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レジェンド オブ ソルナド  作者: ポンタロー
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闇の章 第二節

闇の章 第二節


 グラナまでは思ったよりも時間がかかった。

 それというのも、ピュアが街道に咲く珍しい花を見つけては、間近で見てみたいと言って馬を止めてしまうからだ。その結果、グラナには通常かかる時間の倍はかかった。

 しかし、カルはそれでも満足だった。元々ピュアと一緒にいたくて始めた旅だ。ピュアの両親の手掛かりを見つける以外にさして目的などないし、ゆっくりいけばいい。そう思っていた。

 聞けばピュアは、孤児院に世話になってから一度も教会領を出たことがないという。

 花好きのピュアが、自分の見たことのない花に興味を示すのも無理はなかった。

 ピュアの花好きは相当なもので、花の話をしている時のピュアは本当に楽しそうな顔をする。

 カルはその顔を見るのが好きだった。このままずっとこんな時間が続けばいいのに。

 カルは心底そう思っていた。

「カル……カル! 聞いてますか?」

「え?」

 自分の世界に浸っていたカルを、ピュアの声が現実に引き戻す。ピュアは少し寂しそうに言った。

「あの、私の話、つまらなかったですか?」

 カルがぼうっとしていたのを自分の話がつまらないせいだと勘違いしたピュアが、申し訳なさそうに言った。

「ごめんなさい。カルはお花になんて興味ないですよね」

 泣きそうな顔を見せるピュア。

 その顔を見たカルが、力の限り首を振った。

「いやいや、違う違う。ただな、俺はお前に……」

「え?」

 お前に見惚れてたんだ。そう言うはずが、何故だか言葉が最後まで出てこない。

 カルは、自分の甲斐性のなさに心の中で泣き叫ぶ。

「いや、ただ……ピュアは本当に花が好きなんだなと思って」

 カルの言葉を聞いたピュアが、笑顔を取り戻した。

「はい! お花って本当に色んな種類のものがあって、花によって咲く時期も違うし、同じ花でも色だっていっぱいあるし、その他にも……って、ごめんなさい。何か私ばっかり話しちゃって」

 再びシュンとするピュアに、カルが笑顔で言った。

「いや、とても勉強になる。私は生まれてこのかた、花になど目を向けたことがなかったからな。いや、正確には剣以外に目を向けたことがなかった。ただ教会の意思通りに生きてきて……っと、すまない。私の方こそつまらぬ話をした」

 詫びるカルにピュアが首をブンブン振る。

「そんなことないです。カルのこともっと聞きたいです」

「え?」

「私、カルのこと何も知らないです。だから、教えて欲しいです。私のことはもう全部お話したです。だから、今度はカルの番なのです」

「いやしかし、俺の話など聞いてもそんなに面白くは……」

「それでもいいです!」

 躊躇いがちに言うカルの言葉を、ピュアが一刀両断した。

 どうやらこれは話をするまであきらめてくれそうもない。

 カルは大きくため息を吐いて口を開いた。

「私はな……孤児だったんだ」

「え?」

「意外か?」

「いえ、そんなことは……」

「どうやら私は、オーガの集団に滅ぼされた教会領の近くにある村の最後の生き残りだったらしい。崩れた瓦礫の隙間から、まだ赤子だった俺が発見されたそうだ」

「…………」

「教会に保護された俺は、そこの司教に育てられたんだ。そして、それからずっと、俺は教会のために生きてきた。来る日も来る日も研鑽を重ね、教会の命を果たすことだけを考えて生きてきた」

「…………」

「でも、それも……なんだかな。少し前から揺らいでしまっている。教会のために生き、そして死ぬことが俺の全てだったはずなのに。今は、そう思えなくなってるんだ」

「どうして、ですか?」

「ん?」

 カルは、お前と出会ったからだと言いたかった。でも、それは半分。

 もう半分は……

「フフッ、内緒だ。でもいつか話す日もくるだろう」

「えー、そこまで言ったのに、教えてくださいよー」

「ハハハ、駄目だ。それより、ほら、グラナが見えてきたぞ」

 カルは今まで自分の生い立ちを人に話したことなどない。

 そこまで他人を信用したことがなかったからだ。

 でも、ピュアには話せた。きっと自分の中の本能が告げたのだ。

 ピュアなら大丈夫だと。

 グラナまでは思ったより時間がかかった。

 でも、それはカルにとっては悪いことではなかった。


 馬に乗ったまま検問を通過する。

 グラナは比較的検問が緩いのであっさりとしたものだった。

 時刻はすでに夕刻。看板を下げる店もちらほら見える。

「今日はもう遅い。今晩はゆっくり休んで、明日から行動を開始しようと思う。それでいいか、ピュア?」

「はい、カル」

 カルの言葉に、ピュアが大きく頷く。

 今カルは、着ているローブに付いたフードを深く被っていた。自分の正体がばれぬようにだ。自分一人ならば、正直正体がばれようがばれまいがどうでもいいが、人づてに自分の正体がピュアに伝わるのだけは避けたかった。

