旦那様は不幸せな方を救いたかっただけですよね
間違えて連載で投稿してしまったので、短編で投稿し直しました。
「メイジー、夫が呼んでいるのに応じず、放置するような図々しいお前とは離縁する!」
荒々しい足音と共に現れた旦那様にそう言われ、メイジーこと私は客間の扉を閉めようとした途中のまま、驚きで動きを止めてしまいました。
よく見れば、旦那様の隣には若くて美しい女性の方が一人、肩を抱かれて自信に満ちた笑顔を浮かべていらっしゃいます。
旦那様が彼女へと目を向ければ、困ったように眉の端を下げていらっしゃったけど。
私にはとても浮かべられそうにない、幸せを信じている笑みでした。
***
遡ること十年前。旦那様との出会いは、本当に幸運でした。
私は元々キャトレット男爵家の娘でしたが、同時に罪深いメイドの子どもでもありました。男爵様を誘惑したという母親は、物心が着く前に追い出されましたので、顔など覚えていません。
母親は私を捨てたのだと聞いていますので、きっと新しい勤め先を見つけて幸せにしているのでしょう。
今もし会ったとしても、母親だとわからないと思います。
そうやって置いて行かれた私は、泥棒猫の子で汚らわしいと、男爵様の子とは認めて頂けませんでした。
当然だと思います。けれど私に流れる血のせいで放り出すこともできないからと、キャトレット男爵家に使用人にする予定として置いて頂くことができたのです。
そうして使用人としての働き方を一通り修得し、私という存在が忌むべきものだと理解させて頂いた頃から、罪滅ぼしとして働くことが許されました。
当時の年の頃は6歳だったでしょうか。
出生届は出されておらず、生まれた日もわからないので何となくの話ですが。
キャトレット男爵様とご家族様に、毎日お叱りを受ける程に無能な私でしたが、それでも見捨てず置いて下さったことには感謝しかありません。
時には鞭で打たれることもありましたが、それすらも男爵様達の情ゆえだと説明されれば、全くその通りだと納得したものです。
むしろ他の女中のように働けない私など、キャトレット男爵邸から放り出せたのでしょうし、本当に男爵様とご家族の方々は親切だったと当時の私は思っていました。
そんな私に転機が訪れたのは、キャトレット男爵家のお嬢様と婚約を結ぶかどうかの顔合わせに、若かりし頃の旦那様が訪れた時でした。
お嬢様は私の二つ下で16歳と、令嬢として瑞々しい可憐さを漂わせていた頃です。
その日の私は他家の方に粗相をしないようにと、厨房の手伝いをしていました。けれど料理長の言いつけで、井戸の水汲みに向かおうとしたところ、ディオン様とばったり鉢合わせしてしまったのです。
私は貴族のご子息様に失礼をしでかしたと、慌てて頭を下げましたが、旦那様は怒るどころか私を見て「見つけた」とおっしゃられて。
何が何やら困惑するばかりの私の腕を取り、半ば引き摺るようにして応接間に連行されたかと思えば、扉を開いた先で両家が顔合わせをしているところに、私と婚姻するという宣言。
その後に起きた騒動は当然のことでしょう。
お嬢様はお怒りになられて、私に熱いお茶をかけようとされましたし、キャトレット男爵様は怒りで何度もテーブルをこぶしで叩かれていました。
けれど旦那様は気にした様子も無く、私もキャトレット男爵様の血を引いた娘だと言い放たれたのです。
どうやら、キャトレット男爵様がお酒の席で酔われると、女中から生まれた私生児がいることを口にされていたのだとか。
普段は私のことなど「娘などではない」と口にされるのに、認めて頂いていたなんて、後から修羅場だったと語られました場で、私は一人感動していましたのは内緒の話です。
