来訪者
ディルク達がサウスバデータで騒動を起こしてから三ヶ月の時間が経っていた。あの日、ディルク達がサウスバデータを発った日に、レアの兄エリクはその短い人生に終わりを告げた。レアはその影を引き摺り、自分の家の中で塞ぎ込んでいた。それが二月ほど前の話。
さて、ディルク達が発った翌日。都市間協定に則り正式に世代交代が発令された。サウスバデータ住民の四十万人のうち三十五万人が新たに堕ち人となり、五万人が処分された。堕ち人になった者達の中には当然ソフィー達も含まれている。
コルスカンドにある調査機関によると、堕ち人が地上で餓死および野生生物に襲撃され絶命する確率は八十パーセント、地上の人間に迫害され絶命する確率は十パーセント。地上都市で無事に生活できる確率は十パーセント。そしてそれ以外たとえば、その才能を買われ空中都市に戻る事ができる可能性が僅かながらに存在する。堕とされた人々がどのような末路を辿るのかは誰にも分からない。
世代交代で新たに五万人が新生サウスバデータに移住させられた。前回の失敗を踏まえ、出入国者は全てコルスカンドへ逐一報告することを義務づけられ、不法入国者への傷害行為の正当化。不信行為を行った王への都市間連合法務院による粛清といった様々な内外への法整備がなされた。
さらには地上都市から狙われることのないように主要大都市と同等の悪質な対外兵器を配備し、以前の悪制の面影は見る影もなく新たにコルスカンド直轄の都市としての歴史を歩み始めた。
そんなことを今朝方イリヤが話していたのを思い出し、ディルクは空を見上げた。大気中の様々な粒子のせいで見ることができなくなった空で太陽が夕刻へと誘われている。
ディルクは再度立ち上がり、拳銃に弾を込めた。頭に付けていたゴーグルを掛け直し、目の前で動き回る的に目を向けた。左腕に付けている情報表示端末から送られてくる情報がゴーグルのレンズ部の薄膜に映し出され、十の標的の正確な位置情報を捉えた。撃鉄をあげ、引き金に指を掛ける。
一番近くの岩陰からくすんだ銀の球体が姿を現した。それに銃弾をたたき込む。球体がひずみ弾を飲み込み、そのまま地に落ちた。次いで二つの球体が地面の中から飛び出した。それに銃口を向ける。流れる川のように次々と球体が四方八方から現れ、ディルクはそれを撃ち続けた。
ディルクは空になった弾倉に新たに銃弾を込め直してから、目の前の光景に目を向けた。地に落ちたくすんだ銀色の球体が四つに自由に中空を飛び回っている球体が六つ。
「四発しか当たらなかったんだね」
ディルクの背後の低い岩に腰掛けているレアが声を掛けた。左目に白い眼帯を付けているレアはその隠された左目に異質な、異形の力を宿している。神格連鎖機構と呼ばれるそれは、神と呼ばれている生物の体の一部分そのものであり、それに宿っている力は常軌を逸している。例えば、レアが宿している左目は全事象を脳内に映し出す媒体として作用する。
レアは立ち上がると、頭に乗せていた栗毛色の毛をしたオナガトビネズミのタクトをディルクに向けて差し出した。タクトは自身の体長の三倍はあろうかという大きさの翼を広げ、ディルクの肩へと飛び移った。ディルクがタクトの上に手を乗せてやると、くすぐったそうに身をよじらせた。
ディルクは拳銃を腰に付けたホルスターにしまい、タクトを手に乗せた。
「で、レアは何でこんなところに来たんだ。何か用でもあるのか?」
「タクトがディルクに会いたがってたから連れて来ただけだよ」
レアはディルクの手のひらの上で丸くなっているタクトを人差し指で優しくなでた。
「そういえばさ、最近どうも周りが騒がしい気がするんだよね」
「周りが騒がしい?」
「うん。いつもはタクトが街の空をぐるぐる回ってるんだけど、最近飛びたくないみたいで、家の中で怖がってるの。街の外で何かが起こってるんじゃないかと思うんだけど」
「先週、街にやって来た行商達は何も言ってなかったけどな。その事はもうイリヤに話したのか?」
「ううん、まだ。何か最近イリヤも何かと忙しそうだし、下手に心配させても迷惑になっちゃうだけだし。それにいざとなったら私がこれを使うから大丈夫」
レアが左目の眼帯を外すそぶりをしながら笑った。
その時、ディルクの情報表示端末に通信が入ったことを告げる音が鳴った。送信者を確認するとハンスからの音声通信だった。ディルクはそれに応答する。
「どうしたんだ、ハンス。何か取ってきて欲しいものでもあったか?」
「違う違う。お前さんに来客じゃ。今すぐ戻ってくるようにとイリヤが言っておったわ」
