入国
夜の帷が降りた頃、長い航行を終えたディルク達は空中都市、サウスバデータに降り立ち、船長の引率で都市の内部へと入った。
まず目に付いたのは、ひたすら真っ直ぐな石畳の大きな通りだ。通りの先には城という呼び名にふさわしい輪郭の建物がうっすらと見えた。その通りに面して、レンガ外観の似たり寄ったりの長方形の建物が、左右対称に並んでいた。ディルク達はその通りを見ながら歩いた。
「ここが空中都市かー。すごいきれいだね。ねっ、ディルク?」
レアは今にも小躍りしそうだ。
「あまりはしゃがないで下さい、巫女様」
そして、船長はこちらへ、と大通りから入れる路地を手で示した。路地を奥へと進むと、小さな木目調の扉があり、その扉を船長が開けた。
「今宵はここでお休みください」
レアがまず中に入り、続いてディルクが入った。イリヤが入ろうとすると、船長が手で遮った。
「あなたに話がある、殺戮者、イリヤ・アーベル」
イリヤは眉一つ動かさずに船長の顔を見た。
「やっぱり知ってたか、ステーン・アスペル」
船長は扉を閉めてから右手を高くあげた。すると、イリヤとステーンの背後から武装した集団が現れた。
「どうやら穏やかな話し合いじゃないみたいだな」
イリヤは自分に向いている銃口を睨んだ。
「単刀直入に聞く。お前が巫女様を攫ったのか?」
イリヤは含み笑いをしてから言った。
「まさか、俺はヴァルカースで初めてアイツに会った」
ステーンはふむ、と手を顎に付けてからイリヤを指差した。
「お前を都市間協定に基づき拘束する」
ステーンが武装集団の後へと姿を消すのと同時に、イリヤは高く跳躍した。三階部分のレンガに指を掛けて下を見るも、ステーンの姿はもう無かった。イリヤの手のすぐ上のレンガに弾が埋め込まれた。
「やばっ」
イリヤは壁を蹴り、隣の建物を使った三角跳びで弾幕を避けながら、屋上へと上がった。イリヤは屋上からディルク達のいる建物の屋上へと飛び移った。真っ直ぐ二ブロック、城の方に進むと、イリヤの頬に一筋の赤い線が引かれた。
「動くな。動いたら撃ち殺す」
背後から光が当てられ、イリヤは振り返った。武装した四人組が身を低くし、距離を縮めて来た。その先頭にいる男の持つ銃口からは細い煙が上がっていた。
イリヤは後ずさるが、それはすぐに出来なくなった。足の裏が半分、縁から出たのだ。
「動くなと言った筈だが? まあいい、逃げ場はない。大人しく膝を着け。」
イリヤが居るのは五階建ての屋上。ここら一帯は同じ様な造りで、屋根の高さが揃えられている。隣に飛び移ってもすぐに撃たれて仕舞だろう。イリヤが思案を巡らせてる間にも敵は距離を詰めてくる。
「お前が誘拐犯なら、撃ち殺せたのに残念だ」
「饒舌だな? 緊張感の欠片もなく」
イリヤの数歩手前で四人は止まった。
「お前こそ、緊張感が感じられないが」
「余裕があるからに決まってるだろ?」
イリヤは口元をニヤリと歪め、屋上の縁から踏み切った。隣の建物の壁を滑るように降りると、四人組が縁からイリヤに狙いを定める。壁を蹴り、四人組のいる建物の二階の窓に頭から突っ込んだ。イリヤの姿を見失った男達が悪態を吐きながら、反対側にある階段を使い、下に降り始めた。
イリヤは男達が目を離したのを確認し、割った窓から外へと降りた。
「無茶しすぎたか」
イリヤは服に付いたガラス片を払ってから、自分の顔に出来た切り傷を確かめるように触りながら、大通りへと出た。来た道を引き返し、先ほどの路地へ入った。イリヤは扉を開き中へ入ると、言葉を失った。そこには沢山のガタイの良い男達が、大量の銃を構えていた。
イリヤが振り返ると、後ろも同じ様な男達に包囲されていた。
「くそっ!」
「取り押さえろ」
その中の一人がそう言うと周りの男がイリヤを押し倒し、後ろ手に手錠を嵌めた。
▽