とにかく旦那様は私を憐れに思い、助けに来たのだと言われました。
私としてはキャトレット男爵様の判断されることだと思いましたが、旦那様がより慈悲深くも、私に家族の愛を与えてくださると言ってくださるので、ついつい手を取ってしまったのが馴れ初めです。
こうして振り返ってみても、本当にドラマティック。
まるで文字の多い、ご令嬢達がよく読まれるような物語だったのでした。
***
「お前は与えられる幸せが当然だと、傲慢になり過ぎた」
私の頭の中で過去が鮮やかに蘇っている間にも、旦那様のお話を続いておりました。
いけないわ、きちんとお話を聞かなければなりません。
「特にダレルを産んでからは、図々しさまで加わった。
跡取りを産んでやったといわんばかりの態度に、このオーエンス男爵家の誰もが何度苦々しく思ったことか」
なんてことでしょう。
旦那様によれば、私は失礼なことをしてしまったようです。
「皆様に失礼を働いていたなんて。
存じ上げないままでいたこと、大変申し訳ないですわ」
先ずは旦那様に謝罪を。
それから旦那様のご両親であるオーエンス男爵様達に、いつも助けてくださる家令のドンウェルさんと使用人の皆さま方にも会いにいかなければ。
途端におろおろし始めた私を見て旦那様がお笑いになりましたが、それは久しぶりに見かけるものでした。
以前は笑顔に種類があるなんて思っていなかったのですが、嫁いでからは男爵夫人になるのだからとお義母様から色々教わっています。
その中に、貴族の定番の笑顔やらと一緒に、相手の浮かべた笑顔の種類を判別付けるための練習を致しました。
旦那様の笑顔はおそらく満足といいたいものだと思われるので、私の返答は間違いではなかったのでしょう。
安心です。
それにしても廊下でするお話ではなさそうですし。ディオン様が連れている女性を立たせたままも失礼です。
応接間は現在使用中ですので、他のお部屋をご案内するべきですが、お庭でお茶というシチュエーションでもありません。あわせて、女性の方の身分によっては、ご用意するお茶やお菓子だって変わります。
貴族とはいえ、無駄な出費はしていけないと言われている身。
先ずはどのような方なのかお伺いした方がよいでしょう。
そう思って私は口を開きます。
「旦那様、失礼ながらお隣の女性はどなたでしょうか?」
問いかければ、旦那様は彼女の肩を抱く手の力を少し強められました。
元々触れ合いそうな距離だった二人が、密着といっていいぐらいの状態です。
「彼女はイーヴァ嬢。隣国にあるハルステッド子爵家の元ご令嬢だ。
訳あって家から逃げ出したところ、悪い商人に捕まって娼館へと売り飛ばされたのだそうだ。
無知なお前に言ったところで、隣国の貴族の名前など何も知らないだろうが」
まあ、と思わず呟いて彼女を見る。
肩先で揃えた髪は淡いブロンドで、旦那様と見つめ合う瞳はアイリスのような青紫。
とても綺麗な方です。
けれど現在は娼婦となると、どのような対応がよろしいのか、私ではさっぱりと思いつきません。
家令のドンウェルさんが近くにいれば良かったのですが、メイドと一緒に先に行ってもらったのは判断ミスでした。
対応に迷う私を気にせず、旦那様は再び口を開かれます。
「本来ならば、ハルステッド子爵家に連絡を取るべきなのだが、連れ戻された後にどうなるかわからないそうだ」
そうして空いている手で、イーヴァ様の華奢な手を掬い上げ、手の甲に口付けを落とす。
「子爵令嬢が娼婦の真似事をさせられるなんて。
ご安心を、イーヴァ嬢、誰も手を差し出さないのならば、私が貴女を救いますから」
さすが旦那様です。目の前の不幸せな女性を救うのは当然のことでしょう。
