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レジェンド オブ ソルナド  作者: ポンタロー
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光の章 第三節

光の章 第三節


「ピュア、ピュア! 大丈夫ですか?」

 ポムの村を出て早数刻、ピュアは未だに、先ほどライの言い放った『ライが本物のライ・アバロン説』のショックから立ち直れずにいた。

 呆然とした表情で馬車を駆るピュアの後ろで、ライが心配そうに呼びかける。

「ピュア、ピュア。大丈夫ですかー。ボケるにはまだ早いですよー」

 その言葉にピュアがピクリと反応。そのまま無表情で後ろに振り向き、ライへと告げる。

「この顔が大丈夫そうに見えるのか?」

「すいません。見えません」

 幽鬼のような表情でそう尋ねるピュアに、ライはすぐさま頭を下げた。

 ライが、自分の崇拝するライ・アバロンだと聞かされた瞬間から、ピュアのテンションは一気に最低まで落ち込んだ。

 ソルナド事変のことが書かれた書物、ソルナド英雄譚は自分にとっての愛読書だ。もう何度読んだか分からない。読む度に、自分の中でのライ・アバロン像を想像する。ピュアの中のライ・アバロンは、まさしく完全無欠の英雄だった。しかし、現実は……

「僕が本物のライ・アバロンだったことが、そんなにショックだったんですか?」

 ライの言葉に、ピュアがくわっと目を見開いて叫んだ。

「当然だろう。私の中のライ・アバロン様は、凛々しく、逞しく、容姿端麗で、聡明な騎士の中の騎士なのだ。少なくとも私の中では。それが実物は、病弱で、皮肉屋で、デリカシーの欠片もなく、おまけに野盗を狩って路銀の足しにするような金に汚い奴だったとは。虚しすぎて泣けてくるわ!」

「…………」

 ライが何か言いたげな視線を向けるものの、当然ピュアは無視する。

「私は絶対、お前をライ様なんて呼ばないからな!」

「いや、呼ばれても困るんですが。気持ち悪いですし」

「何か言ったか?」

「いいえ、何も」

 しばらく無言の間が続く。

 しかし、やがてピュアが突然馬車を止めた。

「あれ? どうしたんです?」

 馬車の突然の停止に驚いたライが、荷台から顔を出す。

「……ちょっと、花を摘みに行ってくる」

「花って、何をそんな似合わないことを。……ああ、そうか。トイレですね。まったく、それならそうとはっきり言えばいいのに。何を女性みたいな言葉使ってるんです。紙はちゃんと持ったんですか? ないなら僕がホゲッ!」

 長々と喋るライに、ピュアの神速の拳が炸裂する。

 モロに喰らったライは、堪らず荷台の中で転げまわった。

 ピュアが無言で荷物から紙を取り出し、草むらへと消えていく。

「……ピュア、剣士よりも武闘家を目指した方がよかったんじゃ……ガクッ!」

 小さい声でそう呟いた後、ライの意識は闇へと呑まれていった。


 魔法大国リュシオン。建国当初から魔法に心血を注いできたこの国は、今ではファリア大陸最高の魔法王国として知られ、ファリア主要国としてその一翼を担っている。

 また、ファリア最古の大図書館を保有していることでも知られ、その知識や魔法の技術を求めて、ファリア大陸全土から人が集まっていた。

 昼過ぎにリュシオンの王都マギアスに着いた二人は、とりあえず初めての街を散策することにした。

 王都マギアスには魔法の名門として知られるリュシオン王立魔法学園があり、そこかしこでそこの制服である青いローブを身に纏った学生が目に入る。

「さて、これからどうするか。とりあえず、宿を探して馬車を預けてから、ギルドに行って闇騎士のじょうほ……アイタッ!」

 勇み足でギルドに向かおうとするピュアのおでこに、フードを深く被ったライのでこピンが炸裂した。

「コラ! 主人に暴力を振るうとは何事か!」

 ほんの少しだけ赤くなったおでこをさすりながら抗議するピュア。

 ライはそんなピュアを冷たく一瞥して口を開く。

「今、何て言おうとしました?」

 いつもと違い静かな迫力を感じさせるライに、ピュアは若干たじろぎながら答えた。

「いや、だから闇騎士のじょうほ……アイタッ!」

 ピュアの言葉に、再びライのでこピンが炸裂。先ほどと同じ場所にでこピンを喰らったピュアが涙目になって叫んだ。

「痛いぞ! 何するんだ!」

「何するんだじゃない!」

 ピュアの叫びを、ライがさらに大きな声で吹き飛ばした。

「あなたには学習能力というものがないんですか? 僕、言いましたよね? 闇騎士とやるにはまだ早いって」

「いやでも、アルフレドに稽古をつけてもらって少しは……」

「黙りなさい! いいですか、少しは身の程をわきまえてください。闇騎士を竜に例えるならあなたは毛虫です。ぺチッと潰せば、はいご愁傷さまの毛虫なんです。毛虫が竜に勝てると思いますか? 無理でしょ? 無理ですよね? それさえ分からないなら、とっとと剣士なんてやめてしまいなさい!」