ディルクが中に入ると扉が閉められた。
「あれ、イリヤは?」
「大人の話し合いでもしてんじゃないの?」
レアは首を縦に振ったが、どこか納得してはいなかった。
「お客様ですっ! 久し振りですっ! ぼったくるですっ! ばあ、早く来るです」
階段から、物音に反応したディルクと同じぐらいの年齢の長い黒髪の少女と、腰の曲がった老人が杖をつきながら現れた。
「こりゃまた若いお客。……駆け落ちかえ?」
「駆け落ちっ! 許されない愛なのです! 燃え上がる愛なのですっ!」
少女が老婆の言葉に反応して跳ね、そしてレアの両手を掴み上下に激しく振った。
「駆け落ちとか、そんな関係じゃないですし。それにぼったくるって、仮にそうだとしても、言ったらダメでしょ?」
「駆け落ちって何?」
レアは頭にハテナを浮かべ、ディルクは苦笑いながら否定した。
「ええ、ええ、否定せんでも解る。若いうちは冒険したらええ」
老婆は諭すようにディルクに言った。
「私も冒険したいですっ!」
「人の話はちゃんと聞けよ。」
ディルクが老婆に指摘した。
「で、何泊かえ? 駆け落ちだからやっぱり一泊かえ?」
「何泊って何も考えてないしな、先に決めなきゃダメか?」
「ちゃんと金を払ってくれれば構わんけ。じゃあソフィー、部屋へ連れてっておくれ。外に待ってる人達がいるけ」
「こちらに」
ソフィーと呼ばれた少女が階段を数段登り、ディルク達に手招きをした。レアがソフィーと先に行き、ディルクは扉を一瞥してから階段を登った。四階の突き当たりの部屋に通された。
部屋の中は丸い小さなテーブルと、それを挟んで一人掛けのソファが置いてある。その横にはダブルサイズのベッドが一つ。
「あなた方以外にお客様はいないし、カメラも盗聴器もありません。好きなだけヤっちゃってください。
あっ、でもでも、この建物は古いですし、防音も完璧じゃないので、あまりにも激しすぎると、私にも聞こえちゃいますから、そこの所よろしくです」
ソフィーは顔を赤らめながらそう言った。
「だから違うって。だいたいレアとオレじゃ、せいぜい兄妹だろ」
「まさかの、近親そ……」
「断じて違う」
ディルクがソフィーの口を塞いで言った。
「ねぇディルク、この人なんて言おうとしたの?」
「レアは気にしなくても良い事だ」
「えー、気ーにーなーるー」
レアが不満を露わにして、気になるを連発し始めた。ディルクはソフィーの口を抑えていた手で、レアの口を塞いだ。
「では、私は失礼します。痴話喧嘩もほどほどに」
ソフィーは自由になった口でそう言って部屋から出て行った。
「だから違うって」
ディルクは手を離し、呆れたように言った。
レアは解放されて大きな欠伸をし、そのままベッドに倒れ込んだ。
「おい、寝るならちゃんと布団を掛けろ」
レアはディルクの言葉に穏やかな寝息で答えた。
「まったく、疲れたからしょうがないか」
ディルクは布団を掛けてあげ、レアの寝顔を見て、優しく微笑んだ。それから靴を脱ぎ、ベッドの端に寝転がった。申し訳程度に布団をかぶり、レアに背を向けて。
翌朝。ディルクは何かが叩かれる音を耳にして、朝の世界に入り込んだ。どうやら誰かが部屋の扉を連打しているようだ。
ディルクはベッドから降り、扉を開けた。そして、ディルクの鼻に強烈な打撃が入った。
「あっ……」
ディルクは右手で鼻を押さえ、赤い液体をせき止める。そして、ソフィーを力無き眼で睨んだ。
「朝から鼻を殴られるなんて、初めてだ」
ディルクは不機嫌を露わにして言った。
「ご、ゴメンナサイッ! わざとじゃなくてですね、その勢いでやってしまったというか、あっ! 勢いでやっただと私が悪いみたい…………そう! いきなり開ける貴方が悪いんです!」
ディルクは、指を指すソフィーに呆れつつも尋ねた。
「で、何のようだ?」
