神格連鎖機構
城の最上部に位置する小部屋の扉を王が開いた。中では、左目を眼帯で隠したレアが、小窓から外を眺めていた。
「ご機嫌はいかがですか、巫女様?」
「私をディルク達の所に帰して」
「無理ですよ。巫女様にはこれから以前のように働いてもらいます。私にもっと良い生活をさせてください」
王が口を醜く歪ませて、下卑た笑い声を出した。強欲の塊め。レアは小さく呟いて、窓から暗い空を見上げた。王の声が止むのと同時に、白衣を纏った従者がレアの腕を掴んだ。
「いたいっ!」
レアがバランスを崩し、椅子から転げ落ちる。それでも従者は執拗にレアの腕を引っ張った。
「大人しく従いなさい。彼は解剖するのが好きなんだ。君のその左目、抉り取られるかもしれないぞ?」
必要以上に恐怖を与える言葉を放った王は、大人しくなったレアを見て、一人満足げな顔をした。従者に手を引かれ、レアはいくつもの扉を横目に見ながら、真っ白な部屋に連れて行かれた。
部屋の中央に設置されている拘束具の付いた椅子に座らされ、手足を固定された。レアの眼帯が乱暴に外される。左目を閉じたままレアは、白衣を睨み付けた。
「早く始めろ」
王が上方に配置されているモニタールームから、マイク越しに語りかける。
「嫌ですよ、両目が開いてないと私はやりません。中途半端になったら面倒じゃないですか」
「じゃあ無理矢理にでも開かせろ」
「汚れるから嫌なんですよね」
そう言いながらも口元が緩むのを精一杯こらえていた。白衣の内側から煌めくメスを取り出し、レアの大腿部に鉛直に突き刺す。レアが痛みで両目を大きく見開き、大きな悲鳴を上げる。その悲鳴に、痛み以外が原因の声も混じる。
「じゃ、ちょっとそのままにしててね」
従者が頬に付いた血液を手の甲で拭い、嗜虐的な笑みを浮かべ、レアを一人残し、部屋の外へと移動する。そして、眩すぎる白い光で部屋が満たされ、悲鳴が途絶える。
「いつまで、この不快な体勢のままにしておくつもりだ?」
光が収まってからのレアの第一声だ。先程までの天真爛漫なものではなく、声を聞いた者が自分の全てを見透かされたと感じる、冷たく染み渡る声。部屋の扉を開き、王は従者より先にレアの元へ行き、頭を下げた。
「さっさと外せ、ただでさえ手荒に事を進められ、腹が立っているんだ」
レアは王の服の袖を引きちぎり、自分の太ももをきつく締め上げた。王は自らレアの体を持ち上げ、部屋を後にした。
▽
城の裏手から逃げだしたイリヤは、エリクの先導で裏路地を歩いていた。
「お前は何者だ?」
イリヤが足を止めた。
「エリク・ハンゼン。レアの兄です」
エリクが振り返り、イリヤの顔を見上げる。
「お前ぐらいの年なら、俺の事を知ってるだろう。なんで助けた?」
エリクの顔に、窓から漏れた光が差し込み影を落とす。
「勿論あなたが何者かって事ぐらい知ってますよ」
エリクの声が少しずつ震え始める。
「僕の父を殺したのがあなたですから。それでも僕は、あなたに頼らざるを得ない……」
エリクの握られた右手から紅い液体が滴り始め、声に怒気が含まれる。
「レアを救うためにはあなたの力が必要なんですっ! そう言ったんです……」
そう言って、エリクが振り返り歩き出す。
「言ったって、誰が?」
質問を無視して歩みを早めるエリクに、イリヤは仕方無く付いて行く。エリクが突然立ち止まり、左側の扉を勢いよく開けて中へと姿を消す。部屋から聞き覚えのある声が漏れ、イリヤはゴーグルをあげ部屋の中を覗いた。ディルクが居た。澱んだ雰囲気を身に纏い、ソファーに沈んでいた。
「……あ、イリヤ」
ディルクが間の抜けた声で言った。
「どうした?」
「あー、何というか……レアが拉致された」
