かりが行き渡らない部屋の隅に立っている人影に問う。
浮かび上がるように現れたのは所々白髪混じりの黒髪を後ろで一つに束ねた女だ。
細い長身を黒い制服に包んでいるが、鍛え上げられ締まりの良い肉体をしている事が伺える。
とても初老に差し掛かっているようには見えない。
「奴を隊のボスの座にだなんて、国を弱体化させるつもりですかい?ミケ女王様。元隊長として、アタシは反対だよ。」
「どうしてだ?」
甚だ見当も付かぬといった様子でミケは振り返った。
眉間に皺を寄せて鬼のみたいな形相をしたレイドと視線が搗ち合う。
若い頃は名を馳せた程にキリッとした美人な為、余計に恐い。
「剣を持たせりゃあ震えて落とす、弓を射らせりゃあ獲物に掠りもしない。論外だ。」
「だが、体術はレイドを凌ぐほどじゃないか。」
ミケは苦笑しながらもなんとかフォローを言葉に出した。
さらに深くなった皺が全くのフォローにならなかった事を物語る。
「戦場で武器を失った時に己の身を守りつつ武器を奪えるよう教えた体術だ、そんなもんじゃあ効率良く敵を殺せないでしょうよ。大体、誰が師匠を勤めたと思ってるんだい?」
「レイドは最高の師匠だからな。私も世話になった。」
「そうさね、人材が足りないからと言って、アタシの隙を付いて自らが戦地に赴き、太股に深い傷を負い、ガキを拾ってボロボロになって帰って来る位に立派な弟子でしたよ。」
世辞では無く称賛を述べたつもりが地雷を踏んでしまったらしい。
「いや、その節は、すまなかった。」
「あまつさえ、拾って来たガキをアタシに押し付けて、挙げ句の果てにはそいつを新しく隊の頭に据えるってんだから、アイツに甘すぎるんじゃないかい?」
老いを知らぬ黒く鋭い瞳が探るようにミケを射ぬく。
だが、ミケは一歩も譲る気は無いと視線で返す。
「そんなに向いてないか?」
「向いてない処か、臆病だし、オドオドしてるし、後輩からもナメられてるし、気が弱いし、ありゃあ全然ダメだね。」
口調は厳しいが、表情には心配の二文字がありありと浮かんでいる。
「隊の事よりも、あの子が心配か。」
「ミケ…」
「あの、ミケ女王様、いらっしゃいますか?」
レイドが言いかけた時、話題の主役である人物の声が扉の外から響いた。
「居るぞ。入って来いアイリ。」
「はっ!失礼します。あ、レイド師匠、ミリオンさんが探してました。なんでも、龍竜切りが、どうとかって。」
部屋に入って来て早々、レイドの姿を見付けて告げる。
「わかってるよ。どうせ今晩の献立についてだろう。どれ、いっちょ剣神と謳われた包丁捌きを披露してくるかね。では、アタシはこれで失礼するよ。」
部屋を出て行く際、レイドはアイリの横で足を止め、
「アイリ、隊の連中の事は呼び捨てにするようにしな。示しがつかないからね。」
そう助言すると振り向きもせず去って行った。
「師匠?」
「何だかんだ言っても認めているんじゃないか。ところでアイリ、どうしたんだ?」
「はい、ベリーブール国からミケ様に書簡が届いておりました。」
呼ばれてアイリは、白い封筒にベリーブール国の王のみ所有する美しい細工の朱い印で封をされた手紙をミケに渡した。
「とうとう日取りが決まったか。アイリ、机の引き出しからペーパーナイフを取ってくれ。」
「わかりました。」
難しい本が幾つも並んだハシゴ付き本棚の前に、ミケが政務を熟す時に使用する机がある。
代々使われてきた木の艶が美しい、頑丈だが愛らしさすら感じられるミケのお気に入りの机だ。
一番上の引き出しを開くと、持ち手が銀で装飾を施された先の尖ったペーパーナイフが有った。
刃の部分を持ち、ミケへ渡す。
「…震え無いんだな。」
「え?」
「いや、なんでも。ありがとう。」
取り出した手紙の内容を読むミケの顔は晴れやかなものでは無く、何処か諦めた様でもあって。
「あの、ミケ様、顔色が優れないようですけど。」
「大丈夫だ。それよりアイリ。」
「なんでしょう?」
「アイリは、戦いは嫌いか?誰かを傷付け、傷付けられるのは嫌か?」
微笑みは、出会った頃と変わらず優しく、問う声は常の真剣さに加え厳しさを帯びている。
「嫌です。大嫌いです。」
だからアイリも少年から青年へと変わりつつある風貌を引き締め、兵士としての建前を述べるのではなく、己の本音で答えた。
「そうだな。わかった。」
ミケは満足そうに笑ったが、アイリにはその笑顔が親しい者に別れを告げて、戦地へ赴く兵士のように儚く見えて、思わず彼女の腕を掴む。
「本当に大丈夫ですか?ミケ様。オレにして欲しい事があれば言って下さいね。できる事なんて少ないですけど。頑張りますから。」
「ああ、じゃあ、レイドの後任として隊長の任をやってくれ。拒否権は無いからな。」
「ええ!?ちょっと待って下さいっ。」
「ダメだ。さて、もうすぐ飯だな。私は昼の稽古で汗をかいたから、着替えてから食堂へ行く。乙女の生着替えを見せるのは教育上よろしく無いからな、出て行ってくれ。」
乙女とか、言い慣れない単語を吐き出し、ミケは掴まれていた腕を逆に捕獲し、アイリより遥かに勝る腕力でアイリを部屋から追い出し鍵を掛ける。
アイリは何事か喚いていたが夕飯の準備に人手が欲しいレイドに捕まって引きずられて行った。
ふ、と気付くと、半袖から覗く白い腕は強く握られた箇所が赤くなっていて。
「あんなに小さく、弱々しく震えていたのに。」
微笑むミケの心に赤い痣は手紙の印など比べものにならない程、艶やかに映えた。
読んで下さりありがとうございました。
ちょっと続きます。