夜襲(5)
ディルクは逃げたニーコの行方を捜して、群衆の中を見回していたが、その姿をとうとう見つけることはできなかった。ディルクはイリヤの進む先の、水のない噴水へと足を向けた。噴水へと駆け寄り、レアの身の安全を確認するとイリヤへと顔を向ける。
「よかった、無事だったのか」
「ああ、今はたいした傷はない。それよりも、どうやって逃げるか、だ」
イリヤが情勢を見るために、狂乱へと視線を移した。イリヤの放った第一摧滅群は兵士たちにあらかた掃討され、残った第一摧滅群も自爆を開始し、兵士たちの動きを牽制している。
「イリヤの入ってきたところからは逃げられないのか?」
ディルクがイリヤの顔を見上げながら提案する。
「無理だな。近くの建物の屋上から外壁を飛び越えてきたからな。こっちからだと無理がある。エリクがいれば地下通路から逃げられるんだが」
イリヤがレアを噴水の外へと出して、ディルクに添うように指示をした。イリヤはディルクに銃を渡すと、倒れている兵士に向かって走っていった。
イリヤは倒れてる兵士に近づき、腕につけていた情報端末を剥奪する。奪い取った端末を操作し、地下通路の地図がインプットされていることを確認した。
第一摧滅群の攻撃から立ち直った、空中都市勢が吼える。都王が男を引きずり、ディルクの前に出た。都王は男、エリクを地面にうつぶせに倒し、蹴り飛ばした。後ろ手に拘束されているエリクは無抵抗にうめく。
「エリク!」
「すべての元凶はこいつなのだ。こいつが巫女をリセットして持ち去らねば、こんな事にはならなかった。巫女をここでいつまでも使ってやれたというのに」
「何を言ってやがる。悪いのはお前らだろっ!」
ディルクが都王に感情にまかせて、かみついた。
「お前らがレアを私利私欲のために、道具みたいに使うから。だからエリクがレアを助け出したんだ! レアがエリクを助けようとしてるみたいに。お前らには違法でもエリクには筋が通っている。なんで、お前らみたいなのがこんな所で、のうのうと生きているんだ!」
「地上の人間が善悪を説くなんて、おこがましい。お前らが悪だから堕とされたのだ。我々のしている事が相対的に正しい。巫女をこちらに渡せ」
「断るっ!」
都王が近くにいた兵士から拳銃を受け取り、エリクに銃口を向ける。
「五秒だ。こいつはお前らの仲間だろう。殺されたくなければ、言う事を聞け。五、四……」
都王のカウントダウンに揺れるディルクの手から、レアが銃を両手で抜き取る。自分の頭に銃口を向けレアが叫ぶ。
「私が死ぬっ!」
「やめろ、レア! 何とかするから銃を渡して」
「……一。やれるものならやってみろ。巫女が使えなくなるのは痛いが、他国に使われるよりはましだ」
ディルクが宥め、都王が煽る。レアが二人の顔を交互に見やり、目を固く瞑った。
「レア、お前が死んでも死ななくても、こいつはエリクを撃つ。死んだら死んだで、神格連鎖機構であるその左目を抜き取り、別の適合者に与え使役する。レアが自決してもただの犬死ににしかならない。だから生きろ! 生きてその目を誰にも渡すな! それが最良だ」
イリヤが離れた場所からレアに語りかけた。レアが潤んだ目をゆっくりと開き、両腕から力を抜いた。だらりとぶら下がった手の中から銃が滑り、ゆっくりと回転しながら落ちる。地面に横たわる銃口の先に、一滴が落ち、地面を丸くぬらした。
「私は、何もできない」
突如、爆音が空を衝き、夜が赤く染まっていった。それと同時に、敵勢の動きが止まった。
「貴様ら、私の城に一体何をした!」
都王が今までにないような感情の高ぶりを見せた。その慌てぶりはあまりにも異常すぎるように思えた。ディルクが都王の視線の先に目をやると、なぜか城が燃えていた。
「なぜ誰も気が付かなかった! 早く、早く火を消せ! 大変なことになるぞ!」
都王が呆然とする兵士たちに命じた。レアが小さな声で何かを呟いた。聞き取れなかったディルクがレアに問いかけると、レアは松明と再度呟いた。
