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レジェンド オブ ソルナド  作者: ポンタロー
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闇の章 第一節

闇の章 第一節


ソルナド暦一〇一一年 ファリア聖教会領

男は一目見た瞬間、心を奪われていた。路地で花を売るまだあどけなさの残る少女。

 自分よりも三つ四つ年下だろうか。道行く人々に声をかけて花を売る。その整った清楚な顔立ちと、風を受けてなびく銀色の髪が妖精を思わせた。

 気が付くと、男は少し離れたところに立って、少女が声をかけてくれるのを待っていた。

 男はファリア聖教会の聖騎士だった。ただ与えられた命を果たすためだけに生きてきた男には、女性を誘う勇気もその作法も何もなかった。

 故に、向こうから近づいてきてくれるのを待つことしかできない。自分を知る人間がこの光景を見ればさぞ驚くことだろう。

 このファリア大勇士と呼ばれる自分が、一人の少女に声をかけることもできずに、ただ呆然と立っているなどという光景を見れば。

 しかし、今の男にはそんなことはどうでもよかった。今はただ、目の前にいる少女のことで頭が一杯だった。そして、徐々に少女との距離が縮まるにつれ、男の鼓動が速くなる。

 その距離は、五メロル、三メロル、一メロルと近づいていき……

 やがて、少女は男に向かって声をかけた。

「騎士様、お花はいかがですか?」

 それは、まるで花が咲いたような笑顔だった。その笑顔を見た男が、言葉を返すのも忘れて少女に見惚れる。少女は少し困ったような顔になった。

「あの……私の顔に何か付いてますか?」

 少女の言葉に、男が慌てて正気に返る。

 いかん、何か言葉を返さなければ、少女が去ってしまう。

だが、何と言えばいい? 何と言えば少女の気を引くことができる? 