 カルが馬を止めたのは、安くもないが高くもない一般的な宿だった。

 店の前を掃除していた従業員に馬を預けて中へと入る。

 受付に座っていた初老の老人に頼んで鍵を受け取った。

 カルは二部屋頼むつもりだったのだが、ピュアの「お金がもったいないです」の一言であっさり却下。その結果、ピュアと同室に。

 部屋に入ると、そこには簡素なベッドが二つと小さなテーブルがあるだけだった。

 カルの体が徐々に熱を帯びる。

「ピ、ピュア、疲れているだろう。先にシャワーを使うといい」

 ぎこちない口調で言うカルに、ピュアが嬉しそうに微笑む。

「あ、はい。ありがとう。カル」

 そう言って、着替えを片手にシャワー室へと向かうピュア。

 カルはそれまで溜め込んでいた息をブハッと吐き出した。

(い、いかんぞ。何がいかんかは分からないが、猛烈にいかんような気がする。このままでは窒息してしまいそうだ。とりあえず……)

 わずかな衣擦れの音がした後、シャーというシャワーの流れる音が聞こえてくる。

 カルの体温がさらに上がった。

(このままではいかん。何がいかんかは分からないが、とにかくいかん)

と、判断したカルが、ドア越しにピュアに向かって声をかける。

「ピュア。ちょっといいか?」

「は、はい! 何ですか? カル」

 いきなりの声に驚いたのか、引きつった声が中から聞こえてきた。

「何か食べ物を買ってくる。少し待っててくれ」

「は、はい。分かりました」

 ピュアの言葉を確認して部屋を出るカル。

 そして、部屋を出た瞬間、カルは頭を抱えた。

 自分は何をやっているんだ、と。


 ローブに付いているフードを目深に被り宿を出る。

 店のほとんどは閉まっていたが、それでもいくらかの食料は手に入れることができた。

 途中、いくつかの花の店を見つけてチェックしておく。明日ピュアと回るためだ。

 意気揚々と帰途につくカルだったが、途中にあった人だかりに足を止めた。

「何だ、これは?」

 そう言って、人だかりへと近づくカル。

 すると、その中から一人の辮髪男が現れた。

「兄さん、出場者かい? それとも観戦?」

 妙に馴れ馴れしい口調で尋ねる辮髪男を内心不快に思いながらも、それを隠してカルは尋ねた。

「いや、どちらでもない。ところで、何だこの騒ぎは?」

「何って、賭け試合だよ。賭け試合!」

「かけじあい? 何だそれは?」

 カルの言葉に、辮髪男は呆れたような顔をする。

「はあ? 兄さんどこから来たんだ?」

「教会領からだが」

「ああ、じゃあ知らないのも無理ねえな。ここはな、この辺の腕自慢達が集まって鎬を削る場所さ。勝者には金と地位が手に入る。負けたら、はいそれまで。そして、俺達はその戦いに金を賭けて楽しむってわけさ」

「ほう」

 カルも噂にだけは聞いたことがあった。脛に傷を持ち、仕官などの夢を絶たれた猛者達が集う場所。ここがそうだとは思わなかったが。

 一〇メロル四方のリングで向き合う二人の男達。

 ふと、そのうちの一人に目が留まる。褐色の肌に、無造作に伸びた髪。端整な顔立ちだが、今は髭が伸び放題になっているため台無しになっている。

 しかし、その最大の特徴は、彼の身長よりもはるかに長い見事な紋様の描かれた槍だった。

 カルが辮髪男に尋ねる。

「あの男は?」

「ああ、あいつかい? あいつがここのチャンピオンさ。名前はアルフレド・ケットシー。少し前にフラッと現れて連戦連勝。あいつは強すぎて賭けにならないって主催者もぼやいてるよ」

