第三十九話 酔い
引き返さざるを得ず、車中に戻ったが、俺たちの間に会話はなかった。
実里は、さっきまでが嘘のように口を閉ざしていた。晴香の肩を抱きよせながら、歯を強く噛みしめている。内に押し込んだ感情と必死に戦っているような雰囲気だった。
対して、晴香はずっと涙をぬぐっていた。もしかしたら、晴香のなかには自分たちに謝罪をしてくれるのではないかという一縷の望みがあったのではないだろうか。その望みが最悪の形で打ち砕かれて、大きなショックを受けているのだろう。
――俺のせいだ。
停車したままの車内で、自責の念にさいなまれていた。髪も服もぐしょ濡れになり、四月になったばかりの涼しい気候が俺の体を震わせていた。
――俺が、余計なことをしたせいだ。
こうなる可能性があることも、理解していなければならなかった。不意打ちで姉妹と会わせてしまった挙句、冷たく突き放す姿を姉妹の目に触れさせてしまった。
両親が急にいなくなってしまった二人にとって、話し合う場面が必要なのではないかと考えていた。気持ちの整理をつけて、新しく歩みだすためのきっかけを得られると期待していた。
だが、現実に起きたことは、どうしようもない隔絶に押しつぶされたということだけだ。
「このままじゃ、俺たち全員、風邪をひく」
肥後が、ダッシュボードからタオルを出して俺と姉妹に投げた。車のシートが、体から零れ落ちる水滴にぬらされていた。エンジンのかかる音とともに、エアコンの吹き出し口から暖かい風が流れてきた。
「いったん戻ろう。そして、まずはゆっくり休むんだ」
ワイパーがさっきよりも激しく動かされている。ワンボックスが、緩やかに発信した。
ホテルに戻った俺は、まずは服を脱いで、シャワーを浴びた。全身を得体のしれないものにまとわりつかれているようで気持ちが悪かった。体を洗い流したあと、翌日に着る予定だった服に袖を通す。
時刻は12時過ぎ。まだ、昼飯も食べていない。肥後と相談した結果、一緒に飯を食べに行こうという話になった。
姉妹が身支度を整えるのを待つため、30分くらい経ってから連絡すると、二人とも了承してくれた。さっきよりも気分は落ち着いているみたいだった。
ホテル近郊のラーメン屋に入ったが、ラーメンをすすっている間、二人の口数は少なかった。
「……ひとまず、今日はなにもしなくていい」
もし時間が余ったら観光することも視野に入れていたが、雨が降っているうえ、この状況でそうするわけにもいかない。実里も晴香も、やはりそんな気力は内容で素直にうなずいた。
「夜ご飯の時間になったら、また呼ぶ。もしよかったら、なにを食べたいかだけ考えておいてくれ。あと、他に買いたいものがあれば、いつでも言ってほしい。お金も渡しておく」
「ありがとう、ございます……」
結局、日中に連絡が来ることはなく、夜ご飯のときも特に希望を伝えることはなく、近くの串焼き屋に入っただけだった。明日の夜に帰りの飛行機をとっているが、この状態がつづくのであれば、なにもしないまま帰るしかない。
そんな絶望感を抱えたまま、夜を迎えた。
* * *
肥後の部屋に入って一緒に酒を飲み交わしたあと、自分の部屋に戻る。酒を飲みながら肥後と話したことは、当然姉妹のことだった。
(悔しいよ。僕がしたことになんの意味もなかったのだとすると苦しくなる)
今日のことで、肥後にも傷を負わせてしまったらしい。しかし、依頼をかけたのは俺であり、姉妹を連れてきたのも俺だ。すべての責任は俺にある。
(……俺はあほだよなぁ)
そんな風に言うと、肥後が、なんでだい、と眉をしかめた。俺はつづけた。
(できるって思っていたんだ。俺にだって、ちゃんと助けることができるんだって、勝手に信じていたんだ)
酔いが回り、ふらつく足取りで自分の部屋のドアを開けて、ベッドに倒れこんだ。
大して酒が強いわけでもないのに、飲みすぎてしまった。
両手を広げて仰向けになると、白い天井から放たれる光がずいぶんと眩しく感じられた。
今だって、平川友治の冷たい視線が鮮明に脳裏に浮かんでくる。実里の怒り狂った表情や、晴香がすすり泣く声も、眼前に起こっている光景であるかのように蘇ってくる。
第三者である俺が、赤の他人である俺が、ズカズカとよその家庭に踏み込んだ結果がそれだ。
(でも、それが自分の身勝手な罪滅ぼしでしかないって、もっと早く気づくべきだった……)
吸って吐くなかで、肺のなかの空気がかきまぜられる感触だけがはっきりしていた。
窓の外の雨はすでに止んでいるようで、窓の水滴はなくなっていた。静かな部屋のなかに、自分の呼吸音だけが響いていた。
スマホをつける。実里や晴香が行きたがっていた場所をそこにメモしていた。どの時間にどこに行けたらいいなとまで考えていたのに、すべて無為に帰してしまった。
サイドテーブルにスマホを置いた。酔っているにもかかわらず、目だけが冴えて寝られそうにない。頭のなかがぐちゃぐちゃで、いろんな感情が湧きあがっては消えていった。




