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第二十三話 故郷

 3月の初週、水曜の夜に雄介から電話がかかってきた。

 姉妹とご飯を食べているタイミングだったので、喋らないようジェスチャーしてから電話に出た。


「あれからずいぶん経つけど、どうだ?」


 雄介が押しかけた日から、すでに一か月。忘れたふりをして、特に検討もしていなかった。


「ああ、うん。いろいろ考えたけど、まだふんぎりがつかなくて……」

「勢いだ、勢い。いざ行ってみれば、なんだこんなもんかってなるんじゃないか? 父さんだって、おまえに会いたがっているはずだぞ」

「わかってる。でも、俺にとってそう簡単に決められることじゃないんだ。悠長にしていると感じるかもしれないけど、もう少し待ってくれないか」

「んー」


 まともに相手にしてこなかった前科のせいか、納得した感じではない。しかし、これ以上詰め寄っても効果がないと判断したのだろう。すぐに引き下がってくれた。


「俺はお前に合わせるから、行く気になったら教えてくれ」


 その言葉とともに電話が切られた。晴香が、「どなたですか?」と訊いてきたので、「兄だ」と答えた。


「訊いていいのかわかりませんが、どういう話をしていたんですか? 簡単に決められないとか、ふんぎりがつかないとか言っていましたけど」

「ああ……」


 隠すことでもないので、素直に話すことにした。


「たまには実家に帰れって話。おふくろと仲が良くないから、もう何年も顔を合わせていないんだ。それで、俺の兄が、急かしてきたってだけのことだよ」

「そうなんですね。2月に来た、あの方ですよね」

「うん。あのときも同じ話をしにきたんだ」


 だが、俺に帰る気はない。そのうち諦めてくれるだろうと甘く見積もっている。


 刺身を醤油つけながら、実里が言った。


「尼子さんの実家ってどこにあるんですか? そういえば訊いたことがなかったです」


 故郷の話をするのは久しぶりだ。肥後と会ったときも、あまりその話はしなかった。

 俺は、スマホを床に置いた。


「東京に来たのは大学生のときからで、そのまえは福岡の北九州にいたんだ。俺の住んでいた地域は田舎で、なにもないようなところだった」

「北九州って、かなりの大都市ですよね。田舎なんですか?」


 よくある質問だ。お茶を一口飲んでからつづける。


「人口が多いし、栄えているところもあるから、そう思うのも無理はない。でも、北九州市はかなり広くて、地域によって全然状況が異なる。俺の住んでいた若松区は、北西のほうにあるんだけどかなり田舎なんだ。電車や車に乗れば都会にも行けるけど、徒歩で行ける距離には、自然と家しかなかったな」


 長らく帰っていないから、多少は変化があるかもしれない。それはわからない。

 ただ、あのへんがそう簡単に都会化するイメージもわかない。


 隣に座る晴香が目を丸くしていた。


「尼子さんって福岡の方だったんですね。全然そんな感じはしませんでした。今の話し方にも、訛りとかはありませんよね?」


 俺はうなずく。


「そりゃ、もうこっちに来て十年だ。むしろ、方言を忘れてきているくらいだよ。ただ、もちろん昔は訛りもあったよ」

「なんばしよっと、とかですか?」

「うん。といっても、芸人とかがやるほど訛っていたわけじゃないけどね」


 俺と肥後は、ほぼ同じタイミングで東京に来た。別々の大学だったが、故郷の友人のなかでもっとも長く交友がつづいている。


「二人はずっとここにいるの?」


 そう尋ねると、二人が同時にうなずいた。実里が言う。


「そもそも引っ越したことすらないです。わたしたちはずっとこのアパートで生活していますから。うちの親も関東出身です」

「福岡には来たことがあるの?」

「ないです。修学旅行は京都でした」

「なるほど。ま、俺の住んでいたところはともかく、福岡自体はいいところだよ。飯がうまいし、野球チームもあるし、観光できるところもある」


 故郷にいたころは、何度も博多に遊びに行った。野球観戦に行ったこともある。

 とはいえ、楽しい思い出ばかりじゃないから東京に出てきたわけだけど。


 思えば、俺の身近な人間で福岡にとどまっているやつは少ない。大学まで福岡にいた雄介も、就職を機に東京に行った。俺の大学進学と時期が重なっていたから、同時に福岡を飛び出すことになった。そういう意味では、親父に寂しい思いをさせたかもしれない。


 ヘビースモーカーだった親父は、よく家の縁側で煙を吐いていた。子供のころはなぜかそのにおいが好きで、隣に腰かけながら二本の指を口に当てて、煙草を吸う仕草を真似していた。こっそり吸おうとして怒られたこともあった。当時の俺にとって煙草は大人の象徴であり、喫煙がかっこいい行為のように感じていた。


「いつか行ってみたいです。尼子さんの住んでいたところ」


 そんなことを言う実里に。俺は苦笑する。


「あいにく、俺はあんまり帰りたくないんだ。次に行くときは十年後かもしれない」


 姉妹が苦笑しているのを見て、言い過ぎたかもしれないと反省した。

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