ディルクに対する来客。それは地上に堕とされてから初めての出来事だった。ヴァルカースの人間がイリヤの不在時にディルクを代わりに呼ぶことはあったが、客、すなわち外部の人間がディルクをわざわざ呼び戻す必要のある用事には全く見当が付かなかった。
「わかった。今から戻る」
「了解じゃ。あまり遅くならんようにな」
ディルクは通信を切断すると、レアへと目を向けた。
「呼ばれたから今日はもう帰ることにするよ。タクトをよろしく頼む」
ディルクはタクトをレアに渡すと、近くの岩の上に置いていたナップザックを引っつかみ、肩に掛けて家路についた。
一人歩くディルクの周囲は荒廃していた。人が通ることでできた整地されていない道には役に立たないガラクタや鉄くずが散乱している。その道の両脇には半壊以上している前近代的地上都市の名残や、積み上げられた数多くの廃品が山をなし地形を複雑にして、よりいっそう荒廃した都市を演出していた。だが、その瓦礫を含む廃品の山の中には都市の人間の住処となる空間が広がっている。ある者は日中、行商達から多く買い付けたものを販売する小売店をしていたり、技術畑出身の研究者なんかは、自分の発明した物をその空間内で披露や販売などをしている。
ヴァルカースを始めとする多くの地上都市にはギルドと呼べるようなものは存在せず、個人個人が生活物資を共有して支え合って生き延びている。そのため、ひどく余所者を嫌う節があるが、これはどこの地上都市でもいえることである。そう考えると、ヴァルカースに受け入れられたディルクは希有な存在といえるだろう。しかし、それも異端で末端と呼ばれることがあるヴァルカースではいたって普通のことであるかもしれない。
そんな自身の僥倖を露程も知らないディルクは、自身の住処である瓦礫の山が見えたところで足を止めた。家の入り口の前に見慣れない砂漠迷彩のカラーリングを施したバイクが二台止まっていたからだ。ディルクはその二台のバイクにおそるおそる近づいて、周りを一周しながらしげしげと見つめた。
ディルクは二台のバイクを不思議に思いながらも瓦礫の山の中へと入っていった。瓦礫の山といっても、その山の内部は一昔前に流行ったドーム型の空間をいくつも連結させることで自分の好きな家を構築してできた住居であり、ディルクとイリヤとハンスの三人が暮らす居住スペースが広がっている。この住居形態としての瓦礫はむしろ上空からの標的にされないように瓦礫を上に被せたといった方が適切かもしれない。
ディルクが家の中に入るのと同時にハンスが姿を現した。姿を現したハンスは本物と見間違えるような立体映像である。
「ただいま」
「予想外に早い帰宅じゃな、ディルク。もう少しゆっくり帰ってくるものかと思っとたよ」
「ちょうど休憩してたから。連絡が入ってすぐに帰ってきたんだ」
「そうか。客間でイリヤが待っておる。早く行ってやるといい」
そう言ってハンスは姿を消した。すかさずディルクがハンスの名を呼んだ。
「なんじゃ、まだ何かあったかの」
「その客ってのはどういう奴なんだ? 俺に用って一体なんだ?」
「そんなことは知らんよ。ただ二人ともイリヤとも旧知の仲じゃ。何を警戒しておるのかは知らんが、早く入らんとイリヤにどやされるぞ」
ハンスは姿を現さずに声だけで伝えた。ディルクは声に従って、ノックをしてから扉を開けた。
部屋の中に入ると真っ先にイリヤが目についた。イリヤはディルクに気付くと隣に来るように促した。イリヤの向かいに座っている二人、茶色の長い髪の女性と屋内だというのにテンガロンハットを脱がない男性からの視線を浴びながら、イリヤの隣に立った。
「そいつが例の?」
ハットを被った男がディルクをあごを動かすことで示し、まるで値踏みをするように、訝しげな目で見つめた。一方、女性の方は物珍しそうに一目見た後は興味を失ったようだった。二人とも初対面に対する姿勢としては不適切である。
見知らぬ男に短くない時間見つめられ硬直していたディルクにイリヤが隣に座るように促した。ディルクがイリヤの横に腰を落ち着けるとイリヤが話を再開させた。
「ディルク、こっちの帽子を被っている男がクラウスで、無愛想な方がエリー。俺がここに来る前からの知り合いだ」
「クラウス・ローレンスだ。こっちは部下のエリー・フォイクト。昔イリヤと共同戦線を張ったことがある」
クラウスはディルクに向かって手を差し出した。ディルクはその手を緊張しながら握った。けれど、何をされるでもなく普通に握手をしただけですぐに手を離した。
ディルクは身構えるのを止め、イリヤの横でおとなしくしていることに決めた。しかし、その直後にその必要はなくなった。
「ディルク、エリーをハンスの所に連れていってやれ」
