第五話 おせっかい
うちの会社は計器メーカーであり、俺の部署は開発に近い仕事をしている。正確には開発ではなくて、技術的な支援を行う営業部隊だ。開発と営業の間にある知識ギャップを埋める一方で、営業から提案された内容を咀嚼して開発に投げる仕事も行っている。もともとは、営業と一体だったと聞いているが、組織変更が好きな上層部の意向で分けられてしまった。
『B&D部』という名がつけられていて、Business&Developmentの略称である。かっこつけた名称だが、実のところは雑用に近い立ち位置だと認識している。営業も開発も好き勝手言うのに対して、なんとか落としどころを見つけていくのがメイン業務だ。そのくせ、どちらからも大して感謝されないという苦しい点もある。
……すでに、ここに配属されてか4年くらい経つので、慣れたことではあるけれど。
* * *
目薬が染みる。パソコンの画面を一日中眺めていると、どうしても目が痛くなる。ウェブ会議も終わり、今日やらなければならないことはあらかた片付いた。課長は、相変わらず会議に出つづけていて、昼休みくらいしかヘッドセットを外している姿を見ていない。
休憩室に移動して、自販機で無糖の缶コーヒーを購入した。昨日、雪が降ったばかりなので窓の外の大半を白と青の色が埋めている。
缶コーヒー片手にぼうっとしていたら、ドアの開く音がした。
「あら?」
中嶋さんが、首をボキボキいわせながら入ってきた。
「えぐい音……」
「中に人がいると思わなかったのよ。恥ずかし……」
同じように缶コーヒーを購入している。意外にも激甘のものを選んでいた。
「そっちも疲れてるわね?」
「うちのところは相変わらずです。みんな自分のことしか考えてないから、やってられません」
「目黒さんのとこ? いろいろ面倒だって噂は聞いたわ」
「強硬な人ですから」
節電のため、休憩室のエアコンは稼働していない。
「それで、こんな寒いところでへたってたわけ。今はそんなに忙しい感じじゃなさそうね」
「中嶋さんよりは全然です」
「まだしばらくは残業漬けになりそうだわ」
「むしろ、中嶋さんが定時帰りしているところを見たことがないです」
中嶋さんの課は、うちと同じB&Dの傘下だが、製品トラブルの多い品種であるため、うちよりも多忙である。死んだような目で、話を聞いている姿をよく見かける。
「わたしなんか、まだいいほうよ。子供が生まれて間もない菱田さんなんか、奥さんに怒られて大変だって。家でも会社でも文句言われるなんて、やってられないわ。その点、わたしなんか気楽なものだから。尼子君もそうだっけ?」
「独り身ですから、別に、ですね。ペットならいますが……」
「うわ」
なぜか引かれた。俺は、スマホを取り出す。
「そんなに大げさなものじゃないですよ。ハムスターですから、手間もかからないですし」
アプリを起動すると、昨日設定した通りに部屋の内部が映される。最大限ズームして、なんとかミミの様子をうかがうことができた。
「わざわざそんなものまで入れてるなんて準備万端ね」
「気休めですよ。中嶋さんも飼ってみたらどうですか? 意外と癒されます」
アプリを閉じて、スマホをしまう。中嶋さんは興味なさそうだった。
「カメラの位置、わざわざあんなに遠くしなくてもいいんじゃない? ズームしたせいか、画質がだいぶ悪かったわ。あと、もうちょっと部屋を整頓したほうがいいと思う」
見せたことを後悔した。
中嶋さんは、缶コーヒーを一気飲みし、カーディガンを伸ばしながら休憩室を出た。あくまでカフェイン摂取のために来たようだ。
俺は、スマホをまた取り出して、アプリを動かす。ミミに合わされていたカメラの位置をずらして、窓際に向けた。盗撮のようだと思うから、人前で見ることはできない。
異変はない。あの日以来、犬の死体が放り込まれることはなかった。見ていない間は録画していて、毎日内容をチェックしているが、怪しい人影が映りこむこともない。あれは、ただのいたずらで、闇金の連中とはかかわりがないことなのだろうか。