 あまりといえばあまりの言い草に、もはや何も言い返せないピュア。

 しかし、ライは厳しい表情を崩さない。

「はい、以上を踏まえてこれからあなたのするべきことは?」

「……私でもできそうな簡単なクエスト探しです」

「はい、正解! と言いたいところですが、その前に剣を研いでもらってきてはどうです?」

「えっ!」

 精神的なダメージの大きさにずっとうなだれていたピュアが、思わぬライの一言に頭を上げる。

「この前のゴブリン退治からろくに剣の手入れをしてないでしょう? 剣は剣士の命。念入りに手入れをしておいて損はありません!」

「えっ! 剣って手入れが必要なのか?」

「はっ?」

 ピュアの言葉に、目をパチクリさせるライ。

 そんなライに、ピュアがあっけらかんと告げる。

「私は今まで剣の手入れをしたことなどないぞ」

「…………」

 ライが大きく、おーーきくため息を吐いた。

「はあーーー。ピュア、僕は本当にあなたに付いていって大丈夫なのか疑問になってきましたよ」

「な、何だ、いきなり」

「あのね、剣だって刃物なんだから血が付けば錆びるし、刃こぼれだってするんです。そんなの常識じゃないですか。アホですか? アホなんですか、あなたは?」

「う、うるさいうるさい。アホアホ言うな。ちょっと忘れてただけなのだ」

「ちょっと忘れてただけって、……まあいいです。とにかく、ちょっと剣を見せてくださいよ」

「んっ!」

 ピュアが素直に剣を抜いてライの前に掲げる。

 剣は見事なまでにボロボロになっていた。刀身は血で錆びており、ところどころ刃こぼれしている。正直、いつ折れてもおかしくない。

 その哀れな剣を見て、ライが再び大きくため息を吐いた。

「はあーーーーーーー。まあ、予想通りといえば予想通りなんですけど。これはもう駄目ですね。新しいのに買い換えましょう」

「何? 今まで苦楽を共にしてきた愛剣だぞ。おいそれと手放せるか!」

「ピュア、僕は今、初めてあなたに殺意を覚えましたよ」

 不毛なやりとりを続ける二人。やがて、事の空しさに気づいたのか、ライがきっぱりと言い切った。

「はい! とにかく、この剣は廃棄して新しい剣を探します。お金は僕が出しますから。とりあえず武器屋を探しましょう!」

 そう言って、二人は宿屋探し兼武器屋探しを開始した。


 宿屋兼武器屋探しの道すがら、通り過ぎる人々の様々な話がピュアの耳に入ってくる。

「おい、聞いたか? ラーゼン王国の宰相が殺されたらしいぞ」

「ああ、知ってる。犯人はやはり闇騎士らしい」

 闇騎士という言葉に、ピュアがピクリと反応した。

「ライ、今の……」

「どうやら、僕達がグラナを出てからほどなくして現れたようですね。しかし、ラーゼン王国宰相とは。今まではせいぜい地方で悪政を働く貴族や、私腹を肥やす政治家程度だったのに。ついに国政を司る宰相にまで手を出し始めましたか」

「くそっ、もう少しグラナに残っていれば……」

「今のあなたじゃ何もできませんよ」

 悔しげに唇を噛むピュアに、ライがあっさりと言い放った。

「今のあなたじゃはっきり言ってお話にもなりません。瞬殺されて、はいお終い。お疲れ様でしたってなもんです」

「…………」

「そうなりたくなかったら、まずは力を付けること。それと少なくとも剣の手入れくらいはしてください」

「……分かった」

 ライの言葉にピュアは不承不承頷いて歩き出した。


「うーん。どれもこれもいまいちですねえ」

 手に取った剣を壁へと戻し、ライは小さくため息を吐いた。

これで七軒目。さすがに疲れも溜まってくる。宿もまだ決まってはおらず、外で待っていた老馬も高低さのあるこの街を連れまわされて歩き疲れたのか、座り込んだままうなだれていた。

「そうか? どれも中々の物だと思うが?」

「確かに。野盗やゴブリン退治程度ならここにある物で十分なんですが、どこかのおバカさんは、身の程知らずにも闇騎士を倒すとかほざいてますからねえ」

「何だ、ずいぶんと棘があるな」

「いえいえ別に。ただ、どうせ買うなら良い物を買った方がいいじゃないですか。ピュア、少なくともここにある物はあなたには重すぎます。アルフレドにも言われたでしょ。あなたは力よりも速さで勝負する剣士なんですよ」