そんな思いが、男の頭を駆け巡る。そして、突然男の頭にランプが点いた。

「あ、その、……花をくれ!」

 男の言葉を聞いた少女が、満面の笑みを浮かべた。

「ありがとうございます。お一つでよろしいですか?」

 少女の笑顔に気を良くした男は、さらに少女を喜ばせたいという欲求に抗えずに口を開いた。

「いや、全部くれ。その籠に入ってるのを全部だ」

 男はそう言って、驚く少女に半ば強引に金貨を渡して籠を受け取った。

 少女が金貨を持ったまま困った様子で口を開く。

「あ、あの、こんなにたくさんはいただけません」

 確かに、男の渡した額は、少女の持っていた花を全部買っても、かなり釣りの出る額だった。

 しかし、男は内心の焦りを必死に隠して首をブンブン横に振った。

「いや、いいのだ。我が教会の花が不足していてな。ちょうどよかった。釣りは取っておけ」

 そう言って、逃げ出すように踵を返す男。本当は名前を聞きたかった。歳を聞きたかった。しかし、言葉がうまく出てこない。何と言ったらいいのか分からない。

 今や、ファリア大陸最強と呼ばれるファリア大勇士の一人ライ・アバロンも、この少女にかかっては為す術がなかった。


 名前を聞くことができたのは、五度目に花を買いに行った時だった。

 あれから毎日、ライは少女のもとへと赴き、少女の持っている花を全て買って教会に帰る。

 おかげで、ライの部屋は四日目にしてすでに花で埋まっていた。

 財布はずいぶんと軽くなったが、ライの心は満たされていた。

 今日こそは名前を聞こう。ライはそう決心して、少女の前に立つ。そして、朝から自分の部屋で一時間ほど練習した台詞をなんとか口に出した。

「む、む、娘。名は何と言う?」

 一時間も練習したにしてはかなりひどいが、それでも何とか言うことはできた。

 しかし、タイミングが悪い。会話の切り出しがこれでは、下手なナンパと同じだった。

 ライの言葉を聞いた少女は、最初は驚きを見せていたが、やがてニッコリと笑って口を開く。

「私、ピュアと言います。いつもありがとうございます。騎士様」

 ピュア、良い名前だ。ライは内心でそう思った。もちろん、照れくさいので言葉にすることはできなかったが。

「今日もお花ですか?」

 ピュアの言葉に、ライは慌てて頷く。

「ああ、まだ足りなくてな。その持っている花を全部くれ」

 本当は花などどうでもよかった。目の前の少女ともっと話がしたかった。しかし、口が上手く回らない。口下手な自分が今は歯痒かった。

 そんなライの内心など知らないピュアは、ニッコリ笑って花を渡す。

「はい、いつもありがとうございます」

 この笑顔を自分だけのものにしたい。ライは、その時ただそう思った。いや、笑顔だけじゃない。この少女の全てを自分だけのものにしたい。どうすれば、この少女を……

「む、娘。い、いつもここで花を売っているな。そんなに花が好きなのか?」

 気が付くと、ライは自分の心の赴くままに口を開いていた。

 いかん、私は何を言っているんだ。そう内心では思っているものの、口は止まらなかった。

「はい、大好きです。花は心を満たしてくれるから」

無垢な笑みを浮かべるピュア。ライにとっては、ピュアの笑顔こそが自分を満たしてくれるのだが、当然それを言葉にすることはできなかった。

「私、大陸に咲く花を見て回るのが夢なんです。でも、それにはいっぱいお金がかかるから。まだ、全然無理なんですけど」

 ピュアが少しだけ寂しそうに笑う。

 しかし、ライはこれだと思った。少しでも彼女との繋がりが欲しい。そう思った時には、ライはすでに言葉を発していた。

「それはちょうどいい。ピュアとやら、私はこれから、教会の命でファリア各国を回る任務がある。もしよければ、従者として連れて行くこともできるぞ。もちろん旅費は全て教会が持つ」

「ほんとですか!」

 ライの言葉に、ピュアが大声で反応した。周囲にいた人々が何事かと振り返る。その視線に気づいたピュアは慌てて口を押さえた。

 しかし、それでも我慢できずに声を抑えて口を開く。

「あの、私行きます。何でもしますから連れていってください」

 そう言って、大きく頭を下げるピュア。ライは天にも昇る気持ちになっていた。

 これでピュアと一緒にいられる。もっと、ピュアと話ができる。

 任務の話など大嘘だった。ピュアの気を引くためのただの方便。

 しかし、そんなことはどうとでもなる。これでも自分はファリア大勇士の一人、ライ・アバロン。ファリア各地の黒いマナの残存調査とでも理由を付ければ、すんなりと許可は取れるだろう。自分にもそれくらいの権力はある。