お怒りへと変わった横顔も、実に頼りがいがあります。
「だが、彼女を娼館から連れ出しただけでは、彼女が不幸から抜け出したことにはならない」
ここにきて、ようやく察しの悪い私でも理解できました。
「つまり、旦那様は私と離縁し、イーヴァ様を新しい奥様にされると?」
そう言うと、旦那様のお顔が私へと向けられます。
「当然だ。お前は幸せになったことで堕落し、ただただ怠惰に耽る女になった。
夫にここまで言われ、それでも愛されると思いたいのか?」
そう言われてしまえば、返す言葉がありません。
「私が離縁されますと、ダレルはどうなるのでしょうか?」
ダレルはディオン様と私の子だ。
有難いことに嫁いでから長くかからずにダレルを授かり、今では8歳。私に似ずに聡明で、オーエンス男爵であるお義父様にも褒めて頂いている自慢の息子だ。
「イーヴァ嬢を娶るならば、彼女の子を後継者にするのは当然のこと。
優秀であれば、男爵家の補佐として使ってやっても構わないが、お前のような女から生まれたとあっては期待できないだろう」
そう言って、旦那様は顎を擦って考えます。
「まあ、使用人としてなら親子共々置いてやらんこともない」
何気なく言われた言葉に、つい私は目を伏せてしまいました。
「ああ、お前が早くに来ないせいで、こんな場所で話すことになってしまった」
憎々し気に言葉を吐いた旦那様が、目を細めて労わるようにイーヴァ様の顔を覗き込んだ。
「すまない、イーヴァ嬢。メイジーの気が利かないばかりに、立ち話をさせてしまって。
ちょうど目の前が応接間だ。本当ならば私の部屋に案内したいところだが、先ずは両親に貴女を紹介しなければならないのだ」
「気にしていないわ、ディオン」
ここで初めてイーヴァ様が麗しい唇から言葉を発したのですが、そんなことよりも応接間は使用中なのです。
今入ると大変なことに、いえ、扉を閉め切る前だったので、とっくに手遅れかもしれません。
中の皆さんはどんな顔をしているのでしょうか。考えるだけで恐ろしいです。
私が何と言ってお止めすればよいのか、そもそも止めない方がよいのかわからずに黙り込んでしまえば、邪魔だと私を突き飛ばした旦那様。僅かに開いた扉のノブに手をかけてしまわれます。
「さあ、イーヴァ嬢。手狭な応接間で恥ずかしい限りですが、どうぞお入りください」
旦那様が一気に開いた扉の先。
応接間にいたのはお義父様とお義母様、息子のダレル。
それから隣国で商売をされていらっしゃいます、ハルステッド子爵夫妻様。
あ、と言葉を漏らしたのは、旦那様の横にいるイーヴァ様で。
応接間にいらっしゃる方達の顔は誰しもが怒りに満ち、視線に籠められた侮蔑と冷え切った感情は、察しの悪い私でもこれは手遅れだと気づかされるもの。
呆然としている旦那様とイーヴァ様は、すぐに男性の使用人達に取り押さえられてしまいました。
***
「さてさて、当家の名を騙った愚かな女がいるという噂を聞いていたのですが、所用のついでに探してやろうと思っていたら、まさか本人が飛び込んでくるとは」
よく猛禽類に喩えられるらしい、厳めしい顔のハルステッド子爵様がジロリとイーヴァ様を見られます。私より少しだけ年上とのことですが、既に子爵家を背負っていることからご夫妻揃って優秀なのでしょう。
それに猛禽類だなんて強く賢そうで羨ましいと思うのですが、そう言ったら皆に苦笑されてしまいました。
そんなハルステッドの家名を名乗ったイーヴァ様は後ろ手に荒縄で縛られ、手荒に床へと転がされております。顔色も酷く悪いものでした。