 その言葉の後半は、カルの耳には届いていなかった。

「……そうか。今はアルフレドと名乗っているのか」

「なあ、あんた、腕に覚えがあるんなら、いっちょ挑戦してみちゃどうだい? その腰にさした剣は飾りじゃないんだろ? なんなら、俺が口利いてって、おーい」

 一人で騒ぐ辮髪男を残して、カルは足早にその場を後にした。


「ピュア、食べ物を買ってきたぞ」

 宿へと戻ってきたカルは、ゆっくりとドアを開けて中に入った。

 部屋が真っ暗なことに驚き、慌ててランプを点ける。

 ピュアはベッドに倒れこんで、すやすやと寝息をたてていた。

 カルが思わず安堵の笑みを浮かべる。が、それは次の瞬間、驚愕の表情へと変わった。

 確かにピュアは寝ていた。すやすやと。幸せそうに。問題はその格好だった。なんと、体にタオルを一枚巻きつけただけの格好だったのである。

 シャワー室から出て、すぐに眠ってしまったのだろう。髪もまだ少し湿っていた。

 それが、さらにカルの鼓動を速くする。

 体にタオル一枚巻きつけただけの肢体。

 まだ未成熟ながら、その体は徐々に丸みを帯びてきており、特に臀部辺りが……

 そこまで考えて、カルは大きく頭を振った。

(いかんいかん、何を考えているんだ、私は。ピュアのこの安心しきった寝顔を見てみろ。私が妙なことをしないと信頼している証だ。その信頼を裏切るな。いや、待てよ。ただ単に、私を男として見ていないだけなのかも。うーむ……)

「くしゅっ」

「…………」

 一人で思考のループへと入り込んだカル。

 しかし、それはピュアの可愛いくしゃみによって中断された。

 カルが急いで自分のベッドから毛布を剥ぎ取り、ピュアに掛ける。

 ピュアは再び幸せそうな寝息をたてはじめた。

 そんなピュアの寝顔をまじまじと見つめるカル。

 その寝顔は、カルにとってはどんな美女のものよりも美しく、またその息遣いはどんな美女のそれよりも艶かしく見えた。

「…………」

 いかん。このままでは自分は狂ってしまう。そう判断したカルが、買ってきた食糧を備え付けのテーブルに置いて部屋を出る。

「さて……」

 気を取り直してカルは歩き出した。胸に突き刺さったままの一つの疑問を確かめるために。


 その酒場は人でごった返していた。

 大人にとってはまだ寝るには早い時間だ。当然と言えば当然と言える。

 酒場に入ったカルは、そのまま真っ直ぐに目的の場所に向かった。

「ここ、いいか?」

「あーん、席なら他にも空いてるだろうが。女ならともかく男の面なん……!」

 片手を振りながら果実酒をあおろうとした男が、カルの顔を見て愕然とする。

「お前……何でこんなところに」

「久しいな。今はアルフレドと名乗っているようだが」

「…………」

「いや、賭け試合でお前を見た時は驚いたよ。まさかここまで堕ちているなんてな。アルフレド……いや、昔のようにラルフ・ストライクと呼んだ方がいいかな?」

「……場所を変えるぞ。付いて来い」

 完全に酔いの覚めたラルフが、そう言ってカルを出口へと促し店を出る。

 カルも無言でその後に続いた。


 ラルフに連れてこられたのは、グラナの外れにある空き地だった。まだ開発途中なのだろう。多くの資材が所狭しと並んでいる。

「で、何でてめえがこんなところにいる? 俺を探しにきたのか?」

 着いて早々、ラルフが敵意丸出しの表情でカルに尋ねる。

「まさか。お前がどこで何をしようが私の知ったことではない。ただ、この町で偶然知った顔を見かけたのでな。もしやと思って訪ねてみただけさ。しかし、驚いたぞ。まさか昔の知り合いがこんなところで酒に溺れて、賭け試合で日銭を稼いでいるとは。どうやら私の知っている男は、本当にあの時死んだらしい」

