第三十四話 決断
「尼子さんは、どうするんですか?」
実里が上目遣いで尋ねてきた。
「俺は、二人がどちらを選択しようと、行かないといけないと考えている」
福岡に行くことに抵抗はあるが、せっかく得た情報を活かさないわけにはいかなかった。
「別に、文句を言ったり、二人の現状について話したりするわけじゃない。まずは、おまえたちの両親の様子を確認して、第三者を装って話しかけることを想定している。訊けることから訊いて、それ以上話しても仕方ないと判断すれば引き返すことになるだろう。逆に、さらに深堀りしたいとなれば、正体を明かして、腹を割って話すことになる。どうなるかは今のところわからない」
もともと、俺と平川夫婦の接点はほとんどなかった。だから、俺の顔など覚えていないんじゃないだろうか。あるいは、覚えていて似ていると判断しても、こんなところにいるはずがないと無意識に否定して、別人と考えるんじゃないかという気がする。
具体的にどういう話から持っていくか決まっていないが、多少は探れるはずだ。
「だから、俺だけ行って、その内容をあとから報告することもできる。無理して同行する必要はない。実里と晴香の判断で決めるべきところだ。もし仮に、両親と対峙する場面があって、汚い言い合いになったとき、たぶん俺は実里と晴香を守り切ることはできない。そこでなにが起ころうと責任を持つことができない。そういうところも含めて、行くかどうかは二人に決めてもらいたいんだ」
酷な選択を迫っていることは自覚している。すぐに決められることではないだろう。
「……さっきも言ったが、まず行くかどうかを明日までに決めてもらいたい。このタイミングを逃しても、まだ機会はある。急ぐ必要はないよ」
立ち上がろうとしたところで、実里が言った。
「わたしは……」
俯いていた顔が、急に持ち上げられた。強い意志を携えた瞳が輝いていた。
「行きます。尼子さんと一緒に行きます」
「え?」
行くとしても、こんなに早く決めるとは思わなかった。
「本当に? いいのか? 怖いって言っていたじゃないか」
「だとしてもです」
一言もつかえることなく、堂々と言い切っていた。
「福岡は、尼子さんの故郷だと聞きました。そのうえで、あまり帰りたくないということも、言っていたと思います。それでも、福岡に行くと決めたのは、わたしたちのため、ですよね」
そのとき、晴香が、はっとしたような表情を浮かべた。
実里が胸に手を当てる。
「どんな結果になったとしても、たとえ嫌な目に遭ったとしても、そんなお人好しの尼子さんが一緒にいてくれるのであれば耐えられます。わたし自身が向き合わなければならないということもわかっているつもりです。だから、行きます」
「お人好しって……」
「すみません。でも事実です」
微笑んでいる。
「だって、尼子さん。ほんとは行きたくないですよね。すごく憂鬱そうだったじゃないですか。ため息ばかりついていたし、目が虚ろでした」
「まぁ……。福岡というのは、あらゆる地名のなかでもっとも聞きたくなかったよ」
「なおさら、一人で行かせるわけにはいかないです」
すると、晴香が「わたしも」と声を上げた。
「姉さんに流されたわけじゃないですが、わたしも行きます。よく考えたら、あんなことをされたのになにも言わないままというわけにはいかないです。向こうはわたしたちが来ると困ると思いますが、困らせてやればいいんです。そして、これ以上ないくらいにはっきりと、あなたたちのことが嫌いだと言ってやります!」
意気込んでいる様子だった。邪悪な笑みを浮かべているのがちょっと怖い。
「泣きつかれたらどうする?」
「鼻で笑ってやります。こっちには尼子さんもついていますからね!」
「俺をなんだと思ってるんだ……」
なんにせよ、あっさりと決まってしまった。肥後にはあとで伝えなければならない。
「そうと決まれば、準備しなくちゃいけないですね。あと三日しかありません」
旅行にでも出かけるかのようなテンションで晴香が言う。俺は、戸惑った。
「二人とも行くってことだけど、後悔はしないな?」
「当然です」「もちろんです!」
となると、ホテルや飛行機の予約をしなければならない。はたして間に合うだろうか。とりあえず、雄介にバレるとややこしいことになるので、隠しておこう。
「着替えなどの準備は当日までにやっておきますね。あと、せっかくなので、福岡でいろいろ見ていきたいところもあるので、リストアップします。時間が空いたら案内してください」
「……いいけど」
「ありがとうございます。楽しみにしています」
晴香は声を弾ませているが、空元気なのかもしれない。不安や緊張がないわけがない。こうやって自分をだましていないと、心が沈みこんでしまうのだろうと思う。俺でさえ、平川夫婦と対峙することに緊張している。隣人でしかない俺にうまく話せるのか、姉妹をつらい目に遭わせてしまわないかを考えてしまう。
この旅が、少しでも実りのあるものになればいいなと祈らずにはいられなかった。