イリヤがディルクにそう言うと、対面に座っていたエリーが、自身の横に置いていた一メートルほどの高さの直方体を背中に担いだ。そしてディルクも立ち上がり、エリーを伴って部屋から出た。
応接間として利用されている部屋から、左に廊下を進んだ突き当たりがハンスの研究室となっている。その短い移動の間にエリーは一言も喋らなかった。
ディルクはハンスの研究室に入り込んだ。中には不思議そうな顔をした本物のハンスが、制作途中のよくわからない機械を前に、工具を操るアームを中空で漂わせていた。
ハンスが本物か立体映像かを見分けるのは容易く、立体映像のハンスは直立しているのに対し、本物のハンスは車椅子を使用しているのだ。
「久しぶり、おじさん」
エリーはハンスを見つけるとすぐさまそう言った。
「ハンスとも知り合いなのか?」
ディルクが問うとハンスが首肯した。
「何の用じゃ、エリー?」
「本来の目的です。これを解析するのに手を貸してもらいたいのです」
エリーはそう言うと背負っていた箱をおろし、中から手のひらに収まるような小さな黒い金属製の箱を取り出した
。箱といっても開きそうな部分はなく、のっぺりとした表面でスイッチのようなものは見当たらない。
「ある程度までは私だけで開錠できるのですが深度の領域になると、どこから手を着けていいのかさっぱりでして」
ハンスの目の前で、エリーは手のひらの上の黒い箱をこねくり回した。
目立つスイッチのような物がないにも関わらず、テキパキと直方体の形を変化させていく。そのバリエーションは多岐にわたり、球体や三角錘、十六面体などに変化していった。最終的に中央に球体を据え、八方向にそれぞれ様々な大きさの四面体がくっついていた。立方体の中に球が入った形がそれに近い。
エリーがハンスの目の前の作業台にそれを置くと、ハンスはそれを少しいじって元の立方体に戻してしまった。
「どうやらそれなりに複雑そうな玩具のようじゃな。これはしばらくわしが預かろう。なに、すぐにそれなりの所見は出してやろう」
エリーは頷き、ハンスの制作途中の物に興味を移したようだった。
「これは何?」
先ほどまでの仕事モードから一転、ハンスに親しそうに話しかけた。
「ピコマシンの増殖装置とでも言えばいいかの」
「その箱の中でピコマシンを製造するわけだ。本当にそんなことできるの?」
「やってみんとわからんよ」
「完成したら設計図に起こしてあげるから貸してね」
「いつもすまんの。わざわざ書き直すのも面倒でな」
「我流でそれだけできるのもすごいとは思うけどね」
会話についていけていないディルクに気が付いたハンスはディルクに向けての説明を開始した。
「まだ馴染みのあるナノマシンならわかるじゃろ。治療や作業、果ては戦闘まで幅広い分野で使われておる技術じゃ。そのナノマシンのサイズが十のマイナス九乗メートル。えーと、百万分の一ミリメートルか。マシン自体のサイズは実際は百ナノメートルぐらいじゃったか。
それよりもさらに小さい十のマイナス十二乗メートル、十億分の一ミリメートルのサイズの機械の総称がピコマシンじゃ。こいつはまだまだこれから発展していくじゃろうがな」
ハンスの話に相槌を打つもののディルクには遠い話にしか思えず、話の半分も理解していなかった。
「ピコマシンはその小ささ故にできることが限られておる。せいぜい一つの機構ができるのは一つの行程だけじゃな。ただ売られている物は非常に高価だから滅多なことじゃ流通しておらん。ただ材料面にだけスポットライトを当ててやると、その価格は非常に小さくなる。ピコマシンだけにな」
ディルクはハンスに冷めた目を向けた。ハンスが動じずに言葉を続ける。
「何じゃその目は。洒落を言った訳じゃないぞ。事実その小さなサイズを作るのに必要な物は僅かじゃ。塵よりも小さい、微々たる物じゃ。そんな少量に何万とかかるわけがないじゃろ。まぁ、性質上膨大な数のピコマシンが必要になるんじゃがな。そこで、このピコマシン増殖炉じゃ。 ピコマシンには強度がないといっても過言じゃない。じゃからといって、強度を増すためにサイズを大きくしたんじゃ意味がない。ならば、すぐに代替品を用意できるようにするのが妥当じゃろ。じゃから、必要なときに必要なだけのピコマシンを用意する物が必要になるんじゃ」
ハンスの話にさして興味のないディルクも雰囲気で理解した。
「ただ最近はサーキュリウルがフェムト機構なるピコマシンよりも小さな物を作ろうと試行錯誤しとるようじゃがな」
ハンスはしゃべり終えると、中空に停止させていた十六本のアームのうちの半数を器用に操作して、増殖装置の製造を再開した。
エリーが部屋から出ていくのに続いてディルクも部屋から出ていった。