時に流るる都市(2)
翌朝、冷たい風に首筋をなでられ、ディルクは目を覚ました。固い床に寝かされたおかげで体のあちこちが軋んだ。
檻の入口の方を見ると、見覚えのある赤い果実が置かれていた。それを見ると腹の虫が鳴き、自然と手が伸びた。吸い込まれそうな甘美な香りを放ち、表面の光沢は磨けば磨くほど増し、今まで食べたことのないくらいおいしそうな物に見えた。大きく口を開き、ガブリと食らいつく。
「酸っぱっ!」
ディルクは思わずそれを吐き出し、備え付けられている蛇口をひねり口の中を漱いだ。
「それは口には合わなかったか?」
顔を上げると檻の中に白衣の老人が立っていた。
「誰だ? どうやって中に入った?」
「わしはハンス・シェルマン。この家にイリヤと共に住んでおる。このわしは立体映像だがな。
それは原始的なリンゴで酸味が強く、ここではポピュラーな栄養源として食べられておるんだが、空中都市の改良された甘味のあるリンゴを食べ慣れとると食えんか。
それを食べられんとなるとここでの生活は苦しいから、食べられるようにならんとなぁ」
長々と話すハンスに呆気に取られたが、ふと頭をよぎった事がある。
「どうしてここに来たんだ?」
「本題じゃが、お前さんがここで暮らしてもいいことになった。ただし、わしの研究の為じゃ」
「人体実験か?」
ディルクが恐る恐る聞いたが、ハンスはそれは笑いながら否定した。
「モニターとしてじゃ。わしは一端の技術者だから、モニターをしてくれる人を捜していたのじゃ。モニターを引き受けてくれるなら、ここで暮らせる。どうじゃ、悪い取引ではなかろう?」
「……わかった。」
「檻の鍵が開いとるはずじゃ。わしについて来てくれ」
ハンスが檻の外に出て行くのに続いて、檻の扉に手を掛けた。
ガチャン。
「ハンス、開かないぞ?」
ディルクは扉を前後に揺らすが、ガチャガチャ音をたてるだけで開きはしない。
「ちょっと待っとれ、イリヤを呼んでくる」
そう言ってハンスは姿を消した。
▽
呼び鈴が鳴り響き来客の存在を告げた。イリヤは寝ぼけ眼を擦りながら玄関の扉を開けた。
「おっはよー、イリヤ!!」
「早いな、レア。まだ準備できてないからちょっと待ってろ」
「待ってる、待ってるー」
呼び鈴を押したのは少女だった。少女は名をレア・ハンゼンという。レアは銀色のショートカットの髪をしており、左目に白い眼帯を付けていて、右目は緑色。肌は日に焼けており、胸は年相応といったところか。
なにかとテンションの高いレアは勝手に居間のソファーに腰掛けていた。イリヤはコップにリンゴのジュースを注ぎ入れ、レアの目の前に置いた。
「それ、飲みながら待ってろ。くれぐれも、動き回るんじゃないぞ」
レアは手を挙げ大きな声ではーいと返事をし、コップを両手で持って飲み始めた。イリヤが準備をしようと動き始めたら、後ろから声がかかった。
「イリヤ、檻の鍵を開けておいてくれと言ったじゃないか。……ん? レアが来ているのか」
「おはよっ、おじいちゃん」
「ああ、おはよう」
レアは右手を小さく振り、ハンスはそれに軽く微笑むことで応えた。
「今から開けようと思ってたんだ」
イリヤは檻の鍵をポケットから取り出し、ハンスの後ろを着いていった。
檻の前に行くと、ディルクが不機嫌そうな顔で座っていた。
「……遅い」
ディルクはボソッと不機嫌を隠さずに呟いた。
「文句があるなら出さないぞ」
イリヤが手に持っていた鍵をポケットに入れようとした。
「イリヤ、ふざけるんじゃない」
ハンスに怒られイリヤはしぶしぶ鍵を開けた。ディルクは檻から出ると、腕を上に思いっきり上げ伸びをした。
「で、何をすればいいんだ?」
ディルクはハンスに尋ねた。
「取り敢えず、付いて来てくれ、イリヤもな」
「何で俺まで……」
ハンスの実験室の横にある物置に着くと、ハンスは棚にある黒い箱二つを指差した。
「あの箱を取ってくれ。中には新しく作った、身体強化ユニットが入っておる。右の装飾がある方がイリヤのじゃ」
イリヤは黒い箱をディルクに渡し、装飾のある箱をその場で開いた。中には、鈍く銀に光る四つのリングとオレンジのゴーグル、手のひらサイズの 情報表示端末が入っていた。
「それは部分強化用じゃ。リングを付けた箇所を強化する。ニュートラルなら両手両脚に一つずつじゃな。情報表示端末は腕に着けておくといい」
イリヤは言われた通りに装着し、ゴーグルを新しい物へと着け変えた。悪くない。しかし、まだ完全とはいえないか。……次に期待しよう。
イリヤは特殊なゴーグルの性能を調べ終え、ハンスへと振り返った。
「ダメだな。用がこれだけなら、俺は出るぞ」
「なぁ、オレにはゴーグルないのか?」
「手間を取らせて悪かったの」
「なぁ、ゴーグルは?」
「帰りは出来るだけ早くするつもりだ。行ってくる」
「……ゴーグルは無いんですか?」
ディルクは肩を落とした。