第十五話 皇居ラン
一緒に過ごすうちに、姉妹がどういう人間か徐々にわかるようになってきた。
まず、二人は同じ学校に通っている。両親がいたころからあまり金銭的余裕がなかったから、公立の学校を選んだようだ。また、二人ともバドミントン部に所属していたとのことで、家にはラケットやラケットケースが残っているらしい。たまに、二人で打ち合っている姿を見かけるから、部活をやめたことに未練があるのかもしれない。
両親の話は、今のところ、友人には教えていないという。俺が二人の立場でもそうする。こんなことを話したところで、余計な気を遣わせるだけだ。そのようなことを両親がしたということ自体、体面がよくない。だからこそ、二人が部活をやめたことについて、だいぶ不思議に思われているらしい。
部活をつづけたらどうかという提案もしてみたが、断られてしまった。二人には二人の考えがあるのだろうと、それ以上の深入りはできず、今に至る。俺への罪悪感もあるし、両親を見つけなければならないという焦燥感も、きっとどこかにあるのだと思う。
だからといって、こんな生活をつづけていていいものか、悩ましいところでもある。
* * *
「はぁ、はぁ、きつ、はぁ、はぁ……」
午後七時。仕事を終えた俺に待っていたのは、苦行としかいいようのないランニングだった。以前に約束したとおり、三人で一緒に走ることにしたのだ。しかし、普段運動をしていない俺と姉妹ではまったく体力が違っている。俺はすぐに二人についていけなくなってしまった。
「脇腹、脇腹が……」
「少し休みましょうか……」
暗くなっているにもかかわらず、皇居の周囲にはウォーキングかランニングに勤しんでいる人がちらほらいる。昼に走ったほうが景色もきれいなのだろうが、あいにく平日でそれをするのは現実的ではない。
端のほうに移動して、水を飲みこむ。少し走っただけで足が痛い。新品のランニングシューズは、まだほとんど汚れていなかった。
実里と晴香は、俺の近くまで戻ってきてくれる。
「本当に運動してなかったんですね」と実里が少し困った表情。
「……まったくしてない。だからといって、ここまで体力が衰えているとは思わなかった」
「明らかに、1キロも走ってないです」
「たぶん、小学生とかけっこしても負けるだろうな」
右側には高いビルが、左側には木々がそびえ立っている。大手町付近まで来ているから、会社帰りと思われる人たちもそこかしこにいた。
「悪いな、俺のことはいいから先に行ってくれ」
「いえ、せっかくなので、一緒に走らせてください。そして無理しないうちに帰りましょう」
情けない。普段からもっと運動しておけばよかった。
二人は、現在のところ汗一つかいていない。冬だから当然だけど、呼吸が乱れている様子すらなかった。容姿に優れた姉妹と思っていたが、こういう努力のうえに成り立っているものなんだろうなと痛感させられた。
「少し落ち着いたから、また走ろう。たぶん、休み休みになるけど」
ランニングを再開する。徐々に体が温まってきたおかげで、寒さは感じない。
皇居ランは、一周およそ5キロらしい。だから、まだ半分の半分にも到達していない。このペースだと40分はかかりそうだ。
へとへとになった状態で一周を走り終えると、スマホで計っていたタイマーが44分を表示していた。訊いてみると、二人は20分台で一周できるとのことだった。
「お疲れ様です! 尼子さん、頑張ったと思います!」
晴香にそう慰められるが、今度こそもっとましな姿を見せようと心に誓った。
筋肉痛の足を引きずり、アパートに戻る途中、コンビニに立ち寄ることにした。二人にも肉まんをおごってやり、店の前で口にくわえる。
「ありがとうございます」
すでに20時を回っている。肉まんから立ちのぼる湯気が、夜闇を白く染め上げていた。
無言でむしゃむしゃしていると、実里が言った。
「尼子さんは、不思議な人ですね」
「え?」
突然の言葉に面食らってしまった。俺は、ごくりと飲み込んでから口を開いた。
「俺なんて普通の人間だよ」
「そうでしょうか。わたしたちのために、あそこまでしてくれたなんて、今でも信じられないと思うことがあるんです」
他人の借金、まして友人でも恋人でもない人の借金を肩代わりするなんて、確かに普通ではない。晴香は、まじめな雰囲気を感じ取って、口を閉ざしていた。
実里がつづける。
「わたしたちは、尼子さんにずっと迷惑をかけてしまっています。ほんとうであれば、もっと冷たくあしらわれてもおかしくない。あるいは、もっと正義感や別の感情を前面に出すとか。でも、尼子さんはどちらでもないんです。あくまで淡々としている……」
俺には当然、感情がある。しかし、それは姉妹の思い描いているものとは違っているのかもしれない。
思い起こすのは、やはり、幼馴染だった三つ編みの女の子。自分に救える力があるのであれば、それを使うべきだと思わされた。ときに自分が傷つくよりも、他人が傷つくのを見てしまうほうが、深い傷跡になることもある。だからある意味で、自分のためだったのかもしれない。
 