温かいお茶を用意した方が良いのではないかと心配になるのですが、お義母様が何も言わないままなのですから、差し出がましいことはしない方がよいのでしょう。それに床に転がっていては飲みにくいでしょうし。
私も実家であるキャトレット男爵家にいた頃は、物置の床に古い敷物を敷いて寝ていて、寝転がりながら水を飲むのに苦労しましたもの。
必要であれば、後でまた用意しましょう。
旦那様の方はといえば、手近な椅子に荒縄で縛られています。
足も椅子の脚に括りつけられているので、立つことすらできません。喰い込んではいないものの、肌に直に触れている箇所もあるので痛くないか心配です。
そんな旦那様からは話を聞く必要があるとのことで、一人掛けの椅子に座らされていますから、私はダレルの横に座ります。
「オーエンス男爵には感謝しなければ」
「いえいえ、まさか当家の愚息がわかりやすい詐欺に、こうも簡単に引っ掛かっているとは露程思わず。
ハルステッド子爵のお陰で、いらぬ恥をかく前に片付けることが出来そうですよ」
そう言い合って、双方の当主が笑い合いました。
なんてこと。イーヴァ様のお陰でお義父様達にご縁が出来たということなのですね。
とはいえ今の状況を見れば、私ですらイーヴァ様が悪事に手を染めていらっしゃることに気づいてしまいました。
この話し合いが終わったらどうなるのでしょう。もしかしたら旦那様は気づいていて、その境遇すら救うために手を差し出したのかもしれません。
旦那様はそうやって私も救ってくださったのですから。
それなのに旦那様は、目を大きく開いて驚かれてしまいました。
「父上、詐欺とはどういうことですか!?」
旦那様の問いに、お義父様は笑みを引っ込めて、またお怒りの顔になってしまいます。
「この会話で察することもできないとは、本当に育て方を間違えたな。
メイジーすら察しているというのに、本当に情けない」
お義父様に褒められて、思わず背筋がピンと伸びる。
いついかなる時でも背筋を正して堂々としなさい、とお義母様に教えられたからだ。
そして、ここからはハルステッド子爵様が説明してくださいました。
まだ子爵令息であった時に、夜に部屋へと忍び込んで既成事実を作ろうとしたメイドがいたこと。
そのメイドは若い使用人達を誑かして、ハルステッド子爵家にあるあちこちの部屋の合鍵を手に入れたこと。
最初は他のメイドの部屋からささやかな品を盗むだけだったが、前子爵のカフスを盗んでからは手口が大胆になっていたこと。
そんな図々しいメイドを咎めた子爵の婚約者、今の子爵夫人に咎められたのが気に食わなくて、奪ってやろうと夜這いを仕掛けたところで捕まったこと。
「そうしてメイドを解雇し、彼女の家族に相応の賠償金を求めたところ、金を用立てるために他国の娼館に売り飛ばしたと聞きまして。
まさか懲りもせずに当家の名前を使っていたとは」
そう話が締められ、皆の視線が集まる先、イーヴァ様はすっかり小さくなっていらっしゃいました。たわわなお胸も心なしか小さく片付けられた気がします。
「さて一体どうしてくれようか。
他国でもハルステッドの名を汚したお前に、安楽な死など生温い」
途端にイーヴァ様が涙を零されました。
そうやって小さく震える姿は、春を待つ小鳥のような可憐さとか弱さを感じさせましたが、どなたも騙されないというお顔をされていらっしゃいます。
ちょっと嘘です。旦那様は少しだけ目を奪われておりました。
「そんな、子爵様。どうぞお慈悲をくださいませ」
ほろほろと零れ落ちる涙ですら綺麗で、本当に美しい方は恵まれていらっしゃるのですね。
「子爵家にいた頃、旦那様は私のことをよく見ていらしたじゃないですか。
本当は私のことを憎からず想っているのでしょう?