「てめえ、口の利き方に気をつけろよ。クソガキ!」

 怒りの表情を浮かべるラルフに、カルが皮肉の笑みを浮かべる。

「ほう、気をつけなければどうなるのだ?」

「へっ、いい度胸だ。この『疾風』ラルフ・ストライク様に喧嘩を売るなんてな」

「ラルフ・ストライク? 違うだろう、アルフレド。今のお前はただの臆病な酔っ払いアルフレド・ケットシーだ。名乗るなら正しく名乗れ!」

「上等だ! 後で吠え面かくなよ!」

 そして、深夜の激闘が始まった。


 静寂の中、両者の気迫が激しくぶつかり合う。

「ふっ!」

「シッ!」

 少し前から両者の間合いは、一向に変化を見せなかった。

 相手の懐に潜り込んで自分の間合いに持ち込みたいカルと、懐に入られるのを嫌って、そのリーチの長さを生かし、今の間合いを保つラルフ。

 一見、間合いを掌握しているラルフの優勢に見えるが、間合いを保つことを最優先に考える故に若干踏み込みが甘くなり、ラルフの方も攻めあぐねていた。

「……腕の方は落ちていないようだな」

「そりゃそうだろ。あれから一年しか経ってないんだぜ」

 ラルフの言葉を受けたカルが、嘲りの笑みを浮かべる。

「いや、すまない。てっきり、臆病者のビビリな性格が槍にも出ているのではないかと思ってな」

「…………」

 その言葉を聞いた瞬間、ラルフの顔に一瞬だが怒りの感情が浮かぶ。

 それまで冷静に間合いを保ってきたラルフが、今度は自分から大きく踏み込みカルを貫こうとした。

「終わりだ!」

 しかし、それは同時にラルフがカルの間合いにも入ったことを意味する。

 これまで冷静に自分の間合いを保ち続けてきたラルフにできた一瞬の隙。

 カルの狙いはまさしくそこだった。

「甘い!」

 ラルフの必殺の突きを、カルはギリギリまで引き付けてかわす。体をねじって半回転させ、ラルフの利き手側に回りこみ、その遠心力を利用して、剣の腹を思い切りラルフの背中に叩きつける。

「がはっ!」

 体重に遠心力を乗せた重い一撃に、ラルフは堪らず倒れこんだ。

 決着だった。


 槍を落とし地に膝をつけるラルフの顔前に、カルが剣先を向ける。

 剣を構えるカルの眼差しは氷の如く冷たい。

 ラルフは死を覚悟したのか、静かに目を閉じた。

 しかしカルは、しばらく剣を振り上げた後、ゆっくりと剣を収めて背を向ける。

「おい、クソガキ!」

 カルの背後から、ラルフが叫んだ。

「何だ? 臆病者」

「何で殺らねえ?」

「フン、臆病者の貴様など殺す価値もない」

 背中を向けたまま答えるカルに、ラルフが自虐的な笑みを浮かべる。

「へっ、確かに、そうかもな」

「…………」

「なあ、ライ。俺達を恨んでるか?」

 ラルフのその言葉には、先ほどまでの怒りや憎しみといった感情は一切混じっていなかった。詫びるような、それでいて申し訳なさそうなそんな響きの言葉。

「……いいや」

 一瞬の沈黙の後、カルが答える。

「私はお前達を恨んでなどいない。もし仮にお前達が私の仲間だったなら、確かに私はお前達を恨んでいただろう。だが、あの時の私達は仲間ではなかった。ただ一つの目的のために集められた寄せ集めの集団。途中で逃げ出そうが怖気づこうが、私にどうこう言う資格などない。それに、あの真実を知れば命を投げ出すのに躊躇するのも当然のこと。ただ、あの時の私には教会の命が全てだった。ただ、それだけのことだ」

「あの時の? 今は違うのか?」

「……さあな」

 しばしの間、静寂の時間が流れる。

 やがて、再びカルが足を踏み出そうとしたその時、またもラルフが口を開いた。

「……なあ、俺はこれからどうすればいいと思う?」

 ラルフがずっと溜め込んでいたものを吐き出すように尋ねる。

「あの時から俺の時間はずっと止まっている。あの時までの俺は、ファリア大陸に住む全ての人々を守るために槍を振るってきた。でも、真実を知った時、俺の中の時間は止まった。槍を振るう理由もなくなった。俺はあそこに行くべきじゃなかったのかもしれない。俺はあの時、知らない方が幸せなこともあるということを初めて知ったよ。それから俺は抜け殻になった。教えてくれ、俺はこれからどうすればいい?」

 カルが静かに目を閉じ、そして開いた。

「甘ったれるな」

「…………」

「自分の生きる理由くらい自分で決めろ。ただ、これだけは言っておく。いかにファリア大勇士などと呼ばれていても、所詮私達はただのちっぽけな人間なんだ。完璧な存在なんかじゃない。全ての人々を守ろうなどというのはただの傲慢にすぎん。私は自分の決めた道を行く。お前も好きに生きればいい」

