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レジェンド オブ ソルナド  作者: ポンタロー
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光の章 第二節

光の章 第二節


 グラナに着いた時には、すでに夕刻になっていた。

 商業都市であるグラナには馬車でそのまま入国することができる。ファリア大陸全土から様々な種族や商人が出入りするため、グラナは比較的入国審査の緩い国だった。

「さて、まずは食事を……」

「馬鹿者。宿探しが先に決まっているだろうが」

 またもピュアのハリセンがライを一閃。

 ライが涙目で抗議する。

「イタッ、何でそうポンポン叩くんですか、あなたは!」

「馬鹿なことを言う従者には、お仕置きが必要だからな」

「馬鹿とはなんですか。だいたいそのハリセン、いつもどこから出してくるんです?」

「内緒だ。乙女に秘密はつきものだからな」

「もう乙女と呼ぶのは苦しいんじゃ……いえいえ、嘘です。何でもありません」

 頭から角を生やしてハリセンを振りかぶるピュアに、ライは慌てて首を振る。

 周囲にいた人々は何事かと視線を集めた。傍から見れば、漫才のように見えなくもない。

「まあいい。とにかく宿探しだ。行くぞ」

 しばらくライを睨んでいたピュアだったが、道のど真ん中で衆目を浴びながらのやりとりに不毛さを感じ、ハリセンをしまって馬車を走らせた。


「なるべく安い宿を探さないとな。路銀が心許ない。できれば風呂付きのところに泊まりたいが……」

 馬車を走らせながらため息を吐くピュアに、ライが驚いたように尋ねる。

「え? そんなにお金がないんですか?」

 ライの言葉を聞いたピュアが、おでこにピキッと青筋を浮かべた。

「そうだ。お金がないんだ。どこかの病弱馬鹿のおかげで馬車を買うハメになったものでな」

「困ったもんですねえ。まったく、どこの病弱馬鹿さんでしょう? 懲らしめてやらないと」

 皮肉をものともしないライの発言に、ピュアのおでこに浮かぶ青筋の数が増える。

「そうだな。確かに懲らしめてやらないとな。ハリセンじゃ温そうだから、この馬車で引きずり回すというのはどうだろうか?」

 本気と書いてマジな顔のピュアに、ライの顔から血の気が引いた。

「ははは、じょ、冗談ですよ。お金なら僕が出しますから心配いりませんよ」

「何? お前、金を持っているのか?」

 以外な言葉に驚くピュア。

「ええ、まあ少々なら……」

 そう言って、ライが自分の懐から金の入った皮袋を取り出した。本人は少々などと言っているが、ズシリとしたその重量とそれらが擦れ合う音で、ピュアには中に入っているのが全て金貨であることが分かった。これだけの量となるとかなりの額だ。

「まったく、金を持っているなら最初から言え。これなら馬車もお前に買わせればよかった」

 口を尖らせて不満を述べるピュアに、ライが困ったような笑みを浮かべる。

「すいませんねえ。あの時は意識が朦朧としていたもので」

「まあいい。で、お前はその金をどうやって手に入れたんだ? 盗んだわけじゃあるまいな?」

「人聞きの悪いこと言わないでください。これは賞金ですよ」

「賞金って何のだ? ソルナドくじのか?」

「違いますよ。賞金首を捕らえてもらった賞金です」

 ピュアの顔が驚愕に染まる。持っていた手綱が緩み、馬車がバランスを崩した。

「賞金首の賞金って、お前、賞金稼ぎだったのか?」

 ピュアの言葉にブンブンと首を振るライ。

「いやいや、違いますよ。路銀の足しになればと思って少々やってただけです。主に傭兵崩れの野盗狙いなんですけどね。以前住んでた近辺でバッタバッタと野盗を薙ぎ倒しているうちに、いつの間にか結構な額になっちゃいまして」

「ふーん。でも、これだけ稼ぐってことは結構な数を倒したんだろ?」

「そうですねえ。まあ、軽く一〇〇〇は超えてるんじゃないですか」

「何! 一〇〇〇!」

 ピュアが、信じられないといった表情を浮かべる。

「ええ、何しろ野盗さんには人権というものが存在しませんからねえ。おまけに国籍もありませんし。どれだけ倒しても良心が痛まないから助かりますよ。デッドオアアライブ(生死問わず)なら皆殺しもオッケー。おまけに、その野盗さん達が溜め込んでたお宝もゲットできちゃうんだから、ほんと笑いが止まりませんよねえ。はっはっは」

「こ、こいつ、腐ってやがる」そう思いながら馬車を走らせるピュアであった。


 宿はなるべく安いところに決めた。これからの旅を考えると、無駄な浪費をする余裕はない。これにはライも即座に同意し、場末にある年季の入った安宿を取った。当然二部屋である。

 ライは同室でもいいと言ったが、ピュアが断固拒否した。

「ところでライ……」

「何です?」

「何で街中に入ってまでフードを被っている? お尋ね者か、お前は?」

 ピュアの言葉に、ライが困ったような表情で答えた。

「いや、これはですね、何といいますか、あまり目立ちたくないといいますか……」

「前の宿場町では平気だったじゃないか」

「あれは夜でしたからね」

「何だと? やはりお尋ね者なのか!」

「違いますよ! 何と言うか……そうだ。僕、病弱じゃないですか。だから、他の人から病気をもらわないようにですね……」

「先ほどと言っていることが違うぞ」

「うっ! ま、まあとにかくそういうことなんです。別にお尋ね者というわけじゃありませんから気にしないでください」

「ふーん……」

 ライのしどろもどろな様子に、ピュアの疑念はまだ消えない。

 そんなピュアを見たライが、強引に話を変えてきた。

「で、これからどうします? 僕、結構本気でお腹が減ってきたんですけど」

 空腹を訴えるライを、ピュアが一蹴する。

「まだだ。先に冒険者ギルドに行くぞ」

 冒険者ギルド。ファリア大戦終息後、大陸主要国によって平和条約が結ばれた後に発足した、冒険者を支援するための施設で、金の貸付、預貯金の管理、情報の提供、クエストの斡旋、賞金首の案内、旅に必要な装備品の売買などを一括して行っている施設である。