「ふむ、確かに。お前の言う通りだ。でもなライ、一つ気になるんだが……」

「何です?」

「何でその話をお前が知っているんだ?」

「えっ!」

「その話を知っているのは私とアルフレドだけのはずだが?」

「うっ!」

 ライが言葉に詰まった。

「いやー、アルフレドが村を出る時に言ったんですよ。ピュアは速さで勝負する剣士だから細身の剣の方が良いって。だから、従者としてはですね……」

「ふーーん」

 ピュアの胡散臭そうな視線に、顔中ビッシリと汗を浮かべるライ。

「だったら、直接打ってもらったらどうだい?」

「「えっ!」」

 そんなライを救ったのは、店の店主の一声だった。

「確かにうちに置いてある剣じゃ、お嬢ちゃんにはちと重いかもな。それだったら、いっちょ鍛冶師に直接お嬢ちゃんに合う剣を打ってもらえばいいのさ」

 老齢の店主は、そう言って顔を皺くちゃにして笑う。

「それはいい考えですね。確かに直接打ってもらった方が、ピュアの手にも馴染むでしょう」

「だが、そう都合よく鍛冶師など……」

「おるよ。腕利きの鍛冶師が、ここリュシオンにな。ちょうど今日、何本かうちに納めにくるはずだ」

 何という幸運。二人は詳しい話を聞くために店主に近づいた。

「店主さん。その鍛冶師はそんなに腕がいいんですか?」

「ああ、もちろん。彼が剣を納めるようになってから、リュシオン以外の国からも大勢客が来るようになった。リュシオン国王の親衛隊にも武器を納めているし、リュシオン一、いや下手をするとファリア一の名鍛冶師よ!」

「それほどとは……」

 ピュアとライが驚きに目を丸くする。

「しかも、あのファリア大勇士の一人、グルト・ダイタロスの実の兄なんじゃ!」

「「ええっ!」」

 今日一番の衝撃に、ピュアとライが思わず飛び上がった。

「こんちわー。店主、注文の品を持ってきたぞ!」

 そんな時だった。二人の背後、店の入り口から大きな声が響いたのは。


 そこにいたのは背の高いライよりもさらに頭三つ分ほど背の高い筋骨隆々の大男だった。

背が高すぎて店の天井に頭がついてしまっている。そして、妙に凹凸のないその顔立ち。一目で分かるドワーフ族だ。

「店主、品物はここに置いておくぞ」

 大男は大きな声で店主に告げ、背中に背負った十数本はあろうかという剣や斧を店の隅へと積み上げる。

「ご苦労さん。今、お代を持ってくるよ。そうそう、そこにいる二人がお前さんに剣を打ってほしいそうだ。話を聞いてやっておくれ」

 戸惑う二人に茶目っ気のあるウインクを一つ残して、店主は店の奥に引っ込んだ。

「あんた達か?剣を打って欲しいってのは?」

 大男が、ゴツイ顔に似合わぬ無邪気な笑みを浮かべて尋ねる。

「そ、そうなんです。ここにある物はちょっと合わなくて。ねっ! ピュア!」

「そ、そうなんだ。だから、もしよろしければ剣を一振り打っていただきたい」

 目の前の大男の迫力に圧倒されながらも、二人は何とかそう口にした。

「ふむ。一つ質問なんだが……」

「な、何でしょう?」

「何で、店の中でフードを被りっぱなしなんだ?」

「えっ?」

「人見知りなのかもしれないが、人と話す時は被り物くらい取らなくちゃ、なっ!」

 大男はいきなりライの被っていたフードを引っぺがした。

「おっ?」

 ライの顔を見た大男の顔が驚きに染まる。

 二人は正体がばれたのではないかと、内心冷や汗を掻いていた。

「カル! お前、カル・イグナスじゃないか!」

「「えっ?」」

 てっきり、ライ・アバロンだとばれて騒がれると思っていた二人は、聞き慣れない名前を呼ばれ、思わず固まった。

「いやー、久しぶりだ。しかしお前、前に会った時と全然変わってないな。そうか。そのフードはそういうことか。これは悪いことをした」

 大男は何やら一人で納得して、フードをライの頭に被せ直した。

 フリーズ状態から回復した二人が、大男に背を向けて密談を開始する。

(「おい、どういうことだ? カルというのはお前のことか?」

「知りませんよ! 記憶がないって言ってるじゃないですか!」

「お前、実はライ・アバロン様の双子の弟とかそういうオチじゃないのか?」

「オチって何ですか! ライ・アバロンは天涯孤独だったんです! 弟なんていませんよ!」

「いや、それくらいは知っているが……ふむ。じゃあ、別の誰かと勘違いしているのかもな」

「どうします、ピュア?」

「とりあえず、ここはうまく話を合わせて剣を打ってもらおう」

「……そうですね。それが無難かな」)

 密談を終えた二人は、再び大男に振り返り笑顔で切り出した。

「いやー、お久しぶりですねえ。お変わりありませんでしたか?」

「何だ、そのなよなよした喋り方は? 変な物でも食べたのか?」

「うっ!」

「す、すまない。実はこの男、道中笑い茸の食いすぎで笑い転げた際に、一時的に記憶を失ってしまったのだ。故に言葉遣いが若干なよなよしていて、毛虫のように気持ち悪いのはご容赦願いたい」

 苦しい言い訳を並べてその場を誤魔化そうとするピュア。ライが、そんなピュアのスカートの裾をちょんちょん突いて「言い過ぎです!」と抗議するが、ピュアは完璧にスルーした。