先週、肥後の口から聞いた「麓プロ」をネットで調べたこともあったが、有益な情報を得ることができなかった。裏に潜っている連中だから、簡単にどうにかできることじゃない。ただ、事務所と思しき位置だけはわかって、どうやら、二駅離れた位置にあるようだった。
規模としては大きくなさそうだと思ったが、実際のところはどうかわからない。もしかしたら、裏のつながりがあって、大きな組織のなかにあるのかもしれない。
結局、仕事は定時で切り上げて、さっさと帰ることにした。自宅アパートの付近に着いたところで、俺は足を止める。空はすでに真っ暗だ。アパートの敷地内に、二人の女の子が立っているのが見えた。あの、姉妹だった。
何度も見かけた妹だけではなく、姉と思しき姿もあった。薄暗い中でも、茶色の髪であることがわかった。妹よりも目つきが鋭い。
部屋に入る様子もない。体は、俺の立つ入口のほうに向いている。
すぐに、妹――平川晴香が気付いて、近づいてきた。
姉も晴香のすぐ後ろに寄ってきた。挨拶してきたので返しておいた。
「ええと、どうしたの?」
姉妹は顔を見合わせる。それから、姉のほうが一歩前に踏み出してきた。
「ご迷惑をおかけしてすみません」
最初、何を言っているのか理解できなかった。
「うちの妹が、料理作って渡していたみたいなので。見ず知らずの人間からそういうことをされて困っているんじゃないかと。今後は、そういうことをさせないようにします」
横目でうかがうと、平川晴香は、目も合わせずに頭を下げた。姉が言葉をつづける。
「あと、犬の死体の処理もしてくれたと聞きました。わたしたち、あんまり耐性がなかったのでとても助かりました。ありがとうございます」
「別にいいよ。電話して引き取ってもらっただけだから」
「巻き込んでしまってすみません」
妹と違い、早口だ。おそらく、姉妹で性格が大きく異なるのだろう。
姉から、ほら行くよ、と妹の手を引っ張って、その場を去ろうとする。
「ちょっと待って」
二人は怪訝そうに振り向いた。やはり心配だった。
「……あんまり大きな声で言えないけど、たまたま、目撃してしまったんだ。三週間ほど前に、いかつい人たちが来て、いろいろ話していたよね。もしも、嫌がらせをされているのであれば、然るべきところに相談したほうがいい」
驚いたのか、姉のほうが目を大きく開けた。それから、眉根をしかめて目線をそらす。
平川晴香は、下唇をかんでうつむいてしまった。
「もちろん、赤の他人である俺にどうこうしようなんて気はない。ただ、事情が事情だから、対処を誤らないほうがいい。場合によっては、法的な整理も必要になるかもしれない。二人だけで抱え込もうとしてはダメだよ」
ぱっと思いつくだけでも、いくつも問題点がある。たとえ、返済を迫っているのが闇金融でなくとも、未成年である彼らにはできないことが多すぎる。俺の知らないところで、相談できる相手がいるのかもしれないが、念のため、言えることは言っておいたほうがいい。
「誰か、助けてくれそうな人はいるの?」
二人とも、彫像のように固まっているから、それが答えだった。
「ほかにも、捜索を警察に願い出るとか、保護してもらうとか、手段はあるはずだ。俺にできることはあまりないけど、一人の社会人として最低限のアドバイスくらいはできる。なにから手をつけていいのかわからないのであれば、一個ずつ整理していくべきだ」
踏み込みすぎただろうか。身じろぎしない二人の髪を、ときおり吹く風が揺らす。変な想像をした。手をつないで立つ二人が、その風に吹き散らされる。それくらいに弱弱しく見えた。いったい、これからどうしていくつもりだろう。関わるべきではないとわかっている。肥後の忠告も頭に残っている。俺から背けているその顔にどんな表情が浮かんでいるのか、透けているような錯覚すらあった。
苦々しく思いながら言う。
「赤の他人の俺が、言うべきことじゃなかったかもしれない。すまない」
「いえ……」
しばらく、沈黙に包まれた。二人のつないだ手に力がこもった。白く染まる吐息が、肩が下がるとともに夜闇に紛れていった。




