06 式森ファイル(1)
私、城山仁美は城山課長と呼ばれていい気になっていました。式森さんが大事にされているお客様を私ごときが口出しするなんて・・申し訳なくてあわせる顔がありません。
式森さんが部屋に帰ってきたら謝ろうと待っていたらすぐに帰って来てくれました。
急いで謝ろうと式森さんの前までいったのですが、言葉に詰まってしまい、そのまま今度は私が部屋から出てしまいました。
私は部屋に戻って今度こそ話さなければと、再生課のドアの前でぶつぶつと練習をしていると、部署に戻ってきた高橋綾さんに「何をしているのですか?」と不審げに見られてしましました。
慌ててドアを開けて入ったのですが練習の途中で勇気も出ずにすごすごと課長室に戻ってしまったのです。
あーだめな私・・。
今日は諦めて明日のオープンハウス終了までに連絡を取ってもらえればいいでしょう。
私は明日の為に、皆さんにも定時で帰るように促しました。
オープンハウス当日です。
朝から近所の方がチラホラと訪れては下さいますが、物見遊山程度 の方達です。
みんなで作ったチラシを見て来てくれているのは嬉しい限りです。
朝の担当は大俵さんです。ニコニコと笑顔でご近所のおばさまにも物腰柔らかく接客しています。彼は実に営業向きです。
中には真剣に引っ越しを考えていらっしゃった方もいました。
午前中としてはまずまずの成果です。
そろそろお昼ご飯ね。私は大俵さんに声を掛けました。
「お昼時なので、そろそろご飯にしませんか?もしよかったら、お弁当を用意してきたのでいかがですか?」
今回は普通に声を掛けられたと思ったのですが、大俵さんが驚愕の表情で目を見開いたまま呆然としています。
もしかして、後の方がよかったのでしょうか?
それとも、お弁当が嫌だったのでしょうか?
「まだ、お腹が空いていなかったのですか?」
「あっ、すみません。お腹ペコペコなので頂きます」
大俵さんが御弁当を広げてお部屋の隅で食べ始めまたので、水筒から冷たい麦茶を入れると、とても恐る恐る飲んでいるのが不思議でした。
大俵さんが御弁当を食べ終わり、交代をしようと思った時優しげなご夫婦があらわれました。
「あの、佐々木と言います。式森さんに戸建てのオープンハウスをしているから、もしよかったら見に来てくださいと言われたんです・・・時間の約束をしていなかったんですが式森さんはいらっしゃいますか?」
なんと、式森さんのお客様がわざわざ足をお運び頂いて、感激です。
「今から式森と連絡を取ります。その間、他の者に案内させますのでどうぞ、心行くまでご覧下さい」
佐々木夫妻が玄関を見ている時に、大俵さんにご夫妻のある程度の情報を伝えねばなりません。
「式森さんのお客様で、二人のお子さんがいる四人家族です。マンションをご希望ですが、小さいお子さまの騒音で、回りに迷惑を掛ける事を気になさっています。保育園も近い病院も近い。戸建てならお子様が走り回っても大丈夫ですし、ここは良いことだらけの物件なので、接客をお願いします」
大俵さんは頷くと、水を得た魚の如く軽やかにこの物件のセールスポイントを説明しています。
うっとりと大俵さんの説明を聞いている場合じゃなかった。急いで式森さんに連絡を取らなければ行けませんね。
「もしもし、式森さん? 今どこですか? 佐々木ご夫妻が内見にいらしてますので、すぐに来て頂きたいのですが?」
「・・・」
あれ? 式森さんの声が聞こえないわ? 電話壊れたかしら?
「もしもし? 式森さん?」
「本当に佐々木さんきたんですか・・・」
「そうよ。だからあなたの担当のお客様でしょう? だからこっちに来れるかしら?」
「そちらで、案内しといて下さい。私、まさか戸建てに興味があるなんて思わずに、城山課長に言われたから電話しただけなんだもの。もう私のお客様ではないです」
何? どうした? 何を言っているのかしら?
私の頭でも分かるように説明をして欲しいわ!
「式森さん? 私にはちょっと理解が出来ないんだけど・・とにかく来ていただけないかしら?」
ブツプープー
切れた? 切った?
私はよろよろとご夫妻がいる二階に上がっていく。
「申し訳ございません。只今式森は他の営業でこちらに来られないようです。申し訳ございません」
「そうなの・・式森さんに会えなくて残念だわ」
奥さまが少々寂しげだ。
佐々木ご夫妻の感じはとても柔らかで、このお客様を引っ張ってきた彼女の人柄も分かるようだわ。
しかし、今の彼女にお客様を任せられそうにない。大俵さんを呼んだ。
「佐々木夫妻は大俵さんと式森さんの担当として、この物件を気に入ってもらえたら契約も二人でっやって欲しいの」
大俵さんは「式森に相談もしないでそんなこと決めてもいいんですか?」
と困った顔だったけれど仕方ないわ。式森さんには大事な事が足りないのだから。
佐々木夫妻はこの物件をとても気に入って、現在大俵さんがローン計算をしている。
私はもう一度式森さんに来てもらうように電話をした。
「もしもし? 式森さん? ・・お願いします返事をしてください・・・ではこのままお聞き下さい。佐々木ご夫妻は戸建てあの物件を気に入ったご様子です。なので佐々木夫妻を大俵さんと式森さん二人の担当にしました。これから佐々木ご夫妻を連れて社に戻るので、絶対に会社にいててくださいね・・・・」
返事もないまま切れてしまった。
どうしよう。担当を二人にしたので怒っているのかな?
