08教師
程無くして、リコリネは目を覚ました。
「! も、申し訳ありません、街中で寝るなどと、なんとはしたないことを…!!」
慌てたようにユディの方を見て、そして首を傾げた。
「…? 主、なぜそのように息を切らしていらっしゃるのですか?」
「な、なんでもない…!」
言い淀むユディの胸ポケットから、悪戯っぽい口調で、リルハープの返事が返ってきた。
「ご主人サマは、いきなり『お姫様抱っこができたら恰好いいよね?』と言い出して、ちょっと張り切っちゃったのですよ~~! 結局持ち上がらずに、あのダサダサっぷりは見物でした~~、リコリネにも見せてあげたかったです~~っ」
「リルハープ!」
ユディは顔を赤らめて、胸ポケットを軽く小突いた。
悪びれない笑い声が、きゃらきゃらと響く。
ユディは、すぐに言葉を被せた。
「リコリネ、あれから1時間くらいしか経ってないよ、安心して? 調子はどう?」
呆けたように硬直していたリコリネは、はっと自分を取り戻した。
「あ、ああ、はい、スッキリしています。ご心配かけたようで、申し訳ありません。しかし主、音精霊の祝福を受けた者が、大事な指に負担をかけるようなことをやってはいけません。もう少し、御身を大事にしなければいけませんよ?」
リコリネは指を立てながら、ユディをメッと優しく叱りつけた。
ユディは気まずそうにうつむいている。
「ご、ごめん…つい、出来心で…」
その様子に、フルフェイスの奥から、ふっと笑い声が聞こえた。
「もちろん、こんなところで眠ってしまう失態をおかしたのは私ですから、お相子ですよ、ふふ。主は、どこか少年のような方ですね。私も子供の頃は、壁を殴ってみたら痛いのだろうか、破壊できるだろうか、と思い立ったことを、衝動的に行って家の壁を粉砕したりしていました」
「パワフルな児童だったんだね?」
懐かしむようなリコリネを、ユディは控えめに称した。
「しかし、主にはそういった経験の積み重ねが、ほとんど残っていらっしゃらない。昔のことをよく思い出せない状態というのは、そういうことなのかもしれませんね」
「ええと、それもあるけど…、旅先でのことを考えていたんだ。もし獣が出るような場所で、今のようにリコリネが動けなくなった場合、僕が担いで逃げられるのか、検証の必要があって」
リコリネは、再度言葉に窮した。
「旅…先…。…では、まさか……」
「リコリネは、リルちゃんのお世話係に任命して差し上げます~~!」
リルハープの笑顔が、その答えだった。
「リコリネ、これからよろしくね」
ユディの微笑みに、リコリネは声を震わせ、うつむいた。
「はい……。はい…っ」
全身鎧を着た大きな姿が、その時だけは小さく見えた。
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カツン、カツン。
目的地は、羽根箒通りにある、二階建ての家だった。
二階建てとは言っても、大きな屋敷というわけではなく、敷地面積はそれほどでもない、狭小住宅という感じだ。
リコリネは迷うことなく、そこのノッカーを鳴らして、声を上げる。
「たのもう! ライサスライガ先生、おられるか!」
すぐに、というわけではなかったが、しばらくして、ガチャリと扉が開いた。
「どなたかな?」
その男性の姿を見て、ユディは少し驚いた。
初老の紳士を想像していたのだが、出てきたのはユディよりも10歳程年上にしか見えない人だった。
家庭教師として、年が近い人が選ばれたということだろうか?