 そう言い残し、カルは歩き出した。


 ラルフとの戦いを終えたカルは、宿へと戻ってきた。時刻は深夜。宿内は静かで、皆寝静まっているようだ。

 部屋のドアを開く。驚いたことに明かりが点いていた。

「ピュア?」

 カルが部屋に入ると、ピュアがベッドの上に座ってじっと月を眺めている。月明かりに照らしだされたその横顔は、カルに妖精を彷彿とさせた。

 思わず見惚れていたカルに、ピュアが振り向いて声をかける。

「カル、お帰りなさい」

 その言葉を聞いたカルの胸に、温かな感情が流れ込んできた。そんな言葉をかけられたのは初めてだったから。

「ピュア、起きていたのか」

 カルの言葉に、ピュアが笑顔で答える。

「はい、目を覚ますとカルがいなかったからびっくりしちゃいました」

「すまない。教会の用を済ませてきた」

 そう嘘を吐いて自分のベッドに座るカル。

「そうだったんですか。お疲れさまです。カル」

「ああ」

 ピュアに嘘を吐いたことに、カルの胸がわずかに痛んだ。

「カル、どうしました?」

「えっ?」

 いつの間にか、ピュアが心配そうな表情を浮かべてこちらを覗き込んでいる。

「いや、何でもない」

 慌てて首を振るカル。そんなカルの頭をピュアがそっと抱きしめた。

「クスッ。何でもないって顔していませんよ」

 ピュアの心音が聞こえる。トクントクンと。その不思議な温もりに、カルの心がわずかに緩む。気がつけば、カルはポツリと言葉を紡いでいた。

「昔の知り合いに会ってきたんだ」

「…………」

「随分と変わっていたよ」

「…………」

「いい奴だったんだ。正義感が強くて真っ直ぐで。いつも困っている人のために戦っていた。正直、反りは合わなかったが、それだけは確かだった」

「…………」

「人というのは変わるものなんだな」

「…………」

「その変化が正しいのか間違っているのかは、私には分からない。けど、やっぱり人というのは変わってしまうものなんだな」

「…………」

 ピュアがそっとカルの頭を撫でる。そして、ゆっくりと口を開いた。

「優しいですね。カルは」

「優しい? 私が?」

 カルは驚いた。今まで一度もそんなことを言われたことがない。

 そして、カル自身もそんなものは必要ないと思っていた。

 自分はただ教会の命を果たす。それだけの存在。

 教会のために生き、教会のために死ぬ。

 それが全てだったはず。

「私は優しくなどない」

 その言葉にピュアはクスリと笑った。

「優しくない人は、さっきみたいなこと言いませんよ」

「…………」

「カル、不変なものなんて何一つありませんよ。全てのものはいずれ変わっていく。でも、今のその気持ちを忘れないで。それはきっと、この世界で最も尊いものだから」

「……ああ」

 そう言って、カルが目を閉じる。

 そして、不思議な温もりに包まれたまま、ゆっくりとカルの意識は遠のいていった。



 次の日、昼過ぎに起きたカルとピュアは、そのまま二人でグラナ散策を開始した。

 といっても、主にピュアの花屋巡りにカルが付き合うといった感じだったが。

 そこでさっそく前日チェックしておいた花屋の情報が役に立った。

 その情報の報酬は、ピュアの笑顔。

 カルにとっては、ピュアの喜ぶ顔こそが最高の報酬だった。

 その日をグラナ散策で費やした二人は、もう一日グラナに泊まり、次の日に出発することにした。



 そして、明くる日。

「どうした、ピュア? ご機嫌だな」

 グラナの検問を超えるさなか、ニコニコと笑みを浮かべているピュアに、カルが声をかける。

「えへへ、はい。私、今ちょっと幸せです」

 ピュアが嬉しくてたまらないといった感じでカルに答える。

「色んなお花、いっぱい見れました。ファリア大陸には、私の知らないお花がいっぱいあるんですね。次の国も楽しみです」

「そ、そうか。それはよかった」

 ピュアの上機嫌な顔を見て、自然と笑みがこぼれてくるカル。

 カルも幸せだった。このまま時が止まればいいのにと思うほどに。

「ねえ、カル。次はどこに行くんですか?」

「ん?」

 そう問われて考え込むカル。ピュアと二人ならどこでもいいが、ピュアの喜びそうなところは……

「リュシオンにするか。あそこは自然の多い国だからな」

 カルの言葉に、ピュアが目を輝かせる。

「ほんとですか! 早く行きたいです、カ……コホッ」

 逸る気持ちを抑えきれないといった感じのピュアが突然咳き込んだ。

「どうした、ピュア? 大丈夫か?」

 心配そうに尋ねるカルに、ピュアが再び笑顔で答えた。

「えへへ、だいじょぶです。ちょっとむせただけですから」

 その言葉に、安堵の表情を浮かべるカル。

 そんなやりとりの中、二人を乗せた馬はリュシオンへと続く街道をゆっくりと進んでいった。




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