美夢《みゆ》
「あれ?髪切った?」
「だって、アンタが髪引っ張って悪戯するから!」
月形美夢は
少し大袈裟に拗ねてみせた
「でも、そっちが可愛いよ」
沼田駿也は
そう言って
美夢の頭をなでて笑った
2年の時までは隣のクラスで
廊下で擦れ違ったりする程度で
全く会話をする事が無かった
3年で同じクラスになると
美夢の真後ろの席になった駿也は
腰まで伸ばし三つ編みにしていた美夢の髪を
神社にある鈴緒を振るように引っ張り
美夢が振り向くと寝たふりをする
という悪戯を繰り返した
そんな小学生みたいな事をする駿也を
少し困らせてやろうと思った
バッサリ切った髪を見て
悪かったなぁ
っていう反応を期待していたのに
‐そっちが可愛いよ‐
そう言って頭をなでられた瞬間
ドキドキした
笑った顔をまともに見れない程
ドキドキした
友達以上には
なかなか成れなかった
気付けばいつも隣にいて
じゃれあったり
苦手な科目を教え合ったりした
でも
学校以外で会う事は無かった
電車で1時間も離れた場所に住んでいたし
駿也は
休みの日でも友達とすら遊びに行く事は無いらしかった
その時の美夢は
駿也が休日に何をしているかなど全く気にならなかった
学校での駿也は
いつも美夢に優しくしてくれた
だから
学校以外で会っても駿也は変わらない気がしていた
ただやはり駿也との関係は
はっきりさせたいと思っている
高校最後の夏休みには思い出を沢山作りたい
でも
医大を目指している駿也の邪魔になるような気がして
ちゃんと告白出来ないまま日々は過ぎてしまうのだった
「それで?いつ告白するの?」
太美歩歌は美夢の数少ない友達の一人だ
高校は別々だが休みの日はよく一緒に遊んだりする
「だってさぁ~、振られたら友達のままでなんて無理だもん」
「じゃあ、ずっと友達のままでいいの?」
「それは嫌だけどさ」
二人して大きなため息を吐く
「美夢さ、占いとか興味ある?」
「は?星占いとか?まぁいい事は信じるよ」
「あのね、暁乃杜にある噂の占い館に行ってみない?」
「噂って?凄くよく当たるとか」
「う~ん…ちょっと違うみたい」
「みたい?」
「実はさ、いろいろ噂聞いて確かめてみたいとか思ってたんだけど、一人じゃ入って行く勇気もなくて…」
「まぁ、幽霊屋敷には興味あるし、一緒に行ってもいいよ」
まさか後に自分が占いにハマるなど
この時は微塵も思っていなかった
暁乃杜に建つ白い洋館は
人が住んでいると言うのに空き家の頃と何ら変わらない荒れ果てた庭が広がっていた
入口のアーチには白い木香茨が咲き誇り甘い香りが漂っている
その香りに誘われるように二人は邸の中に入った
邸の中は
木香茨の香りとは別の香りが漂っている
その香りがアロマである事は二人にはすぐにわかった
バニラに似た香りが二人に纏わりつく
気が付くと
暗幕が張られた部屋の中の椅子に座っていた
目がなれて気づいたのは
自分たちが座っている目の前は出窓になっている事だった
後ろを振り向こうとすると
‐振り向いてはいけません‐
と声が聞こえた
しかも
頭の中と言うか直接心に響くような声だった
‐歩歌さん。明日いつもより早く登校すれば、判らなかった事が判ります‐
歩歌が息をのんだ
‐美夢さん。今は告白しない方がいいです‐
「何故!?」
大声で立ち上がると
突然
目が眩むほど明るくなり恐る恐る目を開けて見ると
二人は木香茨のアーチの下にいた
‐白昼夢?‐
「噂は本当だった…」
「えっ?」
まだ
ぼんやりと夢見心地の歩歌の独り言に
美夢は反射的に反応した
「噂って何なの?」
「ここね、占い館って言われているけど、看板とか出てないでしょ」
「今は隠れ家的な物が流行ってるからじゃない?」
「占いなんて元々地味じゃない。看板くらい派手にするのが普通でしょ。客が来なきゃ商売にならないわけだから」
確かに何の宣伝もしていないのに
この白い洋館が占い館だと言うことを知っている人は少なくない
「それに、お金払った?」
美夢は首を振り
急いで財布を確認したが中身は変わっていなかった
「極め付きは、占い師の姿を見た人はいないって事」
「極め付きでもないよ」
「え?」
「名前。聞かれてないのに知ってた。それに、何を占って欲しいかも言ってない」
「そう言われれば…」
その時初めて歩歌の顔に恐怖の色が浮かんだ
次の日
美夢は昨日の占いの事をずっと考えていた
あの時は
なんで!?
