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第三十八話 怒号

 最悪だ。


 もっとうまく事を運ぶつもりだった。なのに、こんな不意打ちのような形で会わせてしまうことになるとは想像していなかった。おそらく、夫妻がたまたま出かけていたタイミングだったのだろう。戻ってくる夫妻と待っている姉妹が、ちょうど出くわすこととなった。


 夫妻も姉妹も、どうしたらいいかわからず困惑している様子だった。かといって、肥後も俺も、おいそれと口出しすることができない。


「あ……」


 ふと我に返ったように、実里が声に出した。それから一歩だけ前に踏み出す。


「その、久しぶり」


 他にどう言葉をかければいいかわからないのだろう。顔を背けて、雨に濡れたアスファルトを眺めながら言っていた。


 夫妻はまだ動く様子がなかった。


 晴香も傘を持つ手を震わせながら、懸命に声を絞り出した。


「わたしたちは、別にあなたたちを追いかけてきたわけじゃない。話だけしに来た」


 恐ろしいのは、傘の下に見える夫妻の表情から感情が消えていることだ。さっき、姉妹と出くわしたばかりのときには驚きが現れていた。しかし、すぐにそれは消え去ってしまった。


 見ていられなくなり、俺は口をはさむことにした。


「平川友治さんと祐希さんですね」


 姉妹の横に並ぶ。奥に立つ夫妻の姿をまっすぐ見据えた。


「お子さんのこれからのことについて話すためにここまで来ました。少し時間をください」


 降り注ぐ雨の重みに、傘を持つ手を入れ替える。湿った空気に肺が濁るような感じがした。


 やがて、夫妻が前に歩き出す。なにを言われるか身構えながらも、姉妹をかばうように立ち、ゆっくり近づいてくる夫妻から目を離さずに待っていると――――


 ――――そのまま二人は、俺たちの横を通り過ぎた。


「え?」


 肥後も、驚きの声を上げる。まるで、俺たちの言葉など聞こえなかったかのようだ。あわてて振り返り、平川友治の肩をつかんだ。


「なんですか?」


 冷たい視線。肩に置かれた手を邪魔そうに振り払った。


「いや、あんたたち……」

「わたしたちは、急いでいるんです。それではこれで」

「待て。俺たちの目的は、あんたたちを追い詰めることじゃない。話をしに来ただけだ」


 平川友治の体の半分がこちらに向けられた。メガネのレンズに雨滴が一つついていた。


「それくらいの権利はあるはずだ。姉妹に少しでも罪悪感があるなら、それくらいは……」

「なにを言っているのでしょう」


 抑揚はなく、機械音声のような無機質な声色だった。目を細めて、靴のつま先を鳴らす。


 姉妹が気圧されて、一歩後ずさりしていた。


「そもそも、あなたたちは誰ですか。わたしの知らない方々に、そんなことを言われる筋合いはありません」


 唖然とした。この人はなにを言っているのだろう。


「人違いだと思います。わたしたちに関係のないことをおっしゃられても困ります。では」


 くるりと踵を返し、さっき俺たちが訪れたおばあさんの家に向かって淡々と足を進める。


 ――このまま逃がしていいのか。


 そのときだった。


 がしゃん、と大きな音がした。


 ビニール傘が逆さになった状態で、ぐるぐると転がっていた。


 息を荒げながら、実里が夫妻をにらんでいる。その手には傘がなかった。雨に髪や顔、服をずぶ濡れにされているが、そんなことおかまいなしに投げたポーズのまま固まっていた。


「……ぅざけるな」


 悔しさを顔ににじませて唸っていた。


「ふざけないで! あれだけのことをしておいて、なんなのよそれは!」


 殴りかかろうとしたので、あわてて俺と肥後で止めた。ものすごい力で抑えた腕が暴れようとする。俺の体ごと吹き飛ばされるんじゃないかと思うような形相だった。


「なにも知らないくせに! あんたたちの勝手で、どれだけのことがあったのかもわからないくせに!」


 俺も肥後も、傘を持っていられず放り出した。雨粒がどんどんと体にしみこんでいく。


 対して、平川友治は、傘を持ったまま黙って立っているだけだった。平川祐希にいたっては、こちらを見ようともしていない。


「わたしたちを犠牲にして、自分たちだけ楽ができることばかり考えて! そんなので全部うまくやったつもり!? なんにも解決していないのに、ずっと逃げているだけじゃない!」


 騒ぎに気づいたのか、おばあさんも家から出てくる。そして、状況を見て、口元を手で覆っていた。


 実里が、獣のように叫ぶ。


「許さない! あんたたちのことは、絶対に許さない!」


 雨雲に突き刺さるような大きな声だった。


 だが、平川夫妻は俺たちを無視し、心配そうにしているおばあさんの背中を押して、家のなかに引っ込んでしまった。そこには、粗い吐息だけが残される。


 実里の体から急激に力が抜けていく。俺と肥後は腕を解放した。肩をだらんと落とし、濡れた髪を顔に貼りつけたまま顔を俯けていた。


 放り出された傘が3つ、降り注ぐ雨に無防備にさらされている。


 さらに、すぐ隣の晴香のほうから、すすり泣くような声が聞こえてきていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] ネグレクトとして訴えること出来そう
[一言] 数百万(だっけ?)程度で子供捨てるような両親に期待するだけ無駄よね
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