 ピュアとライの二人は、宿に馬車と荷物を預けた後、グラナ中心部にある冒険者ギルドグラナ支部へと向かった。

 年季の入った木製の扉を開けると、そこはいかにも賞金稼ぎといった感じのいかつい剣士や、旅などまるでしたことのない田舎者丸出しの若者など様々な人種で賑わっている。

 二人は受付に行き、白いエプロンドレスに身を包んだ、酒場の女主人のような風体の女性に声をかけた。

「情報が欲しい」

「何のだい?」

 簡潔なピュアの言葉に、やはり簡潔な問いが返ってきた。

「やみき、しーーーーーーー!」

 闇騎士と言おうとしたピュアの口をライが慌てて塞ぎ、そのまま店の隅へと移動する。

 周りに注目されていないことを確認して、ライはピュアの口を塞いでいた手を放した。

「ぷはっ、何をする!」

「何をするじゃありません!」

 普段はピュアのすることにそれほど抗議をしないライが、この時ばかりは強い口調で言い放った。

 その迫力にピュアが思わず押し黙る。

「前の酒場での話を聞いてなかったんですか? 闇騎士は相手が悪すぎるんです。相手は各国の要人ばかりを暗殺する超一流の殺し屋ですよ。それを、たかだか十数人の野盗にすら手こずるあなたが倒せるわけないでしょう。身の程をわきまえなさい」

「だが……」

「だがじゃない!」

 抗弁しようとするピュアを、ライが一喝する。

「いいですか? 志が高いのは結構。目標が大きいのも結構です。でも、勇気と無謀は違うんです。小虫並みの力量しかないくせに、猛獣に喧嘩を売るのは愚の骨頂。馬鹿を通り越して大馬鹿者です」

「でも……」

「でもでもない!」

 またも抗弁しようとしたピュアを、再びライが一喝。

「挑むなとは言いません。あなたは言っても聞かないでしょうから。でも、今は時期尚早です。まずは力を付けること。高い山の登りたいのなら、まずは低い山に登って経験を積みなさい」

 純度一〇〇パーセントの正論に、もはやピュアは何も言うことができなかった。

 ピュアがしょんぼりとした面持ちで、再び受付へと向かう。

「おや、お話は終わったのかい?」

「うむ、簡単なクエストがしたい。手頃なものはあるか?」

 若干不服そうな口ぶりで尋ねるピュア。その後ろではライが、それでいいと言わんばかりにうんうん頷いている。

 受付の女はそんな二人の様子に愉快そうな笑みを浮かべると、一枚の紙を取り出した。

「それならいいのがあるよ。最近この近くにある村で、ゴブリンの群れがよく出るらしくてね。まだ死人が出たわけじゃないんだが、家畜や農作物が軒並みやられて困ってるみたいなんだ。どうやらグラナ山の麓辺りから下りてきているらしいんだが。どうだい、やってみるかい?」

 ピュアがライにチラリと視線を向ける。ライが一つ頷くのを確認して、ピュアは女の問いにイエスと答えた。

「うむ。では、それで頼む」

「あいよ。今手続きするからちょっと待ってな。あっ、そうそう。もう一人、この依頼を受けた男がいてね。あそこにいる奴だ。もしよかったら、組んでみたらどうだい?」

 そう言って、女は店の隅で酒を飲んでいる一人の男を指差した。


 受付の女が指した先にいたのは、店の片隅にあるテーブルで果実酒ワインをラッパ飲みしている男だった。体にピッタリとフィットした袖なしシャツに、黒いズボンを身に着けている。褐色の肌に黒い瞳。髭こそ綺麗に剃ってあるが、赤茶色の髪を無造作に伸ばしたその風貌。にも関わらず、どこぞのゴロツキを思わせないのは、男に生来備わっている雰囲気故だろうか。 

顔も端整で、どこかエキゾチックな魅力を醸し出している。すぐ近くの壁には見事な紋様の彫られた槍が無造作に立てかけてあった。槍術士だ。ハルバードのような斧槍とは違い、純粋に突くことだけを目的に造られたらしいその槍は、穂の長さが少なくとも六〇センチはあるにも関わらず、柄の長さがピュアの身長の倍ほどもあった。それを使いこなせるだけでも持ち主の技量が知れる。