涼やかな感じの、整った顔立ちの人だった。
その人は、予期しなかった全身鎧の訪問者を、驚いたように見ている。
「先生、リコリネです。ご無沙汰しておりました」
リコリネは、胸に手を当てて礼を向ける。
ライサスライガと呼ばれた男性は、「ああ、」と感慨深く微笑んだ。
「リコリネ君か、こちらに来るという手紙は読んでいたが、一瞬わからなかった。見違えたよ!」
それはそうだろう、と突っ込むのは無粋なのだろうか。
「もっと早く到着するものと思っていたが、ずいぶんと遅かったね、まずは入りたまえ。…そちらは?」
ライサスライガは、ふとユディに目を留めた。
リコリネは、とても自慢げに胸を張り、ユディを立てるように一歩身を引いた。
「こちらは、行き倒れていた私を救ってくださった、命の恩人です。本日、私を騎士として旅に同行させていただくことが許可されました」
「あ……はじめまして、ユディと言います」
ライサスライガは、驚いてリコリネを見た。
「なんだリコリネ君、妙に到着が遅いと思えば、行き倒れていただって? 確かにかつて、人生経験は君を豊かにするだろうとは教えたが、そこまでやるのは少し尖りすぎているように思うね。…いや、ユディ君、教え子を救っていただいて感謝するよ。私のことは気軽にライサスと呼んでくれたまえ。さあ、中へ」
二人は案内されるまま、ライサスライガの家へと入った。
外から見たまま、住居空間はそう広くはなく、案内されたのは、リビング兼書庫、といった感じの部屋だった。
壁には威圧的なまでに巨大な本棚が並んでおり、そして何より驚いたのは、室内には数個の植物が、ふわふわと浮いていたことだ。
物珍し気にそれを見るユディに対し、ライサスライガは質問を先読みしたかのように説明をする。
「これは、浮き菜という植物だ。空気中の湿度を吸収する為、こうして浮かべておくことで、書物の管理に適した環境を作り出すことができる。この特性を見抜いた時の大賢者ユルブランテには感謝しかない。特に食用になるのがいい。どうにも研究に没頭してしまうと、買い出しに行くのが面倒になってしまってね」
ライサスライガは、つらつらとそう述べながら、ユディたちとは対面のソファに腰かける。
ユディも促されるままに腰を掛けた瞬間、胸ポケットから勢い良く、妖精のリルハープが飛び出してきた。
「そんなことはどうでもいいんです~~!」
いきなりの出来事に、ユディには止める暇がなかった。
彼女は、ライサスライガの顔の前で、ビシッと指を突き付ける。
「あなたですね~~、教師を名乗りながらリコリネに一人で生きていける手ほどきをしなかったのは~~! おかげでうちのリコリネが、ただのデクの坊にも等しく育ってしまったではありませんか~~! リルちゃん怒っているのですからね、ぷんぷん~~!」
「……でくのぼう………」
リコリネは物凄くショックを受けている。
ライサスライガは、突然の出来事に、しばらくぽかんと口を開けていた。
ユディは慌ててリルハープを掴む。
「こら、リルハープ、勝手に出てきて…!!」
「お離しくださいご主人サマ~~! この男にはもっと文句を言ってやりたいのです~~っ!」
ぎゃあぎゃあ言っている二人に対し、ライサスライガは首を振った。
「いや、いいんだユディ君、そちらの彼女が言っていることはもっともだ。すまなかった。いつもの私なら、妖精族という、目の前に降って湧いた研究対象に狂喜乱舞していたところだが、さすがに事の重大性は理解しているつもりだ。先に茶でも出すつもりだったが、しかしこちらにも事情があってね、まずは弁明をさせて欲しい」
じたばたと暴れていたリルハープは、ぴたりと動きを止めた。
前のめりになっていたユディは、腰を落ち着けるように、ソファに座り直す。
「聞きましょうか~~」
リルハープは、するりとユディの手の平から抜け出すと、尊大にテーブルの上に仁王立ちして、ライサスライガを睨み上げる。
リコリネは、「でくのぼう……」と、まだ呟いている。
ライサスライガは一呼吸置くと、語り始めた。
