第二十七話 姉妹の思い
3歳くらいと思しき子供が、俺たちの前をよたよた歩いている。赤ちゃんを抱えた母親が、そのあとをゆっくりとついてきていた。
「……昔は、よくここに両親と一緒に来ていました」
実里は、子供と母親の姿を目で追っている。それから、東側に建つレストランのほうに視線を移した。
「あそこで一緒にご飯を食べたこともあります。うちはあんまり裕福じゃなかったから、誕生日みたいな記念のときだけでしたけど」
「そうなんだ。思い出の場所でもあるんだね」
「はい。あのころは、楽しかったなと思います」
夜逃げした両親とはいえ、大きな存在だったのだろう。親子関係とは、ある意味で呪いのようなものだと思う。切り離されたとしても、心のどこかになんらかの形で引っかかってしまう。幼少期という人格形成に多大な影響を及ぼす時期に、ずっと隣にいた存在。アイデンティティの隅に、必ず残りつづける。
俺は訊いてみた。
「……また、会いたいと思う?」
思いもよらない質問だったのか、実里も晴香も、顔を俯かせてしまった。つい踏み込んでしまったが、失敗だったかもしれない。しかし、俺にとってこの質問は非常に重要だった。
まだ、肥後から報告は届いていないものの、いつか見つかる可能性もある。そのときに、姉妹に伝えるべきか否かを考えなければならない。
やがて、実里が言った。
「正直、わからないです」
晴香も同じだったのか、静かにうなずいた。実里がつづける。
「ああなる前から、おかしかったんです。やたらとわたしたちに優しくなりましたから。借金のことは知りませんでしたが、お金のことで揉めている姿はよく見ていました。だから、優しくなったときは、問題が解決したのだとばかり思っていたんです」
実際には、逃げる段取りをつけ、姉妹に対する罪悪感を解消するためだったのかもしれない。あまりにも無責任すぎて、苛立ちを覚えてしまう。
「両親がいなくなってから、あの人たちが自分たちにとってどういう存在だったのか、もはやわからなくなってしまいました。好きだったのか、嫌いだったのか。必要としていたのか、していなかったのか。ぽっかりとなにか空いた気がしますが、それがなんだったのか、思い出せないような感覚です」
その気持ちは、俺も同じだったからよくわかった。故郷にいたころはあれだけ一緒だったのに、いざ離れてしまうとその期間が夢幻だったかのように思える。でも、そのなかになにかがあったのは間違いなくて、後ろ髪を引かれるような思いも少なからずある。二人の場合、自分から選んだ道ではないので、なおさらそう感じるのだろう。
「だから、わからないんです。会いたいという気持ちがまったくないわけではないです。でも、会ってなにかが変わるとも思えません。むしろ、すごく嫌な気持ちをたくさん抱えてしまいそうで、怖いんです」
絶対に、元の関係には戻れない。親子としてではなく、まったく別の関係として会うことが想定される。なにせ、相手は自分たちのことを捨てたのだ。
両親を両親でない人として会うのは、非常に難しいことだろう。
「晴香も、同じか?」
「はい……。わたしも、会うのが怖いです」
晴香の手から、ペットボトルの凹む音が聞こえた。
「尼子さんがいなければ、わたしたちはどうなっていたかわかりません。二人して、恐ろしい目にあっていた可能性もあります。そして、そうなる可能性があることを、父も母もわかっていなかったわけがないんです」
「俺もそう思う」
闇金融がどういうところかわかっていたから、わざわざ夜逃げなんてしたわけだ。
「だから、穏やかな気持ちで顔を合わせることはまずできないです。そして、なにかとんでもないことをしでかしてしまいそうな気さえしてしまいます。二人がなんでそんなことをしたのか訊きたい気持ちもありますが、これ以上、嫌な思いをしたくないという気持ちもあります」
普段は明るい晴香にそこまで言わせてしまう、姉妹の両親が憎かった。
俺が一番危惧していることがある。それは、借金がなくなったことを知り、何事もなかったように戻ってくることだ。あれだけひどいことをしておいて、本当はそんなことをしたくなかったなんて言って、自分の犯した罪を帳消しにしようとしたら、どう向き合えばいいのだろう。少なくとも、姉妹にそんなおぞましい姿を見せたいとは思わなかった。そんなことになるくらいなら、思い出のまま封印してしまったほうがいい。
「答えてくれてありがとう。変なことを訊いて悪かった」
やはり、会わせないほうがいいかもしれない。あるいは、二人に会わせるよりもまず自分の目でどういう人物か確認するべきだ。もしも、姉妹にとってプラスがなにもないと感じたならば、すべての情報を俺の手で握りつぶすまでだ。
実里も晴香も、顔を上げて、噴水のほうに向けている。今の姉妹には、どのような光景として映っているのだろう。少しでも、洗い流せるものがあればいいなと思った。
「帰ろうか」
俺の言葉に、二人がうなずいた。