 ピュアは緊張した面持ちで、その男に声をかけた。

「もし、聞けばあなたもゴブリン退治を希望されているとか。よろしければ同行させていただけないだろうか?」

 できる限りの礼を尽くして接するピュアに、男がぶっきらぼうに答える。

「ああ、好きにしな」

 ピュアの方を見向きもせずに再び酒をあおる男。その態度で、ピュアの頭に血が上る。

「おい、お前。その態度は何だ!」

 頭に血の上ったピュアが、男の持っていた酒瓶をはたき落とす。瓶は床に落ちて砕け散り、残った酒が床を赤く染めた。

「何すんだ、てめー!」

 男が怒りの形相を浮かべて席を立つ。ピュアより頭二つ分ほど背の高い男の威圧感に、ピュアは思わず一歩後退した。

「まだ、半分以上残ってたんだぞ! どうしてくれ……」

「はいはい、落ち着いてー。ここは一つ穏便にー」

 興奮してピュアの胸倉を掴もうとした男の間に、ライが割って入った。

 男はなおも抗弁しようとしたが、ライの顔を見た途端にその態度が急変する。

「お前……」

「えっ? 僕の顔に何か?」

 驚愕の表情を浮かべる男に、ライがきょとんとした顔を向ける。

「知り合いか、ライ?」

「いえ、初対面だと思うんですが……」

 しかし、男の驚愕の表情は変わらない。

 驚きのあまり声を出せない男に代わって、ライが口を開く。

「あのー、どこかでお会いしましたっけ?」

 男が大きく目を見開いた。

「お会いって……お前、俺が誰だか本当に分からないのか?」

「いやー、あいにくと綺麗な女性ならともかく、男性の顔を覚えるのは苦手でして」

「…………」

 今度こそ男は、何も言えずに押し黙った。

 ピュアもどう反応したらいいのか分からず、ライのローブの裾をちょいちょい突いて耳元でそっと呟く。

「おい、やっぱりお前の知り合いじゃないのか? どう見てもお前のことを知っているように見えるぞ」

「みたいですね。まあ、僕は数年前から記憶を失くしちゃってるんで、記憶を失くす以前に知り合った人かもしれませんけど」

「は?」

 小声で喋っていたピュアが、驚きのあまりいきなり大声になる。耳元で大声を出されたライは、全身に電流が走ったかのように身を竦ませた。

「記憶喪失だと? そんな話は聞いてないぞ!」

「ええ、今初めて言いましたからね」

 驚くピュアに、あっけらかんとライが答える。

「どうして黙ってたんだ?」

「いや、言う必要もないかと思いまして。聞かれませんでしたし」

「聞くわけないだろうが。お前の記憶はちゃんとあるか? なんて普通は聞かんぞ。お前の方から言うのが筋だろうが!」

「だから、今言いましたよ」

「そういうことを言ってるんじゃない!」

 納得できないといった感じで噛み付くピュアと、それを軽くいなすライ。

 そんな二人のやりとりを見て、幾分冷静を取り戻した男が小さく呟いた。

「そうか、記憶がないのか……」

 目の前の男の呟きに、それまでやりあっていた二人の動きが止まった。

「あのー、やっぱりどこかでお会いしました?」

 申し訳なさそうに尋ねるライに、男は首を振って答えた。

「いや、気にしないでくれ。きっと人違いだ。あれから四年も経つんだ。そんなはずはない」

 男が先ほどのだらけきった態度からは信じられないほど真面目な表情になって、二人に向かって口を開く。

「申し遅れた。俺の名はアルフレド・ケットシー。しがない槍術士だ。ゴブリン退治の件、俺でよかったら同行させてほしい」

 男の突然の変化に、ピュアとライは思わず顔を見合わせた。



「いやー、まさかあんた達が馬車を持っているなんて思わなかったぜ。おかげで移動が楽なこと、楽なこと。はっはっはっ」

 ゴブリン討伐のクエストを受けた翌日、アルフレドが慣れた手つきで手綱を操りながら豪快に笑う。

 その手綱捌きたるや実に巧みで、ピュアのそれとは雲泥の差であった。

「従者のくせにまともに歩くこともできない病弱お荷物を一つ抱えているのでな。これも主人の甲斐性というやつだ」

「すみませんね。お荷物で」

 嫌味たっぷりのピュアの一言に、ライが渋面になって呟く。

 今、二人はアルフレドに手綱を任せて、後ろの荷台に座り込んでいた。その空気は若干ピリピリしている。

「しかし、アルフレド。あなたは馬も操れたのだな。大したものだ」

 ライの方をチラチラと見ながら、アルフレドに賛辞をおくるピュア。

 ライの顔がさらに渋くなる。

「こう見えても、あちこちを飛び回ってるんでね。色んなことが身に付くのさ。昼頃には例の村に着くから、それまでは休んでいるといい」

「聞いたか、ライ。この細やかな気遣いを。どっかの馬鹿にも見習わせたいものだな」

「…………」

 さらに皮肉を続けるピュアを、どうやらライは無視することに決めたらしい。そのまま、ピュアに背中を向けて横になる。

「そういやピュア、あんたクエストの経験はどれくらいあるんだ?」

 クエスト。それは冒険者ギルドが斡旋している簡易任務のことである。個人による依頼から国による依頼まで、その依頼主の幅は非常に広く、任務内容もモンスターの討伐、遺跡の探索、または依頼主の護衛など多岐にわたっていた。

 依頼主は冒険者ギルドに一定の手数料を支払い、任務を受けてくれる冒険者を募ってもらう。冒険者ギルドはファリア大陸各国にあるため希望者を募りやすく、また冒険者側も路銀の足しや名を上げるために受けることが多いため、需要と供給のバランスが上手く保たれていた。

 今回のクエストは、グラナ近郊にあるポムの村のゴブリン退治。一般的な冒険者にとっては、そう難易度の高いクエストではない。

 アルフレドの問いに、ピュアが躊躇いがちに口を開く。

「いや、実は今回が初めてなんだ」

「へえ! 今回が初クエストってわけか。じゃあ、今までゴブリンと戦った経験は……」

「ない。野盗やゴロツキ相手なら、かなり経験豊富なのだが」

「そうか……」

 アルフレドがそこで一旦言葉を切る。

「まあ、誰にでも初めてってのはあるもんだ。よかったら、軽くゴブリンについて説明するが」

 アルフレドの態度には嘲りや蔑みといった感情はなかった。それがピュアの心を軽くする。

 そんなアルフレドの言葉にピュアは素直に頭を下げた。

「頼む。まだ未熟者なので色々と教えてほしい」

 ピュアの素直な言葉に、アルフレドは笑みを浮かべる。

「任せておけ。まず、今回俺達が退治するゴブリンだが、それほど知能の高い相手じゃない。使う武器も棍棒や斧といった鈍器がほとんどで、力の方も人間とさほど変わらない。とまあ、ここまではよく聞く話だ。ただ、ゴブリンを相手にする時に二つだけ注意することがある。一つ、あいつらは恐ろしくタフだ。まるで痛みを感じていないと思えるくらいにな。少々の傷を負ってもそのまま反撃してくる。仕留めるなら確実に心臓を貫くか、頭を潰せ。一瞬の油断が命取りになる。二つ目、奴らは基本的に群れで行動する。一対一なら確かに手こずるような相手ではないが、今回の相手は少なく見積もっても五〇はいるらしい。囲まれるような事態は絶対に避けろ。いいな!」