悲しんで会社に来なくなったらどうしよう・・
会社に戻った私たちは、売り主側の業者と詰めの作業をしていく。
キッチンの水回りが古いので交換したい佐々木夫妻と売り主さんの間での交渉はすんなりいった。
式森さんが会社に帰って来ない間に、ローンや引き渡し等交渉が終わってしまった。契約の日取りも決まった。
その日とうとう式森さんが会社に帰ってくる事はなかった。
そして、次の日も来なかった。
どどどどうしよう・・
焦る私にご機嫌な瀧本専務が近付いてきた。
朝からこの人に会うなんて、なんてついていないのかしら。
「とうとう、やりましたな」
なんの話ですか?私ってなんか凄い事をしたのでしょうか?首を傾げて考える。
「既に一人、式森と言う若い女子社員が来なくなったそうじゃないか。辞めるのも時間の問題らしいじゃないか。この調子で頑張ってくれたまえ」
「????」
辞める? 式森さん、本当に辞めちゃうつもりなの?
手が震えて来た。何がいけなかったのかしら・・?そうよ、やっぱり自分の顧客を大俵さんと二人の担当にしたのがいけなかったのよね。謝らなければ・・・
再生課のドアを空けると、いつも以上に雰囲気が悪いわ。
大俵さんが私の前にたった。
「さっき瀧本専務の話を聞いたんだが、やっぱり式森を追い詰めるために担当を俺と二人にしたんだな」
「そうですね。追い詰めましたね」
辞める気を起こすまで追い詰めたのは、私ですね。
「くそっ」
大俵さんが吐き捨てるように言って再生課を出ていった。
なんとか式森さんと話がしたい。しかし、電話も切られちゃうし・・
腕組みしながら課長室で動物園のくまさんみたくウロウロしていると、駒田さんが入ってきた。
「式森さんの事、心配していらっしゃるんですよね?」
「ええ、勿論です。どうやったら話を聞いてくれるか考えています」
「あー、良かった。やっぱり信じて良かったです。でしたら、私に任せて下さい」
駒田さんって、私の事で何か信じられない事があったのでしょうか?聞きたいですが、現在、式森さんの事でいっぱいいっぱいだから、さらにややこしい事を聞くのは今度にしましょう。
駒田さんに誘われてお昼ご飯を食べに行くと、式森さんがそのお店にいました。
私もビックリしましたが、式森さんもビックリしていたので、駒田さんに私の事は聞いていなかったのでしょう。
「駒田さん、ずるいです」
「でも、式森さんが会社に来ないのは城山課長のせいって事になっているんですよ。そうじゃないなら、きちんと話をするべきじゃないのかな」
駒田さんと式森さんの話を遮るように、私は勢い余って謝罪してしましました。
「ごめんなさい。式森さんには辛い思いをさせてしまったようです。これも私の判断ミスでした」
ぺこっと頭を下げる私に式森さんは驚いていた。
「あの・・私を辞めさせたかったんじゃないんですか?」
私は驚いて頭を上げた。
「え? 私は再生課の課長です。その部下は私のかわいい子供も同然です。辞めさせたいなんて思っていません」
「子供・・・ですか・・」
あ!重いって思われたかもしれないわ。
またあたふたし始める。
「じゃあ、どうして私には顧客ファイルは必要ないとか、佐々木夫妻の担当を大俵さんと二人にしたのですか?」
式森さんとまっすぐに目があっているわ。なんだか嬉しい。恥ずかしい。そうだ、きちんと説明をしよう。
深呼吸をしてから話し出した。
「式森さんに顧客名簿がいらないと言ったのは、式森さんはお客様の要望を考えるあまり、視野が狭くなっていると思ったからです。お客様の要望は年月で変わるし、始めはマンションだと決めてても、戸建てに希望が変わる事もあります。それと、お客様は大きな買い物なので、少しは営業マンが背中を押す事も必要です。しかし式森さんはその勇気が足りないと感じました。ですから、営業マンとして大俵さんから学んで欲しいと思ったんです。でも、あなたの営業を否定するわけではありません。お客様を第1に考える姿勢はとても好きです。それとあなたを信頼して来てくださるお客様はとても素直な方が多いのは式森さんの人柄の現れです」
しまった。また、勢いで喋ってしまった。
式森さんが固まっているわ。
しかも、涙ぐんでいるじゃない。
泣かせたの? 私ってば強く言い過ぎたの?
「城山課長。すみませんでした」
式森さんに謝られた私は、あたふたしすぎて、駒田さんに肩を叩かれて「落ち着いて下さい」と言われた。
そこで漸くストンと椅子に座り直した。
「私は以前の仲介営業部で、全く売れずに営業部の課長に『お前のいいところはお尻だけだな』って触られるようになって、それが酷くなってきて会社に行けなくなったんです。それで、今度は頑張ろうって思っていたのに城山課長に佐々木さんがマンションではなく戸建てを勧めるように言われた時、お客様の事は私が一番良く分かっているし今まで売れなかったのは物件が合わなかっただけだと思っていたの。なのに、お客様の事を分かっていなかったのは私の方だったんだ。やっぱり、あの課長に言われたように私って取り柄がないんだって思ったら、会社に行けなくなったんです」
グスッ。ズルズル。あら、私ったら涙も鼻水もまた止まらないじゃない。
こんなに良い子に・・
「あなたは良いえいぎょうがぁ出来ばす。ごれから、わだじとがんばりまじょお」
私のよれよれ言葉に力強く「はい」と返事をしてくれた式森さん。
私、益々頑張るわ。
城山仁美です。
今日は和泉さんに、さつまいもを沢山頂きました。
なので、薩摩芋ご飯。薩摩芋とレモン煮。豚汁です。
豚汁は里芋派と薩摩芋派がいますが、我が家は薩摩芋派です。