「そ、そうなのか? あのカルがな。まあいい。一応自己紹介しておこう。俺の名はグ……」

 大男が名乗りを挙げようとしたちょうどその時、店の店主が金を持って奥から戻ってきた。大男が慌てて口を閉ざす。

「あいよ、お代。二人の話を聞いてやったかね?」

「あ、ああ。今から詳しく聞くところだ。カルに……ピュアだったか、詳細は俺の工房に行く途中で聞こう。いいな?」

 何と答えていいか分からず、とりあえず頷く二人の背中を押して、大男は店を出て行った。


 大男の工房まではマギアスから歩いて半日ほどかかるという。

 しかし、馬車で行けばさほど時間はかからない。

 大男は馬車の走らせながら、人気がなくなったのを確認して口を開いた。

「さて、一応自己紹介しておくか。俺の名はグルト・ダイタロス。昔、そこにいるカルに世話になった者だ」

「「へっ?」」

 荷台にいたピュアとライの驚きの声が見事にハモる。

「あの、グルト・ダイタロスのお兄さんなのでは?」

「何を言ってるんだ? グルト・ダイタロス本人だよ。あいにくと俺に兄弟はいない。兄を演じろといったのはお前じゃないか」

「「えっ?」」

 またも見事に二人の声がハモった。

 そして、そのまま二人は背を向けて密談を開始する。

(「おい! どういうことだ、ライ?」

「知りませんよ! 記憶がないって言ってるじゃないですか!」

「どうする?」

「どうするもなにも頭がこんがらがってきましたよ。ここはもう、正直に全部話しませんか?」

「うむ。その方がいいかもな」)

「おーい、内緒話は終わったか?」

 あからさまに背中を向けて密談していた二人に、グルトが声をかける。

 二人は慌てて振り向いた。

「あのー、実はですね、グルト……」

「んっ? どうした?」

「実は僕、カル・イグナスじゃなくて、ファリア大勇士の一人、ライ・アバロンなんです」

「何を今さら。そんなこと最初から知ってるぞ」

「「はっ?」」

 衝撃の告白、のはずが、あっさりと返されて固まる二人。

「お前が『俺はライ・アバロンではない。今の俺はカル・イグナスだ』と言ったんじゃないか。お前がライと呼んでいいというなら、これからはライと呼ぶぞ」

 あまり似てない声で台詞を真似るグルトに、ピュアとライはまたも背を向けて密談を始めた。

(「ライ! どういうことだ!」

「だから、記憶がないから分からないんですってば! この件、これでもう三度目ですよ!」

「ふむ、まあそれは置いといて。今の話だと、お前自身がライ・アバロンであるにも関わらず、カル・イグナスと名乗っていたようだが?」

「みたいですね。残念ながら全く思い出せませんが」

「どうなってるんだ?」

「どうなってるんでしょうねえー」)

「おーい。そろそろ着くぞー!」

 二人の世界に入ったピュアとライを、グルトの大声が現実へと引き戻した。


 グルトに連れられてやってきたのは、マギアスの外れにある小さな一軒家だった。

 簡素な木造だったが手入れが行き届いており、温かな感じのする家だ。

「おーい! 帰ったぞー!」

 思わず耳を覆うほどの大声で家へと入るグルト。

 それを出迎えたのはグルトに負けないくらいの大声だった。

「「おかえりなさーい!」」

 その言葉と共に二人の子供がグルトに飛びつく。一人はグルトと同じ真っ黒な髪の男の子。もう一人は綺麗な金髪の女の子だった。

「ははは、ただいま。オルム、リルム、いい子にしてたか?」

 グルトはくすぐったそうな顔を浮かべて、しっかりと二人を抱きとめる。

 グルトに続いて家の中へと入るピュアとライ。

 家の奥では一人の女性が待っていた。二十代後半から三十代前半くらいだろうか。美しく流れるような金髪に、慈愛に満ちたブルーの瞳。そして、優しげな笑みを湛えたその女性は、グルトを見つめて口を開いた。