 先ほどまでと違い、真剣な表情で言うアルフレドに、ピュアが気を引き締めて頷く。

「それで作戦はあるのか?」

「まあ、今回は魔法士がいるからな。ゴブリンの巣さえ発見できれば、あとは魔法で一網打尽という手も……!」

 そう言っていたアルフレドの言葉が突然止まる。

 ピュアが何事かと前を見ると、目的のポムの村の方角から大きな火の手が上がっていた。

「あれは、まさか……」

「飛ばすぞ!」

 返事を待たずにアルフレドが馬を走らせる。

 反応が遅れたピュアとライの二人は、荷台の中で盛大に転がった。


 村に着いた時には、すでにその半分はゴブリン達に占拠されていた。

 その数はおよそ五〇。事前の情報と一致する。

「先に行く! 後から来い!」

 村の入り口に馬車を止めたアルフレドが、短く言い残して颯爽と村に入る。

 ピュアも荷台から降りてそれに続いた。

「行くぞ、ライ!」

「えー、着いたばかりでいきなり戦闘ですかあ? ちょっとは休まないと持病の癪がホゲッ!」

 たわ言をぬかすライをハリセンで黙らせ、ピュアもアルフレドに続いて村へと入った。

 村の状態は酷かった。農作物は軒並み荒らされ、家畜は殺されている。

 しかし、人の死体はまだ見当たらない。

 ピュアが安堵したのも束の間、前方で村の男に襲い掛かるゴブリンの姿が見えた。

「は!」

 裂帛の気合と共に、ピュアが離れた位置から斬撃を繰り出す。

 ピュアの剣から繰り出された斬撃は、地を這うように突き進み、ゴブリンを両断した。

 自身のマナを斬撃に乗せて飛ばす技、スラッシュだ。

 何とか命を拾った村人が、ゴブリンの死体を退けてピュアの元へと駆け寄ってきた。

「あんたら、ゴブリン退治を引き受けてくださった冒険者様かい?」

 若干方言の入り混じった村人の問いに、ピュアが頷く。

「そうだ。他の村人達はどうなっている?」

「皆、丘の上の修道院に避難しただ。オラは逃げ遅れたもんがいないか見にきただ」

「そうか。分かった。逃げ遅れた者の探索は私達がするから、あなたもその修道院に避難してくれ」

「んだ!」

 村人はピュアの言葉に一つ頷くと、そのまま修道院へと向かっていった。

「さて……」

 見れば、ライとアルフレドもゴブリン相手に奮戦している。

ライは魔法、アルフレドは槍撃で。

 ライの詠唱時間をアルフレドが稼ぎ、その魔法で一気にゴブリン達を蹴散らしていた。

 中々のコンビネーションだ。これなら討伐の方は、二人に任せて大丈夫だろう。

 そう判断したピュアは、逃げ遅れた者の探索へと向かう。

 さほど大きくない村を、虱潰しに探すピュア。ゴブリンの大半はライ達が引き受けているものの、全てというわけでもない。

 しかし、出てきても大抵は一匹なので、特に苦戦することもなく倒し、先へと進む。

 どうやら、もう逃げ遅れた者はいないようだ。

 ピュアがそう思った時だった。

 半壊した民家の水瓶の中から、一人の子供が飛び出してくる。

 ちょうど前方にいたゴブリンと自分との間に。スラッシュを放とうにも子供が間に入っているため繰り出すことができない。

 棍棒を振り上げて子供に近づくゴブリン。子供は、腰が抜けているのか動くことができない。

 今まさに、その無骨な棍棒を振り下ろそうとするゴブリンを前に、ピュアは慌てて子供を庇うように覆い被さった。

「ピュア!」

 どこかでライの叫びが聞こえる。死を覚悟するピュア。

 しかし、いつまで経ってもその瞬間はやってこない。

 ピュアが恐る恐る目を開けて振り返ると、そこには見事な紋様の彫られた槍に体を貫かれて息絶えたゴブリンの姿があった。

「やれやれ、ヒヤヒヤさせるぜ」

「まったくです」

 そう言って、安堵の息を漏らすライとアルフレド。

 そして、戦いは終わりを告げた。


 奇跡的に死者は出なかった。

 事前に村人の大半が、修道院に避難していたことが功を奏したようだ。

 建物の方は残念ながら無傷というわけにはいかなかった。農作物や家畜の方も酷い有様だったが、それでも村の住人は死者が出なかったことに安堵し、一行に手厚く礼を述べた。

「アルフレド、お疲れ」

「ああ、ピュア。お疲れさん」

 小さな岩に座り込んで水を飲んでいたアルフレドに、ピュアが声をかける。

「その、さっきは助かった。礼を言う」

「気にするな。困った時はお互い様さ」

 アルフレドはカラカラと笑った。しかし、すぐさま真顔に戻ってピュアに告げる。

「ところで、ピュア。無礼を承知で言うが、お前の使っている剣術は……はっきり言って今のお前には合っていない」 

「え?」

「誤解しないでくれ。貶しているつもりはない。ただ、お前の使っている剣術は、本来腕力に物を言わせて振るう剣だ。速さを生かして戦うお前には合っていない」

「…………」

「その若さでスラッシュまで使えるんだ。相当な研鑽を積んだのはすぐに分かる。ただ、これからお前が戦う相手が強くなるにつれ、今の状態では命取りになるぞ」

 ピュアにも分かっていた。ピュアの使うフェアリス流剣術は、元々ミドス王国近衛騎士団が使う剣術で、アルフレドの言うとおり自身の腕力に重きを置く技が多かった。

 細身の女性であるピュアも、今の剣術が自分に合っていないことは百も承知している。

「だが、私にはこれしか……」

「教えてやろうか?」

 アルフレドの突然の提案に、ピュアは目を丸くする。

「教えるって、槍をか?」

「違う違う。槍ってのは、こう見えても結構腕力が要る。少なくとも剣よりは重いしな。俺が言っているのは体の使い方のことさ。ピュア、お前は剣士であるが故に、その剣を斬ることに重点を置いて振るっている。しかし、本来速さを活かして戦うお前にとっては、斬ることよりも突くことの方が適している。槍の本質とは突きだ。自身の速さに体重をのせて突くことができれば、己の非力も少しは補えるだろう。どうだ?」

「何故、そこまでしてくれるんだ?」

 その言葉に、アルフレドは薄く笑う。

「別に、ただの気まぐれさ。そう、ただの……な」

 アルフレドは独り言のようにそう呟いた。

「で、どうする? 無理強いはしないが」

「頼む」

 アルフレドの提案に、ピュアは大きく頭を下げて答えた。

「…………」

 こっそりとその様子を伺っていた一人の男の存在に気づかぬまま。

 

 ゴブリン退治が完了したその日、一行は村で一泊することとなった。村の開いてくれた簡素な宴を終えた後、日も暮れた時分に、ピュアは村から少し離れた広場へとやってきていた。

「……来たか」

 広場ではすでにアルフレドが、槍ではなく棍を携えて待っていた。

「言っておくが、俺が教えるのはあくまでも基本だけだ。後は、お前がこれからの旅で研磨していくしかない」

「ああ、よろしく頼む」

 アルフレドの言葉に、ピュアが一つ頷いて剣を構える。

「よし。では、行くぞ!」

 そして、ピュアの特訓が始まった。


「まずは一度だけ手本を見せよう」

 アルフレドは、少し重心を落として右足を引いた。次に棍を顔のすぐ横に引いて、最後に左手を前に突き出す。

「見せるのは一度だけだ。もっとも、見えるかどうかは分からんがね」

 アルフレドの静かな迫力と全く隙のない見事な構えに、ピュアは思わず息を呑んだ。

「行くぞ」

 そう静かに告げた瞬間、ピュアの目の前に一筋の閃光が走った。気が付くと、自分の顔のすぐ横をアルフレドの棍が突き抜けている。少し遅れて、アルフレドの棍撃によって巻き起こった風が、ピュアの髪をなびかせた。

