時に流るる都市(4)
ディルクは思わず閉じた目をおそるおそる開け、周りを見渡した。地面には大爪が、目の前には右腕から先が無くなった熊が立っていた。
「……ひっ!」
ディルクは自分が血にまみれている事に気づき、小さく悲鳴を上げた。次に動かなくなった熊を見上げた。それの左目があった所から空を見ることができることに気が付いた。
本当に死んだか確かめるために近づくと、熊がこちらに倒れてきた。おかげで肉塊に押しつぶされた。
「おいガキ、護られてる分際で前に出るのはどんな了見だ?」
「い、イリヤ!?」
ディルクは僅かに体を動かし熊の上を見ると、イリヤがライフルを肩に乗せ片足を熊に置いていた。
「オレの名前は聞いてない」
体に掛かる重さが増えた。
「イリヤ、ディルクがつぶれちゃうよ」
「ハッ、潰れても誰も困らねえよ」
レアが制止するのも聞かずに、ディルクを何度も踏みつけた。
「だっ、ダメだってば」
レアはイリヤに抱きついて止めさせ、ディルクの腕を引っ張って肉の下から救出した。
「だいじょうぶ?」
「ああ、痛いところはないよ」
ディルクは立ち上がり服に付いた土や葉を落とし、イリヤへと近づいた。そして銃を向け引き金を引いた。
カチッ。
「これに弾が入ってないんだが?」
イリヤは顔色を変えずに答えた。
「会ったばかりの奴に弾を込めた銃を渡すバカがどこにいる?」
「……っ! お前のせいで死にかけたんだぞ?」
ディルクはイリヤの胸倉を掴んだ。
「こんな深くまで入り込んだお前の責任だ。もし仮に弾が入ってたとしても、コイツは仕留められなかった。俺のせいにするのはお門違いだ」
「納得できるか! 行く前に一言、注意するとかできるだろ」
「は? ……ここに来る途中に明らかに境界だと判る所があっただろ。それにこの時季には境界近くには食べれる木の実は無い。」
ディルクは沈黙した。
「終わりなら手を離せ」
イリヤは腕を掴み、そのまま横にずらし後ろに引いた。
「レア、行くぞ」
頭から地面に突っ伏したディルクを踏みつけ、レアの手を取った。
「ま、待って」
レアはイリヤの手を振り払ってディルクの近くに行った。
「どうした?」
ポケットに手を突っ込みもぞもぞと動かし、何かを掴んで抜いた。
「見てイリヤ、タクトだよ」
レアの手の中には母親のリオン譲りの綺麗な栗毛色のトビネズミがうずくまっていた。タクトはレアの手の中から飛び出し、先ほどまでいたディルクの胸ポケットに潜っていった。
「う〜、タクトは私に懐くと思ったのに」
レアが涙目になり、その頭にイリヤが手を乗せる。
「残念だったな」
イリヤはレアから手をどけ、情報表示端末を起動した。
「音声入力をして下さい」
「今日この辺りを飛行する貿易船はどこのだ?」
「……サウスバデータの国営船です」
「サウスバデータ……最近傾きかけてる空中都市か。コルスカンドが相手にするとは思えないが」
イリヤはケースの一つから靴を取り出し、黒いブーツから履き替えた。
「レア、こいつを見てろ。何かあったらこいつを使え」
レアは二つの小さな球体を受け取った。
「わかったー」
イリヤはケースを二つ置いて、森の中に消えていった。レアは球をポケットにしまい、ケースに座りディルクをじっと見つめた。
「……何でこっち見てんの?」
「暇。お腹空いた」
「食べ物なんて持ってないぞ」
「ぐぅ〜」
レアはお腹に手を当て、口をとがらせた。
「ぐぅ〜じゃない。それよりさっき何をもらったんだ?」
「ボールだよ」
「ボール? 何でまたそんな物を……」
「ディルクは知らなくてもいいんだよ」
レアはケースを開け、不透明な袋を取り出した。
「あった」
袋は弧を描きディルクの腕の中に収まった。
「これは?」
ディルクは袋を周りから観察した。
「おやつ。イリヤが作った特製クッキーだよ」
「クッキー? イリヤが?」
「そっ。おいしーんだよ」