今の私でしたら、きっと旦那様を満足させて差し上げられます」
お試しだけでも、とおっしゃられるイーヴァ様に、我慢ならなかったのはハルステッド子爵夫人だったようです。
今まで言葉少なく慎み深い淑女であったはずの夫人でしたが、急に立ち上がったかと思ったら、容赦なくイーヴァ様を踏みつけになられたのですから。
私も実家で一度お嬢様に蹴られたことがございますが、まだ若いご夫人やご令嬢の靴は踵が細くて痛いのです。
イーヴァ様が可憐さを欠片も感じられない叫び声を上げられてしまったのも、当然のことでしょう。きっと青痣ができるに違いありません。
「相変わらずお前の囀りは図々しく、下品なこと」
冷え切った言葉を落とされても、イーヴァ様は痛みに呻くばかり。
「命ばかりはと思っていたけれど、それすらも惜しむつもりはなかったなんて」
ハルステッド子爵夫人の扇子が、イーヴァ様の顎を器用に掬い上げられました。
次の瞬間には扇子で容赦なく打ち据えられましたけど。
もはやイーヴァ様の顔色は蒼褪めたなんてものではなく、土気色の有様でいらっしゃって。
「安心なさい。その安い命だろうと安易に消したりはしないわ」
ハルステッド子爵夫人の言葉に、わかりやすい程に安堵するイーヴァ様。
いけないわ、このような状況で安心するなんて。貴族の世界に優しさなんて存在しないのですから。
「死んだ方がまし、と思う目に遭わせてあげないと」
綺麗に上げてから落とされたイーヴァ様の瞳から、あったはずの期待への光が消え失せていって。
そうしてからハルステッド子爵夫人が、ご自身の旦那様へと顔を向けられました。
「旦那様、これの始末は私に任せて頂けますわね?」
質問というよりは確認に近いお言葉に、ハルステッド子爵が頷いて返されます。
「それの家と娼館には話をつけておこう」
口数が少なくとも考えが伝わる関係性がこちらにも伝わってきて、夫妻の仲の良さに修羅場を忘れてニコニコしてしまいそうです。
いつまでたっても男爵令息夫人として至らぬ私では、そんな風にはなれません。
「次はディオンの処分だな」
お義父様の急な言葉に驚いたのか、身じろぎしたらしい旦那様の座る椅子が床を擦る音を立てました。
処遇ではなく、処分。
既にお義父様の頭の中では、旦那様をどうするかなんて決まっているのでしょう。それが比較的優しいものになるようにとしか、祈ることしかできません。
「父上! 私は騙されたのです!」
渾身の叫びで旦那様が訴えますが、お義父様の態度は相反して冷ややかです。
「ああ、そうだな。末席ながらも貴族でありながら、何の裏付けも取らずに戯言をほいほい信じたのぐらいはわかっている。
お前はそういう浅はかな人間だ」
冬を感じさせる温度で作られたお義父様の声音によって、大袈裟なまでに旦那様の体が震えます。
頼りなげに周囲を見渡してダレルに目を留めるや否や、可愛い息子のいる方向へと身を乗り出されました。まあ、少しばかり動いた程度ですが。
「ダレル、お前からも言ってくれ。父である私が必要だと!」
「父上が、ですか」
はっきりと聞こえる溜息の音。
それは旦那様を睨みつけるダレルからでした。
「別に必要としていませんよ」
とびきり冷めた声が、ダレルから子どもらしさを薄れさせてしまいます。
母としては少しどころか大分心配ですが、無知な私ではなくお義父様にきちんと育てられたのでおそらくは問題ないのでしょう。旦那様、ひいてはお義父様の面影をよく受け継いだ自慢の息子なのですから。
「幼い頃、よく父上には少年時代のお話を、寝物語にして頂きましたね」
旦那様も思い出されたらしく、大きく頷かれました。
「そうだ。ご令嬢を誘拐しようとした不埒者達に、勇敢にもたった一人で立ち向かった話をしてやっただろう?」
私も聞いたことのある、幼いご令嬢を助けられたお話のことでしょう。その時のお話をされる旦那様は、いつだって自信に満ち溢れていらっしゃいましたから。
けれど、ダレルの顔には苦々しいものしかありません。
「たまたま、本当に偶然に誘拐されそうだったご令嬢を見かけ、慎重に護衛が取り押さえようと動いていたにも関わらず、浅はかにも声を上げてしまったという話でしたよね」
まあ、何ということでしょう。このお話には裏があったのですか。
それともダレルは反抗期で旦那様に反発してでしょうか。
反抗期というものは、もう少し大きくなってからだと勉強したと思うのですが、もしかしたら私の間違いだったのかもしれません。
どうしたらいいのかと一人でおろおろする私を置いて、他の方は至って冷静ですので、すぐに落ち着かなければという気持ちにはなりましたけど。
「父上が窮地を救ったと語っていましたが、たまたまご令嬢が無事だったのでそういう話に収めてくれたものの、万が一のことがあれば男爵家が潰れていましたよ」
まあ、なんということでしょう!