 あまりにも一瞬の出来事にピュアはしばし呆然となったが、しばらくした後に、ようやく自分がアルフレドに突かれたことを理解する。

「さて、手本は見せた。あとはまあ、やるしかない」

 そう言って、アルフレドはニヤリと笑った。


 暗くなった広場で、ピュアの気迫のこもった声だけがこだまする。

「はっ!」

 数時間前からピュアが突きを繰り出し、アルフレドがそれを捌くという単純な動きが繰り返されていた。

 アルフレドもただ捌くだけでなく、捌いた後に持っている棍でピュアの体を数度叩く。

ただそれだけの繰り返し。アルフレドは何も言わない。ただ無言で叩くだけ。

 しかし、数時間もその作業が続けば、ピュアの体には無数の痣ができていた。

 手の甲、膝、肩、そして頭。先ほどからその四箇所を集中的に叩かれている。幸い、頭の時だけは若干緩めに叩かれているものの、手の甲、膝、肩の部分はすでに痛みで悲鳴を上げている。今は暗くてよく見えないが、さぞ腫れ上がっていることだろう。

 何度突いたか数えるのが面倒になったころ、手の甲がその痛みに耐え切れずに剣を落としてしまう。膝や肩もひどく痛い。

(何故だ? 何故同じ箇所ばかり叩かれる? 自分の構えに不自然なところは……)

 そこでピュアがハッと閃く。手の甲を叩かれるのは剣の握りが甘い時。膝を叩かれるのは、膝が外側に開いて体重移動が散漫な時。肩を叩かれるのは、上体が高い時。そして、頭を叩かれるのは、顎が上がって速さが十分に出ていない時だということを。

 そして、何よりも自分は剣を持った手を前にして構えていた。通常、細身剣を使う者は剣を持った手を前にして構える。しかし、それでは腰の力を十分に剣に伝えられない。

(そうか、だからアルフレドは……)

 ピュアの表情の変化に気づいたアルフレドがかすかに笑う。

「どうする? これぐらいにしておくか?」

 もう体は限界にきている。しかし、その問いにピュアは即答した。

「いや、最後にもう一度だけ試したい」

 笑みを浮かべて棍を構えるアルフレド。それを静かに見据えてピュアも構える。

 右足を下げ、右手の剣を顔の横に引き、左手を前に突き出す。膝を内側に締め、腰を十分に落とし、顎を引く。

アルフレドがさらに笑みを深めた。

「行くぞ!」

「来い!」

 そして、ピュアはアルフレドに向かって突きを繰り出す。

 しかし、アルフレドはその突きを紙一重でかわし、棍で剣を弾き飛ばした。

アルフレドが、体を叩かなかったのは初めてだった。

「合格だ」

 アルフレドがピュアに向かって呟く。

「俺にできるのはここまで。後はお前の力でこれを昇華していけ」

 ピュアにアルフレドの言葉は聞こえていなかった。

 最後の突きを繰り出した後、ピュアは満足そうな笑みを浮かべたまま気を失っていた。


「おい! 終わったぞ! そろそろ出てきたらどうだ!」

 ピュアが意識を失っているのを確認して、アルフレドが一本の木に向かって声をかける。

少し間を置いて、そこから隠れて様子を伺っていたライが姿を現した。

「覗きとはいい趣味だな」

「影からそっと見守るのも従者の務めですよ」

 アルフレドの皮肉をライが軽くいなす。

「疲労が限界に達したのだろう。ゆっくり休ませてやれ」

 アルフレドがピュアを抱きかかえてライへと渡した。

「すいませんね。うちのご主人様がお世話になっちゃって」

 申し訳なさそうに口を開くライに、アルフレドは不敵に笑って答える。

「気にするな。俺にも俺の事情がある」

「…………」

「これだけ疲れていれば、しばらくは目を覚ますまい」

 それだけを言い残し、アルフレドは村へと戻っていった。



 深夜、少し前までピュアが特訓していた広場に何者かの足音が響く。

「眠れないのかい?」

 広場に座って果実酒を飲んでいたアルフレドが、足音の方に声を投げた。

「ええ、眠れませんね。部屋の前であんなに強烈な殺気をずっと叩きつけられては、ね」

 足音の主はライだった。ワンドを片手に無表情で告げる。

「まったく、こちとら病弱なんですから、少しは労わってほしいものです。人から恨まれる覚えは……多々ありますが、どうしてもあなたのことは思い出せないんですよね」

 ライはおどけた口調でそう言うが、その体勢には全く隙がなかった。

「俺も正直分からないんだ。俺の知っている奴がお前なのかどうか。見た目は怖いくらいにそっくりなんだけどな。まあ、それを確かめるためにも一つ手合わせ願いたい」

 飲み干した果実酒の酒瓶を放り投げて槍を構えるアルフレド。ピュアに稽古をつけていた時と同様に、右足を下げ、槍を持った右手を顔の横に引き、左手を前に突き出す。独特の構えだった。槍は両手で持って戦うのが通常だ。それを片手で易々と操るとは。それだけでもアルフレドの強さの一端が垣間見えた。ライは大きくため息を吐いて答える。