と思ったが昨夜ベッドの中で冷静に考えてみて
‐今は告白しない方がいい‐
の意味は
いつか告白するチャンスがあると言うことだったのではないかと思った
それを確かめたくて今日もあの邸に来ていた
「いつかは、告白できますか?」
‐運命は変わっていくものです。それに貴女はまだ、彼の事をよく知らない。もっと彼の事を知った方がいいでしょう‐
彼女の言葉は美夢に迷いを与えなかった
駿也の事をもっと知りたい
休みの日はどうしているのか
私服はどんな感じのものを着るのか
何処かへ出掛けるのか
それとも
ずっと家に隠っているのか
知りたい
駿也の全部を…期末試験の最終日の放課後
一度家に帰り私服に着替えて電車に乗った
一時間と言う時間は長いように思っていたが
実際は
あれこれ考えている内にあっと言う間に目的の駅に着いていた
駅前からは携帯ナビを見ながら駿也の家を捜す
駅前の商店街から程近い所に
その家はあった
三階建ての一階部分は喫茶店になっている
‐本日定休日‐
の看板がかかっていた
上の階を見上げて
‐あいつの部屋、どこかなぁ。部屋の中ってどんな感じなのかなぁ。今いるのかなぁ。何してるのかなぁ‐
など考え始めたら止まらなくなった
‐一目遇いたい。でも、こんなストーカーみたいな事をしてるのがばれたら、引かれるかも。嫌われるのは嫌。でも…遇いたい‐
「あの…?」
不意に声を掛けられ
びっくりして携帯を落とした
「あ、御免なさい。驚かすつもりじゃなかったのよ」
言いながら
美夢の落とした携帯を拾ってくれた
「壊れてなければいいけど?」
「すみません。有り難うございます」
携帯を受け取りながら
美夢は頭をさげた
「それより、私が買い物に出る時に、あなたを見掛けた訳だから、少なくとも30分以上はここにいた事になるわよね」
顔を上げるとその人は真っ直ぐ美夢の目を見た
視線がぶつかり美夢は少し戸惑ったが
その人は表情を変え無かった
「家に何か用事があったの?」
そう言われて改めてその人の顔を見ると
なんとなく鼻から下は駿也に似ている気がした
「あ、えっと…すみません。変わった紅茶の専門店があるって聞いて捜してたんです。まさか休業日だなんて思わなくて」
事前にリサーチしておいて良かった
万が一駿也本人や見知った者に出会した時の言い訳も考えておいて正解だった
「それじゃ、失礼します」
「今度はお店の開いてる時に、是非来てね」
その人は美夢の言葉を何の疑いもなく信じて上機嫌で帰って行った
‐やばかったなぁ。あいつに会えないのは残念だけど、今日の処は帰った方が無難かも‐
そう思いながらも後ろ髪を引かれる思いで駅に向かった
商店街をブラブラ歩きながら駅に向かっていると
フラワーショップの前で
逢いたかった駿也の後ろ姿を見付けた
照れながら
可愛くアレンジされた花籠を受け取っていた
‐プレ、ゼント、よね。でも、誰に?お母さん?‐
何となく気になって後をつけた
‐Tシャツにジーンズ。うん、私服もなかなかかっこいいじゃん。あれ?‐
明らかに駿也の家とは違う方へと歩いていた
程なく公園に入り
ブランコを軽く漕いでいた彼女に声をかけ
あの花籠を渡したと同時に二つの影が自然と重なっていた
どうやってあの場から逃げ出したのか
気が付くと占いの館の部屋の椅子に呆然と座っていた
「まさか、ヒッ、彼女がい、ック、なんて…なん、グッ、思わ、ヒャッり、な…」