「は?」
「今日の朝、軍人達が来て、城に連れて行かれて、レアだけそのまま」
ディルクはばつの悪そうな顔をして、イリヤから目をそらした。
「なんで、すぐ連絡しなかった……あー、俺の方で取られてたか」
イリヤは自分の右腕に情報表示端末ないのを思い出し、頭を掻いた。
「座ってください」
エリクがイリヤに座るように促し、イリヤはディルクの隣のソファーに腰を下ろした。奥からソフィーが出てきて三人の前に、お茶の入ったカップを置く。
「疲れを取るハーブが入ってます。見たところお疲れのようなので」
ソフィーがエリクと一瞬目を合わせ、緊張した面持ちになり、奥へと姿を消した。
「とりあえず、話と違うことが幾つか起きてるので、確認を。あなた方、特にその元気のない方は、レアを助ける気があるんですか?」
ディルクは顔を少し上げ、エリクの顔を見た。
「……誰?」
「レアの兄だそうだ、本当かどうかは知らないが」
イリヤがディルクに囁いた。ディルクが言葉を紡ぐ前に、イリヤが訊いた。
「俺たちはレアを連れ戻す。だがエリク、お前に協力するかは決めかねる」
「どうしてです? あなたと僕の利は一致してるじゃないですか」
「俺にはお前の真意が分からないからな」
エリクは逡巡し、適切な一言一句を選びながら、言葉を慎重に紡ぎ始めた。
「神格連鎖機構は知ってますか?」
「二百年前の科学革命のきっかけとなった……」
「違います、それは淘汰性連鎖機構です」
ディルクが、頭に疑問符を浮かべ首を傾げたのを見て、エリクが立ち上がった。ディルクの後ろにある棚から、一冊の分厚い古書を手に取り、椅子に座った。ページをパラパラと捲り、目的のページを開き、ディルクの目の前に置いた。
「まず、神格連鎖機構の元となった神と崇められている存在について話さないと。ここを読んでください」
エリクが指さした文に目を落とす。
ここでは、アレを表す固有名詞が存在しないことから、便宜上、神とする。
神は人智を越えた存在だ。今までに一体しか確認されていない種族であり、不死である。
その姿を変えることができ、発見時は人間に酷似し背中から翼を生やしていた。その琥珀色の双眸で全てを見通し、背より生える両翼で世界に翳りを創る。さらに、瞬く間に世界を駈け、両の腕で均衡を保つと言われている。
「それでですが、ここからは事実かどうか分かりませんが」
エリクが続きを説明し始めた。
「B・S・ニュートンという人が神の住処を突き止めました。そして、神が寝ている間に解剖したんです。腕を脚を、目に脳、心臓までも切り出しました」
「いきなり解剖っておかしくないか? 普通捕獲が先じゃ……」
「当時、最も大きかった捕獲者の集団を一瞬で蹴散らし、人間のように嘲り笑ったらしいです」
ディルクが息をのんだ。
「切り出したパーツはヴァルカースに運ばれました。しかし神も生物ですから、いくら体を研究した所で、数値上では大した結果が得られなかったのです。そこで彼、ニュートンは神の一部を人間に移植しました。そして、神がどのような感覚を有しているかを調べさせました。
適合しなかった人間がたくさん亡くなり、また選ばれた人は劣悪な環境の施設に収容され、自らの状況を逐一報告させられたそうです。
移植から数年後、適合者達に異変が見られました。取り憑かれたように自らを傷つけ、内側が崩壊しました。そして、ひとり、またひとりと自ら命を絶っていきました」
「……作り話じゃないんだよな?」
ディルクが掠れ気味の声で尋ねた。
「ええ、二百年前の事として、伝承されている話です。調べれば幾つかの研究資料や、語り物が見つかるはずです」
エリクが無知な子供に教えるように言った。