ソフィーは思い出したように動き、ディルクに顔を近付けた。
「あなた方、一体何者何ですかっ! 下にあなた方に会いたいって言う、国軍の方々が来てます」
「国軍? 何でそんなのが?」
「そんなのこっちが訊きたいですよ。とりあえずどうします? 追っ払いますか?」
「それ、困るの君達だよね? 国軍を追っ払ったら君達も追っ払われるよね?」
「じゃあ、あなた達を追っ払います。駆け落ち頑張って下さい。お・う・じ・様」
「まだそれ、引っ張るのか」
ソフィーはディルクの額を指で押してから、顔を離し部屋の扉を閉めた。ディルクは手と顔を洗面台で洗い、血が止まったのを確認してから、ベッドに戻り、レアの体を揺さぶった。
レアは布団の中でうずくまり、もぞもぞと動き、難色を示した。ディルクは嘆息し、レアから布団を剥ぎ取った。布団を求めて動き出したレアは、手を空中にさまよわせながら、転がった。そして、ベッドの縁からシーツを巻き込んで滑り落ちた。
「いたっ」
レアは左肘を押さえながら立ち上がって、周りをキョロキョロと見回した。
「あれ、ご馳走は?」
「そんな物はない。眼帯が曲がってるぞ」
ディルクはレアに近付いて、眼帯の僅かなズレを直した。
「そんな細かいこと、気にしなくても良いのに」
レアは寝癖だらけの髪を寝かし付けながら言った。
「下に迎えが来てるらしい。さっさと寝癖を直してこい」
レアが洗面所に入ったのを確認してから、上着の中に手を突っ込み、鈍く光る黒を目の前に翳す。そして祈るように銃身を撫でる。そのまま手をグリップまで滑らせた。手のひらでそっと包み、力強く握る。腰に着けたホルスターに銃を差し込んだ、武器の携帯をアピールするように。
出てきたレアをそのまま部屋の外に連れ出し、一階へと降りた。階段を降りると、広い部屋の四分の一を埋め尽くす軍人達が、扉を隠すように立っていた。ソフィーと老婆はそれの向かいに静かに立っていた。
「巫女様、城へと案内させていただきます」
軍人の一人がそう言うと、ソフィーは目を見開いた。
「み、巫女様ーっ!?」
「ここまでの護衛ご苦労だったな。ここから先は我々が引き継ぐ」
軍人はレアの腕を引っ張って、自分達の元に引き寄せた。
「ディルクッ!」
レアがディルクに助けを求めた。ディルクは手を伸ばし、軍人の腕を掴んだ。
「ちょっと、手荒すぎじゃないですか?」
「離せ」
軍人は冷たくあしらった。
「嫌がってるじゃないですか」
「邪魔者には射殺許可が下りてる」
軍人はホルスターから銃を取り出し、ディルクに向けた。撃鉄を上げ引き金に指を掛けた。
「銃をしまえ、フレッド」
「……了解、大尉」
フレッドと呼ばれた軍人は銃をしまった。
「手荒な真似をして悪かったね、私はジョージ・ベニントン大尉。いやー、最近の若いのは血気盛んな奴らが多い」
ジョージと名乗った男は周りとそう変わらない年齢に見えた。
「無礼は謝るよ。よく、ここまで連れて来てくれた。若いのにやるねー」
ジョージはディルクの横に並び、肘で小突いた。ディルクはジョージから距離を取った。
「こいつも連れてけ」
ジョージは先ほどの穏やかな口調とは打って変わった事務的な口調で告げた、 ディルクの銃を指にぶら下げ回しながら。
ディルクは腰に手を当て、銃を盗られたことを確認した。フレッドがディルクに近付いた。ディルクは袖口からナイフを勢いよく取り出した。ナイフは手に収まり、切っ先をフレッドへと向けた。フレッドはナイフを持つ側の手首を掴み、捻った。
ディルクの腕から力が抜け、ナイフが床に落ち、ジョージの足元に滑った。
「もう少し、ましに扱えるようになってからだな」
ジョージがナイフを拾い上げると、軍人達から笑い声があがった。
「連れてけ」
ジョージの一言で、ディルクとレアは包囲され、外へと連行された。