言葉が続かない
心の何処かで
駿也も多少なりとも自分を意識していると思っていた
本当に
ただのクラスメイトとしか思われていなかったなんて…
‐諦めるの?‐
それ以外に選択肢があるとは思えない
「だって、決定的なシーンを目の当たりにして、どうしろって言うの!」
‐貴女が強く願っていることを、叶えてあげられる力が私にはある。但し報酬を頂く事になるけど‐
「私…あまり持ち合わせがないの」
‐大丈夫よ。報酬はお金じゃないから‐
クスクスと笑い声が部屋中に谺する
‐貴女が持っている“もの”で、私が持っていない“もの”よ‐
「それは、何?」
‐大した“もの”ではないけれど、内容については教える事は出来ないわ。一晩よく考えてみてね‐
返事は決まっていた
でも何故か即答出来ない位
全身の毛穴が開く程の恐怖を感じていた
返事は決まっていた
でも何故か怖くて怖くて
あの日以来あの邸には行っていない
そしてあの日以来自然と駿也を避けていた
「お前、最近変じゃね?」
「別に」
‐こういう時、隣の席って辛いな‐
「お前、大学行く?」
「うん。何で?」
「べ・つ・に」
美夢の口真似をした駿也につい吹き出してしまった
‐なんだかなぁ。もう何か、グジグジ考えても仕方ないよね…‐
振られる事は分かっている
はっきり振られた方がきっと諦めがつく
チャンスは終業式の日
夏休み中にきっと吹っ切れる
そうすれば受験に集中出来る
‐大丈夫。結果は分かってるんだもん。冷静に受け止める事が出来るはず‐
あと3日
あと3日悟られないようにしなければならなかった
そうすれば
ギリギリまで友達でいられるから
「えっ…」
「私見たんです。先輩が沼田先輩の家の前に立ってるの」
昼休み
3人の1年生に三階と屋上の間にある踊り場に
半ば強制的に連れて来られた
「別に沼田君の家って知ってた訳じゃない」
嘘だけど
「ずるいですよ!」
「ずるい?」
「友達のふりして先輩の傍にいて、他の子を近寄らせないなんて。ずるい以外に何て言えばいいんですか!」
‐あぁ…この子は本当に駿也が好きなんだ。だから解るのね‐
「ごめ…」
「月形ぁ~」
下から駿也の声がした
その瞬間
二人の子が同時に反射的に美夢の背後にある階段を覗きこもうとした時
二人がぶつかり
よろけて美夢の肩を押してしまった
美夢は一瞬何が起きたのか解らなかった
目の前に白いシャツのボタンがあった
恐る恐る顔を上げると駿也の苦痛に歪んだ顔がそこにあった
手摺に頭をぶつけたのか
階段を赤い糸のような筋が一本駿也から流れ落ちていた
現実とは思いたくない美夢の頭の中で
聞き覚えのある声が聞こえた
‐もう彼は助からない‐
「助けて!彼を助けて!」
‐いいわ。それが貴方の本当の願いなら。約束は忘れてないでしょうね‐
「いいから!彼を助けて!」
美夢はそう叫ぶと気を失った
美夢は暗闇の中にいた
駿也は幸い軽傷ですんだ
美夢が視力を失った原因は不明とされていた
でも
美夢には解っている
自然と笑みが溢れた
‐あいつの命を救ったのは私よ。私なのよ‐
『今まで感覚でしか
感じる事が出来なかったけれど
何てこの世は
美しい色彩に溢れているのかしら
さぁ
次は貴方の番よ
どんな願い事でも
一つだけ
叶えてあげる
その代わり
私の欲しい“もの”を
一つだけ
ちょうだい』