第十九話 依頼
結局、食べきることはできなかったため、残りを皿に移して冷蔵庫に入れることにした。土鍋や茶碗などの片づけを姉妹がやってくれたうえ、カセットコンロや土鍋は、俺の家に残すことになった。
「今度は、別の鍋にしてみましょう。わたしもいろいろ調べておきます!」
晴香がテーブルを拭きながら言った。俺は、一定量のミックスフードを飼育ケースに落としているところだった。
「尼子さんは、苦手な、ではなく食べられないものってありますか?」
少し考えてみたが、特に思い浮かばない。「なにもない」と返しておいた。
「わかりました。わたしたちも特にないので、自由に選べますね」
エサを見るや、ミミが素早い動きで寄ってくる。腹が減っていたのかもしれない。
そのとき、ベッドに置いていた俺のスマホが、急に震えだした。バイブレーションの長さからして、電話がかかってきたようだ。
発信元の名前を見てから、俺は言った。
「仕事の話になりそうだから、外に出る。ゆっくりくつろいでくれ」
「え、はい」
あわててコートを身にまとい、ドアを開けた。
外は相変わらず雪が降っている。アパートの裏に、屋根が少しはみ出ているところがあるので、そこまで移動した。一度切れてしまったので、かけなおすとすぐに出てくれた。
「夜遅くにごめん」
物腰の柔らかい声が、俺の耳に届く。声の主である巨体の男の姿を想像する。
「いや、全然問題ない。飯食ってただけだから」
屋根のおかげで、比較的足元の雪は薄いようだ。それでも、風に流されたいくつもの雪の粒が俺の顔に当たる。
「俺からの着信を見て、かけなおしてくれたんだろ。ありがとうな、肥後」
「いや、こっちこそ出られなくて申し訳なかった。それでいったいなんの用だい?」
電話をかけたのは今日の昼。ずっとどうしようか迷っていたことがあった。よけいなことをするべきじゃないという気持ちもあった。けれど、皇居ランのときに二人から話を聞いて、どう対処するにせよ、やっておくべきだという判断に至った。
ぼんやりした夜空から、落ちてくる雪を見ながら俺は大きく息をついた。
「まず、話しておきたいことがあるんだ」
俺はここまでの経緯をすべて伝えた。以前相談した姉妹について、俺が助けてしまったこと。浅いつながりしかなかったけど、少しずつ関係を深めるようになったこと。肥後の忠告を無視した形になったが、後悔はしていないこと。
肥後は黙って聞いてくれた。それから、笑いながら言った。
「なんとなく、そうなるような気もしていた。尼子らしいかもしれない」
「そうか。ま、バカなことをしているという自覚はある」
「もはや、僕にどうこう言える話じゃないよ。その二人にとってはよかったんだと思うし」
「うん」
実際、俺がなにもしなかったらどうなっていたかわからない。あのとき、手を差し伸べる可能性があったのは、俺しかいなかったと思う。
肥後の声が、真剣な声色に変わる。
「そこまで聞いたら、なんとなくわかった。僕に依頼したいってことでいいかな?」
「ああ。金ならちゃんと払う。これは友達としてのお願いではなくて、正式な仕事の依頼として話しているから」
「わかった。でも、まだ情報が足りていない。顔写真とかあれば助かるんだけど……」
そう言われると思っていた。だから、あらかじめ準備していた。
通話状態を維持したまま、スマホに保存していた画像ファイルを開く。そしてそれをメッセージアプリで送信した。
すぐに届いたらしく、既読の二文字が画面に現れた。
「少し粗いけれど、顔立ちは十分に判別できる。この顔写真で問題ない」
「それならよかった。時間はどれくらいかかる?」
「わからない。この二人がどこまで逃げたかによる。名前は?」
「平川友治と平川祐希。字はこんな感じだ」
「ありがとう。ひとまず、これだけの情報があれば大丈夫だ」
写真は、今日、姉妹の部屋に入った際に撮影した。また、名前は別の機会に訊いていた。
俺は言う。
「この二人を見つけ出してほしい。そして、見つかったならば俺にこっそり教えてくれ」
居場所が判明したところで、両親が犯した罪がなくなるわけでも、過去に巻き戻るわけでもない。ただ、けじめをつける機会にはなるかもしれない。姉妹に会わせるかどうかも決めていないし、逃げた両親を責めたいわけでもない。この先を見つめていくうえでのきっかけになればいいと考えている。
肥後が、少し間をおいてから言った。
「承った。探偵としての腕の見せどころだ。必ず、見つけ出してみせる」
「頼んだ。ちなみに、どれくらいかかるものなんだ?」
すると、肥後が少し笑った後に答える。
「最低でも10万円程度はとっているが、今回はお友達料金にするよ。ただ、工数がかかりそうならもっと請求することになると思うけど」
だいぶ貯金が減っているけど、こればかりはどうしようもない。俺は、わかったと答えて、電話を切った。
肥後の頭がいいことは過去の経験から知っている。探偵としても有能だと風の噂で聞いたこともある。きっとあいつなら、近いうちに見つけ出してくれるだろう。
「さむっ」
雪をはらんだ風が吹きつけてくる。
電話をしている間に体が冷えてきてしまった。腕で体を抱くが、首筋や足元から冷気が入ってくる。せっかく鍋で温まったのに、と思いながら、俺は自分の部屋に戻ることにした。今夜は雪が止みそうにない。
 