ディルクは袋の口を開け、中から一枚取り出し一口かじった。
「……味がしない」
「えっ! 甘くて、酸っぱくてーおいしいよ」
「これ何が入ってんの?」
「リンゴとー、サトウモロコシの粉とー、あと何かの実の汁」
「実の汁って。もう少し良い言い方があるだろ、果汁とか」
「文句あるなら食べなきゃ良い」
レアは頬を膨らましてディルクに近付き、袋を引ったくった。
「ちょっ、食べる、食べるから!」
レアは袋を持って森の奥へと走っていった。
「待てって、どこ行くんだよ?」
後をディルクが追いかけて行った。
▽
暗く燃える炎の中で狂気を蔓延らせる奴らは数を増し、遂に飛行艇は地に墜ちた。刹那、轟音と共に地上は怖れの色で染め上げられた。それを皮切りに略奪が始まった。
墜落した大型商船に数隻の小型船が群がり、少しずつ物品を運び出し母船へと戻る。一隻が戻ればすぐにまた一隻が近づき略奪をする。その様はまるで人を襲うスズメバチ。
イリヤは物陰からその様子を窺っていた。
……近付き難い。少し様子を見るか。
息を潜め時が過ぎるのを待つも、一向に止める気配が無い。
……仕方無いか。
イリヤはケースを開き、スナイパーライフルを組み立て、徹甲弾を装填した。そして情報表示端末をゴーグルとリンクさせた。ゴーグルに風速や湿度などの様々な情報が映し出される。
イリヤは地面に伏せ、銃のグリップを握り、トリガーに人差し指をかけた。そして照準を覗き、飛行船の一つに狙いを定め、引き金を引いた。
一瞬のうちに船体に穴がいくつも空き、船は飛行能力を失った。それは近くにいた二機も巻き込み墜落し、商船を襲う船は無くなった。
イリヤはラッキー、と小さくつぶやき、ケースにライフルをしまった。腰に装着するホルスターをジャケットの上から装着し、四十五口径のピストルを差した。
更に、イリヤはケースから二挺の拳銃を取りだした。一方は弾倉の底に小さな刃のギミックがついており、もう一方は長いグリップになっていて装填数が増えている。
二丁を確かめるように握り、イリヤは商船へと走り出した。
空賊達が突然の襲来に戸惑う中、リーダー格の男が声を張り上げた。
「お前ら少し黙ってろ。武器を持って待機!」
その一言で空賊達がパニックから立ち直った。
「素晴らしい統率力。だが、気付くのが遅かったな」
イリヤはリーダー格の男の頭を後ろから撃ち抜いた。周りにいた全ての眼がイリヤに向けられる。
「何者だ?」
異口同音に告げられる。その中で一部の者達が森の方へと消えていった。
「ハイエナは食べ残しを漁るだけじゃない、自ら奪いに行くときもある。効率の悪い略奪を待つのには飽きた」
そう言ってイリヤは近くにいた空賊を無力化した。訳の解らないことを言う者に戸惑いながらも空賊達は流石というべきか、多くの者が戦意を喪失する事なく立ち向かってきた。
船の残骸が周りに転がっている遮蔽物の多いフィールドで、イリヤは商船から一番離れた位置で戦っていた。
今周りには三人がおり、火力の強い銃を相手は携行している。その銃は市街地などの近接戦闘で、無類の強さを発揮する。
イリヤは遮蔽物を盾にし、銃撃をしのいでいた。無理に突っ込まずにリロードを待てばいい。敵が弾切れを起こし、リロードをする僅かな隙に銃を敵に向け放つ。ドサリと倒れたのを耳で確認し、二人目に取り掛かる。先ほどと同じように物陰からリロードを待つ。
しかし、敵に銃口を向けた時に、もう一人に背後を取られた。銃口が向けられる。イリヤは脚に力を入れ跳躍した。普通では考えられない高さへのジャンプ。外れた弾が味方に当たるのを、初めてジャンプ中に見下ろした。
流石はハンスといったところか。イリヤは高所から敵を射抜き、敵の群の真ん中に降り立った。
イリヤに先ほどとは比べものにならない数の銃口が向けられる。一斉に銃弾が思い思いの方向に飛んでいく。イリヤは数センチ単位で体をずらし、無数の弾丸を避けた。全ての軌道を読み、体を隙間にねじ込む。さながらパズルのピースのように。その所作はイリヤの能力の高さを物語っている。