「嫌だと言っても無駄なんでしょうね」

 その言葉にアルフレドがニヤリと笑う。

「ご明察、だ」

 そして、叫ぶと同時にアルフレドはライに襲い掛かった。

 深夜、二人だけの舞踏会が始まる。


 速い。アルフレドの初撃を何とか避け切り、両者が静かに睨み合う。

 先に口を開いたのはライだった。

「どうしてもやるんですか?」

 一瞬間を置いて、アルフレドが答える。

「ああ、まあな。付き合わせて悪いとは思っている。ただ、もしお前が俺の知っているあいつだとしたら、あの時の答えを伝えたい」

 アルフレドの覚悟に、ライがまたもため息を吐いて構えた。

「やれやれ。まったく、こっちはいい迷惑ですよ。死んでも恨まないでくださいね」

 その言葉に、アルフレドは薄く笑った。

「フッ。その自信、本当に奴そっくりだ。だが、その自信をいつまで保っていられるかな!」

 そう言うやいなや、アルフレドが初撃の何倍もの速さで突撃してきた。まるで、疾風のようなするどい突撃。ライは慌てて魔法を唱える。

「吹きぬけよ、風の刃。エアブラスト!」

 ライがそう唱えた瞬間、ワンドから無数の風刃が飛び出し、アルフレドに襲い掛かる。

「フッ、甘いな」

 しかし、なんとアルフレドはその風刃に自ら飛び込み、その全てを最小限の動きでかわして再びライへと迫ってきた。

 そして、そこはすでにアルフレドの間合いに入っている。

 ライはアルフレドの繰り出す一撃を何とかワンドで受け流して、再び距離を取った。

 やはり、強い。ライの頬から一筋の汗が伝い落ちる。

 速さ、槍術、身のこなし。全てが恐ろしく高い次元で調和している。

 ライとて槍術士との戦闘経験がないわけではない。

 しかし、今までやりあってきた者達が赤子に思えるほど目の前の男は強かった。

 アルフレドがわずかに笑みを浮かべて告げる。

「何だ? ずいぶんと余裕がないな。こちらはまだ全力ではないんだが……」

「…………」

 ライは、無言で内心の動揺を必死に押し殺した。あれで全力ではないとは。ハッタリであってほしい。そう願うライであったが、本能では分かっていた。アルフレドの言っていることは真実だと。

 ライは自分の不利を悟っていた。本来、魔法士というのは一対一の戦いには向かない。

 あくまでも前衛を置き、その前衛が敵を止めている間に魔法を使って敵を殲滅、あるいは味方をサポートするのが本来の戦い方である。

 前衛のいないこの戦いは、ライにとって極めて不利な戦いといえた。

 ライとて勝機がまったくないとは思っていない。大技を使えれば十分勝機はある。

 しかし、問題はその詠唱時間をどうやって稼ぐかだった。

 魔法はその威力に比例して詠唱時間も長くなる。故に、大きな魔法を唱えようとすれば、それ相応の時間がかかるのだが、どう考えても目の前の男がそんな時間を与えてくれるとは思えない。

「おい、そろそろいいか? 行くぞ!」

 そう口にした時には、すでにアルフレドはライに向かって突進していた。

 結局打開案を見出せぬまま、ライはとりあえずアルフレドの突進をも止めるべく魔法の詠唱を開始する。

「炎よ。壁となりて我を守れ。ファイアウォール!」

 ライが唱えると同時に、ライとアルフレドの間を隔てるようにして炎が立ち上る。

 その高さは、ゆうに五メートルを超えている。ライは内心で安堵した。

「フウ、とりあえずこれで時間をかせ……!」

 しかし、突如上からの殺気を感じて頭上を見上げるライ。その頭上ではアルフレドが槍を構えて猛スピードで落下してきた。

(馬鹿な、この高さを超えられるわけが……そうか、槍を使ったのか!)

 ライが瞬時に、アルフレドが地面に槍を突き立てて、その反動を利用して炎の壁を越えてきたことを理解する。

 ライは小さく舌打ちしてファイアフォールを解除。アルフレドを迎撃すべく、再度詠唱に入るが……間に合わない!

 そう判断した時には、すでにライは剣を抜いていた。

 そう、ワンドの中に仕込んでいた、本来魔法士が使うことなどない剣を……


 間一髪、剣で槍を受け流したライは、そのまま後ろに飛んで、アルフレドと距離を取った。

 アルフレドも追撃はせずに、その場に留まっている。

「ほう、ただの魔法士ではなかったのだな」

「剣を使えないと言った覚えはありませんよ」

 笑みを湛えながら言うアルフレドに、剣を構えながらライが返す。

それは全くの自然体だった。両手で持った剣の先を下に向け、体のどこにも余分な力を込めない自然体。一見、無防備のようでいて、その実、どこにも隙のないその構え。

 その構えを見たアルフレドが、一瞬驚愕の表情を浮かべた後に、嬉しそうな笑みを浮かべた。

「その構え……やはりな」

「さっきから一体何なんですか? こっちにも分かるように説明を求めます」

「すぐに分かるさ。お前がそれまで生きていられたらな。一つ忠告しておく。これから先、一瞬たりとも気を抜くな。さもないと、死ぬぞ」

 そうアルフレドが口にした刹那、突如としてライの眼前からアルフレドの姿が消えた。

 先ほどまでのように猛スピードで突っ込んできたわけでもない。突然、消えるようにしてその姿が見えなくなったのだ。

「気を抜くなと言ったはずだが?」

「…………」

 その言葉は、ライのすぐ後ろから聞こえてきた。ライが反射的に地に転がる。

 そこに一陣の風が吹きぬけた。いや、風ではない。アルフレドが放った神速の突きだった。

「ほう、よくかわしたな」

 再びライの目の前に現れたアルフレドが、不敵な笑みを浮かべている。

 ライは内心で冷や汗を掻いていた。避けられたのはまぐれだ。声があったから何とか反応できた。もしあの声がなければ、今頃自分の胸にはどでかい穴が開いている。

 自分にも勝機がある? とんでもない。アルフレドはゴブリン退治の時も、そして少し前の戦いでも全く本気を出していなかったのだ。

 そして、今のが彼本来の力だとしたら……。自分は勝てない。どう足掻いても。

「さて、次だ。行くぞ!」

 またもその場からアルフレドの姿が消える。全く見えない。その残像すらも。

 目にも留まらぬ速さではない。目にも映らぬ速さだった。

 信じられない。とライは思った。これほどの槍術士が何の肩書きも持たず、何の役職にも就かずに埋もれているなんて。望めばいくらでも仕官なり何なりとなれたはずなのに。

 いや、それ以前に、今のファリア大陸に彼を超える槍術士がいるのだろうか?