「当時、私は19の若造だった。王立の学院を飛び級で卒業し、旺盛な研究意欲を胸に宿していたところだ。だが、研究のためには、何をおいても費用が必要でね。ちょうど掘削の街の貴族から、家庭教師ができる優秀な人材を探しているという話を教授から聞いた私は、二つ返事で引き受けた。リコリネ君の父君は、つまり私の雇い主に当たるわけだね」
ライサスライガは、普段から説明をすることに慣れているのだろう。
淀まず、滑らかに話す口調は、聞いていて心地よいものだった。
「雇い主であるガッディーロ家からの依頼はこうだった。『娘が外の世界に出て行かないような教育を施してほしい』と。おそらくこれはリコリネ君自身も知らされていないことだろうが、ガッディーロ当主はリコリネ君を、生まれたばかりの弟君の良き右腕として手元に控えさせておきたいと考えていたのだろうね。もちろん、年頃になれば、縁組みにも使うつもりだったのだろうが…」
ようやくショックから立ち直ったリコリネが、当たり前のように頷いた。
「ああ…そうですね。そういった空気は感じておりました。しかし私の理想の男性像を聞かれた時、両親は縁組みを諦めたようです。なかなか居ないものなのですね、『私よりも強い男性』というものは。ですから、主が私のことを弱いと評した時、とても衝撃を受けました」
「お酒の話ね!? お酒の!」
ユディは慌てて情報を正した。
ライサスライガは、二人のやり取りに少しだけ微笑むと、話を続ける。
「よって私はリコリネ君へ、外の世界の有用な情報を一切与えずにいた。それどころか、外の世界に畏怖を抱くように仕向けることに専心したよ。飢餓をもたらすヒダルガミの存在。あらくれやゴロツキばかりが出てくる物語の書かれた本を贈ったりもした。だからこそ、リコリネ君からこの叡智の街に立ち寄るという手紙が来た時、私がどれほど驚いたことか。まあ、貴族の事情が変わることなど、ままあることだからね。君の来訪を心より待ち詫びたよ。その時こそ、正しい世界の情報を与えることができるのだからね。本来、知識は誰に対しても平等に与えられる機会があってしかるべきだ」
「なるほど、そういった事情が…」
ユディはちらりとリルハープを見る。
リルハープは、怒りの散らし方がわからないのだろう、腕組みをしてムスっとしたまま、しかし大人しく話を聞いている。
ライサスライガは、なおも話を続けた。
「当時の私は、とにかく資金だけが目的だった。だから5年でリコリネ君の元を去ったわけだが、…どうやら、リコリネ君と過ごした日々は、私の中で大きな意味があったらしいね。君は思ったよりも学者肌で、よき生徒だった。なので今、この叡智の街で、私は教鞭をとっていたりもするのだよ。だからこそ、リコリネ君に施した教育には、悔いがあった。今日からやり直せると思っていたのだが、…認識が甘かったようだ。生死に直結した間違いを正せず、本当にすまなかった」
「先生、頭を上げてください! あなたを責める気はありません、そのおかげで私は主に出会えたのですから!」
頭を下げる大人というものを初めて見たのか、リコリネはかなり焦って、その所作を制した。
リルハープは、小さくため息をつく。
「……仕方ありませんね~~、リコリネ本人が許すというのでしたら、リルちゃんからはもう何も言うことはありません~~っ」
リルハープはふわりと飛び上がり、いつものようにユディの肩に乗りに行く。
ユディは、宥めるように「よしよし」とリルハープを撫でた。
ライサスライガは、改めてユディに向き直る。
「改めて、ユディ君。リコリネ君を無事に届けてくれてありがとう。礼というわけではないが、何か困ったことがあるなら、私が力になろう。見たところ、旅人と言うには軽装に見えるが…」
「そのことですが、先生、今日は助言をいただきに参ったのです。主。主の事情を私の口から言うわけにもいきません、ご説明をお願いできますか?」
「あ、うん、そうだね。少し話は長くなりますが…」
ユディは話し始めた。
あやふやな記憶のこと。
自分はモノガリで、モノノリュウを倒しに行く旅をしているということ。
