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第二十五話 確執

 最終的に、故郷を離れる決意をしたのは、その出来事が大きかった。


 もともと、雄介と同じ大学に進学するつもりだったが、志望校を変更した。親父にだけ希望を伝えて、願書を提出した。受験日当日もなにも告げずに泊りがけで行った。


 当然、すぐに関東の大学を受験したことがバレた。帰ってきたときに、青筋を立てたおふくろが待っていて、「裏切者」だの「親不孝」だのと散々ののしり、合格し出て行くことが決まったときにも、考えなおすようにしつこく迫ってきた。


 自分のなかで、スイッチが完全に切り替わっていた。


 もうこの人と一緒にいることは無理だと思ったのだ。距離を置いて、狭い世界ではなく広い世界を見ながら生きていきたかった。決まりきった価値観に押し込まれず、自分の信じた考えをもとに行動したかった。


 親父の協力を得て、新しい生活拠点を決めて、引っ越す準備をした。不意打ちのような形になったから、おふくろも心を決めきれなかったのかもしれない。出て行く日になっても、俺のことを認めず、最後まで抵抗していた。


「ここから出ていったいなにになる。悪いことはいわん。あんたんためにも、考え直しなさい」


 つかんできた手を振り払い、大きなリュックを背負って俺は言った。


「もうやめてくれ。俺の自由にさせてくれ」


 それから、踵を返し、家を離れるまで一度も振り返らずに歩いた。


 最後の最後までお互いに気を許すことなく、袂を分かった。そして、十年たっても、一度も顔を合わせることはなかった。


 今も覚えているのは、去り際、睨むような表情をした小さな母の姿だ。



* * *



 晩御飯のあと、姉妹は部屋を去り、俺一人になった。


 すでに時刻は20時を過ぎている。スマホの画面には、ネットで検索表示された故郷の画像が表示されていた。


 ――あまり変わっていないな。


 急斜面をのぼる石階段。立ち並ぶ家や、曲がりくねった道。どれもこれも記憶のなかの光景と一致した。ここで俺という人間が育まれた。


 子供のときに染み付いた感触というのは、10年という月日を経てなお薄れないらしい。スマホの画面から、青く茂った草木の匂いや照りつける日差しの強さが感じ取れるような気がした。そこにこびりついた思い出も、あわせて蘇ってくるようだった。


 ――戻りたくはないが、懐かしい。


 斜面をのぼって、町を見下ろしたとき、すがすがしい気持ちになったこと。空を駆ける電線が、あちこちの電柱を伝って遠くまで伸びていたこと。物干しざおにかけられていた洗濯物がなびくように揺れていたこと。すべてが脳裏に再生された。


 今見ているのは、あくまでいつ撮ったかもわからない写真である。もしかしたら変化点があるかもしれない。また、そこに暮らす人たちの姿までは映されていないから、町の雰囲気にどんな変化があったかも読み取ることができない。


 地図アプリで、自分の家の周囲を探索してみると、そこに古びた一軒家が映された。茶色の屋根に、薄汚れた壁。広さはそこそこあるが、あまり快適とは言えないような作りだった。今も、おふくろと親父は暮らしているのだろうか。


 さらに、自宅から少し離れた位置にある公園や駄菓子屋のあたりをたどる。子供のときにはもう少し大きく見えていたはずなのに、小さく、儚い存在のように思えた。視界を遮る高いビルも、多くの人が行きかう交差点もない。徐々にさびれていくことが確定しているかのような古びた建物が多く建ち並んでいた。


 俺は、スマホをスリープにした。家のなかに視線を戻すと、いつもの部屋が視界に広がっている。かつて住んでいた場所とはまったく違う世界だ。


 このアパート自体はきれいな建物ではないが、少し歩けば人工的な光が灯るにぎやかな街並みを視界に収めることができる。自動車が行きかい、スーツを着た会社員がコートの襟をしめながら歩いている。急斜面などなく、アスファルトで舗装された道がまっすぐ奥へと伸びていて、そのままどこにでも行けそうな気がしてくる。


 時間が、俺と故郷を大きく隔てている。かつては、自分という存在ごとそこに溶け込んでいたはずなのに、もはやそんなイメージをすることはできない。今さら帰ったところで、いったいなんの意味があるのだろう。


 俺とおふくろは、たぶん一生分かり合うことができない。そして、これから先、顔を合わせる日が訪れるようには、まったく思えなかった。


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