 この強さ、これではまるで……。そんな思考をライは無理やり押し殺す。今はそんなことを考えている場合ではない。何とか迎撃しなければ。

 ライは賭けに出た。姿も見えず、どこから来るかも分からない攻撃を防ぐには、全方位を防御するしかない。ライができうる限りの早口で詠唱を終えると、すぐさまその魔法を解き放つ。

「荒れ狂う風よ。全てをなぎ払え。ブラストストーム!」

 その瞬間、ライを中心にして竜巻が巻き起こった。先ほどの炎の壁をはるかに越える高さ。とても飛び越えられる高さではない。

 ライの苦肉の策がこれだった。

 しかし、この魔法はライの全方位を守ると同時に、ライから退路を奪ってもいる。

 つまり、魔法が切れた瞬間に一閃という可能性が濃厚だった。ライがその短い時間で必死に打開案を考える。

 しかし、その時間はライが思っていたよりもはるかに短かった。

「まあ、当然そうくるよな」

「…………」

 そう聞こえた次の瞬間、ライの起こした竜巻を突き破ってアルフレドの槍が向かってくる。

(馬鹿な、竜巻を突き破るなんて! そんなことできるわけが……)

「そんなことできるわけない、か? 残念だったな。そこいらの有象無象には確かに無理だろう。だが、今回は相手が悪かったな」

 ライがその言葉を最後まで聞くことはなかった。

 気づいた時には、ライは槍の柄の先端部分をモロに喰らって、後方に大きく吹き飛んでいた。


 アルフレドの槍先が、ライの顔前で停止する。

 ライは死を覚悟した。心の内でピュアに何度も詫びながら。

 しかし、アルフレドはそのまま微動だにせず、やがてゆっくりと槍先を下ろした。

「……何故?」

「最初から殺す気などなかったからな」

 ライの問いに、アルフレドはあっけらかんと答えた。

「いや、正確には、別に殺してもよかったが、前に借りがあるから殺さない、といったところか……」

 アルフレドが独り言のように呟く。

「結局あなたは何をしたかったんです?」

 顔に大きな疑問符を貼り付けて尋ねるライに、アルフレドが苦笑して言った。

「言っただろ、ある男に伝えたいことがあるってな。まあ、お前がその男なのかどうか俺にも確証はなかったんだが、さっきので確信した。お前の本当の名は、ライ・アバロン。かつてファリア大陸を救った、ファリア大勇士の……最後の一人だ」

「は?」

 重々しくそう告げるアルフレドに、ライは衝撃のあまり固まった。

「でも、僕は一七ですよ? そのライ・アバロンて人がもし生きているなら、確か……」

「ああ、そうだ。本来なら、奴は今二二になっている。俺もそこが最大の疑問だった。四年前、俺が最後に会った時のあいつとあまりに変わっていなかったのでな。おまけに、今は魔法士を名乗っている。本来の奴は魔法剣士を名乗ってはいたものの、その本質はあくまでも剣士だった。だから俺も、最初は疑心暗鬼だったんだが、先ほどの剣の構えで確信した。お前の取った構えは、ファリア聖教会の聖騎士団が使う剣術の構えに驚くほど酷似している。その剣術は教会の聖騎士に選ばれた者にだけ伝えられる特殊なもので、他の流派が真似ようと思ってもまずできない。その構えをお前は無意識の内に取って見せた。それこそがお前がライ・アバロンだという確かな証拠だ」

 アルフレドの言葉に、ライは大きく、おーきくため息を吐いた。

「……はあ、やっぱりそうだったんですね」

「何だ? 薄々は分かっていたのか?」

 アルフレドが意外そうな表情を浮かべる。

「そりゃそうですよ。ファリア聖教会の前にあるライ・アバロンの銅像に驚くほど良く似ているし、道を歩けばよくライ・アバロン様なんて呼ばれるし。おまけに野盗にまで、何でこんなところにライ・アバロンが! なんて言われる始末。おかげで大きな町の中じゃほとんどフード被ってますよ、僕」

 盛大にため息を吐くライに、アルフレドが苦笑した。

「フッ。大変だな英雄様も。だが、俺にとってはありがたい。お前がライ・アバロンであったことがな」

「え?」

「今のお前は記憶を失くしているらしいから、もし記憶が戻ったらこれから言うことを思い出してほしい。俺は今でも槍を振るっているよ。時々襲ってくる疑心暗鬼を酒で薄めながら。俺は、きっと死ぬまでこうやって槍を振り続けるんだろう。でも、後悔はしていない。お前のおかげだ、感謝している。とな」