人は驚くと普段以上に言葉が出なくなると聞きましたが、本当にそうなのですね。ダレルの余りの言い様に、私の口はあんぐりと開いたままでした。
いえ、私のことはいいのです。今気にするべきなのは、ダレルが何を言うのかだけ。
「ご令嬢の家名を出すと面倒になるので避けますが、もしご令嬢を助けられなかったらを考えましたか?
事の責任は父上に、ひいてはオーエンス男爵家に降りかかったでしょう」
あなたは浅はかなんですよ、という言葉に旦那様の顔が真っ赤になります。
いつの間にかダレルがすっかり大人びてしまったと、感心すればいいのか窘めればいいのか判断がつきません。
ダレルは手のかからない子で、叱ったことがないのです。私には手に余るだろうと教育を引き受けてくださったお義父様やお義母様には叱られていたようですが。
「それが父上にとって輝かしい唯一の思い出であったとしても、幼い頃の思い出ばかりをいつまで誇るつもりだったか。恥ずかしい。
他に息子に語れる話がないことの情けなさを感じたことはないのですね。
寝物語はいつだって変わらず、退屈からすぐに眠気に襲われたことだけは感謝しますが」
私は今、どうしたらいいかわからずに、目の前の旦那様とダレルを見比べます。
恩人でもある旦那様のディオン様と、大切な息子のダレル。
「それが父親に対して言うことか!」
お怒りの旦那様が大声を出されますが、思わず悲鳴を上げた私と対照的にダレルは涼しい顔。
「そうやって感情露わに怒鳴るところも貴族らしくもない。
総じて父上を貴族だと認めるどころか、父親だと認めることすらできないです」
きっぱりと言い切ったダレルに対して怒鳴り散らす旦那様にどうしようかと思うものの、こうなった旦那様をお止めすることができないのは経験上よく知っています。
旦那様は時々感情の渦に巻き込まれるのだと説明され、私は年に数度ほど寝室で起きる、嵐のような大声に叱られる時には目を瞑ってやり過ごすのです。
後できちんと謝ってくださいますし、どの家庭でもこんなものなのだと言われたから、そうなのだと思っていました。
もしかしたら違っていたのでしょうか。
旦那様はグッと呻くような声を上げて黙り込んだ後、すぐにお義父様へと向き直ります。
「聞きましたか、父上! それは父親への敬意すら持てない欠落品です!
