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朝方

作者: 竹仲法順

     *

 寝室の窓から差し込む朝の光で目が覚める。一瞬眩しさのようなものを感じたのだが、起き出してキッチンへと歩き始めた。さすがに昨夜服用した睡眠導入剤が幾分残っていたのだが、今から朝一のコーヒーを淹れて飲むつもりでいる。確かに眠れない夜もあった。仕事のことがあれこれ思い浮かぶと不眠にもなってしまうのだ。だけど一睡も出来ないまま朝を迎えることもあった。疲れていると睡眠が取りにくいのが現実である。そういったときはモーニングコーヒーを飲んで込み上げてくる眠気を抑え込む。いくら在宅とはいえ、あたしにもすべき仕事がいろいろとあったのだから……。コーヒーをエスプレッソで一杯淹れて、ミルクとガムシロップを注ぎ足し、飲んだ後、洗顔とメイクをする。洗面所に入り、ハッカの香りがする歯磨き粉で歯を磨いて、洗顔フォームを手に取った。泡立てて顔に塗り、水で洗い流す。顔の脂分はそれで取れてしまった。起き抜けの顔には何かと脂が浮いているときが多い。そういったときは洗顔し、付いていた水滴をタオルで拭き取ってリビングへと舞い戻る。そしてメイクを済ませた。主に三十代女性向けの化粧品を使い、化粧しているのだ。そういったことに関し、抵抗がない。それからリビングのデスクの上に置いてあるパソコンを立ち上げて開く。あたしの朝はメールボックスに着ていた新着メールを読むことから始まる。ほとんどが業務関係のそれだったが……。

     *

 今使っているノートパソコンはOSがウインドウズのXPで使い勝手がいい。やはり仕事で使い続けているからだろう、搭載されているツールやマシーン本体の機能などを重視する。これは当たり前だった。モノを書く人間にとってずっとパソコンのキーを叩き続けるのが仕事だからだ。大量の連載などを抱え込んでいた時期は朝も昼も夜もずっと原稿を打ち続けていた。それが職業作家と呼ばれる人間の日常だからである。別にスランプなどはなかった。そういった筆が進まない時期は風邪を引いたのと同じで自然と治ってしまう。基本的にモノを書き綴り、生業(なりわい)としている人間にとってスランプなどないに等しかった。原稿の依頼はいくらでも来る。やはり二年前直木賞を獲ったとき、決して派手な会見こそなかったものの、選考会が終わって先輩作家たちから笑顔を向けられながら、これから先作家としての活動が保証されていることを思い、感極(かんきわ)まりなかった。普通に職業作家として原稿を量産するのが仕事である。直木賞を獲る前からずっと文芸雑誌の連載などの仕事は来ていた。元々書き綴っていた原稿用紙換算で五百枚の恋愛小説の原稿を都内の出版社に持ち込み、企画出版されたのが五年前の二〇〇六年の夏で、その作品が四十万部のスマッシュヒットを飛ばし、それから徐々に名前が出てくるようになって、各出版社からも原稿の注文が来るようになった。

     *

 元々都内にある大学の文学部に在籍していた頃から作家か研究者になるのが夢だった。卒論が『徒然草』で院に進学することも考えていたのだ。だけど両親から大学院進学を反対された。下手に博士課程などまで進み、博士号を取ったりしたら、就職口がなくなると思ったからだろう。それにあたし自身、院で国文学に関してマニアックな研究をしたとしても、いいことはないと思っていた。単にそういった学問が知識として入ってくるだけで現実には()かされないと感じたからだ。確かに本を読むのは好きである。だけど研究者になると、相当な量の文献を読み込み、それを元手に研究論文などを書かざるを得ない。そういったことに対し、幻滅していたので、あえて四年生の前期に卒論を出し終わったら、後はゼミに出席しながら読書に専念していた。創作をやる人間は読書量が半端じゃない。それに講義に出席する合間などに常に書き続けていた。最初は十枚程度ぐらいの短編から入り、百枚ぐらいの中篇、そしてそれよりも遥かに枚数の多い長編まで書く。書籍デビューを果たした二〇〇六年の七月までに相当な量の原稿を書き溜めていた。それは今、全部フラッシュメモリに取り込んである。フロッピーディスクから移してしまったのだ。そしてそういった作品も随時加筆・修正し、契約している出版社から「短編の原稿が欲しい」などと依頼があれば入稿する。まあ、確かに作家という、人との出会いが少ない職業を選択してしまったので結婚適齢期を逃してしまい、未だ独身でいたのだが……。