どうやら、見つからないようにと置いていった松明の火が何かに引火して、城中に張り巡らされた、秘密の通路を通って城の内部を炎に包んだらしい。そしてその炎が今爆発を伴って、爆発的に表面を炎で覆ったのだろう。
空中都市勢が戸惑っている間にエリクは、足を上手く使い立ち上がり、レアの方へと駆けだした。エリクは地面を強く蹴り、一歩ずつ着実にレアへ近づいていった。レアの口元が少しだけほころんだ。
エリクがレアまで後三歩というところで、笑みを浮かべた。
炸裂。
エリクは何が起きたのか分からないという顔をした。そして兄妹そろって、顔色が絶望に染まる。
破裂。
エリクの腹部にあいた二カ所の穴から血が流れ出す。血液を浴びたレアが一歩前にゆっくりと出た。
卑劣な決裂。
エリクが膝をつき、そのまま前に倒れ込む。地面に伏して目を開けたまま言葉にならない呻きをあげる。その目の端には涙が浮かんでいる。レアがエリクを仰向けにして、傷口を押さえた。二人の目から涙が一筋、頬を辿る。
左目で見ていた最悪なシナリオが色と光を伴い、現実へと侵略を開始した。レアが嗚咽を漏らしながら必死にちいさな両手で傷口を押さえつける。それでも無情に無常に、時間とともに血が溢れていく。
異質な力をその体に宿していても、ちいさな彼女には兄一人、たった一人の肉親のいのちが小さくなっていくのを止めることすら出来ない。彼女は慟哭の最中で、何度も何度も何度も何度もその名を叫び、こちらに引き留めようとし続けた。かの兄は、その叫びを聞きながら、ひどくゆがんだ笑みを浮かべ目を閉じた。
端で一連を見ていたディルクが、目の前でエリクを射貫いた、都王の拳銃を握ったステーン・アスペル目掛けて走り出した。ステーンがディルクに照準を定める。ディルクが兄妹の横を駆け抜ける。
トリガーが引かれた。
正反対の速度のベクトルを持つ二つが、頭から同一物に衝突する。銃弾はひしゃげ、ディルクは頭から血を垂らす。血とともに怒りも流れ出したのか、おとなしく足を止め、目の前に突如現れた銀の壁を見上げた。菱形の模様が全体に施されたその壁は、じりじりとディルクの方へと移動し、後退させる。
ディルクとステーンは同時に妨害者へと目を向ける。ただその視線に込められたものもまた対する、怒りと謝罪。妨害者は怒りにまかせて突っ込んでいったディルクに冷ややかな目を向けていた。
ディルクは壁、もとい第二守護群に押され兄妹の所まで下がった。イリヤはステーンと壁の間に立った。ステーンはあきらめたように銃を下ろし、イリヤへと疑問を投げかけた。
「なぜお前は、そんなことをする。お前は一体何を考えている? お前は一体何なんだ?」
「俺はお前たちの言うところの殺戮兵器だ。殺戮兵器の考えることが分かった時点で、お前も俺と同類になる」
「殺戮兵器が化物を飼い慣らすのか。それは笑えない冗談だ。はぁ、この国もひとまず終わりだ。ならば、私は一足先に席を外すことにしよう」
ステーンはそう言ってから自分の頭を吹き飛ばした。抜け殻が地面に横たわった。
敵勢がディルクたちを疎かにして、慌ただしく消火を試みる。その隙にと、イリヤは第二守護群の影の三人へと近づいた。
「あいつらなんであっちを優先するんだ?」
「後で話してやる。それよりもお前はレアを連れて先に行け。俺はこいつを運んでく」
ディルクの疑問を保留して、イリヤは地下通路の地図のデータが入った端末を、ディルクに手渡した。ディルクは逃走経路を確認すると、涙をぼろぼろと流し続ける、レアの腕を引いて、走り始めた。何度も後ろを振り返りながら、二人は地下通路へと入っていった。 イリヤは、壁をなしていた第二守護群を用いて、傷口を塞ぎ、さらにエリクの体全体を包み込み、これ以上傷つくことのないように丁重に運んだ。
一度、イリヤが地下通路へと向かう際に、王の命令を無視して発砲した兵士がいたが、イリヤはそれを無理に相手にせず、地下通路へと消えていった。後には燃えさかる炎と都王の怒声、兵士達の令号が残っていた。