イリヤは体中につけられたたかすり傷を無視して、反撃を開始した。まず、近くにいた賊の急所である顎を的確に肘で打ち抜く。そのままの勢いで回転して、背後にいた敵の肋骨を蹴り砕く。さらには回転中に左右にいた奴らに発砲した。たったの数秒でイリヤの手の届く範囲の敵は居なくなった。しかし、まだ的は多い。
リーダー格の男を討たれて、士気が下がったかのように見えた賊達はすぐに立て直し、船の残骸の後ろに隠れイリヤを狙う。向けられた銃口からは再び攻撃が開始された。途切れる事のないつぶての嵐。イリヤは瞬間的に銃口の向きを確認し、一発毎に安全なコースを判断し、障害物を飛び越えた。着地の際にカカト落としを喰らわせ、グリップの刃で別の首を切りつける。新たに向けられた手首を握り、鳩尾に膝蹴りを入れる。そして,敵の銃を握り、こちらを向く敵を掃射し、別のターゲットへと移動した。
イリヤが一方的な虐殺をする展開は終わりを告げた。逃げた筈の奴らが戻ってきたのだ。奴らはどこからか手榴弾を持ち出した。熱風は行く手を阻み、爆風は地形を変化させる。思うように動けなくなり、イリヤは進みにくくなった。
それに加え、奴らは人質を連れてきた。意識朦朧の商船の乗組員達と見覚えのある少年少女。イリヤは思わず嘆息した。
「こっちには人質がいるんだぞ」
そう叫ぶ声は爆発音に邪魔されイリヤには僅かしか届かなかった。
「たかが人質。他人を人質にして意味があるのか? 少なくとも俺は他人の命を重んじれるほど出来た人間じゃないが」
イリヤは物陰から大声で答えて、走り出す。放物線をかいくぐり、爆風をスルーし、一気に距離を縮める。人質まであと少しというところで邪魔が入った。背後から銃撃されたのだ。それは戦況を確認した母船から援軍として送られた小型飛行船からのものだった。イリヤはそれをギリギリでかわし物陰へと戻った。
くそ、ケースを置いてくるんじゃなかった。奴らがわざわざ危険を冒すタイプには思えなかったんだが。
「レア、渡したヤツを使え」
レアはハッと今まで忘れていたかのような反応をとった。そしてポケットへと手を突っ込む。そのまま少し停止し、後ろのポケットに手を入れる。今度はさっきより短い時間停止した。そして自分の体を見ながら、上から下に手を当てていく。自分の体を一通りまさぐり終わり一言。
「……なくしたかも」
隣で見ていたディルクは自分のポケットから二つの球体を取り出した。
「何でディルクが持ってるの?」
「いきなり走り出したときに落としてたから拾っといた」
「だったらさっさと返してよ」
「自己管理能力がないな」
二人の言い争いに、イリヤの苛立ちは最高点に達した。
「お前らどうでもいいからさっさと投げろ!」
レアがビクリと震え、ディルクの手から二つとも奪い宙に放ち、耳と目を塞いだ。先に落ちた球体は閃光と高音を放出した。不意を突かれた賊達とディルクはふらつき、目を潰された。そして滞空していた船は狂ったように回転し、猛スピードで地面にぶつかった。
「な、何で!?」
「安い機械の塊が電磁パルス(EMP)をくらって落ちない訳ないだろ」
もう一つの球体は地面に着いた瞬間から、濃い白い霧を放出した。催涙効果を持つそれは、白い闇としても視界を奪いイリヤの姿を完全に隠す。その闇の中でもイリヤはターゲットを見失わずに攻め入った。
▽
「これで全員か」
白い闇が晴れた所でイリヤは全ての賊を打ちのめした。ディルクは先の球のせいで動くことはままならない。レアは意識朦朧としている商船の乗組員を順番に見て行った。その時に一人の乗組員が目を覚ました。
「あ、だいじょうぶですか?」
「……っ! み、巫女様、どうしてかのような所に?」
イリヤは勿論、言われた当人のレアも驚いていた。