「あなた、おかえりなさい。お客様を呼ぶなんて珍しいですね……って、ライ! ライ・アバロンなのですか!」

 ライの姿を見た女性が、信じられないといった表情を浮かべた。

「ああ、珍しい客人だろ? ライ、お前は覚えてないだろうが、こいつはベル・ホーリー。昔、俺達と一緒に戦った仲間だ!」

「「ベル・ホーリー!」」

 一日で二人の英雄に会ったピュアとライは、驚きのあまり固まったまま、しばらく動くことができなかった。


「さて、それじゃあ早速話を聞こうか」

 子供達を膝の上に乗せたグルトが、大きな椅子に座って話を切り出した。

 ベルも隣に座って、優しい微笑みを浮かべている。

「造る剣は一振りでいいのか?」

「ああ、私に合う剣をお願いしたい」

「んっ? 使うのはピュアの方なのか?」

「そうだが、それが何か?」

「いや、すまん。てっきりライが使うとばかり思っていたんだ。聖皇から賜ったと言っていたセイントソードも持っていないようだし、それで剣が必要なのかと」

「いえ、生憎なんですが、現在の私は魔法士でして。剣も使えないわけではないんですが、今は魔法をメインでやっております」

「魔法士? お前が?」

 グルトとベルの顔が驚愕に染まる。

「信じられん。あのライ・アバロンが魔法士とは。いや、以前も確かに、魔法に長けてはいたが……」

「ああ、前にも知り合いに同じようなことを言われましたよ」

「ゴホン、まあそれはいいとして。ピュア、お前の体格に合う剣だと、軽くて細身の物がいいと思うんだが」

 さすがファリア大勇士。瞬時にピュアに最も適した剣を立案した。

「ああ、闇騎士を倒せるくらいすごい剣を頼む!」

「ピュ……バカ!」

 ライが小さく叫んだ。

「闇騎士? お前達、ひょっとして闇騎士を倒すために旅をしているのか?」

「うむ! 正確には、ファリアにはびこる悪を倒すために旅をしている最中だ!」

 胸を張って高らかに宣言するピュアに、あっけにとられるグルトとベル。

 ピュアの隣では、ライが一人で頭を抱えていた。

「すみません。この人、ちょっと頭がおかしいんです」

「何だと! ご主人様に向かって頭がおかしいとはなんだ!」

「主人だったら、少しは恥を掻く従者の身にもなってくださいよ!」

 そして、終いには言い争いを始める二人。

 グルトは目を丸くしたまま二人に尋ねた。

「えっ? ライが従者なのか? ピュアじゃなくて?」

「うむ。私がライのご主人様だ。この病弱従者にはいつも迷惑している」

 ピュアがさも当然とばかりに胸を張る。

「し、信じられん。あのライ・アバロンが従者とは……」

「ほ、ほんとね。天変地異の前触れかしら」

 グルトとベルは、二人揃ってありえないという表情を浮かべていた。

「ま、まあ、とにかくだ。剣は喜んで打たせてもらう。このファリアに二つとない最高の剣にしてみせよう」

 軽く頭を振って、グルトはそう宣言した。

「しかし、多少時間がかかるぞ。そうだな、二週間ほど時間をもらおう。まあその間、家でゆっくりしていってくれ。いいか、ベル?」

「ええ、もちろんよ」

 グルトの提案に、ベルは満面の笑みを浮かべて頷いた。


 グルトの話では、剣を打つにあたって二つの重要な行程があるという。

 一つは剣を打つと同時に、剣にピュアのマナを練りこむ作業。無論、これにはピュアの立会いが必要であり、その結果、ピュアはグルトと共に何日か工房に篭ることになった。

「どうしてここまでしてくれるんだ?」

 不意にそう尋ねるピュアに、グルトが剣を打つ手を止めて、少し考え込んでから答えた。

「ライにはでかい借りがあるのさ。死ぬほどでかい借りが二つもな」

「借り? ライに?」

「ああ、俺は正直あいつが記憶を失くしていて助かった。次に会った時に、何と礼を言ったらいいのかずっと考えていたからな。こんなことで借りを返せるとは思っちゃいないが、俺にできる限りのことはさせてもらう」

 そう言って、グルトは再び剣を打ち始めた。


 それからしばらく時間が経ち、やや退屈し始めたピュアがグルトに向かって口を開いた。

「そういえば、あなたは闇騎士を倒そうとは思わないのか?」

「えっ!」

 突然のピュアの言葉に、グルトが驚いて手を止める。

「ファリア大勇士のあなたなら、闇騎士を討つこともできると思うのだが」

「…………」

 グルトは作業を中断して、ピュアに向き直った。

「俺はもう武器を置いたんだ。今、お前の目の前にいるのはただの鍛冶師さ」

「だが、闇騎士のせいで多くの死者が……」

「闇騎士は悪か?」

「えっ?」

 グルトの問いかけに、ピュアが言葉に詰まる。

「今まで闇騎士が殺したのは腐敗した為政者や貴族達がほとんどだ。闇騎士が悪だとすれば、国を腐敗させている腐りきった者達は正義なのか?」

「そ、それは……」

「では仮に両者とも悪だったとして、それを倒したお前は正義なのか?」

「…………」

「悪を倒すから正義なのか? 他人を守ることが正義なのか? では、お前の守った者達が悪だったらどうする? お前は知らず知らずのうちに悪を守っていたことになるんだぞ。その悪を守ったお前は本当に正義なのか?」