     *

 毎朝、身支度を整えてからパソコンに向かう。ブルーベリーのサプリメントは飲み続けていた。目の疲れにいいのだ。ずっと発光体に向かうのが仕事だから目を酷使する。ディスプレイのちらつきが目にはあまりよくない。だけど人間が生存し続ける限り、書籍はなくならない。もちろん紙から電子の方に移行し、誰もがパソコンや携帯電話から見られる時代になるとは言っても……。出版社も徐々にそういった準備をし始めているとは聞いていた。別に媒体が変わるだけで作家が本を書くのに変わりはない。あたしも原稿を量産する方だ。(はな)の二十代も終わり、女性としての旬は過ぎてしまったのだが、作家としての活動の方は脂が乗っている。コーヒーを飲みながら書斎で原稿を打つ。モーツァルトのクラシック音楽を掛けて気持ちを落ち着かせながら、キーを叩き続けていた。ゆっくりとは出来ない。原稿には締め切りがある。ただ基本的に午前六時に起きて執筆準備を整えたら、後はずっとお昼まで原稿を書き、昼食と休憩の後、午後三時まで仕事をする。それからは軽く外をウオーキングして、体を動かしてから自宅へと戻るのだ。マンションの部屋は常に掃除している。掃除機などを掛けて。

     *

 毎日、極普通にこの書斎で仕事をしている。よく作家などが出版社の編集者から缶詰にされていることなどを聞くことがある。だけどあれはプロ作家が原稿を書けないときに半ば強制的にされることで、あたし自身、入稿日や締め切りの期日などはちゃんと守っていたのだし、パソコンに向かい続けることに変わりはない。やはりいくら直木賞作家と言っても、原稿が作品として世に出るまでには編集者と相当なやり取りがある。それを経て初めて小説というものが完成するのが実態だ。気を抜けない。他作家の作品と共に自分の作品の載った文芸誌や、書き下ろした単行本などを買ってくれる人はいくらでもいたのだし……。サイン会などもある。原稿の打ちすぎで手が腱鞘炎(けんしょうえん)になって壊していても、サインぐらいは出来るのだ。もちろん出版不況でも作品がある程度ヒットしているからこそ、サイン会を開くことが可能なのだが……。恋人は当分出来そうにない。仕事と結婚しているようなものなので。朝起きれば、前日の夜に組んでいた一日のスケジュールをこなし始める。案外地味なのだ。いくら直木賞を獲ったプロの作家でも。それにこれからいくらでも試練があるだろう。脳が老化し、書けなくなるようなこともあるかもしれない。だけどそういったときは思い出していた。初心を、である。自分が初めて書いた作品を読み返してみると幼さこそ残っているのだが、作家を(こころざ)したときから一貫してずっと変わらないものがあった。実にモノを書くということの原点だ。それがあればこそ今がある。最初原稿を持ち込んだとき、下読みしてくれた出版企画部の人間や、未だに付き合いのある編集者などに散々世話になったことも思い返していた。そして今日も原稿に向かい続けている。今月十一月発売の文芸雑誌は十二月号で、初冬向けの中篇の書き下ろしが企画されていた。あたしもその中の一つを書いている。ほんの百枚前後で数日で書けてしまう代物だったが……。健筆を振るうことに全く変わりはない。単に昔よりも勢いが落ちてしまったなと感じるだけで。三十代はそういった年代である。二十代と四十代の間に挟み込まれるような形で。どことなく重たさを感じることはあったにしても……。でも仕事は舞い込んでくる。ずっと書き続けるつもりだった。朝方コーヒーを飲みながらそんなことばかり考え続けている。自分に出来るのは創作しかないと思っていて……。

                                (了)




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