そんな庶子の女が産んだ者などに常識など備わっていないので! すぐさま家の外に母子共々叩き出してやりましょう!」
ただ、すぐにヒュッと息を呑んで顔色を悪くされました。
お義父様が物凄い表情で睨んでいたからでしょう。
「ディオン、お前の処分について話をしているのだ。
ダレルへと話を逸らすな」
お義父様の声は低く落ち着いているのに、ひしひしとお怒りが伝わってきます。
「たった一度の過ちで、血の繋がった息子を捨てるのですか⁉」
「過ちすら起こしていない実の息子を捨てようとした、お前が言えることではない。恥を知れ」
ばっさり切り捨てるお義父様。悲し気な表情のお義母様。
どうしてこうなってしまったのでしょう。
「運の良いことに優秀な後継者がオーエンス男爵家にいる」
お義父様は向けた視線の先にはダレル。
とても誇らしげな顔をしています。
「お前は廃嫡だ。情けとして男爵家から籍は抜かんが、以降はオーエンスの名を使うことは許さん。また屋敷に住まうことは許さず、領地にある前男爵夫人が余生を過ごした家で暮らしてもらう」
「あんな平民と変わらぬ小さな家に私を押し込めると!? 親としての心は無いのですか!」
旦那様のお祖母様にあたる方は男爵領の民だったと聞いています。だから屋敷は落ち着かず、晩年は小さなお家で穏やかに過ごされたとか。
旦那様は小さいとご不満なようですが、近隣にある家よりも十分に立派でした。
勿論、男爵家の屋敷に比べたら小さいのも事実ですけど。
「子の不始末を罰することもできないなら、それこそ親心どころか責任すらも持ち合わせてないだろうな。
除籍しないだけでも温情だというのに、しでかしたことの反省もせずに言うことがそれか」
ひたりと背中を伝う寒気。
旦那さまだけではない、部屋の誰もが底冷えする程の感情を感じています。
お義父様の表情は変わらぬままですが、逆鱗に触れたことだけは理解したでしょう。
「あの家ですら不満だと言うのならば、お前に相応しい住まいを紹介してやろう。
そこの娼婦を連れてきたお前にぴったりの場所を」
ここまで言われてしまえば、私もお義父様がどこへと送り出すのかわかってしまいました。
きっと理解していないのは旦那様だけでしょう。
「誰か。これを部屋に閉じ込めて一歩も出すな。
風呂と食事の用意はしてやるが、それ以上のことは一切許さん。
これは今からオーエンス男爵家の者ではない」
手の空いている使用人達が、椅子ごと旦那様を持ち上げます。
言い訳を叫ばれる旦那様のお声は遠くなっても微かに聞こえ、けれど暫くしたら何も聞こえなくなりました。
***
あの騒ぎの後からはあっという間でした。
ハルステッド子爵家の使用人が簀巻きと猿轡という出で立ちのイーヴァ様を荷物のように運び出していきました。
彼女は箱にでも詰めて隣国にお持ち帰りされ、それからどうされるのかは怖くて聞いていません。
おそらく無事には済まないはずです。
旦那様はといえばイーヴァ様のいらっしゃった娼館のご紹介で、新しいお勤め先を決められたのですが、お義母様からは私の情操教育によろしくないと何をされるかは教えて頂けませんでした。
私とて旦那様とは何度も閨を共にした身。もし旦那様が男娼に身を落とされたのだとしても、受け止めるだけの知識はあるのだと言いましたが、お義母様からは曖昧な笑顔しか返ってきませんでした。
一体何だったのでしょうか。
途中で反省されたらしく、私をメイドとして同行させて領地の住まいに移られると言われたらしいのですが、その頃には旦那様との離縁は届けられた上、さらには旦那様の除籍と私がオーエンス男爵家の養女となる手続きも終わっていました。
つまりは旦那様がいなくてもダレルが爵位を継げる状態にまでなっていのたです。
お義父様とお義母様は本当の両親となりました。
その喜びに浮かれてしまっている間に、旦那様が新しい職場へと送り出されたのだけが心残りです。
一度だけならと許されて、私は旦那様に最後の手紙を書きます。
救ってくださった感謝と、今までかけて頂いた情けへのお礼を綴り、旦那様が不在でもダレルを支えることを誓った手紙。
最後の一文に悩み、そうしてから書き加えました。
──旦那様は不幸せな方を救いたかっただけですよね
そこに他意も悪意も無く、ただ旦那様にある正義感に対して感謝の意をこめて。