「その後、ニュートンが自らの体に左目を埋め込み、そこから、神格連鎖機構の歴史が始まりました」
イライラが募ったのか、沈黙していたイリヤが口を出した。
「もう止めろ。うだうだと長い説明するな」
「え、でもまだ全然説明できてません」
「昔話を交えてるから長くなるんだ。その神の体の一部が神格連鎖機構そのものだ、っていえばいいんだよ。そんな昔話とかの情報はデータベースを漁ればすぐ出てくるんだ」
「あ、じゃあ淘汰性連鎖機構は?」
「神格連鎖機構の数値と、簡単な構造だけを熟考して造られた一点特化型の機械だ。学校で習わなかったのか?」
「全然教えてもらわなかった」
「どこの出身ですか?」
エリクが尋ねる。
「コルスカンドだけど」
「おそらく、意図的に隠されてたんでしょうね。あんな秘め事だらけの国によく住んでられましたね」
エリクが苦笑混じりで言った。
「で、神格連鎖機構がどう関係あるんだ?」
「レアはその左目を宿しているんです。だから、王に必要とされるんです」
イリヤが閉眼し、口に手を当て何かを考え込み始めた。
「意味が分かんないんだけど」
ディルクがイリヤを横目に見ながら言った。
「神格連鎖機構の左目は……」
エリクが本を閉じて、お茶を啜った。
「そうゆう事か……」
一人納得した顔のイリヤが、立ち上がった。
「どうしました?」
言葉を中断して、エリクが見上げた。
「ディルク、レアの鞄は?」
「部屋にある。四階の突き当たり」
イリヤが階段を上り、姿を消した。
「何しに行ったんでしょうか?」
「さあ?」
ディルクが首を傾げた。その数分後、イリヤは麻袋を一つ携えて降りて来た。
「行ってくる」
そう言い放ち、ゴーグルを下げ外へと出て行った。
「待ってください。僕も行きます」
エリクが重い体を起き上がらせ、イリヤの後に付いていく。取り残されたディルクがハーブティーを飲み干し、駈け出した。イリヤが歩きながら、麻袋からネズミを二匹取りだした。二匹は手の平の上で、息のあった伸びを見せ、両翼を広げた。
イリヤは、それぞれの前脚にビー玉ぐらいの大きさの玉を括り付け、二匹を空へと放った。二匹は空で円を描いた後、それぞれの役目を果たしに別れていった。
イリヤは追いついた二人に、目もくれずに歩みを早めて先を見た。ディルクはイリヤの横に並び、早口で尋ねた。
「どこに行くんだよ?」
「離れろ」
イリヤはその一言と共に、ディルクを扉へと飛ばした。何かが炸裂する音の後に、ディルクは硬い壁面に肩をぶつけた。直後、エリクが中に飛ばされてきて扉が閉められた。
「何で扉が閉まるんだ?」
「黙って」
状況が理解できないまま、体を低く押さえつけられたディルクはエリクの顔がやけに緊張しているのに気が付いた。
「……何があった?」
「外に軍の少数精鋭部隊が待機してました。イリヤがあなたを押さなければ、あなたの体は蜂の巣にされてましたよ」
「そんな、全然気付かなかった」
「僕も気付きませんでした。突然上から霰弾を発射してきたんですよ。僕もイリヤに蹴飛ばされなきゃ、直撃してました。あの人は場数を踏んでるから気付いたんですかね?」
「……イリヤは?」
体を前に傾けたディルクをエリクが押さえた。
「今出て行ったら、それこそ餌食ですよ」
「でも、撃たれたなら助けないと」
「あなたは足手まといでしょ? それにあんな奴は助けなくても良いんですよ……」
語尾をボソボソと言ったエリクは、ディルクの手を引き壁際へと連れてった。
「ここら一帯の建物は非常事態に備えて、地下通路へと繋がってるんです。一旦退きましょう」
エリクが床を持ち上げ、階段を示す。ディルクが中へと入っていき、エリクが続いて、床を下げ、入り口をロックした。