「そうか。では、また追って連絡する。支度をしておけよ。……ピュア」

 なけなしの勇気を振り絞ってピュアの名を呼ぶライ。ピュアは笑顔で答えた。

「はい、えと……」

 そこでピュアが言いよどむ。そういえば、ライはまだ名を名乗っていなかった。

「これは失礼した。私はラ……」

 ライが名乗ろうとして言葉を止める。ライは自分の本名を出すことを躊躇った。

 今までこの名を名乗った時の女性の反応は二つ。萎縮するか、媚びへつらうかの二つしかなかった。ピュアにはそうしてほしくない。

 ライ・アバロンの名に、怯えることも媚を売ることもしてほしくなかった。故に……

「私は、カル・イグナス。教会の見習い騎士だ」

 ライはそう名乗った。



「す、すごーい! こんな立派な馬初めて見ました。これで行くんですか?」

 教会の所有する白馬で迎えに来たカルが、ピュアの言葉に大きく頷く。

「うむ。道中長いからな。馬は必須なのだ。ところでピュア、準備は整っているか?」

 カルの言葉に、ピュアが笑顔で答えた。

「はい、大丈夫です。荷物と言っても、私のはそんなに多くありませんから」

「そうか。では行くぞ!」

「え? きゃっ!」

 カルが軽々とピュアを抱き上げると、そのまま白馬へと跨る。ピュアは目をパチクリさせて驚いていた。

「あ、あの、騎士様、恥ずかしいです」

 顔を真っ赤にしてか細い声で言うピュアに、同じく顔を赤くしたカルが返す。

「す、すまぬな。あいにくと馬車までは用意できなかったのだ。だからこれで我慢してくれ」

 カルは嘘を吐いた。本当は馬車を用意できなかったのではない。用意しなかったのだ。

 こうすればもっとピュアの近くにいられる。そう考えたカルの一案だった。

 本当は馬車だけでなく、従者も用意するといった司教の言葉を、カルは即座に跳ねつけた。

 そんなことをすればピュアと二人だけの旅が台無しになってしまう。冗談ではなかった。

 申し訳なさそうに告げるカルに、ピュアが大きく首を振る。

「いえ、全然大丈夫です。あの、私、馬なんて乗ったことないから緊張しちゃって。それに、男の人にこんな風に抱きしめられるのも初めてで……」

 首まで赤くして俯くピュア。そんなピュアの熱がカルにも伝染し、カルの体も火照ってくる。

 そうか、ピュアの初めての男か。悪くない。そんなことを思うカルであった。

「あの、騎士様、最初はどこに行くんですか?」

「んっ? ああ、そうだな。まずは……」

 さて、どこに行こう? でまかせで決めた旅だし、どこでもいいのだが、距離的に……

「そうだな。まずはラーゼン王国の商業都市グラナへ行こうと思う。あそこには様々な市が立っているからな。きっと、ピュアの見たことのない花もたくさんあるだろう」

 カルの言葉を聞いたピュアが、顔を輝かせる。

「ほんとですか? 行ってみたいです。騎士様!」

 そう口にするピュアに、カルが少し真面目を装った顔で言った。

「うむ。その前にピュア、お前に一つ言っておきたいことがある」

 急に真顔になったカルに、若干緊張するピュア。

「な、何でしょう? 騎士様」

「その騎士様というのはやめてくれ。これから私達は極秘の任務に向かう。鎧を脱いで、ローブを纏っていることからも分かるように、素性がばれてしまうのはまずい。ここは教会領だからよいが、街道に出たら私のことはカルと呼ぶように」

 大嘘だった。ただ単に、ピュアに名前で呼んで欲しいだけだ。騎士様では他人行儀な気がしてしまうから。

 しかし、ピュアはカルの言葉を真に受けて神妙な面持ちで頷いた。

「わ、分かりました。カル様」

「様もなしだ。カル、だ」

「分かりました。カル」

「よろしい」

 カルは満足そうに頷くと、馬を走らせた。

 こんなところ、部下には死んでも見せられないな、などど思いながら。


「そういえばピュア、お前は家族に何と言って出てきたのだ?」

 街道のさなか、カルが唐突にピュアに尋ねた。ピュアは少し俯いてその問いに答える。

「あの、私、家族はいないんです」

 しまった。と、カルは思った。カルが慌てて謝罪の言葉を口にする。

 いずれ挨拶に行くこともあるかもしれん、などと考えていた頭が一気に冷えた。

「すまない。知らぬこととはいえ、言葉に配慮が足りなかった」

 心底申し訳なさそうに謝るカルに、ピュアが小さく微笑む。

「くすっ、大丈夫です。気にしていませんから。実は私、記憶喪失なんです」

「何?」

 突然の告白に驚くカル。しかし、ピュアはそのまま続けた。

「私、気づいた時には教会領にある小さな孤児院の前に倒れていたんです。そこを孤児院のシスター様に助けていただいて。その時にはすでに記憶を失っていました。覚えているのは名前と歳だけ。だから私、両親の顔も覚えてません」

「…………」

「孤児院の皆さん、そんな私にもとても良くしてくれて。それで、少しでも皆さんに恩返しができればと思って花売りを始めたんです。そこで、きし・・カルに出会って……」

「……そうか」

 悲しげに告白するピュアの話を、カルは黙って聞いていた。

 しかし、やがて何かを決意したかのように口を開く。

「なら、この旅で見つければよい」

「え?」

「ファリア全土を回るのだ。お前の家族も見つかるやもしれぬ。会ってみたいだろう? 自分の両親に」

「……はい」

 そう言って、ピュアは笑う。カルの一番好きな顔で。


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