「…………」

「すまない。別にお前を貶しているつもりはないんだ。ただ、これだけは分かって欲しい。この世界は、正義や悪で簡単に区別できるほど単純じゃない」

「…………」

「今の俺はただの鍛冶師だ。これ以上は何も言えない。ただ、今言ったことだけは頭の片隅にでも置いておいてほしい」

 グルトの言葉に、ピュアは何も言い返すことができなかった。


 もう一つの重要な工程は、そうしてできた剣に魔法の力を注ぎ込むというものだった。

 これにより剣に魔法の力を付加させ、魔法を使えぬ剣士でも魔法を使えるようになるという。

 これにはベルの協力が必要だった。ベルはこれを快諾し、今度はグルトとベルの二人で工房に篭ることとなった。

 グルトとベルが工房に篭っている間は、当然ピュアとライの二人が子供達の面倒を見ることとなった。

「さて、そろそろ夕食を作りましょうか」

 膝に乗せていたリルムを下ろし、台所へと向かうライ。

「ピュア、何か食べたいものはありますか?」

「ん? ああ、何でもいい。子供達の好きなものを作ってやってくれ」

 オルムを膝に乗せたまま、心ここにあらずといった様子で答えるピュアに、ライが心配そうな声で尋ねる。

「どうしたんですか? 工房から戻ってから様子がおかしいですよ。もしかして、生理ですか?」

「……いや、何でもないんだ」

 いつもなら、すぐさまハリセンを飛ばすピュアだったが、今はそんな気分にはなれなかった。

 ライが少し焦ったような素振りを見せながら、再度ピュアに尋ねる。

「本当にどうしたんですか? 悩みがあるのなら聞きますよ?」

「いや……」

 ピュアは一瞬迷うような表情を見せたが、やがて一つため息を吐いてポツリと切り出した。

「グルトに、見ず知らずの他人を守ることが本当に正義なのかと言われてな。その守った他人が悪だったらどうすると、悪を守った私は本当に正義なのかと……」

「……それで、何て答えたんですか?」

「何も答えられなかった。今までの私なら、そんなことを言われても自分のしてきたことは正義だと言い切れた。でも、グルトの言葉には重みがあった。ずっと、ずっと戦い続けてきた者だけが持つ言葉の重みがあった。それを悟った時、私は何も言い返すことができなかった」

「…………」

「でも、私は自分が間違っているとは思いたくない。目の前に困っている人がいたら守りたい。その者が悪かどうかなんて私には分からない。でも、私は……」

「それでいいんじゃないですか」

「えっ?」

「確かにグルトの言ったことにも一理あります。守った相手が悪だったら、確かにその悪を守ったあなたは正義とはいえないかもしれない。でもね、そもそも正義なんてものは人によっていくらでもその形を変えるものなんです」

「…………」

「自分が正義だと思っている腐った役人もいれば、それが悪だと分かっていても貧しい者達のために盗みを働く盗賊だっているんです。だから、何が正義で何が悪かなんて、結局のところあなた自身で見定めるしかないんですよ」

「…………」

「だからピュア、あなたが自分の悪だと決めた者を倒すことが自分の正義だと言うのならそれでいいじゃないですか。自分は間違ったことはしていないと胸を張っていればいいんです。グルトの言っていることも確かに一理あります。でもね、それが全てではないんですよ」

「……ライ」

 ピュアが目を閉じて、心の中でライの言葉を反芻する。

(私の正義は……)

 そして、ピュアは目を開けた。そこにはもう迷いはなかった。



 グルトとベルが出来上がった剣を持って家に戻ってきたのはそれから二日後だった。

「できたぞ!」

 疲労困憊にも関わらず、グルトが顔に笑みを浮かべてピュアに剣を手渡した。ベルもその隣で満足そうに笑っている。

「これは……」

「見事ですね」

 渡された剣を掲げて、ピュアとライは思わず感嘆の息をこぼした。

 それは純白の細身剣だった。真っ白い刀身に真っ白い柄、鍔はない。ただひたすらに真っ直ぐに伸びた純白の美しい剣。

「ライ、お前の昔持っていたセイントソードと同じ『ミスリル』と呼ばれる聖鋼でできている。見事なのは形だけじゃないぞ。試しに外に出て振ってみろ」

 グルトに言われ、ピュアは家の外で剣を振ってみる。

 軽い。まるで羽のような軽さだった。

 しかも、よく手に馴染む。まるで何年も使い続けてきた愛剣のように。

「どうだ?」

「いや、これはすごい。何というか……まるで自分の体の一部のようだ」

「驚くのはまだ早いぞ! ベル!」

「はい。ピュアさん、その剣に念じてみてください。炎・氷・風、何でも構いません」

「…………」

 ベルに言われ、要領を掴めぬまま、ピュアはとりあえず剣に向かって念じてみた。

(じゃ、じゃあ、まずは……風よ!)

 すると、ピュアの念に呼応するかのように、その場にごく小規模の竜巻が巻き起こった。

「これは……」

「あなたの呼びかけに反応して魔法が発動するようにしておきました。それほど大規模なものは使えませんが、詠唱もいらずただ念じるだけで発動できます。魔法の威力は自分でコントロールしてくださいね」