 そう言って、アルフレドはライを残して村へと戻っていった。



「ん! 早いな、ライ。もう起きていたのか?」

 村の用意したコテージから出てきたピュアが、開口一番ライに尋ねる。

「はい、おはようございます。ピュア」

 ライは笑顔でそう答えた。

「アルフレドはどうした? まだ寝ているのか?」

 ピュアが、アルフレドが泊まったはずのコテージを見ながら尋ねる。

 ライは軽く首を振って言った。

「いいえ、彼は一足先に出発しました」

「何! もうか?」

 ライの言葉に驚くピュア。ライが苦笑して続ける。

「はい、何か別の仕事があるとかで先に出ちゃいました」

「……そうか」

 ピュアが名残惜しげにそう呟く。

「あれ? ひょっとして、寂しいんですか?」

「いや、使えそうだから、弱みでも握って闇騎士退治に同行させようと思って……」

「ああ、そうですか」

 ライの頬から一筋の汗が伝い落ちる。

「しかし、強い男だったな」

「……はい」

「あれだけの槍術士は、ファリア全土を探してもそうはいまい。まるで、ファリア大勇士のラルフ・ストライク様を見ているようだった。実際、容姿もよく似ているしな」

「……え?」

 ピュアの言葉に、ライが素っ頓狂な声を上げる。

「あの人、ラルフ・ストライクに似てるんですか!」

「似ているのかって、お前、ソルナド英雄譚を知らんのか?」

「いえ、存在自体は知っているんですが、長い文章を読むの苦手なんで読んだことないんです」

「……お前、それでよく魔法士などしているな」

「ほっといてください。で、ラルフ・ストライクというのはどういう人なんです?」

「確か……褐色の肌に端整な顔立ちの青年で、一度槍を持たせれば、その強さはまさしく疾風迅雷。そのあまりの速さに、相手はその残像すら見ることができないという」

「…………」

 ライの顔から冷や汗がダラダラと流れ落ちる。

「まあ、ラルフ様はすでに亡くなっておられるから、そんなことはありえないんだがな」

 そう言って、ピュアはカラカラと笑った。

 対するライは、引きつったような笑みを浮かべている。

「ははは、ですよね。……まさか、ね」

 その言葉の最後は、小さすぎてよく聞こえなかった。


「ところでピュア、次はどこへ行くんです?」

 馬車の準備をしていたピュアに、ライが荷台の中から声をかける。

「そうだな……、次はリュシオン辺りに行ってみるか?」

 その言葉を聞いたライの目が輝いた。

「おっ、いいですねー。僕も一度行ってみたいと思ってたんですよ」

「ふむ、さすがは魔法士といったところか」

「いや、リュシオンの女性は皆美しいという話を聞きまして」

「死んでしまえ」

 ピュアがプクッとリスのように頬を膨らませてそっぽを向く。

「まあまあ、焼かないで。可愛いお顔が台無しですよ」

「焼いてなどいない! お前の節操のなさに呆れているだけだ!」

 ライの言葉に、ピュアが思わず怒鳴り声を上げた。そんな様子を楽しそうに眺めるライ。

 しばらくそのままピュアを眺めていたが、やがてポツリと口を開いた。

「実はピュア、以前に僕が記憶喪失だということを言わなかった際、何やらすごく怒っていたじゃないですか」

「今も怒っているがな」

「まあ、それは置いといて。で、ですね、それを踏まえて一つお伝えしておきたいことがあるんですが」

「何だ?」

「実は僕、ライ・アバロンなんだそうです」

「は?」

 あまりに突然の告白に、思わず固まってしまうピュア。

 ライはその反応を予想していたのか、再びゆっくりと先ほどより大きな声で繰り返す。

「実は僕、本物のライ・アバロンなんです!」

「…………」

 ピュアはしばらく固まった後、盛大に笑い出した。

「あっはっはっ」

 笑いながらライの肩を叩くピュア。しかし、ひとしきり笑った後、急に真顔に戻って一言。

「冗談は顔だけにしておけ」

 ライは、ピュアの静かな迫力に若干気圧された様子を見せながらも、一つ咳払いして続けた。

「僕も嘘だと思いたいんですけどね。残念ながらアルフレドにも言われちゃいました。お前は間違いなく本物のライ・アバロンだって」

「何! 何でアルフレドが本物のライ・アバロン様を知っているんだ?」

「それは……」

 ライがわずかに口篭る。しかし、すぐに思いついたように口を開いた。

「前に一度、本物に会ったことがあるそうです。その時のライ・アバロンが僕にそっくりだと。実際見た人が言うんですから間違いないでしょう」

 ライの言葉に、ピュアの方は小刻みに震えている。

「ピュア?」

「嘘だーーーー!」

 それは突然の叫びだった。

「嘘だ嘘だ。お前が本物のライ・アバロン様だなんて絶対嘘だ。お前が私の憧れた、毎夜夢に出てきて優しく私に語りかけてくるあのライ・アバロン様だなんて絶対嘘だ。でも、でも、万が一、いや、億が一、お前が本物のライ・アバロン様だとしたら、私は、私は……うがーー!」

 澄み切った空の下、ピュアの絶叫がどこまでも遠く鳴り響いた。


▲▲▲

「ひいいーーーーー」

 耳障りな悲鳴が部屋にこだまする。

 ラーゼン王国宰相のグラッグ・ヴェユルンは、今恐怖に震えていた。闇が襲ってくる。

 深夜、床に就いていたグラッグの頭に何かが落ちてきた。不思議に思いランプを点けたグラッグの目に飛び込んできたのは、自分と共に税収を横領していた税務担当大臣の首だった。

 グラッグは悲鳴を上げた。どこにこんな声が眠っていたのか自分でも不思議に思うほどの大声だった。しかし、誰一人自分の元に駆けつけない。

 執事のリグスも、衛兵長のトルドも。誰一人として自分の元にこなかった。

 どうしたというのだ? いつもなら、呼び鈴を鳴らせば一分と待たずに自分の元に駆けつけるというのに。

「呼んでも誰もこない」

「…………」

 グラッグの心の声に応えるかのように闇から声が響く。それは若い男の声だった。

 しかし、気配はない。誰もいないはずの闇から声が聞こえたのだ。

「お前以外は、皆眠っている」

 いや、いた。闇の中から、静かに何者かの姿が浮かびあがる。

 それは男のようだった。長身痩躯を漆黒のマントで包み込み、顔には黒い仮面を着けている。そう、まるで闇に染まりきったような真っ黒な仮面を。

 いや、それを仮面と呼んでいいのか分からない。その仮面には何の装飾も施されていなかった。ただ、黒いだけの面。グラッグの恐怖がさらに強くなる。

「な、何者だ、貴様。私が誰だか知っているのか?」

 わずかな間を置いて、黒仮面が答えた。

「知っている。ラーゼン王国宰相、グラッグ・ヴェユルンだろう。お前を殺しに来た」

 淡々とそう答えた黒仮面は、ゆっくりと剣を構える。

「き、貴様、まさか、闇騎士か!」

「そう呼ぶ者もいる」

 グラッグは慌てた。これだけ騒いでも誰もこないということは、おそらく本当にこの屋敷にいる者達は全て眠らされたのだろう。

 つまり、今自分を守る者はいない。となれば……

「何が目的だ?」

 グラッグは唾を飛ばしながら叫んだ。

「お前の命」

 闇騎士が短く答える。

「だ、誰だ? 誰に雇われた? ミドスの者か? アドンの改革派か? それともレジスタンスか?」

「どれでもない」

 叫ぶグラッグに、闇騎士は冷たく言い放つ。

「私がお前を殺したいだけだ」

 ゆっくりとグラッグに近づく闇騎士。グラッグがさらに大きな声で叫ぶ。

「待て、金ならいくらでもくれてやるぞ。地位が欲しいのなら、我が国の近衛騎士団長の地位をやろう。どうだ? 私を殺すよりも、手を組んだ方が互いの利益になると思うが」

 今、グラッグは自分の頭をフル回転させて喋っていた。

自分はこの巧みな交渉術によって今の地位を得た。この危機もそれを使って必ず凌いでみせる。と、グラッグは考えていた。

 グラッグの言葉に、闇騎士がその動きを止めた。グラッグは安堵した。助かったと。

 自分の身の安全を確保できたと思い込んだグラッグが、冷静さを取り戻して闇騎士に向かって交渉を開始する。

「フフフ、賢明な判断だ。さあ、何が欲しい? 金か? 地位か? 何でも……」

「金も地位も必要ない」

「えっ?」

 闇騎士の言葉に、グラッグが一瞬呆然となる。

 しかし、本当に一瞬だった。次の瞬間には、グラッグの首が自身の足元にポトリと落ちた。

 わずかな間を置いて溢れ出す鮮血。

 闇騎士は返り血を避けようともせず、自身を赤く染めながら口を開いた。

「私はただ、貴様が生きていることが我慢ならないだけだ」

▲▲▲


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