里から出るのは初めてだということ。
今は路銀の稼ぎ方で困っていること。
ライサスライガは、最初は驚いていたものの、次第に興味が勝って行ったように、思案気な顔で口元に手をあてがいながら、ユディの話を真剣に聞いている。
「ふむ…。人間は衝撃的な出来事があると、その記憶を封じこめるような事例があると言うが、君の場合はどうなのだろうね…。…いや、大体の事情はわかった。その上で、まず私から提案が一つある」
ライサスライガは、順序だてて話すことを心掛けているようで、矢継ぎ早な質問などはなかった。
「ちょうど、研究助手というものを持ってみることに興味が出てきていてね。どうだろう、ひと月ほど、この家で住み込みで過ごしてみないかね? もちろん、君たち3人まとめて面倒を見よう。その間に、正しい世の中の知識も伝えておきたい」
「ええ? それは願ったり叶ったりですが、いいんですか? リコリネはともかく、僕の存在は予定外だったでしょう?」
ライサスライガは、笑いながらソファに凭れなおした。
「ははは、良い意味で想定外だったよ。まさか話でしか聞いたことのないモノガリに会えるなんてね。その上妖精までついてくるとは。多少卑怯な聞き方をしてしまったほどだ。本来ならば、こう聞かなければならない。『私の質問攻めに耐える日々を送る覚悟はあるかい?』とね」
そう言って片目をつむる姿に、ユディは思わず笑ってしまった。
「あははっ、そうですね、ライサスさんの望む返答ができるかどうかはわかりませんが、利害が一致していることはよくわかりました。リコリネ、リルハープ、どう思う?」
「私もリルハープ君と呼ばせてもらおう。君には、心を煩わせた詫びとして、糖蜜の飴玉を用意させていただこうか」
ライサスライガは、リルハープが返答をする前に、ちゃっかりと特典を付けた。
リルハープは、「うぐ…っ」と誘惑されている。
リコリネは、さして悩んだ風もなく、頷いた。
「主がよろしいのであれば、私からは何も言うことはありません。ご安心ください、先生が研究助手としてこき使うのは、主に私の方ですからね。どうせ私の来訪を当てにしての案件を引き受けたりしているでしょうし」
ライサスライガは、大袈裟に驚いて見せた。
「さすがはリコリネ君だ。君は言われたことを言われたままこなすことに長けているからね、先日出土した本の解読に一役買ってもらうつもりだったよ」
「あなたが昔からそういう方であることは、十二分に理解していますからね。買い出しも私の方にお任せください。とは言っても、最初に街を案内して貰わねばならないことは、忘れないでいただきたいところですが」
「善処しよう」
流石は5年間を共に過ごしただけあって、ライサスライガとリコリネは、気心の知れたやり取りを見せている。
やがて、リルハープの方にも、結論が出たようだ。
「まあ、隠れ家くらいには思ってあげます~~っ。リルちゃんの名前を気やすく呼ぶのも、許して差し上げましょう~~!」
足を組んで、つんとそっぽを向く妖精の姿に、ライサスライガは小さく微笑んだ。
「ありがとう。では、決まりだね。3人とも、今日からよろしくお願いするよ。部屋は、倉庫代わりに使っている二階を使うといい。狭いのは覚悟してもらう必要はあるが、好きに使ってほしい」
「…ありがとうございます。まずは掃除を頑張りますね」
雑然とした居間を見渡しながらそう言うユディに、ライサスライガは面白そうに笑った。
「ははは、ユディ君は結構言うね? 頼もしいよ。さて、一段落着いたところで、茶を淹れてこよう。少々待っていたまえ。宣言した通り、この後は質問攻めだからね、覚悟をしていてくれ」
「お世話になります…!」
キッチンの方へと引っ込むライサスライガへ告げると、ユディはようやく安堵の息を吐く。
今後の指標が示される、ということが、こんなに心へと安寧をもたらすものだとは思わなかった。
だけど。と、同時に思う。
だけど、いつかは旅立つ地だ。
その足が鈍らないように過ごすことを心掛けないとな、とユディは重ねて思った。