「すごい! すごいですよ、ピュア!」

 ライが信じられないといった顔でピュアに近づく。

「こんな剣、今まで見たことありません。まさしくこのファリアでたった一本の、あなただけの剣ですね!」

 ライに言われ、ピュアが再度剣を眼前に掲げる。

「私だけの……剣」

 その剣は、ピュアの言葉に応えるかのように美しく光り輝いた。

「グルト、本当にありがとうございます。ほら、ピュアもちゃんとお礼を言って」

「あ、ああ。本当にありがとう。いくら感謝しても、し足りないくらいだ」

 二人に頭を下げられたグルトは、照れくさそうにそっぽを向いて頬を掻いた。

「気にするな。自分で言うのもなんだが、その剣は本当に良くできた。間違いなく俺の最高傑作だ。大事に使ってくれよ!」

「ああ、もちろんだ!」

 グルトの言葉に、ピュアが力強く頷く。

「あ、そうだ。剣のお代を……」

 今気づいたとばかりに慌てて金を取り出そうとしたライを、グルトが手を振って制した。

「おいおい、何を言ってるんだ? 俺がお前から金をもらえるわけないだろう?」

「えっ? でも、こんな見事な剣を造ってもらったのに、そういうわけにもいきませんよ」

「ピュアには言ったが、お前には昔本当に世話になったんだ。だから、これはその時の礼だと思ってくれればいい」

「……グルト、ベル、本当にありがとうございます」

 再び二人が深々と頭を下げる。

「それより、すぐに発つのか?」

「うむ。長く世話になったからな。これ以上迷惑はかけられん。ライ、馬車を取ってきてくれ」

 グルトの言葉に頷いたピュアは、ライがいなくなったのを見計らって、再び口を開いた。

「グルト、私は自分の信じた正義を貫こうと思う。その先に何があるのかは分からない。でも、私は私にできる精一杯のことをしようと思う。後になって後悔だけはしないように」

「……そうか」

 ピュアの言葉に、グルトが満足そうな笑みを浮かべた。

「じゃあ、グルトにベル。それにオルムとリルムも。本当に世話になった。また会おう!」

 そして、ピュアはライの連れてきた馬車に乗りこみ、馬を走らせた。


「さて、次はどこに行くか……」

 グルトの家を出たピュアとライの二人は、必要な物資を買い込むためにマギアスに寄っていた。荷台に食糧や荷物を積み込んでいたピュアが、独り言のようにそう呟く。

「ミドスなんてどうですか? 距離的にも近いですし」

 ピュアの呟きを聞いていたライが、目をキラキラさせてピュアに進言した。

「却下だ。他の国に行く」

 しかし、ライの進言をピュアは一言で切り捨てる。

「えーー。何でですか? ミドスはいい国ですよ。行ったことないけど」

 諦め切れないのかごねるライに、ピュアがため息を吐いて尋ねた。

「はあ、何でそんなにミドスに行きたいんだ?」

「そりゃ決まってるじゃないですか。去年ミス・ファリアに選ばれたセレナ・リズベリーが住んでいる国だからでグベッ!」

 鼻息荒く力説するライを、軽くハリセンで一閃してピュアが口を開く。

「そんなことだと思った。とにかく、お前がなんと言おうとミドスは駄目だ。……が近い」

「え? 何です?」

 ピュアの言葉の最後は、小さすぎて聞き取れなかった。

「……が近いから駄目なんだ」

「だから聞こえませんってば。もっと大きな声で……」

「――実家が近いから駄目なんだ!」

 突然ライの耳を引っ張って大声で叫ぶピュア。

 急に耳元で怒鳴られたライは、全身に電撃が走ったような衝撃を喰らい、行動不能になった。

 しばらく無言の時間が流れたが、やがてライが状態異常から回復すると、すぐさまピュアに問いただす。

「実家が近いって、いいじゃないですか。寄っていけば」

「寄りたくないから行きたくないんだ! それくらい分かれ!」

 ライの言葉を聞いて、またも怒鳴り散らすピュア。ライはため息を吐いて再度尋ねる。

「はあ、何で寄りたくないんですか?」

「そ、それは……」

 口篭るピュア。胸の前で両手の人差し指をちょんちょんさせて俯いている。

「理由を言ってくれなきゃ納得できませんよ。何で実家に寄りたくないんです?」

 ピュアはしばらく無言の後、やがて小さく話し始めた。

「……家出したから」

「へっ?」

「家出したから!」

 ピュアが短く叫んでそっぽを向く。ライは口をあんぐりさせたまま固まった。

「家出って……、何でまたそんなことを?」

「仕方ないだろ、父様が闇騎士退治を許してくれなかったんだから」

 少し涙目になって、拗ねたように呟くピュア。

「私はな、ミドス王国公爵であるフェアリス家の長女なんだ」

「へっ? ほんとにお嬢様だったんですか?」

「何だ? その何か言いたげな顔は?」

「いえ、別に何も」

「ふん。それでな、一五の時から剣術を習い始めて、それなりに強くなったと思った私は、父様に旅に出たいと言ったんだ。父様はわりと放任主義の人だったから、最初は旅に出ることを快く許してくれたよ。でも……」

「でも?」

「旅の目的を告げたら突然怒り出して、私を部屋に閉じ込めたんだ!」

「…………。一応聞いておきますが、何て言ったんです?」

「だから、闇騎士退治」

「はあああああああ」

 ライがこれ見よがしにため息を吐く。

「な、何だ、その『ほんとしょうがないですねえ、あなたは』的なため息は?」

「あなたの今言った通りですよ。ほんっっとに、しょうがないですねえ、あなたは」

「むう……」

「前にも言ったでしょ? 闇騎士は超一流の暗殺者なんです。それを、ちょっとばかり剣術を齧っただけの若い娘が一人で倒しに行くなんて言ったら、反対するに決まってるじゃないですか。馬鹿ですか? 馬鹿なんですか、あなたは?」

 馬鹿を連呼するライに、ピュアが怒りをこめて叫ぶ。

「馬鹿馬鹿言うな。馬鹿って言う方が馬鹿なんだ!」

 子供理論を唱えだすピュアに、ライがやれやれといった表情で口を開いた。

「もういいですよ。で、何で部屋に閉じ込められたあなたが、家を出ることができたんです?」

「うむ、父様の仕打ちは、それはもう酷いものだった。扉を鉄板で塞ぎ、窓には鉄格子をはめ、食事は日に二回その窓から投げ入れるというまるで囚人のような扱いを行ったんだ!」

「ほう……」

 それを聞いたライの頬から一筋の汗が流れ落ちる。

「で、そんな厳重に閉じ込められてどうやって出てきたんです?」

 ライの言葉に、ピュアは少し得意げな表情で答えた。

「うむ、部屋に閉じ込められた私は、することもなかったのでただひたすらに剣を振っていたんだ。日々の訓練は欠かせないからな。それまでの私は、まだスラッシュを完成させていなかった。だが、父様への怒りも手伝ってか、その時初めてスラッシュを撃つことに成功したんだ」

「で、そのスラッシュで壁を壊して出てきたと」

「うむ!」

「…………」

 得意げに胸を張るピュア。ライは言葉を失い、ただ乾いた笑みを浮かべていた。

 ちなみに、本来スラッシュという技は、たかだか十代後半の娘が父親に閉じ込められた怒りで、おいそれと撃てるような技ではない。

 ライは額にビッシリと汗を掻きながら口を開いた。

「分かりました。で、ミドス行かないとすると、次はどこに行くんですか?」

 ピュアがふむっと思案顔になる。

「うーん……そうだ! ローレルなんてどうだ? 祭りが見てみたいぞ!」

 ピュアが名案とばかりに目を輝かせて提案する。

「いいですね。あそこは年中、色んな祭りをやってますから。行って損はありませんよ!」

 ライはピュアの提案に二つ返事で頷いた。


▲▲▲

「ひいいーー、来るな! 来るなー!」

 リュシオン王スタン・バルトミス・リュシオン三八世は、子供のように両手を振り回しながら後ずさった。

 そして、その後をゆっくりと追うもう一人の人物。全身黒ずくめの格好で、黒いマントを羽織っている。そして、相手に全く表情を読ませない黒い仮面。闇騎士だった。

「何故だ? 何故、闇騎士がこんなところに……」

 スタンの顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。王としての威厳などどこにもない。

 もっとも、先代の賢君であった父からそのまま王位を受け継いだだけのボンボンに、王としての威厳など最初からないのだが。

「私がここにいる理由は、お前が一番良く知っているだろう」

 闇騎士が、また一歩スタンに近づく。ここはマギアスの裏町にある高級娼館であった。

 スタンが公務をサボって夜な夜なここで女を買っていることは、すでにリュシオンの全国民が知っていることであり、すでに民の心はこの愚君から遠く離れていた。

「わ、私を殺しにきたのか?」

「ほう、ただの馬鹿息子だと思っていたが、どうやらそれくらいは分かるようだな」

 闇騎士が嘲笑うかのような口調で目の前のスタンに言った。

「何故だ? 何故、私を殺す? 私が公務をサボってここに来ているからか?」

「ふむ。それも一つの要因ではあるな。しかし、それが全てではない」

「で、では何故……」

「そうだな。強いて言えば、貴様の存在が気に喰わんからかな。貴様が息をすることすら、今の私には耐えられん」

「そ、そんな馬鹿な話があるか!」

 あまりに理不尽なその理由に、スタンが恐怖も忘れて思わず叫ぶ。

 しかし、闇騎士は動じない。

「おいおい、今まで散々我侭放題に生きていたお前にそんなことを言う資格があるのか? お前の悪い噂は、町を歩けばいくらでも聞けるぞ」

「だ、だからといって……」

「ああ、分かったよ。正直に言おう。本当はな、四年前のあの時からすでに殺したかったんだ。それが今になっただけの話さ」

 そう言って、闇騎士はゆっくりと剣を構える。

「四年前? 何を言って……」

「何だ? まだ分からんのか? 本当に馬鹿だな、お前は」

 闇騎士が剣を構えたまま、もう一方の手で面を外した。

 その素顔を見たスタンの顔が驚愕に染まる。

「ば、馬鹿な、貴殿は……」

「もうお喋りの時間は終わりだ。続きはあの世でやれ」

 冷たくそう言い放ち、闇騎士が剣を一閃させた。

 そして、高そうな絨毯の上にスタンの首がポトリと落ちる。

 その顔を驚愕に染めたまま……

▲▲▲


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